第三区 『霊感には猫を』 奏者 yo
「ねぇ、何か……聞こえないか?」
「いや、聞こえないけど。永井おまえ、このタイミングでアカリちゃんを脅すとかつまんないことすんなよな。まったく。舞台袖のところ、見に行こうぜ」
小林くんは彼には取り合わずに、奥へと進んでいきました。アカリちゃんは少し怖そうにしていましたが、私が小林くんを追う後ろにピッタリとついてきました。そうして、小林くんが舞台に上り、こちらを振り向いた瞬間、
「えっ」
と唸りました。先ほど何かが聞こえたと言っていた部員の永井くんがいないのです。
「永井どこいった?」
「今そこにいたじゃない。なーがーいーくーーん。今度は椅子の下に隠れる遊び?」
私はそういって茶化そうとしましたが、永井くんは真面目が擬人化したような性格で、冗談の一つも言えないような人でした。だからさっき様子がおかしくなった時から、みんな薄々はわかっていたはずです。永井くんが急にアカリちゃんを脅すはずがないことを。そして、そんな永井くんがいきなり椅子の下に隠れるわけがないのです。
その場にいたみんなが、驚きのあまり声を失いました。
*
「それから、どうしたの?」
ユメが紅茶を出しながら話を促したにゃ。……なんでもないぞ。「にゃ」なんて猫みたいなことは言ってはいない。
「はい。それからみんなで手分けして永井くんを探したんですが、見つかりませんでした。携帯やSNSにも連絡をいれているんですが、まったく反応がなくて……」
「はぁ~~神隠し的なやつですか」
ボクよ、そんな呑気なことを言いながら我を撫でるでない。我は高潔なる存在にして、今は猫に体を借りているが、そなたのような平民がやすやすと触れてよい存在ではないのだ。そもそも、なぜお主は「ボク」なんて呼ばれ方をしておるのだ。子供扱いされているようで嫌だとは思わんのか。「ほら~ボク~良い子でちゅね~」みたいな扱いだぞ。それを、皆が受け入れてくれている証だからと言ってへらへらしおって。これだから最近の男はダサいのだ。
「その日から数日後にご家族とも連絡が取れたので、警察にも届け出ました。でもなかなかちゃんと動いてもらえなくて……。みんなで、警察が動かないなら探偵事務所みたいなところに行ってお願いしてこようって話になったんです」
「なるほど、それで探偵みたいなことをしているらしい私たちのところに来たと。要は人を探してほしいってことだよね?」
オーナーのまとめに、彼女は頷く。
「もうここに来るまでにみんなで何件も探偵事務所を訊ねましたが、どこもとりあってくれませんでした。もうここしかないのです。どうか、お力を貸してください!」
「お話はわかりました。一度考えさせてもらってもいいですか。回答は明日までにはしますので」
会長の対応に、その女性は目を潤ませながら何度も礼を言った。受けるとまではいかずとも、門前払いされなかったのは初めてなのだそうだ。
*
女性――彼女が書いていった連絡先のメモによると「綾辻ユキ」というのが彼女の名前らしい――が帰った後、一同はテーブルを囲んで座った。我はミカンに拘束されている。首のあたりをわしゃわしゃされて不愉快ではあるが、存外悪くない。今度はユメにねだってみるとするか。ミカンは我をわしゃわしゃしながらも、深刻そうな顔をしていた。
「人がいなくなったなんて。かわいそうだし、手伝いたいけど、私たちには難しいんじゃないかな。あ、オーナー、私キューバリブレ飲みたい。ボクくんなんか飲む?」
「僕はウーロン茶で」
「え! ボクくん、大学生とは言ってたけどまさか未成年?」
「はい。今年、というか来年の一月に成人式です。まぁ大学の友達には未成年なのに飲んでる奴はいるんですが、僕はどうもそういう気になれなくて。『お酒は二〇歳になってから』ってやつですかね、へへ」
「オーナー、悪いけど私はビールで。にしても、こういっちゃなんだが、面白いじゃないか。私は彼女に手を貸してやりたいねえ。ほら、最近読んだ本にも、そういうのあったよ。少女が山に行ったら帰れなくなって、それが実は親が捨てたんだとか、得体のしれない怪物の仕業だったとかっていう……」
マスターが話を元に戻した。と言っても、すぐに話が逸れているではないか。人が一人失踪したというのに、小説なんぞに例えおって。こやつ、謎めいたものが好きすぎやしないか。どこか楽しそうではないか。
「それ『ぼぎわんが、来る』ですか? 僕は映画しか観てないですが、たしかそんな設定でしたよ。映画では、結局『ぼぎわん』が何なのか全く分かりませんでしたけどね。小松奈菜がかわいかったです」
「そうか、それだそれ。映画は観てないが、そうか、小松奈菜がかわいかったのか。ボクくんはそういう女性が好みかな? 私は松たか子の方が好きだなあ」
マスターとボクがわちゃわちゃと話している間も、我はミカンにわしゃわしゃされている。ユメがいい。ユメにやってもらえないものだろうか。しかし、我が動こうとするとミカンはすかさずわしゃわしゃモーターを「強」に変えて離そうとしない。これ。これはこれで気持ち良いではないか。動けぬ。
「よしよし、良い子良い子。わしゃわしゃしてあげると途端に動かなくなるねえ、おまえ」
「にゃあ(う、うるさいぞミカンめ。我は別にそのわしゃわしゃが好きなわけではない。ボクに撫でられるよりは幾分かましだというに過ぎない。そのこと、しかと弁えよ。……と人間の言葉で話せたらどんなに良いか。憑依する体を間違えたわ)」
「気持ちよさそうに鳴くねえ」
「にゃあ(違うわい! この勘違い娘め)」
我が人間とのコミュニケーションに苦慮して「にゃあ、にゃあ」と悲鳴をあげていると、教授がおもむろに口を開いた。
「たしかに、私たちはただの文学サロンの人間だ。ゆえに、彼女の願いに簡単に応じてしまうのは無責任というものだろう。しかしだね、彼女らもかなり手詰まりと見えたし、私たちも気持ちの上では彼女らを手伝いたい。結果責任までは負えないが、一緒に行動すれば、何らかの貢献はできるかもしれない。ここは、そういうことで条件付きの受諾というのはどうだろうか」
「教授、お化け怖いのに大丈夫なの?」
ミカンのツッコミに教授は顔を赤くする。
「こ、怖くなどないっ。そういうミカンさんこそ、先日の幽霊騒ぎの時、私並みかそれ以上に怖がっていたではないかっ」
「う、うるさいわね、そんなことないわよっ」
「そうですね、僕もやってみたいです。何ができるかはわからないけど、少しでも手伝いができるなら、それに越したことはないと思います」
教授とミカンが少し熱くなってきたところで、オーナーがお盆にドリンクを乗せて戻ってきた。素晴らしいタイミングで話を戻したな、お主。オーナーの一言で、ずっと話を聞いていた会長も頷き、当初消極的な発言をしたミカンもやれやれと言った表情で我をわしゃわしゃしている。
「あ、そうだ。じゃあマツリカちゃん呼んで来ませんか? 来てくれるかわからないけど」
全体の空気感を読み取ったユメが続けた。この人はふんわり天然を装っているようで、状況がよく読めている。ユメの提案に皆なるほど、いいねなどと相槌を打った。
「あの、すみません、僕は存じ上げない方みたいですけど、どなたです? マツリカさんって」
「ああ、ボクくんは知らないんだっけ。最近はあんまり来てないけど、このサロンの常連さんだよ。『図書館の魔女』って作品知ってる? 高田大介って人の。それに出てくるマツリカちゃんっていう女の子になんとなく似てるから、そう呼んでるの。すっごく頭が良いんだよ」
「それなら一巻だけ読みました。てことは、喋れないんですか?」
ボクよ、確認するところはそこなのか。失礼極まりない奴め。
「ううん、喋れるから安心して」
*
「いやあ、夏の夜といえば怪談だよなあ。民江、なんかいい話ないか?」
「ないわよそんなの。憲太こそないの?」
「残念ながらおれもないなあ。誰か持ってない?そういう話」
「じゃあ私が」
「お、刑子。じゃあ頼むわ」
「うちの大学、実は講堂が二つあるの知ってる? 普段私たちが使っているのは大講堂。そこから五分くらい歩いたところに古い講堂があるの。木が生い茂ってるから、近づかないと気づかないかも。もともとはそこで入学式とかやってたらしいんだけど、急に新しい講堂を作ることになって、それ以来ぱったり使われなくなったの。昔、文化祭の企画で講堂の人気がありすぎて、仕方なく旧講堂も開放することになったらしいんだけど、その時に不思議なことが起きたらしいの。旧講堂を使うことになった演劇部が、下見のためにそこを訪れたときなんだけどね、旧講堂に入ったすぐあと、部員の一人がいなくなっちゃったんだって。」
「なんでいなくなったの?」
「わかんない。いなくなった人が見つかったのかどうかもわかんないんだけど、それ以来、旧講堂はやっぱり使用禁止ってことになったんだって」
「ただの噂だろ?」
「実話だよ」
「え?」
「昔って言っても、これは去年の話らしいの。私たちと同じ法学部で、演劇部だった永井って人、覚えてない? 彼がその時にいなくなっちゃった人らしいの。なんでも、本当は見つかったんだけど、それがバラバラ死体だったとかで、さすがに公表できませんみたいになったとか」
「あ、商子も似たような話聞いたことあるよ。でもその時聞いたのは、旧講堂で演劇部員が誘拐されて、まだ見つかってないとか」
「まじかよ。永井ってあの永井? おれ、語学一緒だったから知ってるけど、でも二人の話全然違うじゃん。やっぱり噂だってそんなの」
「留学とか休学とか退学とか、いろんな噂があるからわかんないけど、共通しているのは、去年の六月からぱったり大学に来なくなっちゃったってこと。それだけは本当みたいなの」
*
「米国はソ連との軍拡競争の際、『コスト強要戦略』というのを実行したんだ。こっちが新たに核兵器やミサイルを造ったら、相手も同様に造ってくる。この鼬ごっこを逆手にとって、相手の財布が空になるまで軍拡を続けてやろうって考えたわけだ。ひどいパワープレイだよねえ。キャプテン翼で言ったら日向小次郎みたいなかんじだよ。日向は競り合いになって足と足がぶつかり合っても、相手の足を吹き飛ばしてでも直線的に突破を図るんだ。ちょっと似ていると思うね。ともあれ、米国はそれが奏功してソ連は崩壊、米国に並び立つ超大国はいなくなったんだ。この時、フランシス・フクヤマという学者は『歴史の終わり』という書物の中で、『民主主義が共産主義に勝利した。これからは民主主義が世界中に拡散し、イデオロギーの対立は終焉する』と説いた。まぁ、そんな単純には進まなかったことは普段のニュースを観ていればわかることだよね。民主主義は世界的に浸透したわけではない。サウジアラビアのように、米国と仲良くしている国でも、イスラーム法に則った王制を維持している国もある」
女性―えっと、ユキさん?―の話を聞いたメンバーは全員、定時上がりができるホワイトな職場に就いていたので、翌日さっそく演劇部員とマツリカちゃんを呼んで、事情を聞くことになっていた。まだ部員もマツリカちゃんも来ていない。みんなを待っている間、いつも通りの読書会が始まっていた。教授の話はいつも小難しくて、私にはよくわからないな。
「まぁ考えてみれば、そもそもソ連の崩壊の原因が軍拡競争のし過ぎによる財政破綻にあると考えるなら、民主主義とか共産主義とか、そういうイデオロギーは関係ないことになるよな。当時の学者界隈は随分と楽観的な見通しを出したもんだよなあ」
みんなわかってて聞いてるのかな。正直、アメリカをわざわざ「米国」って表現しなくても良いと思うし、そもそもアメリカを日向なんとかに例えられても、その日向なんとかがわかんないよ。
「だけど、それは共産主義に基づく管理経済体制が限界を迎えたと捉えるなら、この軍拡競争のエスカレーションが共産主義の管理能力を凌駕したと捉えられるじゃないか。その意味では、民主主義というより資本主義が、共産主義を打倒したと考えても良いのではないか?」
マスターが話に入っていく。そっか、この人はこういう話も好きだよね。そんなことを想いながら紅茶を飲んでいると、“我が輩”がすり寄ってきた。
「にゃあ」
「どうしたの? ああ、わしゃわしゃしてほしいんだねえ。おいで~」
“我が輩”は少し驚いたような顔をしながら寄ってきた。“我が輩”は気づいていないようだけど、私の霊感は並大抵のものじゃない。この子猫ちゃんが何を言いたいのか、セリフが見えてくるかのようだ。“我が輩”はボクくんのことが気に入らないみたい。ミカンさんは嫌いではない、というくらい。そして、私のことが好きだ。この前、ボクくんに撫でられながら「にゃあ、にゃあ」と悪態をついていた時は驚いたなあ。でも、たまにいなくなるのはどうしてだろう。その、“我が輩”はここにいるんだけど、心ここにあらずというか、ただの猫に戻っているというか。今日はちゃんと心がここにあるみたい。というか、いつも窓際で西日を名残惜しそうに浴びに行っているのに、私から離れようとしない。わしゃわしゃ以外にも何か目的があるかのような……。
「にゃあ」
え? 今、なんて?
つづく
書きたいことを書いてたらこんなことになってしまいました。
わかりにくいところや整合性の取れてないところもあるかもしれないので、気になったことがあったらなんでも聞いてください。
次担当の紫伊さん頑張ってくれ。
お題は、
◆◇◆◇◆◇
SEND
+MORE
―――
MONEY
◆◇◆◇◆◇
です。
私自身、こんなお題で何を書けばいいのかよくわかりませんが、紫伊さんなら大丈夫でしょう。
ありったけの無茶ぶりをあなたに。
では!
yo