幕間 其の弐 『創造主かく語りき』 奏者 シタン
――別世界に戻ろうと焦る永井が籠城する旧講堂のトイレに入ってきたのは、190cmはありそうな長身痩躯の伊達眼鏡男だった。
「……お前だろ、永井は?」
静寂が訪れ、ピリピリとした7.4gの緊張感がその場を支配する。
「いかにも永井は私だが。なぜわかった」
「解けたんだよ。すべて。永井殺人事件がすべてな」
再び沈黙。
「ほう、解けたというのか?まさか。たまたま偶然俺がこちらの世界にいるときに、旧講堂を徘徊していたホラー好きの暇人が、たまたま尿意を催してトイレに駆け込んだ、そんなところだろう?」
「その確率はゼロ近似だ」
「なぜ?」
「なぜってお前があちらの世界の任務についているとき、こちらの世界にいる滞在時間は、あちらの世界に居続けられる上限のうちに1回、それもたった数秒だからな。」
「そこまでわかっているとは。やるな。どうやら偶然ではなさそうだ。ところでお前は一体何者だ?」
「……我はアルパなり、オメガなり、最先なり、最後なり、始なり、終なり。」……待ってました!とばかりにドヤ顔の眼鏡男。
「……ヨハネの黙示録か。あるいは『ゼノギアス』か。いずれにしても神だと言いたいのか?冗談もたいがいにしろ」
「それが本当なのだ。いかにも我は神である。かくして唯一この世界の真実を知っている。だから先ほど言った「解けた」というのは、より正確に言えば先験的に“知っている”ということになるかな。本当は我は正確性を欠いた発言をしてはいけないのだが……いや、解けたと言いたかっただけだ、すまん。」
「は、そんなことはどうでもいいけどよ、そんなことがあってたまるか。」
「序章で攻めすぎた別の作品の方に集中していたのだが、こちらの物語も折り返しを迎えてそろそろ収束させねばならないと思って様子を見にきたのだよ。あちらの世界の美少女の姿もちやほやされて悪くないが、久しぶりのこちらの世界での姿も、なかなか心地いいものだ。腕がなるぜ。ただし眼鏡をはずすと何も見えなくなるのが玉に瑕だがな」
「……。てい!」
「な、なにをする!!!!めがね、めがね、……」
〜束の間の茶番劇〜
「ほう。それで?」
「文学サロンから始まる極めて魅力的な物語だが、論理的に謎が解ける段階からは程遠いようだな。それに話が発散しはじめているようだ。初期の和気藹々とした文学サロンは一体どこへ消えた?タイトル詐欺だぞ」
「俺の事件がそう簡単に解けるわけねえ。華麗なる被害者としての才能がすごすぎたってか!」
「調子にのるでない。才能があるのは犯人の方だろうが。それにまったく解けない難問というのは良問からは程遠いものだ。そして第一奏者の意図からここまではずれたリレー小説というのもひどくはないのか?」
「いやまあ確かにそうかもしれないけど、俺のせいじゃないぜ?もう一つのリレー小説の作品の第一走者があまりにやりたい放題やっちゃったから、みんなそれに引っ張られてかき乱しているだけじゃないのかな。第一走者は猛省せよ。」
「ほう、それは一体誰のことなんだろうか。あとで厳しく叱っておこう。まあ、別に皆引っ張られているわけではないと思うが。」
眼鏡の位置を正すと、その男はやおらリレー小説について語り出した。
「唐突な話で恐縮だが、SFやミステリなどに時々みられる難解さには二種類ある。一つは言葉少なに語るが故に読者に多大な想像力を要求するもの。もう一つは反対に、言葉が多すぎるが故に情報の海に溺れてしまうものだ。」
「何が言いたい?」
「しかしそれは通常の物語、すなわち一人の人間が書く場合の話だ。——では、リレー小説の場合はどうかな……?
リレー小説の性質上、執筆者や読者は前の執筆者の意図を正確に知ることはできず、そのテキストから想像しすべてを判断しなければならない。想像力を要求するという意味で、これは前者といえる。ところが同時に、複数の人間がそれぞれ独自の情報を追加してゆく。
ゆえに、言葉が少ない難解さと、言葉が多すぎる難解さの両方を備えているのだ。だからリレー小説を書くというのはきわめて難しい。
それだけではない。
リレー小説の本質は混沌にあり。
混沌。カオス。初期値鋭敏性、予測困難性を持つ現象。初期値鋭敏性とは、初期値のわずかなずれが最終的に大きな変化をもたらすという性質で、蝶効果というのが寓意的によくわかりやすい例として出される。もともとは、米国の気象学者エドワード・ノートン・ローレンツによる、“蝶がはばたく程度の小さな変化が、大きな気象の変化を生むか?”という提言なのだけれど、カオス理論の研究によるとどうやらそのような現象が実際に起こり得るらしい。リレー小説でいえば、最初の章のわずかな違いがのちに重大な意味を……って責任重大じゃないかッ!
それでだ。執筆者の意図と次の執筆者の解釈には必ずずれが生じる。一致することはあり得ない。そうするとまたその違いが、大きな違いを生むことになる。これが連鎖的に続いていけば……物語はよくわからない複雑なものになってゆく……ということだ。だから作品2のタイトルは『渾沌譚』。語呂もいいし、名付けた人は天才だな。」
「そんなわけあるか。巫山戯たタイトルだよ。それに、なんで混沌じゃなくて渾沌なんだ?」
「渾沌というのは実はカオスという意味ともう一つの意味を兼ね備えている。もう一つとは、中国神話に登場する怪物の一つだ。四凶の一つとされ、カオスを司っている。『荘子』の最も本人の思想に近いといわれる内篇にでてくる。渾沌、七竅に死す。物事(特に自然)に対して人間が無理やり道理をつけようとしても、自然の純朴さを失うだけで結局理解することはできないということを表している。科学者への戒めとも拡大解釈されており、長岡半太郎や湯川秀樹は妙に荘子に凝っていたな。ところでこれはリレー小説にも当てはまる。結局前の執筆者の文章を無理くり再解釈しようとするよりも、あるがままを受け入れ、それを活かす方が良い、と。だから『渾沌譚』。天才だな。」
「わかったような、わからないような。そしてやはり天才ではないと思う。」
「ヒントとして老子を登場させておいたから、中国思想に詳しい人は気付いたと思うなあ。満を持して荘子が登場するのも時間の問題か。老子を登場させた我こそ天才だな!」
「うん、それは天才だと思う。第六人格とやらは『虚無への供物』ネタも完璧に活かしているし、天才としかいいようがない。いや、まあお前と趣味が似ているというだけかもしれないが。まあ本当はネタなんてどうでもいいんだけどね。自己満足だし。万人が楽しめる作品にしなくっちゃ。」
「ぐは。痛いところをつきおる。次から頑張ろうかね(お前は頑張らないのか)。
さて。そろそろ永井殺人事件について考えようではないか」
「さっきから永井殺人事件っていうけど、現に俺は生きているぞ?生きているのに殺人事件とはこれいかに。」
「まああちらの世界でそう書かれているから、統一しようではないか。それに、あちらの世界を記述しているのは誰だかご存知かな?」
「序章によれば、『我』ということになっているが。……つまりお前か。」
「そう、我だ。我こそが「渾沌譚」の執筆者なのである。そしてこちらの作品1の世界がいわば主の世界、作品2の世界が従の世界。主の世界の初期条件は確かに私が作ったが、その後のすべては登場人物たちの自由意志に委ねられている。一方で従の世界は、我が好き勝手に書いた物語にすぎない。そして必ずしもこちらの世界の真実は伝えていない。作品1と2で異なることが書いてあっても矛盾は生じないのだ。さて、我は日本三大奇書の歴史的名作『虚無への供物』の愛読者だ。虚無への供物は氷沼殺人事件というのが延々と語られて行くのだが、外国語とルビがいかすだろ?それへのオマージュだ。実際は殺人ではない。」
「読みにくいんだがなあ……書きにくいし。……確かに殺された覚えはないね。」
「真相は見ての通り、消失だな。そして、その鍵はこの旧講堂のトイレにある。お前はあるとき幽霊らしき声をきいた」
「あのときは本当にびっくり仰天したよ」
「声がある方にいってみると、そこは女子トイレだった。ある個室から明らかに不気味な声が聞こえてくる。こんなところに人がいるはずはない。しかも男の声だ。そこでお前は勇気を振り絞って……
とその時、永井は隠していた魔剣を取り出して、自称“神”に切りかかった。
「なぜお前がそれを……」
「しょおおおおおおおおおお」
――魔剣とは何ぞや?Wikipediaによれば、「魔剣とは、神話や伝説、あるいは小説やゲームなどのフィクションに登場する、特別な力を持つ剣の総称。広義では、魔法の剣(英: magic sword)の意味で用いられる。魔法の力を持つ、通常は傷付けられない神や魔物を斬るなど、何らかの特別な能力を有しており、その所持者に大きな力を与える。狭義では「聖剣」との対比で、邪悪な力を持ち不幸や災禍をもたらす剣の意味で用いられる。この場合の類義語としては「妖刀」が挙げられる。」とのことである。
永井の魔剣は、遥か昔の古代科学文明にあったといわれるすぐれもので、神をのみ斬ることができるものであった。神以外を斬ることができない。つまりこの魔剣によって神を判定することができるのだ。本当にこの男が神なのであれば、この魔剣を用いることでこの男を斬ることができるということである。果たして結果は……
「dおうぇちゅいおおp
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目骨死
多fhrjか」
神は死んだ。
まことに、この人は神であった。
もう少しで俺の消失事件が暴かれるところだったが危なかった。ヒントはだいぶ出てしまったけどな。まあ良いだろう、後半戦だ。二並列リレー小説の交差点。作品1の前半を書いたものが作品2の後半を書き、作品2の前半を書いたものが作品1の後半を書く。果たしてそれぞれの作品にどのような変化が訪れるのか?
読者諸賢よ、この永井消失事件の謎が解けるかな?神に頼らず、人間の力でその真相にたどり着いてみよ。俺はどうして消えた?どこへ消えた(今は旧講堂のトイレにいるが、一時的なものだ)?俺の正体は?真実はいつも一つ!
まだ手がかりは揃っていないが、答えまでの道のりは、近い――
第六区へつづく
また死なせてしまった。
矛盾があったら教えてください。修正します。
お題は「原点回帰」。まつさん、出番です!