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恋の種の小さな話 3 ペダルと筋肉と君の重さ

作者: 一唐

 女の子ってずるいと思う。

 女の子らしさってただ女の子であるだけでできてしまう事ばかりじゃないか。歳さえ取れば胸はふくらんでくるし、子どもだって産める。化粧なんてしなくたって、女の子ってだけでだいたい可愛くなれてしまう。

 それに比べて、男ってやつはなんて不便な事だろう。

 男らしさというものにはいつだって筋肉が付いて回る。ジェンダーだか何だか知らないが、どうのこうのと小難しい理屈を並べ立てたところで、結局は筋肉なのである。漫画だって、映画だって、みんなそうだ。肉体的な強さの伴わない男らしさなんて、どこか後ろめたい事を腹に含んだ上で、逃げ口上を並べたような嘘くさいものばかりじゃないか。

 そして、筋肉が欲しいというならば、鍛錬なくして何も身につく事はない。つまり、筋肉を得んがために体をいじめる事は、好むと好まざると男が男として生まれたがゆえに課された宿命であると言ってもいい。

 僕は運動が大っ嫌いだ。息が切れるのも、汗をかくのも大っ嫌いだ。重い物を持つのも、走るのも大っ嫌いだ。僕がこの世で最も嫌悪する痛みとは、筋肉痛のじんじんとしたあの痛みだ。

 でも、僕は男だ。体を鍛えなければらしさすらも得られない男というものなのだ。だから、僕はこの世で最も大っ嫌いな事を、自ら進んでやらなければならないのである。男というものはそういう悲しみを背負って生きているものだと僕は思う。

 そんな信条を胸に秘めて、僕は教室の机に突っ伏している。両の太ももがひりひり痛い。

 僕が男らしさを得んがために自らに課している事、それは片道十キロの通学路を変速もないママチャリで毎日通学する事だ。ちょっとしたど田舎のお金のない学生には、ジムに通うなんてもってのほかだ。筋トレの器具だってせいぜいがダンベルぐらいのもので、とてもじゃないが本格的なものなど買えたもんじゃない。日常的かつ低コスト、これが絶対なのである。この要請を満たせるものとなると、やはり田んぼを横目に見ながら踏みしめる無骨なペダルに限るのだ。ちなみに、部活はやっていない。先ほどはっきり言ったように、僕は運動が大っ嫌いなのである。

「そんなにキツいのならバスにしたらいいのに」

 机にすがり付いて太ももとふくらはぎの痛みにもだえる僕に、呆れたような視線を向ける女の子がいる。フクラだった。

「いいんだよ、好きでやってんの」

「でも、ショウちゃん体あんまり強くないでしょ。すぐ風邪とか引くし」

「いつの話をしてんだよ」

「こないだも寝込んでたでしょ。無理は良くないよ」

「そりゃ、そうだけどさ。無理なんかしてねーし」

「本当かな」

 フクラシズコはお隣さんだ。お隣さんと言っても数十メートルほど家と家の間に間隔はあるのだけれど。田舎だもの、文句あるか。

 こう言っちゃなんだが、このフクラというやつは実に女の子のずるさを体現しているやつである。

 小さい頃からよく顔を合わせているけれど、特に何か身を削るような努力をしている訳でもないくせに、実に女の子らしいのである。ただ、僕と同じように年を経ただけなのに、胸がやたらと大きくなって、化粧とか気を使っているわけでもないくせに、その、なんというか、その、わりとというか、まあ、可愛い。

 男らしさへの渇望の代償に、毎日嫌になるような脚の痛みを罰のように背負わされている僕とはえらい違いではないか。男はやっぱり不便なのである。

「いいったらいいんだ」

「ふうん」

 僕はなんだか意地になってしまって、フクラの提案を突っぱねた。フクラはまだ何か言いたそうにしていたけれど、授業の開始のチャイムと共に先生が教室に入ってきたので自分の席に退散する。

 たしかにフクラの言う通り、僕は子供の頃からどちらかと言うと体の弱い子どもだった。僕もフクラも両親は共働きだったから、フクラはよく風邪で寝込んだ僕を看護婦さんごっこと称して、両親に代わって看病してくれたりもした。

 そんな僕であったから、毎日往復二十キロの通学路を懸命に走破してはいたものの僕の体はいまだに、がっしりした筋肉とは縁が遠くてひょろりと細く色も白いまま、毎日ただ疲ればかりが溜まっていく、そんな有様だった。

 田舎の高校というものは、都会に比べて結構な広い範囲からの就学を受け入れているものだから、バス通学が一般的であったし、家の立地によっては原付での通学も届出付きで認められていた。僕と違ってフクラも学校にはバスで通っている。その方が楽なのは確かなのだ。

 でも、僕は男らしくありたいんだ。だから、バカバカしいと思われたって、これを曲げる事はできないのだ。

 その日の授業も終わって、僕はいつものようにひいひいと言いながらいつもの通学路で自転車を走らせている。もう夕方も過ぎていて、少し暗くなってきた。それでも、家まではまだ少し距離がある。

 すると、少し遠巻きに買い物袋を提げた誰かが僕に手を振っている。

「あー、ショウジロウだ!」

 そうなぜか僕をフルネームで呼びながら指差しているのはフクラの妹のサワちゃんだった。そして、サワちゃんと手をつないで買い物袋を提げていたのはフクラだった。

「今帰り?」

「うん。買い物?」

「うん」

 僕たちの両親は共働きだったから、フクラはこうして両親の家事の手伝いもしている。買い物袋はけっこう膨らんでいて、口のはしからは青ネギが頭を出している。

「歩きなの?」

「サワちゃんがお散歩したいって言うから」

「カエルとったよ、ショウジロウ見る?」

「あ、うん。でも、その内放してやんなよ。ずっと握ったままだとカエルも苦しいから」

「わかってる」

 サワちゃんは僕たちの少し先へ駆けて行ってから、田んぼの側溝を流れる水をのぞき込んでいる。カエルを放すのに最適な場所を見極めているのだろう。

 僕はそれじゃあと言って自転車に乗って行ってしまおうと思ったけれど、フクラが買い物袋をずいぶんと重たそうに提げている事に気が付く。

「載せる?」

「いいの?」

「いいよ」

 フクラが自転車のかごに載せた買い物袋は思った以上に重くて、ほんのちょっとだけ後悔する。

 カエルを放したサワちゃんがこっちに戻って来てフクラの手を握る。そうして歩いているフクラの姿は、歳が同じはずなのにどことなく僕よりもずっと大人っぽく見える。

 そして、三人で夕暮れ時を歩く。周りを見渡したって、あるのぽつぽつと並ぶ民家と、思い出したように車が走っていく道路と、あとはみんなざわざわと伸びた苗が風に揺れる田んぼだけ。見渡すばかりに広くって、とても小さな僕らの世界。

「ショウちゃんさ、やっぱりバスにした方がいいよ」

 サワちゃんに足並みをそろえてゆっくりと歩くフクラがまたこの話題を持ち出してくる。

「いつも汗すごいしさ、毎日苦しそうじゃん。バスはいいよー。楽だよー。速いよー。何がダメなの?」

「ダメじゃないけど・・・、いいだろ別に。それに定期ないし」

 確かにダメではない、ダメではないんだけれど、何よりもまず筋肉が足りない。男らしさとはいつだって遠回りの徒労の末に体に刻まれるものであるはずだ。

「無いなら買えばいいじゃん。あ、それでね、毎朝迎えに行ってあげるよ。ね、そうしよ、そうしよ」

「バスの乗り方ぐらい分かるよ」

「うーん、そういう事じゃ無いんだけどね」

 すると、サワちゃんがフクラの手を握って早足になる。たぶん、自分を蚊帳の外にして二人で話している事にむっとしたのだろう。

「あっ、こら」

 数メートル先をサワちゃんに付き合ってずんずんと歩いていくフクラは困ったような苦笑いをしながら時折振り返って僕の方に顔を向ける。

 買い物袋をフクラの家に送り届けた僕は脇から襟首までじっとりと汗に濡れた制服のワイシャツを脱いで風呂に入る。そして、今日こそはという期待を込めて、洗面所の鏡の前で腕を曲げて力こぶを作ってみるが、光の反射というやつは相変わらず慈悲というもんを知らない。

 風呂上がりにソファで涼んでいるとインターフォンが鳴る。

 玄関の前にはフクラがいて、手にはラップで包んだ小鉢を持っていて、ほんのりと醤油の香りがする。それから、たわいもない話を少しだけしていると、はっとしたようにサワちゃんが待っているからと、小鉢を僕に押し付けて急いで帰る。フクラの家では仕事で帰れない母親の代わりにフクラが食事の用意をしているから、お腹を空かせて待っているサワちゃんの顔が頭に浮かんだのだろう。

 フクラが帰った後、僕も晩飯を食べる。メニューは火を通せば誰でも作れる冷凍食品とチルド食品のあり合わせに、スーパーの惣菜サラダだった。その中に、フクラから受け取ったまだ人肌程度に温かい小鉢を置く。食卓には僕しかいない。

 小鉢の中身はレンコンの煮物だった。

 酢でアク抜きをして、醤油ベースの出汁で甘辛く煮たレンコンに、さっとまぶした白ごまの香りが香ばしい。

 食器を片付けてまたソファに座り、僕はぼんやりとする。そして、取り止めもない事をつらつらと考えて忘れる。

 フクラはきっと幸せな人になるんだろうな。料理も上手で、サワちゃんの面倒もちゃんとみれて、成績だって優秀だ。きっと、大学にも通って、就職して、忙しいながらも素敵な人を見つけて。結婚して、子どもを産んで、家族や友人とも助け合って、幸せな家庭を築くんだ。それから、子どもたちを独り立ちさせて、ちょっとずつおばちゃんからおばあちゃんになって、それで、それで・・・。

 そんな僕の頭の中で勝手に作り上げられたイメージには、フクラの側にいつだって男がいた。その男は強い男だ。フクラの人生に寄り添って、共に手を取り、支え、慈しむ、そんな強い男がいた。そして、僕にはどうしてもそんな強い男のイメージと僕自身を重ね合わせる事が出来なかった。

 僕は細長く青白い自分の腕をじっと見る。

 男らしくなりたい。

 僕はただ十キロのダンベルを握っていた。どうすれば思い描くような強い男になれるのか分からなかったから、僕にはそれしか出来なかった。僕の腕にはずしりと重いダンベルに、放っておくと湧いて来る、焦りのような、不安のような気持ちを、ただぶつけた。

 次の日、放課後校門から出た僕を呼び止める声があった。フクラだった。

「バス乗り遅れちゃった」

 フクラはそう言うと、つかつか歩いて来て自転車の後部の荷台に勝手に腰を下ろす。

「乗せてね。ほら、早く帰ろ」

 乗ってしまってからそう言うフクラに降りろとも言えないので、僕は二人分の重みのサドルにぐっと力を込める。

 初めは重さによたついて、何度か転びそうにもなったけれど、その度に後ろに座ったフクラが地面を蹴って、二人乗りの自転車は体勢を立て直す。そして、車輪は少しずつ地面と垂直にしっかり立って、滑らかに加速する。太ももが張って、むず痒いようなだるさに脚が痺れて来るけれど、風を切る速度は僕の体から体温をほどよく奪って心地良い。

 僕にはフクラの様子は見えないけれど、背中越しの体温と人の体の心地の良い柔らかさは伝わる。

「やっぱり、バス通学にしようかな」

 僕は息を切らせながら背中のフクラに聞こえるように言う。

「ペダルが重いし、疲れるし、なんかもういいや」

「ダメだよ」

 あんなにバス通学を勧めてきたはずなのにフクラはなぜか僕の意見をにべもなく却下する。

「えっ、なんで?」

「うーんと、ね。バス通学よりもこっちの方が良いかなって思ったから」

 そう言うと、フクラは自転車をこぐので精一杯の僕の背中に遠慮なく寄りかかって来る。

「重いって。ねえ、すごく重い」

「頑張って」

 僕の意見を軽く突っぱねたフクラの声は、でも、なぜだか少しだけうれしそうだった。

 女の子ってずるいと思う。

 女の子ってやつはいつだって二人分の重みを男に押し付けるような事ばかりしてくる。

 それに比べて、男というやつはなんと不便な事だろう。

 女に重みを押し付けられているだけなのに、それにひいひい言う事がなぜだか誇らしくって心地よく思えてしまうんだもの。

 ああ、男らしくなりたいな。

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