01 初恋は叶わない
短編初掲載日:2021/10/28 改稿:2023/08/10
本日は、お日柄も良く異業種男女交流会(別名:合コン)である。
しかし、定時きっかりに打ち合わせを入れられて、案の定な内容の時間だけを食って遅れたのゆりが指定された店に向かえば、到着したのは待ち合わせ時間よりも四十五分も遅れた時刻だった。
幹事のおっかない先輩が目で『遅えよ』とのゆりを一睨みするけれども、仕事だったのだ。例えそれが実のないくだらない内容の打ち合わせだったとしても、仕事は仕事だ。そこは目を瞑っていただきたい。
本音は絶対言えないが、のゆりは同期の愛海が羨ましい。愛海が所属しているデザイン室の先輩はとっても優しくて仕事ができて頼もしい。たまに愛海を間に挟んで会話をするが、いつも笑顔で話しやすいところも好ましい。
おっと、話が逸れた。
さて、先輩ガチャを外したのゆりだが、決して来たくなくて駄々を捏ねて遅刻した訳ではない。
来たくなかったことは事実ではあるが。
「遅れてすみません」
のゆりが席に着くと、「んもぉ、遅いぞぉ」と普段より高い声の先輩に背筋が凍る。『ぉ』が、怖過ぎる。
しかし、作り笑顔は崩さない。なんてったって社会人を三年もやっているのだ。こんな理不尽なんのその、である。
「じゃあ、簡単にもう一回自己紹介しようか」
相手側の幹事らしき人に言われ、のゆりは「お願いします」と軽く頭を下げた。そして顔を上げたところで、とある人物がそこにいたことに気が付く。
「……のゆ?」
目を真ん丸にしてのゆりを呼ぶのは、同郷の男。
のゆりが十二年間好きだった同い年の幼馴染、瀬川 智輝だった。
「久しぶりだな」
簡単な自己紹介を終えたのゆりの隣に、智輝がビールの入ったジョッキを持って移動してきた。
先輩にじろりと視線を寄越されたが「ただの同郷です!」と元気いっぱいに言ったので、大丈夫だろう……と思いたい。
それに見てみると先輩は向かいに座っている男性といい感じだ。
頑張れ、先輩! のゆりの応援なんて要らないだろうが、こちらとしては先輩の機嫌がかかっているので、恋愛成就を心から願っている!
「久しぶりだね、瀬川くん。何年ぶりかな? 五年ぶりくらい?」
のゆりは智輝に返事をしてから、ごきゅっと喉を鳴らしてビールを流し込む。
「六年半ぶりだっつうの。つうか何? なんで『瀬川くん』呼び?」
智輝のやや呆れ混じった声と質問に、のゆりはへらりと笑ってから、お通しの茄子の煮びたしに箸を付けた。小鉢なので一口でぺろりだ。辛子味噌がピリリと効いていて美味しい。ビールが進む。
お次は定番の唐揚げが食べたいが、皿が遠いので断念して目の前にある枝豆に手を伸ばす。冷凍のものなので、特別美味しいという訳ではないが、まあ悪くはない。やはりビールに合う。
空きっ腹にアルコールは愉快になるから楽しいけれど、今日は怖い先輩が主催の合コンなので大人しく皿の上の食べ物の処理に徹するつもりだ。
先輩にもそう言われている──ご飯食べて座ってるだけでいいから、と。
要は色目は使うなということだ。
のゆりは先輩の言うことを正しく理解できるし、空気だって読める後輩である。
だからこの飲み会にも誘われた。
「元気だったか?」
白米を頼みたいなあと思っているのゆりに、智輝が問う。
久しぶりに会った智輝を見ても、のゆりの胸があの頃のように高鳴ることはなかった。
なんなら、今ののゆりは食べ物のことしか頭にない。
お腹減った……。
唐揚げが食べたい。あと白米も。
「うん。元気だったよ。あ、ねえ、ご飯と唐揚げが食べたいから、呼び出しボタン押してくれる? 唐揚げ、あっちのテーブルにもあるけど、揚げ立てのが食べたいの」
これ、とメニュー表にある『店長イチオシ! 塩唐揚げ』を指差してのゆりが言うと、智輝はぶはっと吹き出し「いいよ」と言って近くにいた店員を呼んでくれた。
「ん〜、美味しい!」
のゆりが白米(大盛り)と唐揚げで食事をしていると、離れた席から先輩に「この子ったら食い意地張っててぇ」とダシに使われたが、本当のことなのでへらへらしながら咀嚼に勤しむ。
やっぱり唐揚げは揚げ立てに限る! 衣サクッ、肉汁ジュワッにご飯が止まらない。合間にビールも堪らない。
マヨネーズをちょこっと付けて食べるのも、罪悪感が相まって堪らない。
この幸せの為ならば先輩の嫌味なんかへっちゃらだ。『美味しい』は世界を救うし、のゆりも救う。
「お前、相変わらず美味そうに食うのな」
ネクタイをあざとく緩めて頬杖をついた智輝が、のゆりの顔を見ながらしみじみ言う。
「だって美味しいんだもん。タッパーいっぱい持ち帰りたいくらい」
「へえ? じゃあ俺にも一個ちょうだい。あと米も食わせて」
「唐揚げはいいけど、ご飯は自分で頼んでね」
またもや、あざとく「あーん」と口を開ける智輝を知らんぷりしてのゆりは言った。
「三口くらいでいいんだって」
「だから、やだってば」
むっとした様子の智輝を見ても、のゆりは譲らない。
「……のゆ、お前、変わったな」
「そうかな? まあ高校の時よりは痩せたけど」
「いや、そういうことじゃなくて……はあ……」
のゆりが断るとは思わなかったのか、溜め息を吐いている智輝は少しショックを受けた様子だ。
が。はて? そんなに白米が食べたかったのだろうか。
しかし、智輝の『三口』は信用ならない。十年以上もの期間、幼馴染をやっていたのゆりには分かる。きっと茶わん半分ほどは持っていかれるだろう。
のゆりは今ガッツリ食べたい気分なのでおすそ分けはしたくない。
ケチだと思われても、それはそれで仕方ない。腹ペコなのゆりはケチなのだ。それを智輝だって分かっているはずだ。
というか、食べたいなら自分で頼めばいいのに、どうしてそうしないのだろう? 不思議だ。
白米の代わりにビールを飲みながら唐揚げを摘まむ智輝の隣で、のゆりはこんなこともあるんだなあとこっそり思った。
あの頃ののゆりのままなら、この状況に浮かれ切っているだろうとも思った。
──六年前、のゆりは智輝に振られた。
あの日。
のゆりは、告白をするつもりで智輝にメッセージを一通送信した。
忘れもしない。卒業式三日前の、二月二十七日。
朝から雪がちらつく、とてもとても寒い日だった。
〈十七時半、タコ公園に来てほしい〉
確かそんな感じのメッセージを、のゆりは智輝に送った。
タコ公園とはタコの形の滑り台がある、のゆりと智輝の家のちょうど中間の距離にある公園で、二人が幼い頃によく遊んだ思い出の場所だった。
〈わかった〉
智輝のメッセージの返信はそれだけだったが、のゆりは嬉しかった。
メッセージが苦手な智輝が返信してくれたのが嬉しかったのだ。
のゆりが六歳になる頃には、もう智輝のことが大好きだった。
告白の回数は優に百を超えていて、周囲にはお約束を通り越してネタ扱いされる期間──十二年間、のゆりは智輝を想っていた。
その間、智輝にカノジョができたことがあっても、何度告白して振られようとも、のゆりは智輝が好きで、好きで、大好きで、諦めることはなかった。
もう諦めたら? なんて言葉は何度も言われた。
だけど、そう言われたからって『はい、諦めます』とはならない。だから、のゆりは智輝が好きでなくなるまで好きでいることにして、『好き』を言い続けた。
そんな日々の中、高校卒業という区切りがやってきたのゆりはふと思い立った。
次の告白で、最後にしよう。
なぜ、のゆりがそう思ったのかは分からない。ただ、もうこれで終わりにしようと思った。
きっぱりすっぱり振ってもらって想い出にしよう、と。
でも、心の奥底では期待していた。もしかして、もしかしたら、奇跡が起きて智輝がのゆりの気持ちに応えてくれるかも……なんて。
もちろん、そんな少女漫画みたいな奇跡は起こらなかった。
一時間待って、二時間待って、三時間待って、四時間待っても、智輝は、待ち合わせの公園に来なかった。
メッセージも、電話も一回ずつしてみた。
けれどメッセージの返信はなく、電話には智輝ではない誰か……眠そうな声の女の子が出た。
『あ、智輝くん? 今……』
『智輝なら今シャワー浴びに行ってるよー。てか、どちら様?』
その後、のゆりは何と言って電話を切ったか分からない。
何も言わないのゆりを訝しんだ相手が切ったのかも知れないし、のゆりが自分で切ったのかも知れない。
気が付いたら通話は終わって、真っ暗な画面に虚ろな目をした自分が反射してた。
智輝の代わりにのゆりの前に姿を現したのは、二つ年上の実兄の圭太だった。
『のゆ! この馬鹿っ! 何時だと思ってんだ!』
母の〈早く帰ってきなさい〉のメッセージと電話を十五回無視したところで兄が迎えに来た。
あの時は気が付かなかったが、兄はのゆりを探してくれていたそうだ。
のゆりはそのことを成人して随分経ってから母経由で知った。
普段は、『ちんちくりん』だの『チビっ子』だの『子豚ちゃん』だの言ってのゆりを揶揄っているくせに、あの日の兄は最初の一言以外は、嘘みたいに優しかった。
『……智輝はどうした?』
のゆりが俯いた拍子にぼろっと涙を零した時、兄から感じたのは確かに怒りの感情だった。
なんで兄がのゆりが智輝を待っていたのを知っていたかは分からない。
だが、よく考えなくても分かることだ。毎日毎日、飽きもせず智輝一色だったお馬鹿な妹の思考回路など透けていたに違いない。
兄はのゆりよりも智輝を可愛がっている節があったが、この日を境に兄の口から智輝の名が出ることはなくなった。
サッカー部の先輩後輩で幼馴染だった二人は、のゆりをきっかけに仲を違えた。
いや、兄の一方的な無視と言うのが正しいのかも知れない。
のゆりはこの待ちぼうけのせいで熱が出て肺炎になりかかり、卒業式に出ることができなくなった。
正真正銘、自業自得だ。
三十分待った時点で帰ればよかったのに、意地になったのゆりは愚かな自分の行いのせいで寝込んだ。
智輝を責めるつもりはなかったけれど、のゆりはひどく傷付いた。
言い訳のメッセージも電話もない智輝に勝手に失望した。
元々、想い出にするつもりだったのだから、これでいいのだと言い聞かせてたくさん泣いた。
熱やら体調不良のせいで気持ちが弱っているのもあり、目が溶けてしまうのではないかというくらい泣いた。
泣いて泣いて……そうして、涙が枯れて目が一回りほど小さくなってようやく、のゆりの十二年間の初恋は幕を閉じた。
──二杯目のビールジョッキに口を付けながら、のゆりは過去を振り返る。
初恋は叶わないとは言うけれど、本当なのだと身をもって知った出来事だ。
苦過ぎる初恋だった。
今飲んでいるビールよりも苦かった。
ただし、黄色い液体の苦味は美味しく感じるので、苦味が全部悪いというものではない。
大人になったなあ、とのゆりは思った。
そして、その初恋の人とこんな風に再会するとは予想もしてなかったなあ、とも思った。
解散の号令がかかり、連絡先を交換する先輩達の横をこっそり通り過ぎて、店を出てからスマートフォンを確認する。
メッセージが三件あり、来た順番に確認していると「のゆ!」と声がかかった。
振り返った先には、智輝がいた。
六年前の彼と比べ、のゆりの恋のフィルターが取れた智輝だが相変わらず見た目が良い。いや、むしろ格好良さが増している。
あの頃と違う黒髪は短くなっており、肩や腕になよっちい感じはない。身長も高く、ダークグレイのスーツ越しにも引き締まった体の線が見て取れる。
きっと本人も自分の見た目の良さを分かっている。
そんな自信が窺えた。あの頃は気が付かなかったが、こんなところはきっとあの頃から変わっていないのだろう。
「瀬川くん? どうしたの?」
「……さっきから思ってたけど、なんで昔みたいに名前で呼ばねえの?」
のゆりはにっこり笑った──苦手な先輩に向ける作った笑い方とよく似ていた。
「話ってそれだけ?」
のゆりは早く帰りたかった。そして早くお風呂に入りたかった。
「いや、ここじゃあなんだし、これからもう一軒行かねえ? 俺ら六年ぶりだし、積もる話もあるだろ? ちょっと歩いたところに行きつけのバーがあるんだ」
そう言って智輝は歩き出し、ついて来ないのゆりに振り向いて「ほら、行くぞ」と声をかけてきた。
のゆりは行きたいと言っていないのに。
「私、行かない。帰る」
「は? なんで?」
「明日の朝、早いから」
「仕事か?」
「ううん」
「外せない用事?」
「うん」
明日の朝は別に早くはなかった。用事も特にない。
強いて言うならスーパーに行って一週間分の食材を買って、薬局に行ってシャンプーの詰め替えと洗濯用ジェルボールを買う予定がある。
でも、それを智輝に正直に言う必要性をのゆりは感じない。
明日の用事を言わないのゆりに、焦れたのか智輝が少し考えた様子を見せてから口を開いた。
「……俺、お前にずっと謝りたいと思ってて」
なんとなく自分なら許してもらえるだろうという『甘え』が智輝には香っていた。
あの頃よりも大人になったのゆりは、そんな風に目の前の男を冷静に分析できた。
「謝りたい? 何を?」
のゆりの言い方は、美味しいものをたらふく食べた満腹感とほど良いほろよい感で、ふわふわしたものになってしまった。
こういう時、無愛想な態度が取れないところがのゆりの良いところでもあり、時として良くないところでもある。
「あの日行けなくて、ごめん」
「もういいよ、怒ってないから」
これは、のゆりの本心だった。
しかし、それは彼に伝わらなかった。
おそらく、昔と違ってさっぱりした対応を見せるのゆりに、『まだ許されていない』を感じたのだろう。
「あー……今更だし、言い訳なんだけど、あの日急にバイトが入って……そんで、お前との約束忘れちまって、次の日なって圭太先輩に殴ら……言われるまで忘れてたんだ」
のゆりが『電話に出た女の子は一体誰だったの?』と聞いたら、智輝は何と答えるのだろうかと思い、口を開きかけたが兄が智輝を殴った事実に驚いてしまい、確認するタイミングを逃した。
「のゆがいつもみたいに会いに来ないし、卒業式も来ないし、体調崩してるって聞いて心配してたんだけど、そう思ってるうちに上京の準備とかで忙しくなって……東京に来てからでいいやって思って後回しにしてたんだ。でも、こっち来てからしばらく経ってもお前からの連絡来ねえし、思い切って電話した時には繋がんなかった。だから、今日会えてすごく嬉しい。……のゆ、俺はお前にずっと会いたかった」
のゆりは上京と同時に新しいスマートフォンを買ってもらった。
新しい電話番号とアドレスは『智輝に教えないでほしい』と周囲に口酸っぱく言ったし、のゆり自身も智輝にそれを教えなかったので電話が繋がらないのもメッセージが届かないのも当然だ。
「あの日、お前は俺に何の用だったんだ?」
のゆりは、智輝のこの言葉にイラっとした。それは顔にはっきりと出たが、またしても彼に伝わらなかった。
分かっているくせに、どうして今更こんなことを聞くのだろう。
もしかして、智輝は『のゆりがまだ自分を想っている』なんて自惚れているのだろうか。
もしもそうならば、随分と馬鹿にされていると思う。
「忘れちゃったよ、そんな昔のこと」
できるだけ冷たく聞こえるように言ったが、やはり、それが彼に伝わることはなかった。
「俺ら、あの日からまた始められないか? お前の大切さっていうか、有難みってのがやっと分かったっていうか……それに、今度はきっと上手くいくと思うんだ。だから、」
「あの、ごめん。男女交際って意味での付き合おうっていう話なら、無理」
酒ではない何かに酔っている様子の智輝の言葉を遮り、のゆりは言った。
「は……?」
ぽかんと口を開けている智輝の顔を見て、のゆりは続けて言う。
「私、今、付き合ってる人がいるの。だから、無理。ごめんなさい」
「お前は、そいつのことが好きなのか? 俺よりも?」
裏切られたような顔で自分を見る智輝に、のゆりは姿勢をぴんと伸ばして彼を見上げた。
しかし、智輝はのゆりの両手に視線を泳がせて指輪の有無を確認しているのだろうか、なかなか目が合わない。
そして、ようやく彼との視線が合った時、のゆりは口を開いた。
「うん。彼は、今もこれからも、ずっとずっと大好きな人だよ。何にも替えられない唯一で、とっても大切な人。それに去年の年末から一緒に暮らしてて……あっ、聞いてないよね、こんなこと。えーっと、だから、つまり、瀬川くんの質問の返答は……、『当然、瀬川くんよりも彼の方が大好きで大事だし、そもそも同じ天秤に掛けられない』かな」
今度こそ、きっぱり、はっきり、のゆりの気持ちは智輝に伝わったようだ。
◇◇◇
「ただいまあ」
「おかえり、浮気者」
のゆりが帰宅すると物凄く不機嫌な理文に出迎えられた。
「……文ちゃん怒ってる?」
「怒ってるに決まってる。カノジョから〈合コン行ってくるね ٩( ᐛ )و〉ってメッセージが届いて怒らないカレシがどこにいるんだ? いるなら連れて来い」
「いません、ごめんなさい……。ええっと、あ、ほら、お土産に文ちゃんの好きなセブンマートの期間限定プリン買ってきたよ。見て?『なめらかクリーミーレアチーズプリン』だって!」
先輩命令だったことを伝えなかったことを反省しつつ、のゆりは理文の好物のプリンを袋から取り出して、美容ユーチューバーのようにかざし、「このシリーズ、好きでしょ?」と続ける。
「まあ、好きだけど……」
理文は甘いものに目がない。
そんな彼は、のゆりが買ってきたメーカーのシリーズのプリンが大好物だ。前回の期間限定の『濃厚しっとりショコラプリン』も期間いっぱいリピートしていた。
理文の機嫌は大抵プリンで直る。
「のゆり」
「うん?」
「……連絡先の交換とかはしてこなかった、よな?」
「もちろんしてないよ!」
理文の不安そうな声に、のゆりは間髪容れずに大きく首を縦に振る。
「ほんとに?」
「本当! だって、唐揚げと大盛りご飯を食べてる女に連絡先聞く男なんていると思う?」
「俺なら聞く。『連絡先教えてほしい。今度飯に誘ってもいい?』って」
「文ちゃんって女の趣味特殊だもんねえ」
「……特殊じゃない」
理文とは大学に入ってすぐに始めたバイト先で知り合った。
彼の第一印象は二つ年上の頼もしいお兄さんで、色々失敗する新人ののゆりのフォローをしてくれる教育係だった。
困っているのゆりをいつも助けてくれるヒーローみたいな理文に、のゆりは懐き、理文もまたのゆりを妹のように可愛がってくれた。
その内、一緒に出掛けることも少なくなくなった二人は気が付けばいつも一緒にいるようになり、そんな二人の交流は理文がバイトを辞めてからも続き、理文が就職して研修で半年の地方勤務になってからも途切れることなく続いた。
そして、のゆりの彼の呼び方が『新田さん』から『文ちゃん』になり、彼ののゆりの呼び方が『井上ちゃん』から『のゆり』になり、のゆりの就職が決まった頃に交際がスタートした。
二人の共通の知り合い達が皆、『もうとっくに付き合ってるのかと思っていた』と驚かれた話は仲間内でテッパンだ。
そんな二人は現在、付き合って三年のどこにでもいる普通のカップルである。
◇
「美味い」
もきゅもきゅプリンを食べる理文にほっこりする。
ほら、もう機嫌が直ってるもの。
なんてチョロ可愛いのだろう、好きだ。
「良かったねえ、リピートあり?」
「あり」
「じゃあ明日買いに行こっか」
「うん」
のゆりは過去にあった智輝のことは理文にすでに話しているのだが……今日のことをいつ話そうか考えあぐねていた。
経験上こういったことは話しておかないと後が面倒なので、言わないという選択肢はない。
なのでタイミングを見計らって──
「あ、あのね? 文ちゃん」
──プリンを食べてリラックスしている理文に、のゆりは切り出した。
「うん?」
「今日の合コンなんだけどね?」
「うん」
「瀬川くんがいた」
「……それ、のゆりのこと寒空の下に四時間も待たせて卒業式行けなくさせたクソ幼馴染野郎のことで合ってる?」
「うん」
酷い言いようだけど、その通りなので頷く。
「で?」
「『あの日行けなくてごめん』って謝られた。あと、お兄ちゃんに殴られたっぽいことも言ってた」
「可愛い妹を待ちぼうけさせたんだ。俺でも殴るね、そんなクソ男。それで? 他には何言われたんだ?」
「えーと、ね……」
「『今なら俺達上手くいくと思う』とか?」
「えっ、嘘! 文ちゃんってばエスパーみたい! どうして分かったの?」
のゆりがびっくりして声を上げると、理文は顔を盛大に顰めて食べていたプリンをテーブルの上に静かに置いた。
「腹立つ」
「……ごめんなさい」
「のゆりに怒ってるんじゃないよ」
「私、ちゃんと断ったよ?」
「分かってる。セガワ トモキめ。……禿散らかせばいいのに」
「文ちゃん、機嫌直して? もう先輩に頼まれても合コン行かないから」
のゆりは猫なで声を出して不機嫌な恋人の背中にくっ付いた。
「前々から思ってたけど、のゆり、俺のこと『チョロい』とか思ってるよな?」
「……ぎくり」
「こら、声に出すな。……はあ、惚れたほうの負けってか。どうせ俺はチョロいよ……」
がくんと項垂れる理文に、のゆりは口角がにんまり上がるのを感じた。
のゆりの恋人は今日も今日とて、とっても可愛い!
「あのね、文ちゃん。私ね、文ちゃんのドアを静かに開け閉めするところと、おじいちゃんっ子でおばあちゃんっ子なところと、『お前』って絶対言わないところと、甘いもの好きなところと、照れると敬語になるところと、すぐ負けてくれるところが大好き! あと、可愛いところが、大大大だーい好き! 世界で一番好き!」
私にだけチョロいところが一番好き、と言うのは控えておいた。
「可愛くない」
「そんなことないよ! 文ちゃんは世界一可愛いよ! 自信持って!」
「いや、自信持って、ってなんだよ。俺は別に『可愛い』を狙ってない」
「狙ってないのに可愛いってすごいことだよ! さすが文ちゃん!」
「……のゆりのほうが可愛いよ」
「わっ、ありがとう! 嬉しい!」
「はあ……。話変えるけど、明日指輪買いに行くから」
「えっ、嘘! なんで!?」
付き合い始めの頃、『ペアリングが欲しい』と理文に強請ったのゆりはその願いを却下された──『いつか、きちんとしたものを買ってあげたいから今はだめ』と言われて、諦めたのだ。
「きちんとしたものを買うからです」
「それって……?」
「のゆりを売約済みって知らしめる必要性があると感じました」
「売約してたの?」
「そうです。俺が買います」
「それはそれは、お買い上げありがとうございます?」
「どういたしまして。大事にします」
「あっ! ねえ、これってプロポーズ!?」
「……ちゃんとしたやつは、明日、します……」
「文ちゃあん! 大好き! 私と結婚してー!!」
耳を真っ赤にしている理文を見て、のゆりは叫んだ。
「だから、それは俺が明日言いま、んぐっ」
のゆりは理文の唇に自分のそれを、思いっきり勢いをつけて重ねた。
「文ちゃん、今日はプリン味だねえ」
「……甘いもの苦手なくせに」
のゆりは甘いものは苦手だけど、この甘さだけはとても好きだと思った。
【初恋は叶わない:完】