第13話 心眼と誓約
「ジリアン? ……どなたですか? 私の名はソフィーです」
ニコリと笑って誤魔化そうとしたが、それを見たテオバルトがさらに表情を震わせた。爆笑したいのを堪えているらしい。
「無駄なんですよ、ジリアン」
キュッと握られた手に力がこもって、フワリと回転する。
「私の前では、どんな変身魔法も意味をなしません」
これには相槌の打ちようがない。なんと答えてもドツボにハマってしまいそうで、ジリアンは口を噤んだ。
「その姿も可愛いですけどね。私は、いつものジリアンと話がしたい」
テオバルトがニコリと笑うと同時に、曲が終わった。まばらな拍手が聞こえてきて、ジリアンはなんとか礼儀正しく挨拶をすることが出来た。
「少し、お話しませんか?」
テオバルトが改めてソフィーの手を引いた。ソフィーの目的はテオバルトとお近づきになることなので、これを断る理由はない。しかし、正体を見破られているならば二人きりになるのはまずい。
どうにも判断できずにいる間に、テオバルトはソフィーをバルコニーに連れ出していた。そのまま庭に出て、どんどん人気のない方へ進んでいく。
「あの……」
控えめに声をかけても、その足が止まることはなかった。
「ここが良さそうですね」
テオバルトがようやく足を止めたのは、ひっそりと佇むあずまやだった。
「さあ、座って」
促されて座ると、テオバルトも隣に腰掛けた。
「ジリアンは特別ですから、二人目の精霊の魔法を教えてあげますね」
そう言って、テオバルトは人差し指を振った。
「『秘密と誓約の精霊』」
テオバルトが唱えると、二人の周囲に精霊の魔力が満ちるのが分かった。何か変化があったわけではないが、精霊の気配は消えずに二人の周囲を漂っている。
「エレルは秘密と誓約を司る精霊です。私達の話は誰にも聞こえませんし、この場の話を誰かに話して聞かせることもできません」
「……」
そう言われても、ソフィーを演じるジリアンには何とも答えようがない。黙ったまま、視線を逸した。
「信用していませんね? では、先に私の秘密を話しましょう」
「秘密、ですか?」
「ええ。私があなたの正体を見破った、そのわけです」
ジリアンの眉がピクリと動いた。
(ヒントになるかもしれないわ)
ハワード・キーツは魔大陸の魔法を使ってスチュアート・ディズリーに成りすましている可能性がある。テオバルトの秘密を知れば、その正体に近づけるかも知れない。
「興味がおありのようですね。……私の瞳を見てください」
テオバルトが顔を覗き込むので、ジリアンは言われた通りに彼の翡翠の瞳を覗き込んだ。
瞳の奥で、何かが煌めいているのが分かった。
「魔法、ですか?」
「古の魔法です。私たちの一族の瞳に、代々受け継がれてきました」
「瞳に?」
「はい」
「どんな魔法なんですか?」
「『心眼』です」
テオバルトが瞬きを繰り返すと、翡翠の煌めきが増したように見えた。
「この瞳は、あらゆる者の真実の姿を映すのです。私の目には、ソフィー・シェリダンではなくジリアン・マクリーンの姿が、はっきりと見えていますよ」
ここまで言われてしまってはお手上げだ。
「悪魔の血統は、みんなそういう魔法を持ってるの?」
いつもどおりの口調に戻ったジリアンに、テオバルトは嬉しそうに微笑んだ。
「さあ。他の家のことは分かりません。みな秘密主義ですから」
「それじゃあ、あなたの『心眼』のことも、他の方は知らないということ?」
「ええ。……私が他人に打ち明けたのは、これが初めてです」
テオバルトの翡翠の瞳が、再びジリアンをみつめる。今度は正体を探ろうとする不躾な視線ではない。妙に熱を持った視線に耐えきれずに、ジリアンは目を逸した。
「どうして、私に話してくれたの?」
「友達ですから」
そう言われて、ジリアンは眉を下げた。
二人の友情は、終わってしまったはずなのに。
「ジリアン」
テオバルトの声がいっそう甘さを増した気がして、ジリアンの背に汗が滲んだ。どうしてそんな声でジリアンの名を呼ぶのか、その真意が分からない。
「私はね、怒っているんですよ」
「……どうして?」
テオバルトの手が、ジリアンの頬を撫でた。触れたところが妙に熱く感じられて、ジリアンはどきまぎと瞬きを繰り返した。
「私と腹の探り合いをしましょうと言ったのに、他の男と化かし合いに興じていたのですから」
言われて、ジリアンはハッとした。
「彼の正体も!?」
スチュアート・ディズリー、すなわちハワード・キーツの正体に、テオバルトも気付いているのだ。
「私が追っている男です。ようやく、尻尾をつかみました」
前のめりになったジリアンに、テオバルトが苦笑いを浮かべながら答えた。
「あなたも、ハワード・キーツを?」
「ええ。……私は、マルコシアス家の名誉にかけて、『黒い魔法石』の悪用を防がなければなりません。そのために、この国に来たのです」
今度は低くなったテオバルトの声に、ジリアンは居住まいを正した。
「名誉にかけて?」
「ええ」
頷いたテオバルトが、首にかかっていたチェーンを手繰り寄せた。その先には、黒い宝石が嵌ったペンダントトップ。
「これは、外に出してはならないものなのです」
『黒い魔法石』だ。
「代々、マルコシアス家が守ってきた精霊の山から採れる稀少な宝石です。我が家の魔除けとして、新しい当主が誕生する時にだけ、ほんの少しずつ採掘してきました」
「それが、どうして……」
「何者かによって盗まれたのです。その何者かは、これを徹底的に研究しました。そして、魔族の魔力を極限まで強化できる石であることが判明したのです。そして、人の魔力を暴走させる力があることも。今から、20年ほど前のことです」
ルズベリー王国と魔大陸が戦争をしている真っ最中のことだ。
「なんとか戦争に使われることだけは、阻止することができました。しかし、他の魔族の領地にも同じ石の鉱山があることがわかって……」
「他の鉱山を所有している領主も、『黒い魔法石』の悪用を望んでいない?」
「そうです。みな、家の繁栄を支えてきた神秘の宝石を守りたいと願っています」
「それで、あなたが?」
「はい。鉱山を所有する5つの家を代表して、私が来ました」
手の中で黒い宝石を転がしていたテオバルトが、ため息を吐いた。
「ルズベリー王国に『黒い魔法石』を流出させた人物は、貴族派を取り込んで何を企んでいるのか。そもそもの黒幕は誰なのか。私には、探らねばならないことが多くありました」
「それで、私に近づいたのね?」
「その通りです」
苦笑いを浮かべたテオバルトに、ジリアンも同じように眉を下げた。
「あなたは、一度は『黒い魔法石』の儀式の犠牲になりかけた。私が追っている誰かが、あなたを狙ったことに意味があるかもしれないと考えました」
「私の周囲を探れば、何か分かると思ったのね?」
「ええ」
「早く話してくれればよかったのに」
「私は用心深い性格でして」
「……私達が信用できるかどうか、見極めていたということね」
「すみません」
「謝らないで。私でも、同じことをするわ」
改めてテオバルトを見た。
「この状況は偶然といえば偶然だけど……。私もあなたも、答えに近づきつつあるということね」
テオバルトが頷いた。
「偶然……。この場合は、運命と呼んでも差し支えないかもしれませんね」
言いながら、テオバルトがジリアンの手をとった。
「私とあなたで協力して立ち向かえという、運命の神の思し召しかも知れません」
「何を」
「冗談ではありません。……同盟を結びましょう」
「同盟?」
「私とあなたで」
「一緒に、ハワード・キーツを探るということ?」
「ええ。そして、ルズベリー王国内で行方が分からなくなっている『黒い魔法石』を全て回収し、その悪用を防ぐのです」
ジリアンは考え込んだ。
テオバルトの言うことには筋が通っているし、嘘を言っているようには見えない。そもそも、彼の目的が『黒い魔法石』を悪用することであったなら、こんな回りくどい方法をとる必要もない。彼自身が鉱山の所有者なのだから。
何より、ジリアンはテオバルトのことを信じたいと思った。
「わかりました。互いに、協力しましょう」
「では、誓約を」
テオバルトが言うと、周囲を漂っていた『秘密と誓約の精霊』の気配が濃くなった。淡いグリーンの光がパチパチと弾けながら収束し、二つの指輪を形作る。
そのうちの一つを手にとったテオバルトは、ジリアンの右手を恭しい仕草で持ち上げた。
「ここに、誓約の証を」
光の指輪が、ジリアンの右手の薬指にはめられる。
「私、テオバルト・マルコシアスは『黒い魔法石』に関する全ての陰謀を詳らかにし、その悪用を阻止するまで、ジリアン・マクリーンとの間に秘密を持たず、互いに協力し合うことを誓います」
促されて、ジリアンも光の指輪を手にとった。たどたどしい手付きでテオバルトの右手の薬指にはめる。
「私、ジリアン・マクリーンは『黒い魔法石』に関する全ての陰謀を詳らかにし、その悪用を阻止するまで、テオバルト・マルコシアスを信頼し、共に戦うことを誓います」
二人の宣誓が終わると、光の指輪は見えなくなった。
「これで、誓約の儀式は完了です」
「破ったらどうなるの?」
「破ることはできません」
「どういうこと?」
「誓約を破る意思を示せば、その瞬間に『秘密と誓約の精霊』によって身体を引き裂かれます」
ジリアンの額に、冷や汗が流れた。
(それは、儀式の前に言ってもらいたかったわ)
ジリアンの考えていることが分かっているだろうに。テオバルトはニコニコと嬉しそうに微笑むのだった──。




