RIOとエリコ その9
莉緒の心の色は真っ黒だったことに変わりなかった。
けれども、綺麗な水に自分で墨をすったからとかじゃなくて、いろんな色の絵の具を混ぜまくったせいで歪に黒ずんでいるだけって気づいた。
――そっか……私か戦っていたのは、いつもの莉緒だったんだ。
つらい過去に囚われて、罪の意識を人一倍忘れられないでいて、誰にも頼れないからずっと自分を責めるしかなかったあの莉緒。
莉緒ってやっぱり弱い人だったんだなぁ。
出来ないことは何もないハイスペック超生物だとしても、大切な人を自分のせいで悲しませているってだけで自分自身に蓋をしちゃう、頑張れなくなっちゃう、何も出来なくなっちゃう、腐らせちゃう、世のかわいそうを結集させたような人。
それで、その大切な人が今は私になっていたということに気づかされて、私よりも断然愛が深いってこともちゃんと聞いて、驚いたけどとっても嬉しかったよ。
莉緒が大好きなのになんでか誤解してて、意識がアバターに戻れた時には涙が溢れずにはいられなかった。
「り……お……」
私、ダメな子だ。
救いを求めているけど言い出せられない人を見過ごしていたなんてバカみたい。
決して莉緒のせいなんかじゃない、私のせい。
私も友達は大事だけど、だからこそ誤ちを止めるために心を鬼にするんじゃなくて、助けるための努力をしていたらもっとスッキリした終わり方が出来たんじゃないかなぁ……。
▼▼▼
諦めかけていたその時に、エリコの自我が元に戻ってくれました。
「わあああっ……うわあああんっ! ごめんね! 私のせいで迷惑かけてごめんねえっ!!」
ですが、戻るや否や、気力がすり減りきっている私を抱きしめて、号泣し出したのです。
武器を放して、勝つ気も手放して、想いが通じるまでかすれる声で呼びかけたのが報われました。
「エリコが元通りになっただけで嬉しいですから、もう泣かないで下さい。あなたが泣いていると、私も悲しい……」
「うんっ、うんっ!」
涙が飛ぶほど強く頷くなんて、正直な人ですね。
私の荒んだ心も洗われるというものです。
特に、あなたと密着していると、何故か懐かしい安らぎが湧いてくるのです。
「はわぁ……この匂いにこの柔らかさ、好きです……」
あなたに抱擁されて分かりました。
エリコの、人の肌の温かさは、とろけるまで堪能していたくなる魅惑の感触。
校内で隣にいる時のあなたと同一の心地よさで、それが仮想世界でも堪能することが許されるなんて、まるで天に召されるような幸福です。
私の方こそ、もっと近づいて堪能したい情欲がとめどなく溢れ、種族や立場の違いなど忘れて抱擁で返していました。
「エリコお姉さん、こわいにおいがしなくなってる……わぷっ!」
遠慮するように近くで佇んでいたエルマさんでしたが、間もなくしてエリコの手で抱き寄せられていました。
「エルマちゃんもごめんっ! 私が馬鹿だったせいで、こわい思いさせてごめんねぇ! 連れ去ったりなんかしないから、許してぇっ!」
エリコ、考えを改めたのですね。
あなたにはあなたなりの信念に基づいたペナルティなのは理解してますが、エルマさんの本当の幸せを理解して頂けていたなんて、ますます好意を抱きそうです。
「やさしいにおいだぁ!」
エルマさんも、密着した私達の仲間入りですね。
背景がどうあれ一時は命を奪いに乱暴した相手でしたが、無事に心を開いている様子でした。
「私、嫌だった! 見てるだけしかなかったから、すごいこわかったあ! こんな戦いしたくなかったよおっ! ふええぇん!」
「エリコぉ……泣かないで下さいと言ったばかりですよ……ううっ……」
涙を拭いていたのにまたもや泣きじゃくって、私の目の奥も熱くなってきて大変なのですからね。
それ以上の嬉しさがあるからこそ、安堵出来たのですが。
エリコが元通りに、いつものエリコに戻ってくれて、一件落着です。
『エリーリオ』
『エリーリオ』
『エルマちゃんも入れてエリリオエル』
『エリリオが和解した……めっちゃ良かったなぁ……』
『しかもRIO様からは衝撃発言……公式カップリング誕生だ』
『喧嘩や憎しみ合うどころか、本気で好きだったんだなぁ』
『アッハハ。衆人環視の中で何を観せつけているんだい』
茶化すコメントによって余韻もさめて、波が引くように平静になれました。
そんな私達でしたが、この先がどうするかの予定がありません。
もう一ラウンド戦い、決着をつけるのが常識的な流れでしょうか。
それともまさか、私が勢い任せで思いを告げてしまった後のシナリオが展開されるのですか。心の準備などしていません。
「はぁーあ、頼みの綱のバフは効果切れだし、私のパーティメンバーはみんなどっか行っちゃった。このまま戦い続けたとしても、RIOには絶対勝てないや」
「エリコ? 藪から棒にどうしたのですか?」
まるで演技ぶったような声色。
相手が負けを認めてくれるのなら普段なら喜ばしい流れなのですが、エリコが肩をすくめてそう言い放つとなると、素直に喜べないどころか色々と勘繰ってしまいます。
「この勝負は私の詰み。でも大丈夫だよ、RIOにこれ以上の苦労はかけさせない」
「苦労? む、銃……」
剣も盾もインベントリにしまいこみ、その代わりに回収していた日輪銃をまじまじと見つめていました。
銃の用途は撃つのみなのは当然、ましてや対吸血鬼用に改造した性能なのに、敵意や殺意などは完全なる無で、私を狙うとは考えられません。
あなたの奇行は今に始まったことではありませんがひたすら困惑です。
「だって一番の大切な人だもん。そこまで想っているならさ、そんな人を断腸の思いで殺さなくちゃいけないなんて嫌だよね? 私は嫌」
「それはそうですが……いえそうではなくて、私が死ねばそれで完結ですから、銃口を向けるのはこちらですよエリコ」
その光景、あまり眺められるようなものではありませんでした。
銃口は、エリコ自身のこめかみに突きつけていましたから。
実弾が込められている以上、どけずに撃ってしまえばあなたは脳を損傷して命を落としてしまいますよ。
つまり、死ぬつもりですか。
「ま、待って下さい! 負けを認めるにはまだ早いですって」
「手を出さないで! 自分の負けは、自分で認められるから!」
そう力強く言った瞬間、静寂の空間にけたたましい銃声が鳴り響きました。
「ぐへへっ、また後でね!」
「エリ……っ!」
一発で死に至れなかったのに、激痛で叫びたがっているはずなのに、エリコは何も変わらない様子で再び銃声を轟かせました。
腕を全く震えさせず、引き金を引く寸前でもいつもの笑顔から表情を変えずに。
撃った後も、断末魔の叫びをあげず表情を固定したまま、握りしめていた銃が指から離れ、腕はだらりと垂れて。
「においが、きえちゃった……」
闘技場の壁を背もたれにした後、動かなくなりました。
エリコは、冒険者としての面子を保ったまま、こんなどうしようもない私のために、一切の矛盾なく理想の人を維持したまま自ら命を絶ったのです。
「エリコさんが、お姉さんの好きな人だったんだ……」
「ふふ、落ち着いた時に話したかったのですけれども……エリコはとても立派で、大切な人を命を投げ捨ててまで想って、私まで誇らしい気分で……」
エリコを表すものを並べていたら、言葉に詰まってきました。
あなたという人はいつもそうです。
普段一緒にいる時こそ遠慮無用とばかりにセクハラまがいの行為ばかりしているのに、ここぞという時に他人の心情を案じていられるなんて、一体全体どこの教育をどんな環境で受ければそんな精神が出来上がるのですか。
エリコほどの冒険者の血は頂けませんね。
私からの手向けです。
あなたが信念をかけて戦い抜いた証として、この闘技場の土にしましょう。
「エリコっちー! う、遅かったっすか……」
突如として観客席の端から人間の大声がしました。
あれは、エリコのパーティメンバーのバッファー三人衆の内の一人。
通名は聞いたことありませんが、ともかくエリコが状態異常にかかった際に途中から姿が見えなくなっていましたが、どうせろくでもない理由からでしょう。
……この冒険者は、エリコを騙した者の一人。
エリコの良心を利用し、自分達だけ得を頂こうと企んだ連中。
「さてエルマさん、そして視聴者の皆様、私にはやるべきことが残っています。エリコパーティの壊滅です」
エリコの遺体周辺をうろちょろしているエルマさんを肩車し、すぐに距離をダッシュで詰めます。
「ウチのせいっす……ぐぉへっ!」
む、勢いあまって顔面を片手で掴んで負荷をかけましたが、この冒険者は言葉では自分のせいだと認めているようですね。
「あなた方パーティの支柱であるエリコは既にリスポーン地点です。しかし無謀にもここへ戻ってきたとは、信義だか正義に忠実なロールプレイなのですね、偉い人です」
幻滅のあまり痛烈な皮肉が滑るように言葉に出ました。
顔を見るだけで顔面の皮膚を剥いでしまいたい衝動を抑えるのも、長くはもたなさそうです。
「残りの二人はどちらに向かいましたか? 応答を許します」
「あと二人……地上に繋がる……あいつら……そっちから行ったっす……一本道……非常用出口……まだ本部には……」
悶えて痛がって、説明が途切れ途切れでしたが、要点は伝わったので欲しい情報は揃いました。
「まあいいでしょう。あなたはまだ息の根は止めません、命尽きるまで使い潰します」
「そ、それは感謝するっす……早くあいつらを制裁して欲しいっす……」
ひとまず安堵しました。
彼女らが何も知らずに地上に出てくれたなら、取り逃がす心配などありません。
むしろ懸念するべきは、あと二人の生死でしょう。
生きていたって不快な方々ですが、ボスさん率いる眷属軍団が先に殺めてしまう前に迅速に地上へ走らなければなりません。
エリコが受けた心の苦痛を、百分の一だけでも返したい気持ちで昂っているので。
私は、私の責務を全うする!