第27話 水の守護者
目覚めると、そこは見覚えのない場所だった。
(どこ?)
周囲を見回しても、何も見えない。全く灯りのない、暗闇にいるようだ。ただし、かつて『死者の国』で感じたような不思議な感覚はない。ただ、真っ暗なだけだ。
(濡れてる?)
ジリアンが両手両足を縛られて転がされているのは、どうやら石の床の上。その床が、じとりと湿っている。すぐ近くを水が流れる音も聞こえる。加えて、かなり気温が低い。太陽の光が全く当たらないからだろう。ならば、考えられる可能性は一つだ。
(……地下、ね)
誰かに連れ去られて、どこかの地下で拘束されている。今わかるのは、それだけだ。
(どうしようかしら)
とはいえ、ジリアンには魔法がある。拘束を解いて明りを灯すことも難しいことではない。しかし、それではジリアンを誘拐してきた誰かを刺激することになりかねない。
さらに言えば、ジリアンのすぐ近くにはブレンダがいた。隣室にはアレンもテオバルトも。少し距離をおいた場所には護衛騎士もいたのだ。その状況でジリアンを連れ去ってきたということは、簡単に制圧できるような相手ではないだろう。
(拘束して放置しているなら、殺すことが目的じゃない)
今は動くべきではない。そんなことを考えていると、ペタペタと湿った足音が聞こえてきた。
「……起きてるのは分かってる。顔を上げろ」
ジリアンは言われた通りに顔を上げた。ジリアンからは何も見えないが、何かにジロジロと見つめられている気配だけは感じられた。
「お前はヴィネの眼を持っている。間違いないな?」
「……そうよ」
ジリアンの返事を聞いた誰かが、彼女に触れた。ぬるりと湿った粘膜のような感触に、ジリアンの肌が総毛立つ。そんなジリアンに構うことなく、誰かは彼女を抱えあげて歩き出した。
「ちょっと、はなして!」
ジリアンが思わず抵抗すると、誰かはピタリと動きを止めてジリアンを再び地面におろした。粘膜のような皮膚がジリアンの近くでこわごわと戸惑っている気配が伝わってくる。
「い、痛かったのか?」
思わぬ問いかけに、ジリアンは拍子抜けする思いだった。この誰かは、彼女を害するつもりはないらしい。むしろ、彼女を傷つけることを恐れている。
(何か事情があるのね)
それを知るためには、やはり彼に従うのが最善だろう。
「自分で歩けるわ」
「お前には何も見えないだろう?」
「暗闇の中で知らない人に抱えられて移動する方が怖いわよ」
「そ、そうか?」
「あなたが手を引いてくれれば問題ないわ」
「……俺と手をつないで歩くっていうのか?」
「そうよ。こんな暗闇に置き去りにされたら、私は死ぬしかないんだもの」
嘘も方便だ。
姿の見えない誰かはしばらく考え込んだ後、ジリアンの足に触れた。
「抵抗するなよ」
「わかった」
カチャンと金属音がして、足の拘束が外れる。
「立て。……長のところに連れて行く」
今度はおずおずと遠慮がちに、拘束されたままのジリアンの手に何かが触れた。ぬるりと湿った肌の向こうに、確かな温もりがある。彼の手だ。
(悪いヒトではなさそう)
彼女を誘拐してきた犯人であることは間違いないが、ジリアンに危害を加えるつもりはない。だが、彼女を解放するつもりもない。
(いったい何の目的で……?)
その真相を探るべく、ジリアンは彼の言う通りに黙々と歩いたのだった。
* * *
一方その頃、アレンたちはジリアンの行方を探し始めていた。
「犯人は完璧な準備をしていたらしい」
唸ったのはカシロだ。
「この匂いは、砂漠にだけ咲く花から抽出した強力な眠り薬だ。香として焚くことで、揺すられても起きないほどの深い眠りに入る。だからブレンダは誘拐に気づかなかったし、お嬢さんもあっさり誘拐されたんだろう」
部屋をよく調べると、その香は天井裏から仕掛けられたことが分かった。
「それに、誰にも目撃されていない。宿の周りには護衛騎士がいたんだ。そんなことはジリアンの隠蔽魔法でもなければ不可能だ」
アレンの言に、ジリアンの護衛騎士たちが頷いた。昨夜も、間違いなく宿の周囲を漏れがないように見張っていたのだ。
「唯一の手がかりが、これですね」
テオバルトの視線の先には、宿の廊下にポツポツと続いている痕跡。
「これは、泥が乾いた跡でしょうか?」
「そうみたいだな。宿の厨房まで続いていて、地下食料庫の入り口で途絶えていた」
テオバルトとアレンが痕跡をまじまじと見つめていると、カシロが腕を組んで唸った。
「……これが犯人の残した痕跡だとすれば、見つけ出すのは簡単かもしれん」
カシロの言葉に、護衛騎士たちが一気に色めき立った。
「では、すぐにでも追いましょう!」
ところが、カシロは何やら考え込んだままだ。
「犯人にも、その目的にも、そして行き先にも、心当たりがあるのですね?」
テオバルトの問いに、カシロが頷く。それを見たブレンダがほっと息を吐いた。
「犯人は誰なのですか?」
「……『水の守護者』だ」
* * *
ジリアンは手を引かれて、そのまま地下を進んだ。その先に、わずかな明りが灯る場所が見えた。その光に照らされて、ようやく周囲の状況がわずかに見える。
彼女が歩いていたのは、地下水道の脇だったらしい。すぐ隣を川が流れている。反対の隣に目をやれば、ようやく彼の姿を見ることができた。
不思議な生き物だ。
一見すると人間のようにも見えるが、その手には水かきがついている。頭はカエルによく似ているが、老人のような長い髭が生えていて、その髭からボタボタと何かが滴り落ちている。水ではない。汚れた泥のようだ。
「……醜いだろう」
彼の小さな声に、ジリアンは咄嗟に答えることができなかった。だが、ジリアンが迷ったのは一瞬のことだ。
「自分と違う姿だからって、醜いとは思わないわ」
言いながら、彼に握られた手に力をこめる。
「変わったやつだな、お前」
「そうかしら」
「人族はみんなそうなのか」
「そうとも言えるし、違うとも言える。少なくとも、私の友人はヒトを見た目で判断したりはしないわ。ただし、あなたは私を誘拐したヒトだから、好いてはもらえないかもね」
おどけて言ったジリアンに、彼は肩を揺らして笑った。
「その通りだ」
「ふふ。……そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね。私はジリアン。あなたは?」
「リューリクだ」
「素敵な名前ね。よろしく」
話している内に、明りの灯る小さな部屋に到着した。そこには、彼と同じ種族のヒトがずらりと並んでいてジリアンは思わずたじろいだが、それでもきちんと挨拶をした。
「ルズベリー王国からまいりました、ジリアン・マクリーンと申します。ご用件をお伺いします」
しんと静まり返る空間で、最初に動いたのは中央に座っていたヒトだった。彼が長だろう。
「我らはお前さんを無理やり連れてきた。だというのに、用件を聞くというのか?」
「無理やりというには、扱いが丁寧でした。眠らされて運ばれたのにどこにも怪我をしていませんし、彼はとても優しかった」
隣のヒトに視線を送れば、少し照れたように表情を緩めたのがわかった。
「私に危害を加えるつもりはないのでしょう? それでも問答無用で連れてきたということは、私に何かをさせたいのではありませんか?」
「肝の据わったお嬢さんだ。ああ、そうか、マクリーン……。お前さん、あの魔法騎士の娘か」
これには、ジリアンは笑顔で応えた。ここでも、偉大な父の名が通っているらしいと分かって嬉しいのだ。
「そうか。……わけを話そう」
そう言って、長が顎をしゃくった。それを合図に手の拘束が外され、草を敷き詰めた座布団が運ばれてきた。促されて、ジリアンはその座布団に腰をおろす。どうも、長い話になりそうだった。
「我らは『水の守護者』。太古の昔から砂漠の地下に棲み着き、この地下水を守ってきた」
長の視線の先に流れる水は、カシロが話していた砂漠の地下水。そして、ここは各地に水を供給するために建設された地下水路だ。
「ところが、日に日に湧き出す水の量が減り始めた。数年前のことだ」
「もしかして、砂漠の気温が上がり始めたことと関係がありますか?」
「おおいにある。原因は、『火の山』だ」
「やっぱり」
つぶやいたジリアンに、長が目を見開いた。
「お前さん、まさか砂漠の異常を調べに来たのか?」
「はい。皇帝陛下の依頼で」
「そうだったのか。こんな形で招くことになって、重ね重ね申し訳なかったの」
「いえ。それは、まあ。もういいです。気にしないで下さい」
と、ジリアンは苦笑いを浮かべた。とはいえ、早々にアレンたちに連絡をとらなければならない。ジリアンを誘拐されたと思って、今頃大騒ぎをしているだろうから。その前に事情を把握しようと、ジリアンは長の方に向き直った。
「原因は、『火の山』に棲む精霊ではありませんか?」
単なる推測ではあるが、それしか考えられなかった。
「その通りだ。『火の山』の主、『不死鳥』が……怒り狂っているのだ」




