第26話 空っぽの隣
翌日、3人は砂漠に出た。彼らが乗っているのは、ラクダという不思議な生き物だった。背中に大きなコブが二つ。馬よりも首が長くて、可愛らしい顔をしている。ラクダは砂漠を歩くのに慣れているようで、足場の悪い場所でもスイスイと進んだ。
「暑いは暑いけど、意外に平気ね」
ジリアンが言うと、アレンもテオバルトも頷いた。
「この辺りは、まだ『火の山』から距離がありますからね。徐々に気温が上がっていくはずです」
テオバルトの言うとおりになった。半日も進むと、じりじりと皮膚が焼かれたような感覚になるほどの暑さが襲ってきたのだ。思わず後ろに引き返し、水魔法を使って気温を下げた空間を作ることになった。術者であるジリアンを中心に空間を展開して進むのだ。
ところが。
「これ以上は、進めないわね」
1時間ほど進んだところで、水魔法を維持できなくなった。
「空気中の水分が少なすぎるわ」
ジリアンの言葉に首を傾げたのはテオバルトだ。
「魔法で水を生み出しているのではないのですか?」
「私たちの魔法は、自然の摂理を理解して魔力を使ってそれに介入するの。そこにないものをゼロから生み出せるものではないのよ」
「ふむ」
これには困った3人だった。
手持ちの『ロフォフォフィクス』に貯められた水属性の魔力を使って水魔法を展開してみたが、その程度の水分はものの数分で尽きてしまう。
「困ったわね。これじゃあ、『火の山』へたどり着くこともできないわ」
と、この日は何もできずに街に帰ることになったのだった。
街に着く直前、懐かしい人がやって来た。
「おおい! 久しぶりだな!」
野太い声が聞こえてきた方──はるか上空を見上げると、黒い影が見えた。その陰は徐々に大きくなって、ジリアンの目の前に降り立った。
巨大な、竜だ。
3つの頭と7本の尾をゆらゆらと揺らす、禍々しい姿の竜。その背には、一人の巨人と一人の少女がまたがっていた。
「お嬢様!」
「ブレンダ!」
竜の背から飛び降りた少女が、そのままの勢いでジリアンに抱きついた。
「お元気でしたか?」
「ええ。あなたも元気そうね」
「はい!」
彼女はブレンダ。つい数ヶ月前まではメイドとしてマクリーン侯爵家に勤めていた、ジリアンの二つ年下の妹のような少女だ。
「元気すぎて困っておるわ」
苦笑いを浮かべたのが、炎の巨人の族長であるカシロだ。
「そこが可愛いって、言ってくれたじゃないですか!」
「……あれは口が滑っただけだ」
頬を染めてブスッと唇を引き結んだカシロの様子に、ジリアンは笑いを堪えられなかった。
「笑ってくれるな」
「ご、ごめんなさい」
謝りつつも、ジリアンの笑いはなかなか収まらない。
「順調みたいね?」
震える声でコソッとブレンダに問えば、
「そうなんです。もうひと押しです」
ブレンダは満面の笑みで答えた。
『カシロに一目惚れしてしまった』
とブレンダから告白されたジリアンは、思わず椅子から転がり落ちてしまいそうなほど驚いた。カシロといえば、真っ赤な皮膚を持つ巨人で、しかも強面で、さらに言えばずいぶんな年上である。亡くなった皇帝の妃、オルギットの父であることから、既に結婚もしているはずだ。
続けて『そういうわけですので、押しかけ女房になってきます!』と言われたときには、マクリーン侯爵家は上を下への大騒ぎになった。なんといっても、遠縁の商家から行儀見習いに預かっている大事なお嬢さんである。
ところが、ブレンダは周囲の反対などお構いなしに渡航の準備を進めて、さっさと魔大陸に行ってしまった。彼女の父親が『あれは言い出したら聞きません。どうせ振られて帰ってくるのです。好きにさせて下さい』と匙を投げてしまったのだ。
ところが、父親の思うようにはならなかった。
なんと、カシロはこの『押しかけ女房』を受け入れてしまったのだ。彼は既に妻を亡くしており、独り身だったという事情もそれを後押しした。カシロ曰く、『そのうち飽きて帰りたいと言い出すだろう。それまでは社会勉強だということで、こちらで預かろう』とマクリーン侯爵あてに手紙が送られてきたときには、父娘二人で苦笑いを浮かべたものだった。
(ブレンダが頑として帰国を拒否したんでしょうね)
彼女は決して諦めないと決めたのだろう。清々しい決断だ。カシロも、そんな彼女を憎からず思っているらしいことは二人の様子を見ていれば分かる。
「ゴホン。それで、仕事の方はどうだ?」
咳払いをしたカシロがジリアンに尋ねた。彼は、ジリアンの仕事に協力するために来てくれたのだ。カシロたち炎の巨人族も、この現象に頭を悩ませていると聞いている。
「ダメですね。我々の魔法では、ここから先には進めません」
「では、どうする? 諦めるか?」
ニヤリと笑ったカシロに、ジリアンもニヤリと笑い返した。
「まさか」
「だろうな。それでこそ、マクリーンの後継者だ」
ジリアンは改めて地図を見た。彼女らの現在地は砂漠地帯の東の端。ここから南西に向かって砂漠が広がっている。そして、砂漠の中央に鎮座するのが『火の山』だ。
顔を上げれば、西の地平に真っ赤に燃える山が見える。
「先に原因の方を探りましょう」
「だが、ここから先に進めないのであれば、『火の山』にすらたどり着けないぞ。『火の山』の周囲は、さらに気温が上がる」
「そのとおりです。ですが、『水』さえあれば先に進むことができます」
「水か。オアシスから調達するか?」
「オアシス?」
首を傾げたジリアンに、カシロが頷いた。
「砂漠にも地下水がある。それが湧き出る場所がオアシスだ。この街も、オアシスを中心に開発されている」
「なるほど、地下水……」
「地下水路を建設して広範囲に水を供給している地域もある。古くは『火の山』の周囲にも地下水道があったと聞いたことがある」
「確かに、地下から水を確保して水魔法を展開して先に進む、というのが現実的な方法ですね」
「明日、試してみよう」
と、明日の方針を決めた所で宿に到着した。
「今夜は私たちもここに泊まりますね!」
と、ブレンダは嬉しそうだ。早速、カウンターで巨人用の部屋を手配している。
「おい、もう一部屋とるんだぞ」
「どうしてですか、一緒の部屋でいいですよ」
「いいわけあるか」
「私はカシロさんの奥さんですよ?」
「馬鹿言うな。まだだろう」
「まだってことは、奥さんにしてくれる気はあるってことですか?」
「ええい、いちいち揚げ足をとるな!」
と、二人の息の合った会話にジリアンもアレンも、テオバルトですら声を立てて笑ったのだった。
* * *
結局、ブレンダはジリアンと同じ部屋で眠ることになった。アレンとテオバルトは前日同様に同室で、アレンは不本意だという気持ちを隠しもしない。どうやら、今日こそはジリアンの部屋で休むつもりだったらしい。
『せっかくの旅行なのに……』
と渋るアレンをテオバルトが無理やり連行していく姿は、とても王国の臣下に見せられたものではない。
「それで、お嬢様はどうなんですか!?」
明りを消してベッドに入ったブレンダは、目を輝かせてジリアンに尋ねた。
「どうって……」
「アレン王子と婚約を結び直して、その後の展開は!?」
「展開も何も、今まで通りよ」
「というと、護衛付きのデートしかさせてもらえない?」
「そういうこと」
ジリアンの答えに、ブレンダはぎゅっと眉を寄せた。
「侯爵様は、相変わらずなんですねぇ」
「そうね」
「ロイド様は……、あっ」
思わず口にしてしまった名前に、ブレンダが自分の手で口を塞いだ。
「申し訳ありません」
「いいのよ。……私も、ノアが隣にいないことに、まだ慣れないもの」
ジリアンの護衛騎士だったノア・ロイドは、ハワード・キーツとの戦いで命を絶った。その身体は燃え尽きて、何も残さずに消えてしまったのだ。
「今も、振り返ったら彼がいるような気がしちゃうのよ」
ジリアンの声が震えたのに気づいて、ブレンダは慌ててその肩を抱きしめた。
「ごめんなさい」
彼の死について、ジリアンは未だ実感できずにいる。騎士団の他の面々も同じだ。誰もがジリアンの隣の空白を見つめては眉を下げる。
「今夜は私しかいませんから」
言いながら、ブレンダはジリアンを上掛けの中に押し込んで、自分も同じベッドの中に潜り込んだ。そのままジリアンを抱きしめるようにして眠る格好だ。
「泣いても大丈夫ですよ」
まさか年下の彼女に慰められる日が来るとは思っていなかったジリアンは、驚きに涙がひっこんでしまった。そのままクツクツと笑い始めたジリアンに、ブレンダも微笑む。
「さあ、明日も忙しいんですから。寝ましょう」
「そうね」
(ブレンダは、きっと良い奥さんになるわ)
ジリアンは確信したのだった。
事件が起こったのは、その翌日のことだった。
「きゃー!!!」
ブレンダの悲鳴に、男たちが慌てて二人の寝室に飛び込んだ。
「どうした、ブレンダ!」
その先頭にいたカシロが叫ぶように問う。だが、ブレンダ自身には特に変わったところはない。
「お嬢様が!」
ブレンダがカシロにすがりついた。
「お嬢様がいらっしゃいません!」
一緒に眠りについたはずのジリアンが、忽然と姿を消してしまったのだ。




