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<8.潜入>

$1


 老婆と出会って半日が過ぎた。

 既に太陽は大きく欠け、辺りは暗い。太陽は相変わらず天頂に止まっているが、すでにこの場所はまぎれもなく『夜』だった。


「さて……」


 その中で、森と呼ぶには少し樹の疎らな道を、コウタは歩いている。

 その手に持っているのは、鏡。

 コウタは、右手の鏡と地面を頻繁に見比べ、見えない足跡を辿るように慎重に歩を進めている。

 また時折、何もない場所で突然立ち止まり、方向を変えて歩きだす。


「こっちか……」


 実際、コウタのしていることは足跡を辿っているに等しい。

 コウタが手に持っているのは、ザフラに貸し与えられた『記憶の鏡』という魔道具だった。

 鏡といっても、そこに映っているのは、鏡の向こう側の景色(・・・・・・・)だ。使う側からすれば、鏡というより『窓』に近い。


 鏡の中の景色には時折、コウタの見知った男たちの影がよぎる。マクドネス、グスクル――ミユキを攫った連中だ。

 もちろん、今ここに彼らはいない。

 この『記憶の鏡』は、鏡を向けている風景の『記憶』――すなわち、過去の風景を映し出すのである。

 つまり、彼らが映ったということは――彼らがその場所を通ったということに他ならない。


 ザフラの言う『手立て』の一つが、この『記憶の鏡』による追跡だった。

 この不可思議な魔道具の使用法についてコウタは曖昧な説明しか受けなかったが、『記憶の鏡』はしっかりとコウタの見たいものを見せてくれる。

 少なくとも、最初の段階では上手くいっている。


 しばらく歩くと、川に突き当たった。

 川幅はそこそこ広いようで、小さな渡し船らしきものが手前の岸にある。

 そして、その川沿いに立っているのは、小さな水車小屋。


「……ここか」


 鏡を確認するまでもなく、ここにミユキがいる、という確信があった。

 念のために小屋の入り口を鏡で覗き込み、ミユキを抱えたマクドネスたちが入る瞬間を確認する。


(――間違いない。ミユキはここにいる)


 予感、あるいは直感だろうか。

 いずれにせよ、次にやるべきことは決まっている。

 コウタは、周囲に人の気配がないことを確認して、こっそりと小屋の近くに忍び寄った。


 小屋の壁に背中をぴったりとくっつけ、一つきりの小さな窓から中を覗く。

 中には二人の人間がいた。照明が蝋燭一本しかなく、暗くて誰だかよくわからないがおそらくは男だ。


(見つかったら、終わりだ。慎重に……)


 コウタは、無意識に腰に手をやり、そこにあるモノを確かめる。

 それは、鞘に収まった剣だった。

 剣道もフェンシングも、それどころか何の武道も経験のないコウタだったが、それでも「持っていろ」とザフラに押し付けられたものである。

 いざという時役に立つ……かどうかは定かではないが、隠密行動に置いてはむしろ邪魔だ。


(音を立てたり、ぶつけたりしないように注意しいとな……)


 小屋の中の二人は、動く気配がない。

 ただ、時おり聞き覚えのある声が聞こえてくる。声からして、おそらくグスクルとフーザか。どうやら二人で何か話しているようだ。


(どうする、入るか……?)


 コウタの身体には、ザフラによって『姿隠し』の魔術がかけられている

 この魔術は、コウタの姿を外側から見えなくするものだ。今のコウタは、魔術によって背後の景色と同化している。

 ただし、それは姿だけ(・・)。音や匂い、体温などは誤魔化せない。

 ――ゆえに、己の気配には充分注意せよ、とザフラから釘を刺されている。


 幸いというべきか、小屋の扉は半開きとなっている。

 これなら扉を動かさず、中の連中に気付かれずに忍び込めるかもしれない。

 だが……


(本当に……今入って大丈夫か?)


 むしろ、今まで順調に進んだからこそ、不安がコウタを襲う。

 本当に、今入って見つからないか? 実は見落としてる重大な事実はないか? これまでの行動でミスを犯していないか?

 そうした、とめどない不安がコウタを襲うが、


(……いや、こうして立ち止まるだけでも危険だ。――やるしかない)


 コウタは、腹を括る。時間は、悠長に決断を待ってくれたりしない。

 コウタは、用心深く腰の剣を両手で抑え込むと、静かに扉の隙間へと身を滑り込ませた。


「――」


 息の詰まるような、瞬間。

 ゆっくりと横向きに身体を滑り込ませ、狭い隙間を通過する。

 身体が隙間を完全に通過し、姿勢を整えてからようやく、コウタは自分に呼吸を再開することを許した。


 小屋の中は、思ったよりずっと狭い空間だった。

 手前側には予想通りグスクルとフーザが居る。

 二人は簡素な椅子に座り、ぼそぼそと何かを話しているようだった。


 奥には、木製の歯車が複雑に組み合わさった機械装置のようなものがあった。おそらくは外の水車と繋がっているのだろう。

 歯車はゆっくりと動いているが、何を、何のために動かしているのかはわからない。


 二人は、幸いにもこちらには気付いていないようだった。

 コウタは足音を立てないように細心の注意を払い、ミユキの姿を探すが、どこにもいない。


(おかしい……。ここに奴らがいるってことは場所に間違いはないはずなのに……それとも、すでに別の場所に運ばれた?)


 一度外に出て、小屋の周囲をもう一度『記憶の鏡』で調べるべきか、などと考えていたコウタだったが、ふとした拍子に『それ』を見つけた。


(……ん?)


 小屋の小屋の半分を占める、歯車の集まりである機械装置。

 よく見ると、その脇に――狭い下り階段がある。


(――地下か!)


 危うく声を出しそうになるのを堪え、コウタは慎重に下へ降りる。

 階段は狭く急勾配で、万一足を滑らせたり剣の鞘をぶつけたりしたら全てがご破算だ。

 冷や汗をかきながらも、なんとか何事もなく降りる。


 地下は、狭い地上部分に反して広い空間だった。

 階段の先には人間二人が楽にすれ違える程度の幅をもった通路があり、その横には一面、牢獄のような部屋が幾つも並んでいる。

 牢獄と逆側の壁には、一定間隔で燭台が設置されており、陽の光の入らない地下を薄暗く照らしている。


(まさか……この中にミユキが?)


 おそるおそる、コウタは一番手前の牢獄を覗きこむ……が、誰もいない。

 拍子抜けしつつ、次の部屋を覗くと、


(――ッ!?)


 コウタの心臓が、大きく跳ね上がる。


 そこに倒れていたのは、裸の女だった。

 一瞬ミユキかとも思ったが……明らかに容姿が違う。女の背丈はコウタほどあり、白い裸体を覆い隠すように乱れて広がっている長い髪は、黒の中に若干の赤みを帯びている。


(まさか、死んで――)


 死んでは、いなかった。

 よく見ると、女の身体は僅かに上下している。

 死んだように倒れているが、呼吸をしているのだ。


 だが、女の様子は明らかにおかしい。

 女の顔は――その表情はこちらからは見えない。

 が、そもそも全裸でこんな粗末な石造りの床に、何も敷かずに横たわっているのだ。それも、ほとんど死んだように身動ぎせず。

 こんな様子だからだろうか、それともやるべきことが控えているからだろうか……女性の全裸だというのに、コウタは微塵も興奮を覚えない。


 その上、よく見ると、女の股の間からは、どろりと赤黒い――血が、垂れている。

 しかも、身体の所々にこびりついている、白いぬるぬるとした液体らしきものは――


「――っ……!」


 瞬間、コウタの脳内に電流が走る。


(まさか――あいつら……ッ!)


 目にしている光景の全てが繋がり、どうしようもなく醜悪な想像がコウタの脳裏をよぎる。

 人間として最悪で――しかし、生物としては最も原始的な欲望だ。


 『人攫い』だとわかった時点で、心のどこかでその可能性は考えていた。

 それでも、実物を目の当たりにしてしまった、その心の衝撃は果てしなく大きい。

 何より……


(ミユキが――)


 ザフラの話によれば、ミユキが攫われたのは『多様体(ポリモーフィック)』であることが原因であるはずだ。

 しかし、マクドネスたちは一切まともな倫理観(モラル)を持たない人攫いの集団なのだ。

 本来の用途(・・・・・)以外のことをしないとも限らない。


(ミユキが同じ目にあっていたら――!)


 それは最悪の想像だった。

 肯定したくない。そんなことあるはずがない。

 しかし、可能性は否定できないのだ。


(ミユキ――ッ!)


 焦燥に駆られつつ、コウタはさらに奥の部屋を覗く。誰もいない。さらに奥、その次――


「――ッ!」


 そして、薄暗い通路の一番突き当り。

 最も奥の部屋に――居た。


 ボロボロになった布一枚のほか、何も身に着けず、ほとんど裸に近い状態で床に倒れていたのは――幼い少女だった。


 歳は8歳くらいだろうか。

 華奢な手足にあどけない顔、ゆるく肩までかかる髪。

 横たわる少女は、眠るように目を閉じている。


 ミユキは、コウタと同い年だったはずだ。こんな風に幼くはない。

 少なくとも『こっち』に来る前の、最後に見た姿とは全然違う。


 だけど、間違いない。

 彼女はミユキだ。

 彼女の姿は――ずっと昔の記憶にある、初めて出会った頃の(・・・・・・・・・)ミユキの姿(・・・・・)そのままだった。


「――ミユキ!」


 コウタは、声量を押し殺した声で、牢獄の向こうに呼びかける。


「ん……」


 コウタの声が聞こえたのか、ミユキはゆるりと目を開ける。

 身体中から根こそぎ生気を奪われたような、脱力したその仕草にコウタは胸が締め付けられる。


「だ、れ……? どこ……?」


 ミユキの目は、焦点を定められずに、その視点がふらふらと揺れる。

 一瞬、視力を失っってしまったのか――と思ったコウタだったが、すぐに、自分にかけられた魔術を解除していないことに思い至った。


「――術式解除(ブレーク)


 次の瞬間、ミユキの、それまでぼんやりとした目が、大きく――大きく開かれた。


「……コウ、ちゃん?」


 昔のままの呼び名が、コウタの胸をきつく締め付ける。

 こんな時でも変わらずに呼んでくれる嬉しさと、それと同じくらいの罪悪感で。


「コウちゃん、どうして……?」

「助けにきたんだ」


 コウタがそう言った瞬間。

 ミユキの目から、つ――と涙が流れた。


「ごめんなさい……」


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