第10話 魔法の天才
「私が、魔法の天才……?」
アレンが苦笑いを浮かべている。
「歩きながら話そう」
「でも、アレンは馬車があるでしょ?」
朝になって気づいたが、アレンの馬車と従者たちは意外に近くに控えていたらしい。出発の支度を整えて、アレンを待っている。
「俺も歩いて行く」
「なんで?」
「お前のことが心配だから。ほっとけないよ」
ジリアンの頬が熱くなった。こんな風に真っ直ぐに心配されて、優しくされるのは嬉しい。
けれど。
「私は……」
(自分の力だけで行かないといけないのに。……だけど)
昨夜のことを思い出す。アレンが話していた誰かは、ジリアンの知っている人。結局、ジリアンは最初から一人で旅をしているわけではなかったのだ。
「怒ってるのか?」
「え?」
「昨夜の話、聞いてたんだろ?」
「……聞いてないよ、何も」
「そっか」
「うん」
「まあ、俺はお前について歩くだけだ。クェンティンだって仲間と一緒だったんだから、別にいいだろ」
「そうかな?」
「そうだよ」
ジリアンは丸め込まれているような気もしたが、結局は頷くしかなかった。
少年と少女の二人連れ。馬車は先に行ってしまい、従者だけが数十歩後ろをついて歩いている。見えないところには、昨夜の誰かもいるのだろう。
確かに一人で歩くよりは安心だと、ジリアンは無理やり納得することにした。
「それで、私が魔法の天才ってどういうことなの?」
歩きながら、ジリアンはアレンに尋ねた。
「その前に、お前がどうやって魔法を使ってるのか教えてくれ」
「どうやって?」
「そう。どういう理論構築で魔法を使ってるんだ?」
「りろんこうちく?」
「ん?」
「どういうこと?」
「四元素の理解から魔法の発現までを、どういう過程でやってるんだ?」
「しげんそ?」
アレンが、口をあんぐりと開けて立ち止まってしまった。
「どうしたの?」
「……うん。ちょっと驚いてるだけ」
「なんで?」
「やっぱり、お前が普通じゃないから」
「だから、それってどういうことなの?」
再び歩き出したアレンが、ため息をついた。
「やって見せた方が早いな」
そう言って、アレンは人差し指を立てた。
「『火球』」
アレンが唱えると、アレンの指先に小さな球体が発生した。その球体が、赤々と燃えている。
「これが、火属性の初級魔法『火球』だ」
「属性?」
「魔法は、主に四つの属性に分かれている。火、水、風、土だ」
「そうなの?」
「火が発生する条件は、熱と空気と可燃物だ。わかるか?」
「うん」
「この魔法は、空気中に舞っていたチリを可燃物にして、温度を上げることで『火球』を生み出しているわけだ」
ここまで聞いて、ジリアンの頭の中は混乱し始めた。ジリアンは魔法を使うときに、こんなに複雑なことを考えたことがないのだ。
「すごい顔してるぞ」
「だって、よくわからない」
「それがおかしいんだよ」
「どういうこと?」
「魔法っていうのは万能じゃないし簡単じゃない。自然の摂理を理解して、魔力を使ってそれに介入する。そうやって、火や水を生み出すものなんだ」
「でも、私はそんなこと考えたことないよ」
「じゃあ、なに考えて魔法を使ってるんだ? 今朝、ポットにお湯を沸かしただろ? あれは?」
ジリアンは、湯を沸かした時のことを考える。
「えっと……。まずは『ポットにこれくらい、おいしい水が入ってたらいいな』って考えた」
「それから?」
「『中の水がお茶を淹れるのに、ちょうどいい温度になったらいいな』かな?」
「それで、ポットの中身がお湯になるんだな」
「うん」
アレンが顎に手を当てて唸っている。
「そもそも単純に水を発生させるだけじゃなく『おいしい』っていう条件をつけてる。火を起こしたわけでもなくポットの中身の温度を上げたってことは、水魔法なのか? いやいや、そんなの聞いたことないし……。どういう理論で魔法が成立してるんだ?」
ブツブツと考え込むアレンに、ジリアンはどんどん不安になっていった。
「私、おかしいの?」
自分は、どこかがおかしいのだろうか。
「……いや。そもそもの考え方が違うんだと思う」
「考え方?」
「普通は『こういう自然現象があるから、それを使ってあれをしよう』って発想で魔法を使う。でも、お前は『こういう風になったらいいな』っていう『結果』から逆算して魔法を使っているんだ」
「それって、そんなに変かな?」
「え?」
「だって、家の仕事っていろいろあるから。その四元素ってやつから考えてたら、魔法を考えるだけで仕事が進まないよ」
ジリアンの言葉に、再びアレンの足が止まって。そのままうずくまってしまった。
その肩が震えている。
「アレン?」
ジリアンも慌てて隣にかがみ込んだ。アレンの顔を覗き込むと……笑っていた。
「ククククククッ」
アレンは、腹を抱えて笑っているのだ。
「どうしたの?」
「いや、……ははは! そうか! ははははは!!」
ついに、アレンは声を上げて笑い始めてしまった。
「うん。そうだな。お前の言ってることが正しいよ」
「どういうこと?」
「ははは」
アレンは笑うばかりで、それ以上ジリアンの疑問に答えてくれることはなかった。
それからは、ただ他愛のない話をしながら歩いた。アレンはジリアンの2つ年上らしいが、本当に同じ年頃かとジリアンが疑うほど、いろいろなことを知っていた。花の名前、木の名前、気候のこと、その土地の歴史……。
魔法のことなどすっかり忘れるくらい、楽しい時間だった。
その夜。
アレンと一緒に夕食を食べていると、窓の外で物音がした。もしかしてとジリアンが窓を開けると、やはりそれがあった。
侯爵からの手紙だ。
手紙の上には、文鎮がわりにジリアンが使っていた印璽が置いてある。
「誰かが置いて行ったのね」
「だろうな」
ジリアンの後ろをついて来ている誰かだろう。
「やっぱり、怒ってるのか?」
なかなか手紙を開封しようとしないジリアンに、アレンが尋ねた。
「ううん。怒ってない。……ちょっと、嬉しいかな」
「嬉しい?」
「すぐに返事をくれたから」
意外だったのだ。
ジリアンが手紙を送ったその日の内に、ジリアンの手元に届くように返事を書いてくれたということが。
それに、この段になっても屋敷に連れ戻されていない。それをせずに手紙が届いたということは、ジリアンの旅を止めるつもりはないということだ。
「読んだら?」
「うん」
ジリアンは改めて、封筒を見た。
相変わらず流麗な字でジリアンの名前が綴られている。
嬉しいけれど、少し怖い。
こんな複雑な気持ちで手紙の封を開けるのは、ジリアンにとっては初めてのことだった。




