私に魔王が降臨した
「エリコ!?」
あちらの世界で普段一緒にいるために違和感を忘れてました。
命を落としているはずのエリコの呼び声など、幻聴でなければ声帯カメレオンな特技をもつ人が現れない限り説明のしようがありません。
失った感覚も少しだけですが回帰しています実際声を出せていました。脚は機能不全なので寝たきりのようですが、両手は誰かに握られているのが何となくですが把握出来ます。
聴覚の方は黒板を爪で掻いているような不快な耳鳴りさえ気に留めないようにすれば近くにいる者の声なら拾えます。
耳をすまし、その優しい声を探らなくては。
「よかった……! 気がついたんだね!」
あ、エリコ、私の望む人の声。
夜が明けるように暗闇が開けてゆく視界に写ったものは、柔らかくなった表情のエリコが確かに写っていました。
――私は、この人と共に勝利を飾りたかったのでした。
などとたわごとを呟いている場合ではなく、この非現実的な沙汰はどうしたことですか。
「あなた……本物ですよね? 地割れに飲み込まれた末に押し潰されたはずでは?」
「ちょ、私ってこっちだと死んじゃったことになってたの!? みんなコメントで伝えてたのに気づいてなかったんだ……」
そういえば視聴者コメントがありましたか、つい配信中だという自覚を忘れてカメラを眼中から外してました。
「ここまで馬鹿丸出しだと、あなたに呆れられるのも無理はないですね。一体どういった舞台裏だったのですか?」
「実は閉じこめられそうなときに奇跡的に回復してね、私の体がスッポリ入れるスペースを斬って作ったんだ」
あぁ、なんですか、私が冷静さを失っていただけで結局無事だったのですね。その強運ならぬ悪運は私より不死鳥じみています。
驚きよりも、安心して胸を撫で下ろす方しか出ません。
ブレイクスキルを乱発した無茶により戦い疲れたため、リアクションを取る気力も無くなっているからです。
「あとRIOと魔王が上でドンドンバンバンしてたおかげで地面が割れて抜け出せた。その後は油断してそうな魔王に一太刀したら、なんかあっさり倒せちゃったってわけで……作り話じゃないよ」
「なんと」
これは、こんなにも奇跡が重なり過ぎては乾いた笑いしか出なくなります。
ドンドンバンバンというオノマトペは、想像するに魔王がガイアナックルで地面を割った音。そのため生き埋めだったのが地上への脱出路が拓かれたということ。
なんとも予想もつかない出来事でしたね。
魔王もさぞかし驚愕したことでしょう。
表情が直接見られなかったのは少し残念ですが、このイベントが片付いたらエリコの配信動画から視聴しましょうか。
「だけど、まさか私なんかがほんとに魔王を倒せちゃうなんて……しかも上にいたダミーと合わせて二回ともだよ! これってなんかとんでもなくない!?」
「ええ、もちろんです。此度もまたあなたが魔王を倒したのです。あなたがこのイベントのMVPなのですよ!」
あなたの喜びは私の喜びです。
この勝利、ひとえにエリコの貫き通した使命感による賜物でしょう。
私の届かなかったあと一撃、それをエリコが代わりに請け負って繋いでくれていたなんて、連携が断ち切られても最後には連携が成立してしまうエリコの作戦がまさしく再直撃したようです。
エリコ、やはりあなたは英雄譚の主人公のようにどんな困難も成功へと導いてくれますね。
「ふふっ、私では到底敵いませんでしたね」
私の目的は達成です。
あなたこそが、このイベントにおける先着一名様限定で得られる偉業を成し遂げた英雄として持て囃されるべきでしょうから。
このイベントへ思い残していることが溶けきりました。
「そんなことないって! RIOがボロボロになってでも挫けないで頑張ったからだって! すごいよRIOっ! 一生推しだよぐへへ〜」
「あっあう、エリコっ……!?」
急に抱きつくだなんて、疲れた体には弱点ですって。
それに私の体は未だ出血が治まっていないため不潔極まりないので、せめてシャワーを浴びてから……と思いましたが、こちらの世界にそんな便利な器具を欲してもしょうがないことでした。
そう思考をどうにか逸らそうとはしましたが、あなたの艷やかな髪が肌に触れて吐息まで当たってしまうと、「もっと愛して」の本能に刻まれている恋心が抑えられなくなります。
「私なんて、エリコが思っているような大仰な戦いをしてなんか……はうぅ……」
後頭部を撫でられてしまいました。
猫にマタタビが効くように、この甘く温かな抱擁には、いつだって一瞬にして骨抜きにされてしまいます。
それでも、謙遜はしても忘却してはいけません。過去を無かったことにするという最も卑怯なことなどは決して……。
あの場面、エリコが地割れに閉じ込められた時、視聴者方が未だ祈るような気持ちで見守っている中なのに、自己否定に呑まれて正義を棄てていたなどと。
これらはどうせすぐ見られてしまいますし、何なら閉じ込められている間にコメントから筒抜けでしょうが、口が裂けても言うのには勇気がいる一連の過程です。
「RIOってハグされるのほんと好きだよね〜、前世は甘えん坊さんなのかな。私も、RIOとイチャイチャハグハグするためならたとえ火の中血の水の中〜なんて、ぐへぐへ」
「エ……っりこ……ハグ、すきです……」
それなら後回しでも良いでしょう。
私は、愛しの人から愛でられている至福の労いを楽しみたいのです……と気を抜かしていましたが、そうは言っていられない非常事態です。
すぐ近く、目と鼻の先ほど、尖ったものを振り下ろせば即座に命を刈り取れる距離から魔王の気配がしました。
「気をつけて下さいエリコ! 魔王はまだ生きています!」
「ほへ?」
あなたですね、かりそめの勝利に浮かれたいのは当然ですが、その間の抜けた反応は流石に無いでしょう。
「気恥ずかしいことですが、私はまだ体が自由に動けません。この足手まといなんか置いて、すぐ近くにいる魔王を探し……っ!?」
嘘ですよね、私の感覚が狂っているのでしょうか。
地球外生命体が発しているような不気味な気配、何度探ってもどうしてエリコに辿られるのですか。
「そんなはずは、えっ、あなたまさか……」
エリコのその姿。
代償で霞がかっていた視界が完全に晴れた時、エリコのコスチュームがあの少女魔王の纏っていたドレスに差し替わっているのが写りこんできました。
衣服以外こそそのままだと思っていましたが、双眸を注意深く見てみれば、黒目部分がルージュの宝石のように物質的な煌めきを秘めています。
「どうして、エリコから魔王の気配がするのですか」
「うぅん弱った、絶対怒ってきそうだからサプライズにしたかったけど、RIOに隠し事は難しいよぅ」
「それではやはり、あなたはもう人間ではないと……」
それを問われても、エリコはただ静かに頷いてました。
「魔王降臨イベントの真相、それは魔王を倒した人が新しい魔王にされることだったみたい。だから私の種族欄には【魔王】ってちゃんと書いてある」
あなたですね、どうしてそう達観したかのように落ち着いていられるのですか。
魔王を倒した人が新しい魔王って、何ですかそれ、下らない、馬鹿馬鹿しい、ミイラ取りがミイラになる末路と比較にならない後味の悪さですよ。
だって魔王を倒したのはあなたのはずでしょう。
倒すべき存在を倒せば倒されるべき存在にならなければいけないって、どんなイタチごっこ考えつけるのですか。
「はは……面白い冗談です。さてはこの私をからかいたいリスナーからの入れ知恵ですね?」
「ううん、全部本当の話」
「そこは嘘だって言うものでしょう! あなたの言うことなら何でも信じられますから、これ以上私を後悔させるようなことは……」
【今の私ならね、こんなことも出来るんだよ】
嗚呼、この残酷な真実も受け入れなくてはいけないのですか。
魔王の能力のひとつ、テレパシーでの声が耳元で聞けるエリコの声そのものでした。
「ひっ……い、嫌……」
エリコが、正義が討伐するべきはずの忌み嫌われ呪われる存在になってしまったという、じゃんけんやババ抜きよりもシンプルに理解出来るものでもありました。
「こんな仕打ちあまりにも不条理ですよ! あなたはただ守りたい人達を守るために命をかけたというのに、最も身命を賭した人が最も損を強制されるだなんて、救われないじゃないですか!」
「取り乱しすぎ、RIOらしくないよ」
「これが取り乱さないでいられますか! あなたこそ状況飲み込めているのですよね!? こんな人前に見せられないような格好にされたのに、不満の一つも叫ばないでいる場合ですか!」
「いいの、だって魔王は倒せたんだから」
過剰な擁護のために暴走しそうなファンの人
に言い聞かせるように、抱きしめる力が少し強くなったような感覚がしました。
「私が魔王を受け継がされたのも、私以外の魔王はいなくなりましたよっていう動かない証明になるって、前向きに考えることにしたんだ」
エリコという人は苦労に見返りを求めるような偽善者ではないことは承知済みです。
あなたのそのすました反応も、これまでの行為と照らし合わせれば不思議でも何でもありません。
つまりこれは私個人の感情。
私がこの覆せない運命にとやかく反発したところで、あなたがこの結果に対して良いと思っている以上はただ困らせるだけですかね。
「……カルマ値もマイナスカンストになっちゃったから、きっと王都のみんなは私を化け物扱いして石を投げてくるかもしれないけど、あそこは心優しい人達でいっぱいだからいつかは分かってもらえるって信じてる。配信をみているリスナーさん達も、私が野心で魔王になったわけじゃないのは他の人達にも伝えてくれるはず」
「そうですね、エリコが大勢の人を救った英雄だということは、その大勢の人が理解できないとしても、せめて私が何度でも称えますからね」
私はあなたの全てを肯定するだけです。
あなたの功績を批判する人なんて、全て否定してみせましょう。
「あとはさ……RIOが褒めてくれればそれだけで心配事が全部飛んでいく気持ちになれるんだ」
「私ですか? お安い御用ですよ、魔王エリコ」
帰るべき場所が無いあなたにとって、頑張りを労う役目は私にしか務まりません。
そう思い立っては体を起こそうとしましたが。
「おっとっと、大丈夫?」
代償で失った四肢の力がまだ回帰していなかったので、エリコの豊満な胸の中めがけて倒れてしまいました。
五感は取り戻すのは早かったようですが、お安い御用と胸を張った手前、肉体的ダメージが著しいために立ちあがる血液すら欠いたままなのを失念していましたか。
自身の体の具合を考慮してから言うべきでしたね。
「ごめんなさい、あまりにも無責任でしたね。血さえ補給出来れば何とかなりそうなのですが……」
「RIO、もしかして血が足りないの?」
そう言うと、身なりを整えるような仕草を繰り出し。
「もしかしてじゃなかったね。戦いの最中に一人ぼっちにしちゃったのに、私のために血を流しまくったんだからさ、やっぱり私がRIOにご褒美あげなくちゃ」
な、何をするつもりなのですか。
その扇情的な眼差しは刺激的で、経験不足の私ではどう反応したらいいのか教えて欲しいですよ。
「目閉じててあげる、RIOの好きなとこから血を吸っていいよ」
「っ……!」
恐ろしい速度で心臓に電気が流れました。
エリコ……何故あなたはそんなに恥じらわないのですか。
好きなところと言いながら、私は首を持ち上げる程度でしか体を動かせないのは知っているはずなのに、顔の近くで唇を突き出しては粛々と待っているなんて、これらは計算ずくなのですか。
私が悪魔なら、あなたは小悪魔ですよ。
この時を、この行為を、あなたが私を好きになるよりもずっと前から必死に我慢していたかが分かりますか。
嫌われてしまうのが恐かったから吐き出せず、我慢を積み重ねて溜まりに溜めこんで、獣じみたものへと変貌してもなお心に檻を作って抑え込んで……思い出すだけでも体が火照って切ない気持ちになりますよ。
「ごめん、やっぱり恥ずかしかったよね……私の方のコメントなんて物凄い勢いで茶化してるし……」
さあ? まだ配信中ですが容赦しません。こんな魅惑の誘いを売られたのなら、買うしかないじゃないですか。
「頂きます」
もう、我慢しなくていいですよね。
いつもの百万倍は素敵で可愛らしい顔に、私が最初に自分のものという証を刻みつけられるのですね。
なので私はただ、蝶が密を吸うために花に止まるよりも緩慢に、エリコの下唇に牙を突き立てて吸血を開始しました。
「んっ……りお……っ」
それは吸血行為にしてはとても安らぎに溢れ、とても温もりを感じられる行為。
「あ……あなたはいけないのですからね……」
大人気ない言い訳を口にしながら、私とエリコの上唇同士も触れ合いました。
あなたの純潔、この私が純潔で重ねています。
幸せです、気絶しそうなほどのぼせそうです、一度触れてしまえば抗うどころかますます頭が真っ白になってしまいそうです。
初めての感触はとても柔らかく、初めての味覚は不思議と甘さや滑らかさが混在しているのが不思議で、知りつくそうと本能的に吸い付く力が増していきました。
これは魔王の血だからですか、それとも最愛の人の血だからこそ不思議な味わいとなるのですか? 心なしか唾液の量も食後のデザートを前にした時より段違いに溢れて……。
「ふああっ……んむむっ……!」
エリコの鼻息が荒くなり、どこか苦しそうな声をあげていました。
やはり乱暴にやりすぎましたか。
こんなことなら、どうにかしてリードする練習をしておけば良かったです。
【やめないで……もっと強引にして……もっと私を欲張って……】
くっ、テレパシーでこんな声を伝えてくるなんて反則ですよ。
その上、突然のあまり戸惑ってばかりの反応だったエリコは、離れようとする私の牙や上唇に対して深く押しこんできているのですから。
「ふにゃあっ……はむっ……もっといっぱいしてっ……」
エリコが自分から求めているから、受け入れているから、私は思うように劣情をさらけ出して息が絶え絶えになるほど激しく、繊細な模型を愛でるように優しくを交互に行えるのです。
そうしていると、時折エリコが体を震わしたり矯声を漏らしたりとで「好きなこと」や「あまり好きじゃなかったこと」を伝えてくれるので、あなたを喜ばせられるテクニックをどんどん身に着けることが出来ました。
「ぷあっ! こ、これで終わったの……?」
失ったものが全回復したために一旦牙を離しましたが、あなたの唇は瑞々しさが一切枯れてはいませんでした。
だからこそ、尚更燃えあがってしまうというものです。
魔王エリコの血液でお腹が満たされたとしても、あなたの愛は満たされないどころかもっともっと頂きたくなりましたから。
「いいえ、まだ目を閉じて下さい」
「りおっ……うん、いいよ、りおなら。でも今度は私からもご褒美、吸っていい?」
「もちろんですよ。あなたを本気で愛しているのですから当然です」
あなたのとろんとした目つきに魅了されている間に、瞼が少しずつ閉じられ、少しずつ唇と唇の距離が縮まり、指先から手を絡ませながら私からも目をつむっていた頃には既に、上唇だけではない初めてを交わしていました。
今日は二人で力を合わせて魔王を倒した日であると同時に、一生忘れない記念日になりましたね。
「ずっと一緒にいて下さい、私だけの魔王様」
「ずっと一緒だよ、私だけの君主様」
息継ぎのために口を自由にした際に、本来の目的がそっちのけになって出ていた言葉。
想いの節を確かめ合い、体を密着させるために首に手を回し、恥じらいという抑制が取り払われたようにすうっと唇を塞げました。
恋人同士で最もしたかったこと、一足早いですが達成です。
この後も、お互いの味をお互いの舌で絡ませて味わっては、この仮想世界に私とエリコだけしかいないような錯覚だけが止め時を忘れさせ、永遠に固定されたような蜜月の時を過ごせました。
あくまで吸血行為(精一杯の擁護)
AIからもBAN判定されてないから吸血行為だから……