第17話 俺たちは、知っている
「そういえば、どうしてここにいる人達は『欲望』の支配を受けずにいられるの?」
役割分担の最中、ふとした疑問を口にしたジリアンに、マントイフェル教授が顔を顰めた。その顔には説明するのが面倒だという感情がありありと浮かんでいる。
「この日のために、我々エルフはいくつかの準備をしてきた」
嫌そうな表情を浮かべながらも、マントイフェル教授は淡々と答えた。
「その一つが、『欲望』の支配を弱める『場』をつくることだ」
「その『場』にいれば、『欲望』に支配されにくくなるのですね」
「その通りだ。この国では、王宮と王立魔法学院に『場』をつくっていた」
「それで……」
ジリアンが視線を向けた先には、彼女の学友たちがいる。炎魔法を得意とするアーロン・タッチェル、土魔法を得意とするイライアス・ラトリッジ、学年一の剣術の使い手であるコリー・プライム、そして新しい魔法の使い手マーク・リッジウェイだ。
彼らは魔法学院の『場』にいたため、この状況でも『欲望』に支配されずに理性を保っているのだろう。
「では、この『場』から出たらどうなりますか?」
問いかけたジリアンに、マントイフェル教授がさらに眉を寄せた。
「自力で『欲望』を抑えるしかない。何が起こっているのかを把握できているんだ。それくらい、容易いものだろう?」
当たり前だろうと言いたげな表情だ。これには、その場にいた全員が苦笑いを浮かべた。
「できますかね?」
アーロンが不安げに視線をさまよわせた。
「マクリーン侯爵やダイアナ・チェンバースは『場』の中にいなかったにも関わらず、『欲望』に支配されずにここを訪れた。心の中に強い『意思』があれば、それほど難しいことではない」
イライアスがゴクリと息を呑み、コリーは両手を強く握りしめた。
「強い、意思……」
マークの小さな声に、マントイフェル教授が頷く。
「君たちならできる。そう思ったから、ここへ呼んだ」
マントイフェルが言い切るので、学生たちの背筋がピンと伸びた。
「では、仕事に取り掛かろう」
国王の号令で、全員が一斉に持ち場に向かって動き出した。
* * *
夜明けとともに、王宮の屋上からワイバーンが飛び立った。2頭は北へ、3頭は南へ。
海岸線に沿って南へ向かう一団の先頭を、ダイアナとアーロンを乗せたワイバーンが空を駆けていく。
「はやっ」
前側に乗っていたダイアナが、思わず手綱を握りしめた。その様子を見たアーロンが、後ろから腕を回して手綱に手を添える。
「手綱は俺が握る」
「でも、こわいわ」
「手綱は命綱じゃないんだぞ」
言いながら、アーロンは左腕でダイアナの腰を抱き、右手で手綱を握った。
「ちょ、ちょっと」
「こわいなら、俺の腕にしがみついとけ」
「でも……」
わずかに赤面するダイアナにつられて、アーロンの頬にも熱が集まってきた。
「おいこら!」
「そういうのは、後にしろ!」
「俺は恋人もいないんだぞ! やめろ!」
二人の後ろでやんやと声を上げたのは、イライアス、コリー、マークの3人だ。イライアスとマークが二人で、コリーは一人で、それぞれワイバーンにまたがっている。
「そうね。気を抜いてる場合じゃないわ」
「確かに」
アーロンが頷き、ワイバーンの腹を軽く蹴った。すると、さらに速度が上がる。このスピードなら、数十分で目的地に到着できる。何も問題が起こらなければ、だが。
「……全員、問題ないみたいね」
後ろを振り返ったダイアナがホッと息を吐いた。
マントイフェル教授が構築した『場』から離れたが、誰一人『欲望』に支配されずに済んでいるようだ。
「まあ、よくよく考えたら、ありえない話だよな」
「え?」
首を傾げたダイアナに、アーロンがニヤリと笑う。
「俺たちは、知っているからな」
ダイアナも頷いた。
「ジリアン嬢ね」
「ああ。俺たちのそばには、いつだって彼女がいる。彼女が願う未来が、俺たちの行くべき道だ。……彼女が諦めない限り、俺たちも諦めない」
ジリアンは、彼らにとってはただの学友ではない。
人々の暮らしを豊かにするために骨身を削り、そして国の危機を何度も救った。自分のことには無頓着で、自分以外の誰かのために働くことを厭わない。そんな彼女が、自分を友と呼んでくれるのだ。
「その通りだわ。私たちに、改めて『意思』を固める必要なんかなかったわね」
「ああ」
二人は頷き合った。
その瞬間。
──ゴォォォ!
轟音とともに炎の渦が視界を横切った。
──ゴォ! ゴォォ!
2発3発と続く攻撃に、3頭のワイバーンが散り散りになる。
「くっ!」
アーロンが手綱を引く。それに応えてワイバーンが旋回した。
「4時の方向! リンドブルムよ!」
ダイアナが叫ぶ。その視線の先には翼を持った蛇の群れ。
「背に乗っているのは炎の巨人族ね」
魔大陸に向かう途中のジリアンを襲った一団と同じ種族だ。皇帝の宮殿でも襲撃事件を起こした、裏切り者。
「彼らはハワード・キーツと取引をして『黒い魔法石』を持ってる! 気をつけて!」
「速度を上げろ!」
アーロンの指示で、他の2頭も速度を上げた。このまま、敵から逃げながら南へ向かう。
彼らの目的は南の地点へエルフの魔法石を置きに行くことだ。だが、それだけでは終われない。魔法陣を発動するまで、その魔法石を守り抜かなければならない。
──ゴォ!
背後から炎の渦が襲いかかるが、ワイバーンはそれを巧みに避けて飛行する。人よりも発達した感覚器官を持っているので、遠距離からの攻撃を避けるのは造作もない。
「無理はしなくていい。距離を保ったまま、南へ向かうんだ!」
敵に出会ったら、戦わずに逃げると決めてあった。まずは目的地に到達することを最優先とし、その場を拠点として魔法石を守る。少人数だが、土魔法の使い手であるイライアスがいれば可能だと判断したのだ。
「予想よりも、数が多いわ!」
ダイアナが叫んだ。彼女は後方に向かって攻撃を仕掛けて、敵を牽制している。
「3時の方向! 新手だ!」
マークが叫ぶ。向かって右手には海、その上を南に向かって疾走する船が一隻。
「あれは……!」
「王立魔法騎士団の船だ!」
ジリアンとマクリーン騎士団、そして王立魔法騎士団を乗せて魔大陸に向かっていた船だ。
「くそっ! 分が悪い!」
アーロンが舌打ちすると同時に、船からも攻撃が襲いかかってきた。避けきれない攻撃をマークとイライアスが風魔法で防いでいく。
「空じゃ土魔法も使えない! 一度、下に降りて応戦しよう!」
「ダメよ! 足止めをくらったら、それで終わりよ!」
──ゴォォ!
ダイアナの声を遮るように、炎の渦が迫る。防御の網を抜けて迫る炎を、ダイアナは睨みつけた。
(間に合わない!)
相殺するための魔力を練り上げるが、敵の攻撃が到達する方が速い。そう思った瞬間だった。
「間に合ったぁ!」
遥か上空から、女性の声が聞こえてきた。
同時に火花が滝のように流れて、ダイアナの視界を覆う。
「進め! 殿は俺たちに任せろ!」
続いて、野太い声が響く。
同時に、ダイアナたちの眼前に巨大な竜が姿を現した。3つの頭と7本の尾をゆらゆらと揺らす、禍々しい姿の竜だ。その背には、一人の巨人族が乗っている。
「誰?」
ダイアナが鋭い声音で問いかけたのは仕方のないことだ。その巨人は褐色の肌、今まさに彼女たちを攻撃している炎の巨人族と同じ姿をしているのだから。
「ダイアナ様! 大丈夫です! この人は味方です!」
巨人の腕の間からぴょこんと顔を出したのは、一人のメイドだった。
「私はジリアンお嬢様のメイドのブレンダです!」
驚きに目を見開いたダイアナだったが、確かに彼女とは顔見知りだった。ジリアンの屋敷で、会ったことがある。
「説明すると長くなりますけど。私はお嬢様に命じられて、こちらの竜さんと一緒にこの人を迎えに行って、急いでここに来たんです!」
『竜さん』と呼ばれた竜の頭の1つが、呆れたような表情を浮かべた。どうやら、彼女の言葉の意味を理解しているらしい。
「とりあえず、信用してください!」
ブレンダが右手を掲げた。同時に、彼女の身体から魔力が溢れ出す。
──パキン!
ダイアナたちが驚く間もなく、一行の右手に巨大な氷の盾が現れた。
「あなた、メイドじゃないの!?」
「マクリーン侯爵家のメイドですから!」
このセリフに、ダイアナは妙に納得する思いだった。
(あの家なら、魔法が使えるメイドの一人や二人いても驚かないわね)
「後ろは任せた!」
「おう!」
ダイアナの言葉に、巨人が大音声で答えた。
「さあ、オルギットの仇討ちだ! 命が惜しいものはさっさと逃げろ! 炎の巨人族のカシロ様が相手だ!」
お待たせして申し訳ありませんでした。
本日より、連載を再開します!
(火)(金)に投稿予定ですが、予告なくお休みすることもあります。ご了承ください。
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