第7話 初めての気持ち
「アーロン! イライアス!」
謁見のためにかしこまったデイ・ドレスを着込んだジリアンが急いで応接室へ向かうと、そこには二人の学友がいた。
「こんな朝早くから、どうしたの?」
「テオバルトを誘いにきたんだ」
応接室にはテオバルトの姿もあった。
「ジリアン嬢もマクリーン侯爵閣下も忙しいだろう? 今日は俺たちが市内を案内するよ」
アーロンが言うと、テオバルトが苦笑いを浮かべた。
渡りに船とは正にこのことだが、なぜこのタイミングで来てくれたのか、ジリアンは首を傾げた。
「早いとこ、アレンのところに行ってやってくれ」
ジリアンにだけ聞こえるように小さな声で言ったのはイライアスだ。
「あいつが俺たちに泣きついてくるなんて、滅多にないからな」
「泣きついた?」
「その話は、また週明けにしよう」
そう言ってから、イライアスはテオバルトを見た。
「そういうわけだから。夜はうちでビリヤードでもしよう。昼にはコリーも合流できるし」
「マークとジェフリーも呼ぼうか」
「それいいな」
提案されたテオバルトが困ったようにジリアンを見るので、ジリアンも眉を下げた。
「ごめんなさい。王宮から呼び出しがあったの」
「それは、仕方がありませんね」
「ええ。私とは、また今度でかけましょう?」
(その機会があれば、だけれど)
今日からジリアンとテオバルトの関係は振り出しに戻ってしまうのだから。
「それじゃあ、私は行くわね」
ジリアンは三人に手を振って、玄関へ向かった。そこには、昨夜と同じく渋い顔のマクリーン侯爵がいて。
「行ってまいります。お父様もお出かけですか?」
「クラブに呼ばれた」
その表情からはあまり乗り気でないことがうかがえるが、断れない誘いなのだろう。
「お酒は、ほどほどになさってくださいね」
「わかっている」
きちんと結い上げた髪を崩さないように、侯爵はそっとジリアンの頭を撫でた。
「気をつけて」
「はい」
渋い顔のままの侯爵に見送られて、ジリアンは王宮へ向けて出かけたのだった。
一方、応接室では。
「……どこまで本気なんだ?」
「さて、どうでしょう」
問われたテオバルトはおどけて肩を竦めた。
「そういう、あなたは?」
「俺?」
逆に尋ねられて、アーロンは顎に手を当てて考え込んだ。
「俺はなんていうか、うーん。そういうのとは違うなぁ」
「具体的には?」
「俺にとっては女神様みたいな人だからな。そもそも触れようなんて思えない」
「なるほど」
テオバルトが頷いた。恋ではなく崇拝の対象に近いということだ。
「アレンは手強いぞ。なんてったって、10年以上の片思いだ」
「それは、また……」
「ここへ来て、権力を使うことを覚えたしな」
「確かに、手強そうですね」
そんな会話があったことなど、ジリアンには知る由もない。
* * *
休日の今日、王宮は閑散としていた。
通常ならば王に謁見を求める人や、貴族議会に出席する貴族でごった返しているのだが。出勤している騎士や官僚も多くはないようだ。
「こちらです。どうぞ」
ジリアンを乗せた馬車が車寄せに到着するやいなや、侍従に迎えられた。そのままどんどん王宮の奥に案内されるので、思わず足を止めてしまった。
「あの、ここは……」
王族の私的な生活空間に近い場所だ。普段であれば親族でもない貴族が足を踏み入れて良い場所ではない。
「本日は、こちらにご案内するようにと」
「しかし」
「王子殿下が、そのようにおっしゃいましたので」
そう言われてしまっては、従うより他にない。
「どうぞ」
到着したのは書斎のようだ。侍従が開いた扉の先は前室になっていて、護衛はそこで待機するように言われてしまった。
「王子殿下がお待ちです」
侍従の圧に押されて、ジリアンは自ら主室の扉をノックした。ノアの不満そうな顔には、触れずにおくしかない。
「どうぞ」
アレンの声だ。
「失礼いたします」
礼をしてから室内に入った。扉が閉まって、完全に二人きりになる。
「ごめんな。急に呼び出して」
「そうね。とっても急で驚いたわ」
ジリアンが少しばかり嫌味っぽく言うと、アレンが苦笑いを浮かべた。
(珍しい)
こういう嫌味には、笑ってかわすことの方が多いのに。
「座れよ。とりあえず、お茶にしよう」
ジリアンが長椅子に腰掛けると、アレンが自ら茶道具の載ったワゴンを押してきた。
「私が淹れようか?」
「いや、俺がやるよ」
──カツンッ。
言いながら、アレンが指先で銀製のやかんに触れた。すると、グツグツと音が聞こえてきたので、やかんの中の水が沸騰しはじめたことがわかった。
「あら。お湯を沸かせるようになったの?」
これは『新しい魔法』だ。ルズベリー王国で魔法騎士が駆使してきた旧来の魔法とは違う。思い描いた結果を、逆算して現実にする魔法。
「まあな。といっても、俺のは水を沸かすんじゃなくて金属の温度を上げてるだけだ」
「お湯を沸かすのは難しい?」
「難しいな。調節ができなくて、ぜんぶ蒸発したりこぼれたりする。金属の温度を変える方が、まだ簡単」
ジリアンはかつて貧乏男爵家で下働きのように扱われていた経験から、仕事のために否応なく『新しい魔法』を使いこなしてきた。生活や労働のために魔法を使うことが昔ほど忌避されなくなった今でも、『新しい魔法』を使いこなす貴族は少数派だ。そもそも、とても難しいということらしい。アレンもあまり得意ではないようだ。
「ジリアンみたいに、なんでも魔法でできればいいんだろうけど。……ここじゃ、俺が魔法でやらなくても誰かがやってくれるから。だから上達しないんだろうな」
『新しい魔法』が発展してこなかったのは、そのためだ。人の手でできることに魔法を使ってこなかったから。ジリアンは異例中の異例なのだ。
アレンは話しながらも、紅茶を淹れる手を止めることはなかった。
「はい」
差し出された紅茶を飲むと、ほっと緊張が和らいだ。
「それで、呼び出しの用件は? 急ぎなんでしょ?」
首を傾げるジリアンに、アレンは気まずそうに視線を外した。
「あー。……実は、ないんだ」
「ない?」
「あの男と、ジリアンを一緒にいさせたくなくて」
あの男とはテオバルトのことだろうと、さすがのジリアンにも分かった。
「どうして?」
思わず苛立った声が出たことに、ジリアンは驚いた。アレンに対してこんな気持になったことは、未だかつてなかったからだ。
「どうしてって、あいつがお前に近づくのは何か裏があるに違いないからな」
「そんなこと、私にだってわかってるわ」
「じゃあ、なんで晩餐に招待なんかしたんだよ」
「彼の目的を探ろうとしたのよ」
「そんなの、他の誰かに任せればいいじゃないか」
言われて、思わずぐっと息を飲んだ。そんなこと出来るはずがないと、彼だって分かっているはずなのに。
「誰にも頼めないわよ。だって、お父様が国王陛下から命じられた仕事よ?」
マルコシアス侯爵領に『黒い魔法石』の鉱山があることが発覚し、さっそくマクリーン侯爵に彼を探るよう王命があったのだ。ちょうどジリアンが学院内で彼と懇意にしていることを耳にしたのが、その理由だと聞いている。
「だからって、あんな風に近づくことないじゃないか」
「あんな風って?」
「……仲良さそうに見えた」
「そりゃあ、そうよ。この件がなければ、良い友達になれたわ」
くしゃりと、アレンの顔が歪んだ。
「友達?」
「そうよ。テオバルトも、それを望んでいたのよ」
「ジリアンも?」
「ええ」
頷いたジリアンに、さらにアレンの顔が歪む。
「怒ってるの?」
どうやらアレンはジリアンがテオバルトと友達になることに、腹を立てているらしい。
「なんで?」
「なんでって」
「私が誰と仲良くするかなんて、私が決めるわ」
(腹を立てたいのは私の方よ)
ただでさえ、テオバルトのことで胸を痛めているのだ。
(本当は友達になりたかったのに)
それが叶わなくなってしまった。そこへ来て、アレンのこの言い種だ。
ジリアンは、苛立っている。こんな気持は、初めてだ──。




