第33話 国いちばんのレディを目指します
純白のドレス。
高く結い上げた髪にはヴェールをのせて。
ジリアンの黒髪に、純白のレースがよく映えている。
「綺麗だよ、ジリアン」
ジリアンは養父であるクリフォード・マクリーン侯爵に手を引かれて、馬車を降りた。
(そのセリフ、今日だけで何度目かしら)
今日は、拝謁の儀。
この日の王宮は、隅から隅まで華やかだ。ジリアンと同じく白いドレスに身を包んだ若い令嬢たちであふれている。
「すごい、大勢なのね」
「そうだな。だが、ジリアンが一番だ」
「……恥ずかしいです」
「なぜだ」
「思ってても、言わなくていいです」
「言わなければ意味がない」
「……はい。そうですね」
ついには諦めたジリアンだった。
この数日、ずっとこの調子なのだ。ジリアンが愛していると言った日から、侯爵の溺愛に拍車がかかっている。
「……ものすごく、見られていますね」
「綺麗だからな。……だが、消すか」
「え」
「ノア」
「はい」
呼ばれて、すかさず護衛騎士が返事をした。相変わらず、ジリアンのそばから離れない。
事件の日。王命だからと置いていかれたことを、相当恨んでいるらしい。これまで以上に、ジリアンから離れなくなってしまった。これに関しては仕方がないと、とりあえず受け入れている。
(そろそろ、バスルームのすぐ外で待つのだけは辞めてほしいって言わなくちゃ)
さすがに恥ずかしいのだ。ジリアンだって、年頃の女の子なのだから。
「ジリアンの姿を3秒以上見た男は消せ」
「はい」
「やめてください!」
「なぜだ」
「なぜって……。冗談にしては、たちが悪いです」
「冗談?」
首を傾げる侯爵と護衛騎士に、ジリアンは頭痛を覚えた。
「やめてくださいね。見られたって減るものじゃないんですから」
「いや、減る」
「減ります」
「もう……」
そうこう話している内に、謁見室の前に到着した。
序列の高い順に令嬢が入場していくので、列に並んだ令嬢達がそわそわと待機している。ジリアンの順番は、8番目だ。
「ジリアン嬢!」
声をかけてくれたのはダイアナ・チェンバース嬢だった。
「ダイアナ嬢!」
「マクリーン侯爵閣下にご挨拶申しあげます」
「ああ」
ダイアナ嬢が美しい所作でお辞儀をすると、侯爵はさっと応えて離れていった。気をつかってくれたのだろう。
「お久しぶりね」
「ええ。学院はどうですか?」
事件の後、ジリアンは療養のために学院を休んでいる。この儀式が終われば、復帰する予定だ。
「平和そのものね。貴族派の令嬢たちも、あの事件の後はすっかり大人しいの」
あの事件に貴族派が関わっているのではないかと、今まさに議会が大荒れに荒れている真っ最中なのだ。
「実際、オニール男爵が首都を巻き込んであなたを殺そうとしたんだもの。言い逃れは厳しいでしょうね」
「なるほど」
「オニール男爵は、罰を受けることになるわ。……その前に、話ができるといいわね」
「……はい」
ダイアナ嬢の言うとおりだ。ジリアンは、オニール男爵と話をしなければならない。子供の頃のこと、モニカ嬢のこと……。これまで避けてきたが、逃げるばかりではいけないのだ。自分も今日から大人の一人になるのだから。
しんみりとしてしまった空気を、ダイアナ嬢の笑顔が振り払った。
「それにしても、とっても綺麗ね、ジリアン嬢」
「ありがとうございます。ダイアナ嬢も、とっても綺麗だわ」
「ふふふ。アレン・モナハンが見たら、驚くわね」
「そんな、どうして、いま、アレンの話なんか……」
慌てるジリアンの頬が、ぽっと色づく。
「今日は令嬢だけだもの。アレンはいませんよ」
「あら。さっき見かけたわよ?」
「え?」
そんなはずはない。拝謁の儀は女性だけの行事だ。アレンが、この場にいるはずがないのだ。
「あら、はじまるわね。それじゃあ、また学院で」
「ええ。また」
手を振ってダイアナ嬢を見送った。ダイアナ嬢は3番目に拝謁するので、慌てて列に戻って行った。
「どうした、ジリアン」
腑に落ちない表情のジリアンに、侯爵が声をかけた。
「ダイアナ嬢が、アレンを見かけたって言うんです。そんなはずないのに」
「……そうか」
「お父様、何か知っていますね?」
「さあな」
「お父様?」
「……すぐにわかる」
渋い顔の侯爵は、それ以上は何も教えてくれなかった。
(そうよ。もっと早くにお父様に聞けばよかったわ。アレンが何者なのか、って)
マクリーン侯爵家の当主であり、国政の中枢にいる人だ。アレンの秘密など知っているはず。
(でも、アレンはちゃんと教えてくれるって言ってたわね。確か、拝謁の儀が終わったら、って)
そんなことを考えている内に、すぐにジリアンの順番になった。エスコートは、ここまでだ。
「マクリーン侯爵家の、ジリアン嬢!」
侍従が高らかに宣言し、扉が開かれる。
謁見室には、国王夫妻をはじめとする王族がずらりと並んでいた。
しずしずと国王の前に進み出て、深く膝を折ってお辞儀をする。
こうして淑女としての礼儀作法を身に着けたことを国王夫妻に披露することで、ようやく一人前の淑女として認められるのだ。
「顔を上げなさい」
国王がジリアンに声をかけた。段取りにはない出来事に、思わず固まる。
「さあ」
「はい」
おずおずと顔を上げると、優しい金の瞳がジリアンを見つめていた。
「先日は悪かったね」
「いえ」
「まさか、あのような邪悪な取り引きがされているとは。誰も予想できなかったんだ」
「私も、務めを果たしきれず……」
「何を言う。陰謀を暴き、証拠を手にしたではないか」
「ありがたきお言葉」
「これからも頼りにしている」
「はい」
「それと、わしの息子の命を守ってくれたこと、礼を言うぞ」
(息子?)
国王の視線が、横を向いた。それを追いかけると、そこには……。
アレンがいた。
国王と揃いの金の髪と金の瞳を持つ青年が、バツの悪そうな表情で佇んでいる。
「え?」
思わず、間抜けな声が出てしまった。
「これまでのご無礼を、どうかお許しください……」
拝謁を終えて帰ろうとしたジリアンをアレンが呼び止めて。今、二人は首都を見下ろすバルコニーで話をしている。
かしこまって頭を下げたジリアンに、アレンがため息を吐いた。
「前みたいに話してくれよ」
「できません」
ジリアンはきっぱりと答えた。
「ジリアン」
「殿下におかれましては、そのように気軽に令嬢の名を口にされることのないよう」
立場というものがある。王子が名を呼ぶような関係の令嬢が、その伴侶や婚約者以外にいてはならないのだ。
「……俺は、三番目の王子だ。大したもんじゃないよ」
「そういう問題ではありません」
「そういう問題だよ。実際、7歳でモナハン伯爵家へ養子に出された」
「王子殿下が、養子に?」
「そ。お前が予想したとおりなんだよ」
「予想……?」
「『モナハン伯爵家は、王室の裏の仕事を請け負ってきた家門』って。そのとおりなんだ」
「まさか……」
「そのまさか。あのときは、ちょっとヒヤッとしたな」
「笑い事ではありません」
今度は、ジリアンがため息を吐いた。
「そういう伝統なんだってさ。王子は三人もいらないからな」
「そんな」
「気にするなよ。俺は、むしろ感謝してるんだ」
「感謝?」
「モナハン伯爵家の養子だったから、ジリアンに出会えた」
首を傾げるジリアンに、アレンが笑いかける。
初めて出会った頃と同じ、屈託のない笑顔で。
「あの時、俺はジリアンについて調べに行ってたんだ」
「私について?」
「そう。旧ハックマン伯爵領の農民を、不思議な魔法で救った少女」
「あ、あれは……」
「責めてるわけじゃない。国王陛下は、その正体を知りたがったんだ」
「でも、どうして? お父様が報告したでしょう?」
「もちろん。だけど、肝心なことがわからなかった」
「肝心なこと?」
「お前がどんな人間なのか。容姿とか、性格とか。そういう話になると、マクリーン侯爵は口を噤んで何も言わなくなったんだと」
「それって……」
「娘の可愛さを、独り占めしたかったんだろうな」
思わずジリアンの頬が赤くなった。溺愛、ここに極まれりである。
(国王陛下にまで……)
「そこで、ジリアンに出会った」
「そうだったのですね」
彼があんな辺境にいた理由が、ようやく明らかになった。
「でも、どうして今まで秘密にしていたのですか?」
「侯爵との約束だったからな」
「それは、なぜですか?」
「ただの友達でいてほしいって」
「友達?」
「ジリアン、俺のことを手紙に書いただろ?」
「はい」
「初めての友達だから。裏の事情は伏せてやってほしいって」
「そうだったんですね……」
ジリアンは胸が温かくなるのがわかった。あの頃から、ずっと侯爵はジリアンを愛してくれていたのだ。今は、それがわかる。
「ジリアン」
アレンが、ジリアンの手をとった。
「殿下……!」
思わず窘めたジリアンだったが、それ以上は何も言えなかった。金の瞳が、まっすぐにジリアンを見つめていたから。
「ちょっと事情が変わって、俺は王子って立場に戻ることになったけど。今までと何も変わらないよ」
「変わらない?」
「ジリアンの特別な友達」
ぎゅっと握られた手に、熱が伝わってくる。
「なあ。俺たちはさ、身分の差があるからって、そんな他人行儀になっちゃうような関係だったか?」
「でも」
「ジリアンは、どうしたい?」
「え?」
「友達、やめたいのか?」
「そんなわけない!」
思わず大きな声を出してしまって、ジリアンの顔が真っ赤に染まった。
「な? 俺たちは、これからも特別な友達だ」
「……うん」
ジリアンが頷くと、アレンは嬉しそうに笑った。
「……俺としては、そろそろ次の関係に進んでもいいんじゃないかと思ってはいるんだけど」
「え?」
「あの時、俺が『愛してる』って言ったの、忘れたのか?」
「あ、あれは! その場の勢いというか……。そういう意味じゃ、ないんでしょう?」
おどおどと尋ねたジリアンに、アレンは何も答えなかった。ただ、微笑みを返すだけ。次いで、握った手を引かれる。
指先にアレンの唇が触れた。
「そうだと思うか?」
顔を真っ赤にさせたジリアンが恥ずかしさから手を振り払おうとした瞬間、大きな手がジリアンの肩を引いた。
「手をお離しください」
マクリーン侯爵だ。
「お父様」
「殿下。挨拶の域を超えております」
「そうだな。そういうつもりだからな」
二人が無言になる。
互いに見つめ合って……睨み合っているように見えるのは、きっと気のせいだとジリアンは自分に言い聞かせた。
「行こう、ジリアン」
「はい」
侯爵に促されて、バルコニーを出た。
「じゃあな、ジリアン。また学院で」
「ええ。また」
振り返ると、バルコニーの柵に無造作にもたれかかってジリアンに手を振るアレンがいた。その姿があの夜の彼の姿と重なって、ジリアンの頬に再び熱が集まる。
「ジリアン?」
「なんでもありません」
「そうか。……気をつけなさい」
「気をつける?」
「あまり近づきすぎないように」
「アレンにですか?」
「男は全員だ」
「そんなの……」
「無視しろ。目を合わせるな、微笑みかけるな」
「……はい。わかりました」
「よろしい」
ジリアンをエスコートする侯爵は、相変わらずだ。
(私のことを、愛してくれているから)
だからこんなことを言うのだと。ジリアンは、もう知っている。
「成人おめでとう、ジリアン」
「ありがとうございます」
「もっと精進しなさい。魔法も、淑女としても」
「淑女として?」
「……いや、そうじゃないな」
侯爵が黙り込んでしまったので、ジリアンは首を傾げてその顔を覗き込んだ。
優しい瞳がジリアンを見つめて、目尻に小さなシワが寄った。そして、頬がわずかに赤くなる。照れているのだ。ほんの少しだけ。
「幸せになってほしい。それだけだ」
「……はい」
ジリアンも、同じように笑った。照れくさそうに──。
この日を境に、ジリアンの決意が少しだけ変わった。
──いちばんになる。
その思いは変わらない。
けれど少しだけ、その形を変えた。
──私は、国いちばんの淑女になる!
いちばんの後継者で、いちばんの魔法使いで、いちばんの淑女。
そして。
──私が、いちばん幸せになる。
ジリアンが幸せになること。
それが父の、いちばんの願いだとわかったから。
それが愛だと、知ったから──。




