祓い屋ギャリーの怨霊日記
街を歩いていると、時折見かける。
背に重そうな霊を背負っている人間を。
俺の師匠なら、依頼人以外は放っておけばいいと言うところだろうが……困っている人間は見過ごせない。
それが俺の性分だった。
今日もそうだった。
すれ違った女に取りついていた霊が気になって、足を止める。
男の霊だ。あの女に相当な未練があると見える。
未練の鎖でぐるぐる巻きになっていて、ほとんど怨霊と化していた。
女の方もすっかり背が曲がって、暗い表情でぶつぶつ言っている。
それがなければ美人だろうに……あそこまで来ると、もう正気ではないだろう。取り殺されるのも時間の問題だ。
見過ごすわけにはいかない。それが祓い屋である俺の使命だ。
「おい、そこの霊」
懐から数珠を取り出し、霊に呼びかける。
霊と、そして――それを背に載せた女が、こちらを振り返った。
「どんな未練があるか知らないが……しつこい男は嫌われるぞ!」
素早く印を結ぶ。真言を唱えて、最後に叫んだ。
「破ァ!!」
俺の放った法力が光の弾丸となって、霊に向かって飛んでいき……これで決まった、と思ったのだが。
「ふん!」
俺の放った光を、女が叩き落とした。
「え?」
え?
思わず声が漏れる。
法力を? 叩き落とした?
それも霊ではなく……生身の、人間が?
「……さい」
女が何かを呟いた。
何かと思って耳を澄ませると、鼓膜を破らんばかりの大声が帰ってきた。
「やめてください、こんなの祓ハラですよ!」
「は!?」
女が叫んだ言葉の意味が分からない。
な、何? はらはら?
女は長い黒髪を振り乱して叫ぶ。
髪の奥から覗く目は、瞳孔こそカッ開いているものの……取り憑かれて操られている人間のそれではなく、強い意志の光を宿していた。
「お祓いハラスメントです!」
「お祓いハラスメント!?」
聞いたことないハラスメントが登場した。
何でもハラスメントとつけたがるこのご時世ですら初見の単語だ。
「頼んでもないのに人の霊を勝手に祓おうとするなんて! 非常識じゃないですか!?」
「だ、だって、お前、取り憑かれて」
「好きで取り憑かれてる人だっているんですよ!?」
「好きで取り憑かれてる人!?」
いてたまるか。
中学のころから祓い屋として働いているが、今まで好きで取り憑かれている人間など見たことがない。
女はまるでボール遊び禁止の広場でサッカーをした子どもを叱りつけるかのような口調でもって、俺に言う。
「ちょっとお祓いできるからっていい気になって、ドヤ顔して『破ァ』とか言って親切の押し売りして……少年漫画の読みすぎなんじゃないんですか?」
「な、何を食ってたらそんなに人を傷つけるセリフを思いつくんだ!」
「だいたい何その数珠と作務衣みたいな服。よくそんなイタいカッコで外出られますね。五年後くらいに黒歴史になるからやめた方が良いですよ」
「よく初対面の人間に向かってそんなこと言えるなお前!!」
言葉のナイフが鋭利すぎる。
こういう仕事をしている人間が言われたら恥ずかしくて穴に入りたくなる言葉No.1をポンポン出してこないでほしい。泣いてしまう。
クラスメイトの男子を「ほんと男子ってガキよね」と見ている女子と同じ顔で俺を見ていた女が、背後に浮いている霊に手を伸ばす。
この女、霊が見えるだけではなく、触れるらしい。これは相当な霊力の持ち主だ。
女はうっとりと愛おしげに頬を染めて、霊を見上げた。
「ゆうとと私は愛し合ってるんです。誰も二人の仲を引き裂くことなんてできない。そうだよね♡ ゆうと♡」
霊が、虚ろな目で女を見下ろした。
死んでいるのだから当然なのだろうが、生気がない。
若い、大学生くらいの男だろうか。死んでまだ間もないのだろう、生前の姿をはっきり残していた。
そして、気づく。
霊を雁字搦めにしている鎖の先を、女がしっかりと握りしめていることに。
霊から立ち昇っていると思っていたどす黒い気が、女の方から湧き出して……霊にまとわりついていることに。
霊はつぅーっと女から視線を逸らして、頭を掻く。
「え……あー……は、はは」
「ゆうとすっごく嫌そうだけど!?」
ゆうとを指さして聞くが、女は首を横に振る。
何でだよ。他人の俺から見てもこんなに嫌そうなのに、何でその距離で見てて分からないんだよ。
「そんなことないわ。私とゆうとは運命の赤い糸で結ばれてるのよ!」
「赤い糸って言うか怨念の鎖だろ、お前の」
「私たちが出会ったのは、そう、雨の日だった……」
聞いてもいないのに、女が恍惚とした表情で話し始めた。
ちらりとゆうとに目をやると、すべてを諦めた悲しい目をしている。
とてもじゃないが取り憑いている側の顔ではない。
「傘を差して歩いていた私は、狭い道でゆうととすれ違ったの。その時、私とゆうとは肩がぶつかって……」
「はぁ」
「ゆうとは私を見て、二人の目が合ったの。そして、ゆうとはそのまま、歩いて行った」
「はぁ」
「その時感じたの。ああ、これは運命だって」
「はぁ???」
うん、なんて?
何て言った? この女。
「あの時のゆうとの目は、言っていたわ。助けてって」
「は、はぁ」
「私にはすぐにわかった。隣にいる女と別れて、私と付き合いたいんだって。けどそれをあの女が邪魔してるんだって」
絶句した。
道で肩がぶつかって、目が合っただけで?
しかも女連れだったのに??
こんなもの回避不能もいいところだ。当たり屋やヤンキーが可愛く思えてくる。
俺は理解した。こいつマジモンのヤバいやつだ。
完全にドン引きしながらも、一応尋ねてみる。
「あの、でもそれ、すれ違っただけですよね?」
ついつい敬語になってしまうくらいには恐る恐る訪ねたのだが、女はヒステリックに髪を振り乱して否定する。
「違うわ! 私たちは愛し合っていたの!」
背後のゆうとに視線を送る。怯えた顔で首を振っていた。
何で霊の方が怯えてるんだよ。頑張れよ、霊なんだから。
なんか霊が負けてるとアレだろ。祓い屋の俺までショボいみたいだろ。
「直接言葉を交わさなくても、私とゆうとは深く繋がっていたの。ゆうとのことなら何だって知ってるんだから。住んでいる場所、いつも使っている駅、何時発の電車の何両目に乗るか……飲んでる野菜ジュースの種類、よく行くコンビニ、好きなパン、電気とガスの使用量、あの女と会う前はいつも爪を切ること……他にもたくさん。ゆうとのことなら全部知ってる」
「こわい」
ごめんゆうと。俺が無責任だった。
これは怖いわ。
「ゆうとはいつも私にメッセージを送ってくれていたわ。私には分かるのよ。トマトのヘタが『あ・い・し・て・る』のサインだった」
「ゆうとがかわいそう」
確実にゴミを漁られている。
そんな自然界の作ったものから愛してるのサインを見つけるな。
あとトマトのヘタは数が多い方が実がしっかり詰まってるから6~8枚のものを買った方が良いよ、ゆうと。
「ゆうとは照れ屋さんだから、合鍵も直接は手渡してくれなかったけど……ある時一緒に入ったカフェの席に置いて行ってくれたの。だから私、すぐに合鍵を作ったわ」
「ゆうとがかわいそう!!」
後を尾けられた挙句置き忘れたカギを盗まれて勝手に合鍵を作られている。
もう一分の隙もなく犯罪である。お巡りさんこいつです。
鍵なくして後から見つかった時も何があるか分からないから念のために取り換えた方がいいよ、ゆうと。
俺の言葉をまったく無視して、女は滔々と語り続ける。
「私たちは深く愛し合っていたわ。だからゆうとが死んで、本当に悲しかった。何度もあの女を恨んだわ。きっとゆうとが死んだのはあの女のせいだって」
「逆恨みにも程があるって」
「でもね……今は感謝してるの」
女が幸せそうに微笑む。その手には、ゆうとを雁字搦めにしている鎖が握りしめられていた。
「だってゆうとは死んでも、こうして私に会いに来てくれたんだもの。あの女じゃなくて、私に」
「いやー……事故に遭った四つ角に立ってたんですけど。そこにこの人が通りかかって、そうしたらいつの間にか、あの鎖でぐるぐる巻きにされて、……逃げられなくなったって言うか」
「運命からは逃げられないわ。そうよね、ゆうと♡」
にっこり微笑む女に、ゆうとが「ひっ」と声を漏らした。
事故で死んだ霊はたいていが事故に遭った場所に憑く。恨みを持った霊は恨みの対象である人やモノに憑く。
場所に憑けば地縛霊だし、人に憑けば自縛霊だ。恨みや未練が強い場合、それはやがて怨霊に変わる。
何かに取り憑いている怨霊をそこから引き剝がすのは並大抵のことではない。
俺たち祓い屋でも苦労することがあるほどだ。
それをこの女は……特に何の修行もしていないのに、力ずくで引き剝がして連れてきた、ということである。
俺の法術を素手で叩き落としたことも考え合わせると、その霊力は、計り知れない。
「安心してね、ゆうと。これからはずっと、ずうっと一緒よ」
「おい! ゆうと!」
この女を説得するのは無理だと諦めて、霊の方に話しかける。霊の方が話が通じそうだと言うこの状況はどう考えても異様だが。
ゆうとに向かってこっそりと耳打ちした。
「お前霊だろ、あっさり捕まってないで逃げるとか取り殺すとかしろよ!」
「祓い屋の台詞っすか? それ」
「お前だって成仏したいだろ」
ゆうとが戸惑ったように首を傾げた。
もちろん人に害を為す霊は祓うべきだと思っている。だが……祓った霊をきちんと成仏させてやることも仕事のうちだ。
人間だけではなく、霊も救いたい。そう思ってこの仕事をしている。
霊に取り憑かれている人間を見過ごせないのと同じように……この世にとどまりたくないと願う霊を、生きている人間が無理矢理縛り付けているのだって、見過ごせない。
というかあの女は本当に生きている人間だろうか。怨霊だと言われた方が安心する気がする。
ゆうとはしばらく沈黙した後で、ぽつりと零した。
「いや、あの……ほら、俺、死んでるじゃないすか」
「え? うん」
「普通に考えて……死んでる人間が、生きてる人間に勝てるわけなくないっすか?」
「ゆ、幽霊がそんな悲しいこと言うなよ!!」
乾いた笑いを漏らすゆうと。
とても悲しい目をしていた。
「なんだかんだ生きてる人間が一番怖いって言うか」
「その格言は幽霊の口から聞きたくないよ!!」
完全に諦めているらしいゆうとを置いて、今度は女に向き直る。
この悲しい顔を見ろ、と言わんばかりにゆうとの顔を指さして訴えた。
「ちょっと、ゆうとあんなん言ってますけど!? 絶対お前が一方的に縛ってるだろ!」
「やだ、照れちゃって……ふふ、素直じゃないんだから♡」
「だめだこいつ!!」
俺も理解を諦めた。無敵かよ。
だがこのままではゆうとがかわいそうすぎる。
なんとかして成仏させてやりたいが、しかし……
幽霊が見えるという時点で霊感があるのは間違いない。
だが、ゆうとをあれほどまでに縛り上げている鎖がこの女の念だとすれば、あまりにも強すぎる。
俺がこれまでに出会った怨霊と比べても、指折りの強さの怨念だ。正面から戦って勝ち目があるとは思えない。
まさか霊ではなく生きた人間――それも一般人との力量差に歯噛みすることになるとは思わなかった。
女が眉間に皺を寄せて、迷惑そうに俺を見る。
「何なんですか、さっきから。どうして私とゆうとを引き裂こうとするんですか」
「引き裂くって言うか」
「まさか貴方……私に気があるの!?」
「んな! わけ! あるかー!!」
んなわけあるか。
んなわけあるか!!
俺は叫んだ。大人になってこんなに腹の底から大声を出したのは久しぶりかもしれない。
どこから来るんだその自信。俺が石原さ◯みだったとしてももうちょっと謙虚に生きるわ。
「ダメよ、私の心も体もゆうとのものだもの! 貴方全然タイプじゃないし」
「不本意にもほどがある!!」
世界に女がこいつ1人だけになったとしても嫌だわこんなメンヘラストーカー霊媒女。
そこでふと、気づいた。
そうか。これは賭けだが……あるいは。
あたりを見渡す。おあつらえ向きに、電柱の傍に立っている霊を発見した。
だいぶどす黒い気をまとっている。怨霊になりかけているようで、顔も歪んでよく分からない。服装から辛うじて男だとわかる程度だ。
霊の足元には、枯れた花束が置かれている。ここで事故で死んだ人間の霊があの場所に取り憑いているのだろう。
俺はその霊を指さして、女に告げる。
「あ、あいつに頼まれたんだよ!」
「え?」
「お前のこと前からいいなって思ってたんだと! 美人で、一途な感じがたまらないって!」
「え??」
ふっと顔を上げた女が、俺の指の先に佇む霊を見る。その横顔は明らかに「トゥンク……」という表情をしていた。
これは、イケる。
一途で尽くすタイプのようだが、ゆうとにその気がない。とすればこの女は、愛に飢えているはずだ。
そこにこいつのことを好きだと言う男をあてがってやれば……一気にそちらへ意識を持っていける、はず!
「そ、そう、なの?」
ふらりと、女が一歩踏み出した。
瞬間、ゆうとを縛っていた鎖が、わずかに緩む。
鎖を掴んだ。バチバチとあふれた霊力が弾けるが、何とか触れていられるレベルだ。
ぐいと引くと、さらに鎖が緩む。
女がそのまま、ふらふらと地縛霊に歩み寄る。
地縛霊が、こちらを見た。
目と目が、合った。
「貴方、名前は?」
女が問いかける。
霊は初めは自分に声を掛けられていると思わなかったようだが、やがて掠れた声で答えた。
「おれが……みえ、るのか……」
まだ完全に悪霊には落ちていないようで、意識が残っているらしい。
だがその声はポルターガイストじみた、砂嵐が混じったような、掠れてざらついた声だ。
そんなものは気にも留めずに、女はまた一歩、地縛霊に近寄る。
また鎖が緩んだ。ゆうとが驚いた顔で女を見ていた。
「見えるに決まってるじゃない。それで、名前は?」
「は、ハル、キ……」
「ハルキ!?」
ゆうとを縛り付けていた鎖がぶわりと巻き上がり、ゆうとを放り出して……一瞬で地縛霊を縛り上げる。
「素敵! 7画だなんて、画数占いで私と相性ばっちりじゃない! これって運命ね!」
「え? え!?」
「今だ、ゆうと!!」
俺が鎖を抑えながら叫ぶと、ゆうとはこちらを振り向いて戸惑った様子で言う。
「え、で、でも、俺が逃げたら、次はあの人が」
「大丈夫だ、次の地縛霊を見つけたらあいつを助けてやる!」
「え!?」
そう。俺には策があった。
地縛霊というものはそもそもいいものではない。怨霊になることも多いし、そうでなくとも悪い気を呼び込み、そこにいるだけでまた事故や事件を誘発したりする。
だが力が強い霊の場合、場所から離れさせるのも容易なことではない。
そこでこの女だ。
やたらめったら霊力の強いこの女を利用して、地縛霊に惚れさせて取り憑いている場所から引き剝がさせる。
そして霊がこの女に縛られるより成仏する方がマシだと思った頃合いを見計らって、次の地縛霊を紹介して、解放された霊を成仏させる。これを繰り返す。
今の動きを見て確信した。あの女は怨霊でも問題なく鎖で縛りあげて、自分の背後に据えることができている。
相当強力な地縛霊でも引き剥がせるはずだ。
ゆうとを自由にするだけではない。他の地縛霊も順番に成仏させてやれる。
馬鹿と鋏は使いようというやつだ。
「あ、ありがとうございます、祓い屋さん!」
ゆうとは何度も俺に礼を言いながら、成仏していった。
それを見送った後、ぐるぐる巻きにした新しい被害者に寄り添う女の姿を見る。
早くもハルキはげっそりした顔をしている、気がする。いいぞ、その調子だ。
俺は手にした数珠を握りしめる。
こうなったらもう、乗りかかった船だ。
このあたりの地縛霊がいなくなるのが先か、この女が正気を取り戻すのが先か。根競べと行こうじゃないか。
◯ ◯ ◯
「え……お前……それ……」
「それだなんて失礼よ。ね、ミッチー♡」
「み、ミッチー……」
それからというもの、マッチングアプリ並みにストーカー女に地縛霊を紹介しまくる毎日を過ごしていた。
あいつもあいつでモテモテの恋多き女を楽しんでいるようだ。
が、その日女が背後に従えていた霊は、それまで見たものとは一線を画す禍々しい気をまとっていた。
顔どころか姿形もわからない。ただどす黒い、見ているだけで頭痛がして吐き気がするような、悪しき気の塊。
どうしてだ。前に会った時に連れていた男はその辺にいる、普通の怨霊だったじゃないか。
そんなガチの怨霊は紹介していないはずだ。
「福岡で会ったの。旅先で出会うなんて運命的よね!」
福岡。
そういえばここ2、3日、姿を見ないと思っていたが……旅行に行っていたのか。いいご身分だなこいつ。
福岡で、ミッチー。
何だか無性に嫌な予感がして、霊に話しかける。
「お、恐れ入りますが、お名前は?」
「余は菅原道真じゃ」
「日本一の怨霊くっつけてきちゃったよ、この女!!」
ドン引きした。
そんじょそこらの怨霊とは格が違う。道理で見たこともない禍々しい気を放っていると思ったのだ。
もはや怨霊というより神の域に達している。よくそんな相手を愛せるなお前。
震える手で数珠を握るが、手汗で滑って安定しない。
思わず菅原道真御大に向かって悲鳴のように問いかけた。
「大丈夫!? これ大丈夫なやつ!? 成仏させていいやつ!? なんか壊れないか、霊の生態系みたいなやつが!!」
「余、成仏したい」
「だめよ、ミッチーは病める時も健やかなるときも寝ても覚めても生きても死んでもあの世でもこの世でも、ずぅっとずぅっと、私と一緒なんだから。ね♡」
「余、平安に帰りたい」
「ミッチーがかわいそう!!」
鎖でぐるぐる巻きにされた、黒くておどろおどろしい塊に目を向ける。
とても悲しい目をしている……気がした。
依頼人以外は放っておけ、という師匠の言葉がよぎったが……それを振り払う。
こうなったらもう、自棄っぱちだ。
「助けてやるから待ってろ、ミッチー!」