魔王降臨 その5
狂人の真似とて大路を走らば。
いけない、冷静になれません。
今こそ辛抱するべき時だというのに、時間が経つほど自分がおかしくなってしまいそうです。
立ち上がろうとしても力が入らなくなって、まるで自身の心が戦いを拒絶しているようです。
コメントの方も、書き込まれている内容が予想づいてしまい恐ろしくて目を向けられません。
【この時代からは古代となった話をしよう。天命に従い、生きながらに旅の終着点へ到達したある少女は、この儂との激戦の最中で不覚を取り、三人のかけがえのない仲間の命を喪った。今のようにだ……】
いけません、いけませんいけませんいけません。
戦いにおいて感情に左右いる暇なんてありません。
ですが、海中で酸素ボンベが破裂して息が出来ないまま海水を肺へ流されているようなこの苦しさには、そこにない人へと弱音を吐いてしまうほど。
先ずは安寧です、とにかく心の安寧になる結論を出さなければ、廃人化してしまうほど精神が自壊してしまいます。
【これで勝負はついたと思った、隔絶された戦力差に諦めてくれるだろうと思った。だが少女は悲しみに暮れながらも再び剣を取り、なおも果敢に立ち向かったのだ】
ああもう否が応でも駄目です。
ストレスなのですかこれは。溜め込まれている何かが臨界点を突破しそうです。
抑えなければ、まだ戦いも配信も終わっていませんよ。
【そしてついには、魔王、この儂を打ち負かしてみせたのだ。死にゆく儂は最後に足掻くための命の灯を敗北への疑問に使った、するとその少女の口からは「心だ」そう答えてくれた】
もしエリコが生き残っていれば、決着のために勇気を振り絞って立ち上がるでしょう。
なのに私がへし折れてしまえば、誰がこの戦いに終止符を打てるのですか。
【だから人間とは素晴らしい。途方も無い感動を与えてくれる生物なのだ】
ですが、エリコが英雄となるために一振りの剣になるのが私の戦う理由。
【かつて儂が無用の長物だと切り捨てた“心”によって無限に可能性を広げられる。その事実を目の当たりにし、憧憬一色となったあの感覚は忘れもしない】
そのエリコは地割れに飲み込まれ、リスポーン地点という振り出しに戻されて復帰も望めなくなり。
【その勇者と名乗る少女とそなたの姿が重なったからこそ興味を抱いたのだ】
一人残された私が戦う意味なんてものは……。
【そなたは何を支えに立ち上がる? まさかもう白旗を揚げるわけではあるまい。表してみよ、吸血鬼!】
……違いました。
エリコの毒気に汚染されていたあまり、私自身の目的も見失っていたとは、迷子の呼び出しをされているような恥ずかしさで顔から火が出ます。
私に許されているロールプレイは、ただ何にも干渉しないで凡庸にいるか、他人の幸せを奪って得た甘い蜜を啜るかの二択だけ。
私が正義なんかを目指そうとすれば必ず失敗し、周囲の人から優先的に報いを受けるよう決定づけられているのですから。
「嗚呼……エリコは私が殺していたのですか……」
エリコが死んだのも魔王が一枚上手だったからではなく、私が助けなかったせい。
私が甘い夢物語にうつつを抜かし、先に死ねなかったから代わりとなってしまいました。
この流れがたとえ全能の神によって仕組まれた運命だとしても、怒りの矛先は自分自身へ向けるのみです。
「ふっふふ……ふふふ……」
悩む必要なんてありませんでした。
自己否定、自己嫌悪、自己卑下。この私は正義と対極に位置する極悪人、人工知能さえも認めた人間失格者。
自分なんて嫌いです。
生まれてくる前に流産していればとさえ思います。
当然でしょう? 私が善意で余計なお節介をしていなければ、もっとマシな人生を過ごせた人がいたのですから。
「ふぅ……これが正気ですね」
気持ちが楽になってきました。
この私にとって、溢れんばかりの才能を暴力と恐怖に注ぎ込み、底から頂まで、魔王城の最奥から王都の端まで絶望の淵に突き落とす絶対悪こそが存在意義です。
「エリコ程度、どうせ途中で脱落するだろうと思っていましたが、効果的なタイミングで見殺しに出来ました。おかげで弱らせた魔王への引導を誰にも邪魔させずに掻っ攫えるのですから」
【……罪悪感の欠如、一皮剥けば見下げた魔物か。己がために仲間さえも使い捨てるとは、儂の見込み違いだったようだ】
何やらテレパシーを介して呟いているようですが、その生意気少女の凶相は恐怖に染め上げたくてたまらなくなりますね。
【吸血鬼……業腹な存在、人類の繁栄を害する災禍。許せぬ許せぬ】
「さて、殺し合いの続きと参りましょうか」
最も早く距離を詰めることの出来る直線を走り抜け、一太刀を浴びせた後も駆ける勢いを落とさず背後をとって回転斬り。
これならいけます。最後に笑うのは絶対悪ただ一人。
【《アースジャベリン》】
む、初見の魔法です。魔王の指先から一瞬にして鉄塔のように巨大な岩石の槍が顕現されました。
魔王、枷が破壊されてから完全に封印が解けたらしいですが、以前までとは別物と考えた方が良さそうですね。
【滅せよ!】
「く」
よりにもよって遠隔で投げつけられたため、剣を使って防ぎ止める方向に切り替えざるを得ません。
分かってはいましたが、すんなりとはいきませんね。
【エリコになら、儂の命を渡しても良かった! だがそこの吸血鬼では駄目だ。ましてやエリコという人間の想いを踏みにじるような者には……渡せる物などありましない!】
巨岩の猛烈な推進力、殺しきれません。
「ふぬぬぬぬ」
【そなたは人の持つ熱く気高き人間讃歌に応えたことはあるか! 儚く散りゆくあどけない命に涙した事はあるか!】
壁にまで退げられてしまえば挟み潰されるのは確定事項。
ここは工夫を働かせましょう。なんとかとハサミは使いようです。
【笑止! 血の渇きのために目につく人間を呼吸するように犠牲にし、その全能感に溺れる。それが吸血鬼の限界!】
剣で防ぐのではなく、腕力で持ち上げれば止められるのではないでしょうか。
この岩の表面はでこぼこしていて握りやすいです。
なので殴る勢いで指五本をめり込ませ、掴み取れたらなるべく飛距離を伸ばすように大きく腕を引きましょう。
【だから滅びなければならない! 因果応報だ、天を仰いで往生せよ!】
「この私が、夏に湧き出す蚊のように鬱陶しいだけの吸血鬼と同じだと考えていませんか?」
この巨岩に潰されるとどんなグロテスクな死体が出来上がるかを想像しながら、砲丸投げで反撃しました。
【《アースジャベリン》!】
流石に相殺してきますね。私の育ちが悪ければこれを見て舌打ちをしていたでしょう。
空気も揺れ動くほどの破砕音を鳴らしながら巨岩同士が礫となる光景は、趣も感じるほど圧巻です。
ですが、この砕かれた衝撃で飛散する鋭い破片、使えそうです。いくつか欲しいですね。
なので私を目掛けて来る岩の破片を指で摘み取って十いくつほど回収。
投擲武器として、魔王の眼球辺りに投げ返しました。
【小細工で勝つつもりか、無明】
せめて一発だけでもと思いましたが、全弾躱しましたか。
ですが駄目で元々、牽制になれれば御の字、躱した先を予測した剣閃で魔王を両断するのが私の狙いですから。
「片道切符です、彼岸の彼方まで!」
【思い上がるな吸血鬼!】
私の眼では、これは斬れたと思いました。
しかし、実際は一ミリの差で躱されていたようです。
「これでもですか!」
躱されたなら当たるまで連撃、当たらないなら動きが鈍るまで連撃。
でしたが、必ずといっていいほど紙一重のところで命中しません。
魔王、意図してギリギリで当たらないように躱して力量差を誇示と、味なことをしているようです。
防御手段を失ったのならダメージを稼ぐのは容易いと思ってましたが、今度は縛るものが無くなったために回避の性能が格段に向上しているなんて、魔王は絶対的格上です。あらゆる方面において隙がありません。
【儂を殺して良いのは人間だけだ。吸血鬼と殺し合いを愉しむような風流は持ち合わせていない。《アラウンドグラビティ》!】
名前からして重量を操作する類の魔法。
「ふうっぐぐぐぐ! ま、まずいです」
体が歪む、負荷に脚が支えきれません。数多もの見えざる手によって下へ下へと体が押さえつけられているようです。
アースジャベリンの比ではない重圧に、膝を曲げることしか行動が取れません。
このままでは冗談みたいな人間至上主義者に好き放題されてしまいます。「負けるかも」などではなく負ける、負け死んでしまいます。
【ガイアナックルで深淵の果てまで突き落とす。吸血鬼、言い残すことはあるか】
……最悪です。勝利を確信されました。
相手に見下されながら敗北を喫するだなんて、絶対悪にとっては速やかに自決したほうが比較的マシとも言える屈辱。
しかし魔王、あなたの致命的なポイントは戦闘においても私を人間と同じように扱っていること。
特に、不死身のバケモノほど念には念を入れて殺さなければならないことを失念しているようで、全身ががら空きになっていますね。
好き放題出来そうなのはむしろこちらです。
「お言葉に甘えて、《闇の気弾》」
【ぬお!?】
グッド、顎に命中した瞬間、重力が微かに弱まりました。この機を逃す手はありません。
「ふふふっ」
【ぐあっ……!】
私が無意識の内に放っていたのは、顎を狙った膝蹴りでした。
骨がひしゃげる良い音が鳴りました、可愛らしい悲鳴に加え歯も何本か飛び出しましたね。
っと、殺してしまえばこの反応も聞けなくなるのでしたね。勿体ないことをしてしまうところでした。
「かくいう私も殺し合いに飽きたところでした。なので殺しを目的としない壊し合いです。王都の人間達を蹂躙する前の余興を目一杯楽しみましょう?」
【それは架空の話に過ぎぬ。絶望に苛まれながら斃れ伏す吸血鬼の末路こそが至高の余興。《マグマバード》】
あの鳥、この至近距離からぶつければ魔王の方にもダメージが及ぶというのに、怒りに飲まれている証拠ですね。
絶望に怒りは求めているものとは違いますね。このように恐怖させなければ。
「言い忘れてましたが、ここで勝とうが負けようが蹂躙の予定に変更はありませんよ。どうせ監獄でリスポーンしますから」
【何……だと!?】
ほら、私の見たかった反応に変わってくれました。
攻撃のためのマグマバードも引っ込めていますね。もう少し幼ければ股から粗相をしていたかもしれなかったのが惜しいです。
「耄碌して大局観が低下した魔王には私の方から明かさなければ分からないことでしたか。私は夏に湧き出す蚊のように鬱陶しいだけの吸血鬼とは違う意味、理解出来て偉いですね」
【……戯言も休み休みにせよ! 王都への侵略は不可能! 儂の同志となった強き人間達を知らぬかっ!】
「なんだかジョウナさんとかが所属してそうですね」
【彼らへ王都の制圧を命じたのは、そなたのような人間を脅かす者から護るため。二度と人間が絶滅の危機に瀕さないため!】
「ああ、その弱者達なんて美味しい血袋ですから顛末を心配しないで下さい」
【ふっ、ふっざけるなよ! 今に分かる、貴様の無計画過ぎる殺戮の未来予想図は、可能性にも繋がらない絵空事ということがだ!】
「人間の可能性が無限なら、吸血鬼の可能性もまた無限です」
【っつ!!】
どうやら私の言葉が出任せではなく真実に変えてしまうことも理解出来たようです。
何度でも復活する私の命は、魔王の信仰する可能性にこぎ着けてくれるでしょう
「仮にあなたがここで勝利したとして、私の王都への襲撃から人々を護れる術がありますか? という質問は愚問でしたかね。地底とは違い、血液タンクが腐るほど暮らしている王都は吸血鬼の独壇場ですから」
【ええい黙れ黙れ! 弁えぬか吸血鬼! たかだか生物の成り損ない風情が、人間を血液タンクだなどと蔑みおって……!】
「降伏も認めません。今宵、王都からはあなたが愛でたくてたまらない人という人が消えるのです。もう魔王陣営は綺麗に詰み、大量の引き立て役を用意してくれてすみませんねぇ、うふふっ」
【お、おのれえっ!! 《カルラウィンド》!】
瞬間的に風の刃が襲いかかりましたが、所詮小物の魔王では動揺任せに魔法を放ってくるだろうとは読んでいました。
ここまでくるとダメージなんて恐れる必要ありません。
剣で自分の右目を抉って恐怖を敷くことへのアピールすら出来ます。
【やめろ……やめろ……! 人間とは素晴らしき生き物なのだぞ! 生まれながらに欠陥品の魔物が人間を蹂躙するだなど、断じて許されるはずがない!】
「これで立場の差が理解できましたか? 私が魔王に挑むのではなく、魔王が私に挑むのだと」
完璧です。堂に入りすぎた気がしないわけではありませんが、絶対悪が成れたでしょうか。
魔王降臨イベントの主役は魔王ではなくこの私。
立ち向かう者は正面から斬り、逃げる者は背中から斬り、老若男女千差万別の死体が転がる光景を配信に残せば、はたしてどれだけの罵倒や悲鳴が書き込まれるでしょうか。うっとりとしてしまいそうですね。
トップという大願成就も目前まで来ています。ここまで勝ち上がれたのに歩みを止められますか?
そうとも、私こそが魔族の王者をも戦慄させた悪です。
桁違いの恐怖により永久に目を逸らせない忌み嫌われ批難される絶対悪のバースデーが今日なのです!
「おいでなさい、メスガキ」
【ああ……ああ……なんということだ。真の愚かは儂自身だったとは……】
「む? いえ、むむ?」
想像を斜め上を征く反応でした。いえ、同じことを二度言いたくなるほどの想像を斜め上を征く反応でした。
なんと、あの魔王が大粒の涙をとめどなく流しているのです。
流石に誰もが共感するでしょうが、こんなの唖然とするしかないでしょう。
目を擦って再度見ても同じでした。
まさかとは思いますが、恐怖で壊れてしまったのでしょうか? 本当の恐怖はこれからという時期にそれは非常に困ります。
ではなく、どうせ魔王の姑息な作戦です。危うく手玉にとられるところでした。
「泣けば油断を誘えるとでも? 少女の涙は最強の武器とでも言いたいのですか?」
【見過ごしていた、見込み違いと申したことを許してくれ。そなたも人間だったのだな……!】
これ、バグか設定ミスで別のセリフが挿入されている、なんてことはありませんよね。