第19話 魔法工芸学
「おはよう」
翌朝。
少しばかり縮小された見送りを経て登校したジリアン。大教室の前でそれを待っていたのは、アレンだった。
昨日のことを思い出して、ジリアンの表情がわずかに険しくなる。
「おはよう」
「……なんだよ、機嫌悪いじゃん」
「別に」
「なに怒ってんだよ」
「怒ってない。……感謝してる」
(アレンは私のためにモニカ嬢と一緒にいてくれたんだから)
こんなふうに不機嫌になるのは、お門違いだ。だからといって、ジリアンの胸のモヤモヤは今朝になっても消えないままだった。
「昨日みたいなのは、もういいから」
「大丈夫なのか?」
「だって、彼女は第八席よ。もう避けようがないわ」
「確かに」
「お父様は無視すればいいって言ってたけど」
「ああ」
二人とも、思い浮かべたのは同じ場面だった。
(入学式で、私の近くに座るモニカ嬢を見た時のお父様といったら……)
せっかくの入学式を台無しにしてしまうのではないかという勢いの殺気に、校長や教授たちはダラダラと冷や汗を流していた。
急きょ出席することになった国王の登場で、とりあえず殺気だけはしまってもらえたようだったが……。
「それにしても、モニカ嬢に魔法の才能があったなんて」
「意外だったのか?」
「少なくとも、8歳のときには片鱗もなかったわ。オニール男爵も、大した魔法は使えなかったはずよ」
「まあ、10歳過ぎてから魔法に目覚めることもあるしな」
「そうね」
違和感はあるにはあるが、可能性がまったくないわけではない。この件は、とりあえず納得することにしたジリアンだった。
さて。今日からさっそく授業が始まる。
クラス分けがあるわけではなく、各々が希望する科目を履修していく形だ。入学式後に履修登録を提出してあるので、それに沿って授業を受けていく。
とはいえ、第1学年はほとんど同じ授業を受けることになる。得意な分野に分かれて、科目の選択肢が広がっていくのは第2学年からだ。
最初の授業は、『魔法工芸学Ⅰ』だった。第1学年の全員が履修する必修科目なので、会場は大教室。ジリアンたちが入室すると、すでに着席していた多くの生徒たちが二人を見た。
(アレンも注目されてるのよね、やっぱり)
魔力保有量『8』だ。当然といえば当然でもある。その彼が第一席のジリアンと入室してきたので、さらに注目を集めているのだろう。
(女子生徒は、そういう意味じゃなく彼と仲良くなりたいみたいだけどね)
ジリアンとアレンが並んで座ると、アレンの周りにはすかさず女子生徒が集まってきた。
王立魔法学院に入学できるほどの魔法の実力があるとはいえ、女性は女性だ。より良い条件の結婚相手を見つけなければならないのは、世の常。集まっているのが貴族の女子生徒ばかりでるところを見ても、その目的は明らかだ。
「アレンくん!」
「初めての授業、ドキドキするね!」
「ねえねえ、今日のお昼はどうするの?」
「一緒にどうかな?」
(まだ朝なんですけどね)
呆れるジリアンに、ノアが視線だけで何かを問いかけてきた。その意は『消しますか?』だ。ジリアンも視線だけで返す。もちろん『やめろ』と。
(このやりとり、あと何回繰り返すことになるのかしら)
深いため息を吐くジリアンだが、そんな時間は長くは続かなかった。
──リーン、ゴーン。
始業を告げる鐘の音とともに姿を現したのは、黒いマント姿の男性だった。
「この授業を担当する、コルト・マントイフェルだ」
マントイフェル教授がマントのフードを外すと、教室中からざわめきが起こった。
褐色の肌に、真っ赤な瞳。そして、長く尖った耳。
(人間じゃない)
ジリアンも、思わず身を乗り出した。
「私は魔大陸から来た。君たちの言葉では『魔族』と呼ばれる者の一人だ」
マントイフェル先生が、教室をぐるりと見回した。
「『魔族』といっても、様々な種族がいる。私はエルフだ。詳細は『魔大陸史』の授業で聞くことになるだろうから、ここでは質問は受け付けない」
真っ赤な瞳が、生徒を一人ずつ睨みつけているように見える。何人かの生徒は、恐怖からか俯いてしまっている。
「……ジリアン・マクリーン!」
急に呼ばれて、ジリアンの肩がビクリと跳ね上がった。
「どこだ!」
「は、はい! ここです!」
挙手をすると、真っ赤な瞳がジリアンの方を見た。
「そこか。人族はみな同じ顔に見えてかなわん」
(ああ、だから目を凝らして私を探していたのね)
生徒を睨みつけていたわけではなかったようだ。
「君は、この授業を受ける必要はない」
「はい?」
「単位は出す。この授業の時間は、カイラ・コルケット女史の研究室に行くように」
カイラ・コルケット女史とは、『魔法動力学』の教授だ。
「どういうことですか?」
「言った通りだ。つまらん授業を聞くよりも、コルケット女史の研究に協力してきたまえ」
突然のことに、ジリアンはなんと答えていいのかわからない。
確かに、『魔法工芸学Ⅰ』は必ずしもジリアンに必要な授業ではない。魔法を使って、様々な素材の形や性質を変えて工芸品や手芸品を作る過程を学ぶ科目。その技術を既に習得しているということを、ジリアンは序列決めで証明している。特に第1学年では、単純な素材の加工を学ぶだけだ。
「質問よろしいでしょうか」
答えられないジリアンに代わって、挙手したのはモニカ嬢だった。
「なんだ」
「第一席とはいえ、特別扱いではないでしょうか」
「特別扱い?」
「はい。ジリアン嬢は既に高い技術をお持ちかもしれません。しかし、だからといって学内の秩序を乱すべきではないと思います。それに、学生の身で先生の研究に協力だなんて……」
至極まっとうな意見だ。最後の一言の後にふんと鼻を鳴らしたりしなければ、ジリアンもおおいに頷いただろう。
「君は?」
「モニカ・オニールです。彼女が授業を免除されるなら、私も免除されるべきです」
「ほう」
「私も、丸太を彫像にするくらいのことは、既に習得しています」
──ざわ、ざわ。
教室がざわめく。
モニカ嬢の意見に同調する者もいれば、そうでない者も。
しかし……。
(丸太を彫像にするくらいのこと、ね)
この発言はエルフであるマントイフェル先生には、たいへんな失礼にあたる。おそらく彼女は、知らないのだろう。エルフが生み出す世界屈指の工芸品を、彼女は見たことがないのだ。
「モニカ・オニール。君が今着用している制服が、どのように生産されたものか知っているか?」
「この制服ですか? もちろん、首都のオートクチュールでしょう。生徒一人ひとりの身体にフィットするように仕上がっていますから」
(あ)
モニカ嬢がさっそく減点を食らう羽目になることに、ジリアンは少しばかり同情した。
「おめでたい頭だな。少しくらい質問の意図を考えたらどうだ」
ばっさり言われたモニカ嬢の頬が真っ赤に染まった。
「君たちの制服は、工場製品だ」
──ざわ、ざわ!
さらに教室にざわめきが広がった。主に貴族の子女たちの顔色が変わる。
「この国では、新しい魔法を使って製造された自動縫製機が既に稼働している。もちろん、一人ひとりのサイズに合わせて縫製する魔法もだ。……君は、その自動縫製機の特許を持っているのが誰なのか、知らないのか?」
「え?」
「ジリアン・マクリーンだ」
(それは、この場では言わないでほしかったです。先生)
「その他にも、彼女は繊維業に関する18の特許を取得している」
(それも、別に今言わなくてもいいのでは?)
「モニカ・オニール。他に言うことはあるか?」
「……ありません」
モニカ嬢が、真っ赤な顔のまま着席した。
「では、ジリアン・マクリーンはカイラ・コルケット女史の研究室へ」
「……はい」
こうなってしまっては、ジリアンには黙って席を立つしか選択肢がないのだった。




