RIOとエリコ その8
『エリコ側からの情報だと、この異常事態はエリコにも想定していないことなんだってよ!』
『ああそうだ。あそこで暴れてるやつにエリコの意識は消えている。本体は幽体離脱して空中から見ているしかやりようがなくなってる』
『ワイ悲しくて見てられなかったよ……。あのメンタルSSSのエリコが「止まって!」って下の自分に連呼するしかなくて、だんだんと項垂れてって、しくしく泣いてるんだからよぉ……』
『するってぇとさ、やっぱエリコパーティの誰かの仕業なのかよ!』
『全員の仕業かも。それかギルドぐるみで起こしているのかも』
『でも一つだけ確かなことがある、RIOこそがこれを観ているボクら全員の希望だってことさ。なんてね』
「私の尊敬するあなたが、こんな戦い望むはずがありますか」
望んで引き起こしたとしたら、如何なる理由があってもあなたとの仲はこれまでですから。
私の知るエリコはきっとどこかにいます。きっと帰ってきます。
「エリコっ! そろそろ暴れるのも飽きた頃合いでしょう!」
「ヴァガアアッ!」
「まだ届きませんか……」
あなたの暴走、勢いが止まる兆しさえ見せてくれません。
荒々しくも怪力すぎて、魔装槌でも劣勢を強いられるとは。
悪名高きバケモノと、人の心を切り離されたバケモノ同然のエリコ。いつか一度は経験するであろうミラーマッチが今日で、しかもあなたが相手だったなんて、運命のいたずらにしても程度ってものがありますって。
「おお、おね、おね、お姉さん。あの人、あの人は何がしたい人なの」
エルマさんなんて、もはや呂律が回らなくなって逃げたり隠れようともしなくなるほど頭がパンクしてる状態です。
「落ち着いて、近づいては危険です、エリコは私が食い止めますから」
ええそうです。これはエルマさんのための戦いだけではなく、ログインした当初と変わらずエリコのための戦いなのです。
エリコに私以外を殺させはしません。
あなたが罰を受けるくらいなら、先に潔く諦めてエルマさんを吸い殺し、私だけが裏切りの罪を背負い続けます。
ですが、あなたは死なない限りは諦めないと言いましたよね。
だったら私も、死ぬまでは諦めたりなどとは許されないでしょう。
「諦めがエルマさんを殺すなら、諦めません」
「グッグググググググググ!」
やられ続けている私は苦しいです、しかしやり続けているあなたはもっと苦しいはず。
表情は怒りに近いのに、剣の一撃からは涙ながらに救いを求める声が伝わってきました。
「ふふ……誰かに細工されて、やりたくもないことをさせられているのですよね。あなたの気持ちは痛いほど共感出来ます。何故なら私は邪魔者であり、配信者でもある以前に、友達ですから」
エリコの心が苦しめられているのなら、私が苦しみから解き放ってあげます。
この闘技場に誘われた時、私の心の苦しみに発破をかけてくれたのがあなたでしたから。
『やだRIO様ったら、いと美しい人の心に目覚めていますワ』
『あれ、これは尊いエリリオの形なのでは?』
『キミそんなキザなやつだっだっけ』
『エリコはなぁ、細工されて狂乱状態になってるだけなんだよなぁ』
ふむ、由々しき事態ばかりでしたが、新しく打開の糸口を発見しました。
エリコの豹変は、制御不能となり無差別に襲いかかる類の《状態異常》によるもの。
治療法こそは私に無くとも、本当に状態異常扱いならば時間経過で自然に治るのが当然の帰結です。
倒せなくとも解決出来る手段がある、笑みが浮かびそうになります。
あと何秒か何分か何時間か何日かは不明ですが、時間切れまで持久戦で立ち回れば何とかなる見込みが大ありでしょう。
「エリコ……さんってお姉さんの、友達!?」
うむむ、エルマさん、突っかかるところがそこですか。
「そうですとも、しかしこのエリコは全く知らない殺戮マシンです。ごふ!」
「ひい!」
エリコが盾を鈍器としてぶつけてきたため、肺の空気がひねり出されて一瞬視界が狭窄しました。
小技無しのタイマンならこちらの独壇場でしたが、エルマさんを庇いながらでは耐え方が限定されてしまいます。
「うう、気が遠くなる作業ですね……」
条件さえ厳しくなければ、勝利まで一直線でした。
ただ、防衛対象のエルマさんは戦闘面において足枷、連れてきたのはかくいう私。
私が悪いためですか。
心細さを紛らわしたいだけの理由でエルマさんを連れてきた報いなのですか。
「ウウッ!」
向き直ってみれば、著しく刃こぼれした刃が目の前でした。
この際丁度良い道具です、無性に鉄の塊を噛み砕きたい気分でしたので。
「もういじめちゃだめっ! 目をさましてエリコお姉さん!」
これは、思いもよらぬ援護射撃が入りました。
エルマさんが小粒の石をエリコに投げていたのです。行動に反して相変わらず恐怖一色の面持ちでしたが。
「クッッッッ」
「エルマさん、忙しいので褒めたり叱ったりしません」
ダメージにならなくても、当たりどころがよほど不快だったためかエルマさんへ眼光を向けています。
「なので!」
「イギッ、ギャアアアアアア!」
注意が逸れている隙に、エリコの脚に一撃放って左脚を使い物にならなくなるレベルに叩き潰しました。
『しめた! 四肢の一つめをやってやったぜ!』
『エリコは空を飛べなければ自然に再生もしない、効果絶大だ!』
『もう走れないな! 極端な話、後は逃げ回るだけでいける!』
『まだ勝ちじゃないよぉー、人間には足が二つあるよぉー』
一個体の人間では、一つの脚が奪われれば二つとも使えないも同然です。
時間いっぱい逃げ切り勝利も夢ではなくなりました。
「こちらには大きな一歩、あなたは一歩も動けず……なっ」
「アンギャオオオ!」
これは、人間なのですか。
その脚はもう骨まで露出しているほどの重体ですよ。
立っているだけで激痛が指数関数的に増加するはずなのに、肉が血と混ぜられる音を出しながら強引に足を踏み出し、私を頭突きで吹き飛ばすなど痛覚が働いているかさえ疑問。
「いっ! ぬぬぬ」
呆けてました。
実際に頭突きされてから中距離を吹き飛ばされていたと気づくとは、そろそろ私には集中力の限界が近づいているそうです。
同様にエリコもかなり弱っているはずでしょう。
脚が負傷しているなら、機動力が低いエルマさんの脚力でも、私の介添え無しでも十分逃げ回れます。
そんな楽観視をしていました。
「エリ……コ……?」
「フーッ、フーッ、フーッ」
エリコのポージングが奇妙です。
エルマさんの方を向きながら、両手に持った剣に勢いをつけて頭の後ろまで引くなんて、斬りつけるにしてはオーバーアクション。
そもそも間合いの外。
――投擲!
足が封じられても、腕が健在ならばそうしますけれども!
「おしまいだ……ころされちゃう……」
「ああ……諦めたらエリコが……!」
早く、剣が手から離れただけでアウト。いや早く考えている場合はなく、早く体を動かさなければ。ですが最短最速の手段を即決しないと後の祭り。くっ、どうしても考えてしまう、ならば取捨選択をするまで。速度を出すためには少しでも体を軽く……魔装槌なんてものを持ったままでは間に合いません。
「お姉さん、お姉さん?」
身を挺して守るヒーローじみた役割をするべきはあなたの方だというのに、私が行うとはあべこべですね。
「何か?」
判定はセーフで、私の右腕が半分裂かれただけに終わりました。
仕留める気というより、苦し紛れの投擲だったので、全く問題のないダメージ量です。
「グィオオオオオオオオッ!」
剣を拾いに向かわず、遮二無二こちらへと握り拳を掲げて跳ぶ、エリコ。
「エリコ、エリコ、エリコ」
もういいですよね。
蹂躪するしか能のない私では、守りながら戦うのは相当な神経を削るのです。
情報量が多くて脳が処理しきれず、疲労なんて既に限界まで蓄積されました。
「エリコおおおおおおおっ!」
心の中にある暴力的な自分が解き放たれたのでしょう。
咆哮の次には、エリコの額に右ストレートを放っていました。
「あなたという人はっ! ぶっ!」
「ガァウウウ!」
顎に殴り返してきましたか。
しかし怯めばサンドバッグ一直線。上体を起こして、再び右の拳で怒りをぶつけます。
「あなたという人はどうして! 浅はかな覚悟しか伴えてないままここに来てっ!」
「ギャッ! ガアアッ!」
「腹の底も知れない人間ばかり信用して! 騙されたことに気づかないで!」
殴れば殴り返され、蹴れば蹴り返され、一心不乱に暴力で応酬。
エリコの防御力が固くて助かりました。加減なしで力をぶつけても停止しなさそうです。
「あなたの正義はお人好しだったのですかっ! 信念やらを盲信して、自分自身を疑おうとしないせいでっ! だからエルマさんばかり理不尽な目に遭うんです!」
まだまだ足りません。
怒髪天を突くほど溜まりに溜まったものは、こんな程度では発散されません。
「信じていたのに! あなたが無責任なせいですからっ!」
「ギッ……」
ハイキックが炸裂し、エリコが前を向いたまま地に倒れました。
このまま跨がれば、起き上がらせずやりたいようにめちゃくちゃに出来ます。
「あああっ! エリコの愚か者! 大馬鹿者!」
相手がエリコだから何だというのですか、配信者だから殴ってはいけない理由になるなら、権力者の悪人は野放しにすれば良い世の中へと進化するのですか。
まかり通ったらそれこそ理不尽です。
力の無い人の心を痛めつけた分は、強い私がその人に代わって制裁を加えなくてはなりません。
「償いなさい! 恥を知りなさい! このっ!」
もっと、エルマさんが味わわされた理不尽には理不尽で返して、滅多打ちにして、胸も、顔も、肌も、肉も、骨も、目も、指一本さえも、ゴミ捨て場に置かれた家電になるまで壊すだけです。
こんなエリコなんて、頬が腫れても、歯が抜け飛んでも、泡を吹いても、血を出しても、涙を流しても……?
「ア……アッ……」
「このっ……えっ……」
エリコがやり返して来なくなった時に、目にしてしまいました。
――涙を流しているのですか。
正気を失っているはずなのに何故。まさか、これはあなたの正気の自我で瞳を潤ませているのですか。
「違っ、あなたのせいでは……」
その涙は、感情で流しているのでしょうね……。
怒りは冷め、自分の理屈がただの自己中心的、現実逃避と責任転嫁に逆恨み同然に飛躍していたと気づき、この惨状は誰のせいだったのかが判明しました。
「全部、私のせいです。私が……嘘……い、嫌、私のせいでエリコが……」
折角、忘れられていたのに思い出してしまいました。
あなたとの会遇をどうしても避けたかった理由は、傷つけてしまうからではなく、嫌われたくなかったからでもなく……。
私のせいで、大切な人が悲しんでいる表情を浮かべてしまうことこそが、一番見たくなかったからです。
それが私にはつらくて耐えられないから、あなたにだけは暴力を忌避しようとしていました。
「ごめんなさい……許して……恵理子……」
悲しむ表情をされてしまえば、私はもう戦闘も何も出来なくなってしまいますよ……。
「ウアッ! ヤアッ!」
「そんなっ、まだ収まってなかったのですか」
駄々をこねる子供のように無理矢理投げられました。
エリコは、動かない左脚を引きずるようにしながらエルマさんを目指し、歩行にもなってない歩みを進めている肉体の状態。
「エグッ……ヒグッ……」
でしたが、私のせいで起こった涙の決壊はまだ終わってはいません。
操られている肉体に精神が必死に抗おうともしているようで、とても直視出来る光景ではありませんでした。
「もう、いい加減にして下さい……」
止めたいがために、でも思うように力が入らないために、エリコの腰にしがみついて呼びかけるのが私に出来る限界です。
「ムウ……アアッ……!」
エリコは涙声で、しがみついている私を振りほどこうと腕で離そうとしてきました。
「あの時、心にもない言い分であなたを傷つけたのは謝ります……何回だって頭を下げますから……あぁ……」
目の前がだんだんと霞んでよく見えません。
それでも腕からは、あなたの感触が少しずつ離れてしまいそうになっているのが伝わってきます。
でもあなたを離してしまうと二度と触れられなくなる予感がして、今度はエリコの胸元の上に右腕をまわしていました。
「正気に戻って下さい……何でもしますから……」
「グ……ッ……」
引きずられる……悲劇の結末へと一歩ずつ進まされているままだと、地面に擦れている膝で感じられます。
悲劇が、止められない……エリコが……。
「……驚かないで聞いて下さい、私、あなたのことが焦がれるほど好きだったんですよ……。多分あなたが想像するよりも何倍も重たくて、嫉妬してしまいがちで……」
私ってば、何を口走り始めたのでしょうか。
「えっ、お姉さんの好きな人って……」
「昔の頃に心が粉々に割れて、毎日意味もなく生きていた私でしたが、あなたの存在が生きる意味になっていたのです……」
配信によって中継されているのに、そんなこと構わず大衆に公開されてでも告白したい理由はあるのか無いのか。
理由があるなら、私が愛した理想の恵理子がこれから消えてしまうのだと思い違いをしているから、最後に話したかった秘事を打ち明けているのでしょう。
本音は、いなくなって欲しくない一色です。
言葉を紡ぐことだけが、心がすり減った私の精一杯ですけれども。
「もし、私がトップの夢を諦めるだけで元に戻ってくれるなら、喜んで諦めます……。捨てられるものは全部捨てますから……嫌いになっても構いませんから、あなただけは、理想のあなたでいて欲しいんです……」
「ウ……ウ……」
柔らかさも心地よさも優しさも暖かさも可愛らしさも神々しさも、私では叶えられなかった高潔な信念も、それらが欠けてしまったあなたでは、今後も夢を見させる配信を観せてくれますか。
そんなわけありませんね。
太陽に雲がかかっては魅力を引き出せないで沈むだけなので、あなたは曇らないまま人間も人間以外も眩ませるだけ眩まして然るべきです。
「悲しんでいるあなたなんか理想のあなたじゃありません……お願いします、いつだってあなたのためを想ってますから、私のためを想って下さい……」
「り……お……」
その声を聞きとった時、エリコの膝が地に着く音も同時に聞こえました。