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<10.戦って、先へ>

$1


 ――空間が爆発した。

 そうとしか形容できない現象が起こった。

 光、熱、衝撃、そうしたものが瞬間的に、ミユキ自身から放たれたのだ。


「……んが!?」


 衝撃で吹き飛び、壁に叩きつけられるコウタ。その直後、

 ――ガランガラン! と大きな音を立てて。鉄格子が地面に倒れた。


「な――」


 唖然とするコウタは、壁に寄り掛かったまま鉄格子の外れた牢獄の中に目を向ける。

 舞い上がる粉塵が視界を塞ぎ、その向こうのミユキの姿を完全に覆い隠している。


(どうなったんだ……。成功したのか、召喚契約(コントラクト)は――)


$2


「召喚士が魔物や魔獣を召喚獣とするには召喚契約(コントラクト)が必要じゃ」


 ザフラは言った。


召喚契約コントラクト……?」

「簡単に言うと、召喚士(テイマー)召喚獣(サーヴァント)の間に魔術的な繋がりを作る術式じゃな。召喚士と召喚獣に魔術的な繋がりを結ぶことで、召喚獣は召喚士の制御を受けることができる。これによりお前は多様体たるミユキを制御し、その潜在能力を引き出すことが出来る……かもしれんというわけじゃ」

「かもしれん……?」


 ザフラの言葉遣いが、いちいちコウタの不安を煽る。


「そうじゃ。多様体(ポリモーフィック)たる、ミユキの力は通常の召還獣よりも遙かに大きな潜在能力を持っているはずじゃ。しかしそれを引き出せるかとうかは術者次第じゃからな」

「なるほど……」


 つまりはコウタ次第、だということだ。

 うまくやれるのか――そんな不安が脳裏を渦巻くが、しかしその考えは無意味だ。

 コウタにとっては何もかもが未知数なのだから。


「とにかく必要なんだな、その召喚契約が」

「うむ」

「でも、そんな魔術、俺に使えるのか?」

「むろん、召喚契約(コントラクト)のような複雑な大魔術を今のお前に短時間で習得させるなど不可能。が、そこは問題ない」


 ――『魔法円』を使う、とザフラは言った。


 通常、魔術というものは、魔術回路によって魔力の処理を行い発動する。ルーンの詠唱や魔術名の宣言は全て、その『処理』を行うためのものだ。

 ゆえに自力で(・・・)魔術を使えるものは「魔術回路」を持つ者に限られる。

 逆に魔術回路が「魔術師」たる証でもあるのだ。


 だが、もう一つ「魔法円」による発動方法がある。

 これは、石版や地面、紙などに刻まれた魔法円と呼ばれる図形に魔力を供給することで魔術を発動させるものだ。

 こちらは魔術の処理があらかじ『魔法円』という形で刻まれているため、魔術回路は必要とされない。

 ただ、魔法円に魔力を供給することさえできればいいという。


「それともう一つ、発動には条件がある」


 ――キスをしろ。


 そう言ったのだ。ザフラは。

 それが最も手っ取り早く確実だ、と。


 召喚契約の魔術は術者と召喚獣の魔力の繋がりを作るものだ、とザフラは言った。

 そのためには『魔力伝達効率の良い』身体の接触――つなわち粘膜同士の接触が必要である、とのことだった。

 その、もっともやりやすいのが、唇同士。


 だから、コウタはミユキの唇を奪い。そして術式を発動させた。

 ――多様体の潜在能力は高い。その力さえ引き出すことができれば多少は勝算ができるかもな。

 その言葉を信じて。


 だから契約だ。

 あのキスは――あらゆる意味での、契約。

 ミユキを守る。そして守るべきミユキを戦いの場に引きずり込む。

 そういう契約。


$3


(あのババアはいつも説明不足だ――)


 コウタは心の中で毒づく。

 聞いてない。魔術を発動すれば爆発するなんて。

 そして、舞い散る土埃のせいで成功か失敗かもわからない。


「ゲホッ……やった、のか――?」


 言ってから、この言葉はフラグだった、と気づく。

 しかし、手ごたえはあった。

 |口蓋に仕込まれた魔法円・・・・・・・・・・・に魔力を流しただけとはいえ、初めて使った魔術。それも大規模で高度なものだったが、コウタの頭の中に術式のイメージが完璧に構築され、それに応じて錬成された魔力が現象として転化した、その実感があった。


 ミユキは――


「なんでカピバラに戻ってるの――?!」


 ミユキの絶叫が、牢獄の中に響き渡った。


$4


「ねえ、なんでカピバラに戻ってるの?!」


 牢獄だった空間の中には、カピパラの姿に戻ったミユキがいた。


「しかもちょっと大きくなってる気がする!」


 ちょっとどころではない。

 最初に見たときはせいぜい膝下くらいまでの高さしかなかったミユキだが、今はなんと――自分の腰の高さほどもある大きさだ。

 地球上には存在しないサイズだ。


(ああ――そういうことかよ)


 コウタは妙に納得してしまった。

 潜在能力を引き出すって――そういうことなのか。


「私どうなって――」

「っ、落ち着けミユキ!」


 コウタは慌てて混乱するミユキを制する。

 というのも、聞こえたからだ。階段を駆け下りる、二人分の足音を。

 上に居た二人が気づいたのだろう。


「……やばい!」


 当然だ。

 契約魔法で大きな音を立て、その上ミユキも大声を上げた。

 気づかれないほうがおかしい。


(もうこっそり脱出って線はなくなった。なら――)


「ミユキ! ここから出るぞ!」

「え!? う、うん!」


 なら、強引に脱出するしかない、とコウタは腹を括る。

 戸惑いながらもうなずくミユキ。

 幸い、さっきの衝撃で牢獄の鉄格子は外れている。


「こっちだ!」


 ミユキを先導するように階段へ向かう。

 と、階段の上からグスクルとニーファが駆け下りてくるのが見えた。


(どうする――)


 隠れる場所がない以上、強引に突破するしかない――とはいうものの、どうするのか。

 あのパーティーの中では比較的体格の細い二人とはいえ、例えば不意打ちでタックルをかましたりなんかして――それが通用するのか。

 などと考えている暇のもない。


「てめえ――」


 こちらの姿に気づいたグスクルが前に出て杖の構えた。――その瞬間。


「コウタ――!」

「なん――ぐぁああッ!?」


 後ろから走ってきたミユキがタックルをぶちかます。

 巨大なカピバラとなったミユキは、その身体の大きさだけで大きな武器となる。

 圧倒的体重差によってグスクルは車に撥ねられたように吹っ飛ぶ。


「ひぅ――」


 突進してきたミユキに恐れをなしたのか、ニーファは怯えた表情で身体を縮こまらせる。

 その隙に、コウタとミユキは階段を駆け上がり、そのままの勢いで水車小屋の外へ飛び出した。


(どうする? どこへ向かう――?)


 コウタは周囲を見回す。

 そういえば、この近くの地理は全く知らない。

 というより、この世界に飛ばされてからそのようなことを考える暇すらなかった。


(どうする――)


 とにかく、立ち止まっているわけにはいかない。

 闇雲でもいい。とにかく川沿いにでも逃げて距離を取るのだ。

 そう考えて駆け出そうとした――その時。


「――逃がさねえよ」


 コウタの足下から、勢い良く炎が吹き上がる。


「なん――!?」


 炎の熱波に押されるように慌てて後ろに下がるコウタ。

 反射的に逃げ場を探し――それがどこにもないことに気付く。

 逃げ場を塞いでいるのは『壁』だった。

 小屋の周りをぐるりと囲むように、背丈よりも高い炎の壁が出現していた。


「くそ! なんだこれ!」


 強引に炎を通り抜けようにも、激しい熱波によって足がすくむ。

 それに――動物としての本能が強まったせいか――ミユキが炎に怯えている。

 これではとても、通り抜けることは不可能だ。


「やれやれ、そう簡単に逃がすかよ」

「……っ」


 水車小屋の脇から、マクドネスが出てくる。さらにその後ろには、シラクス、フーザまでもがいる。

 それも全員、まるで魔物(モンスター)を相手にするような完全武装だ。マクドネスは軽装鎧に篭手、シラクスは剣を下げ、フーザは盾と剣を持っている。

 しかも、それで終わりではない。


「おいおい、俺の魔法だぜ? 自分の手柄みたいに言うんじゃねえよ」

「おっとそれは失礼」


 さらに、水車小屋からグスクルとニーファが出てくる。

 グスクルはミユキに吹き飛ばされたはずだが、特にダメージがあるようには見えなかった。


(あの突進で無傷……? いや、そういうことか……)


 おそらく、治癒術で治したのだ。グスクルの隣にいる少女――ニーファが。確か、治癒術師だとか言っていた。


 とにかく、この状況ではっきりしていることは一つ。

 ――コウタたちは逃げ場を失ったのだ。


「お前ら……ミユキをどうするつもりだったんだ」

「決まってるだろ、売り飛ばすんだよ」


 打開策を考える時間を稼ぐため、コウタは会話を試みる。

 それに答えたのはグスクルだった。

 あからさまな時間稼ぎに乗ってくる……つまり、それだけ余裕があると考えているのだろう。

 実際、コウタたちは袋の鼠といってもいい。


「売られたらミユキはどうなるんだ。まさかお前みたいな下衆の相手を――」

「ククク……やっぱ何も知らねえクソガキか」

「――多様体(ポリモーフィック)か?」

「……、おっと、知ってたか」


 コウタの言葉に、グスクルは微かに驚いたような気配を見せた。

 当たりだ。コウタは少しだけホッとするのを感じた。

 少なくとも、ミユキが『そういう行為』の対象になる確率は少しばかり低くなった。

 もっともこの安堵は、完全にコウタのエゴだったが。


「じゃあわかるんじゃねえか? その希少価値がよ。国も貴族も、みんな喉から手が出るほど欲しいんだぜ。それを持ってるだけで、クク……どれだけの金を、力を手にできると思う?」

「クソ野郎が……」

「ずっと警戒していたんだがなあ? どんな奴らが背後(バック)についてるかって。でも結局はお前だけか。正真正銘の根無し草なわけだ。さすがに拍子抜けしたが、マジでツイてるぜ……」


 すると、それまで黙っていたシラクスが口を挟んだ。


「だが一つ、誤算があったようだ」

「ああ、てめえのようなクソガキが召喚士(テイマー)とはなあ。召喚契約ってのはちと厄介だ。だがな」


 グスクルは、杖を構える。その先端は、まっすぐコウタの方に向いている。


「――召喚士を殺せば無効化出来る。せっかく命だけは見逃してやったが、残念だったな。もう終わりだ」

「……!」


 グスクルの声を合図にしたかのように、五人が戦闘態勢に移行する。

 マクドネス、シラクスが前に、グスクルとニーファが後ろに下がる。

 コウタたちもその目で見た、魔物にすら圧勝する完璧なフォーメーション。


「そんなことさせない!」


 相手の動きに呼応するように、ミユキもまたコウタを庇うように前に出る。


「今度は私が、コウタを守る!」

「……いいや、二人で戦うんだ」


 ミユキの言葉をコウタが訂正する。

 そんな二人を見て、マクドネスは鼻で笑った。


「笑わせるなよ。その召喚術だって付け焼き刃だろ? いくら多様体と契約したところで、お前のようなクソガキがその力を引き出せるかよ」

「なら……やってみるさ」


 半ば強がり、半ばヤケクソのままコウタは腹を括り、ミユキに掌を向ける。

 召還士と召還獣は魔力的に繋がっている。その繋がりに意識を集中させる。


再召喚リ・サモン――戦闘態バトルフォース!」


 コウタの指先から魔力が流れ出て、ミユキに流れ込む。それに応じてミユキの身体が光を発し――大幅に巨大化する。

 ミユキの姿は、コウタの背丈に迫るかというほどの高さを持つ巨大カピバラへと変化していた。

 もっとも、魔物の跋扈するこの世界では、そう珍しくもない大きさかもしれない。


「グスクル!」

「はいよ。ケイナズ・ウルズ――炎弾(ファイアボール)


 マクドネスの呼びかけに応じ、グスクルは炎弾を放つ。


「――っ」


 コウタは意思と共にミユキに魔力を送り、ミユキはそれに応じてコウタの前に立ち塞がる。


前歯フロントゲートリフレクト!」


 コウタの声とともに、ミユキの前歯が光る。

 次の瞬間、グスクルの炎弾は不可視の壁に反射され、グスクル目掛けて跳ね返った。


「何――ッ!?」


 コウタもザフラから聞いて初めて知ったことだが――召還獣の魔法に詠唱は必要ないのだ。

 どうやらグスクルもそれを知らなかったらしく――そのことが反応を遅らせたようだ。

 だが――驚愕するグスクルを庇うように、ニーファが前へ出た。


「ラグズ・ウルズ――水弾(ウォーターボール)


 彼女は素早く杖を構えると同時に詠唱し、跳ね返された炎弾に対して同規模の水弾を放つ。

 二つの魔術は吹い寄せられるように空中でぶつかり、相殺された。


「お前……」


 グスクルは驚いた表情でニーファを見る。


「すみません、黙ってて」

「いや……まあいい」


(あの女の子……治癒術師だなんて言ってたが、魔術も使えるのか)


 しかも、グスクルたち他のメンバーすらそのことを知らなかったらしい。


「ともあれ、あれは厄介だな。魔術を跳ね返すか……ならば」


 マクドネスとシラクスが視線を交わす。

 今度は前衛二人――どんな攻撃をしかけてくるか、とコウタは警戒する。


(……っ)


 正直、ぶっつけ本番の戦闘――紛れもない命のやりとりで、コウタの心臓はバクバク言っている。

 それでも臆しもせず動けるのは、ひとえにミユキの力――戦力的にも精神的にも――と、ある種の開き直り――追い詰められるところまで追い詰めらたことによる「やるしかない」という心境――いわゆる「ヤケクソ」によるものだった。


(……次はどんな手を使ってくる?)


 正直予想がつかない。

 経験も知識もないコウタは、ただ敵に集中し、素早く対応できるように心がける――それくらいのことしかできない。


「――鋏だ」


 マクドネスが言った、その瞬間――マクドネスとシラクスがそれぞれ左右に散り、迂回するようにコウタへ向けて駆け出す。


「な――!?」


 しかも、それで終わらない。


「ケイナズ・ケイナズ――」


 同時にグスクルが詠唱を開始。フーザはグスクルの前で盾を構え、ニーファはグスクルの斜め後ろに控えて杖を構えている。

 正面から来るであろう魔術、さらに側面からの、マクドネスとグスクルの挟み撃ち。


(どれから――どう対応したらいい!?)


 全く容赦のない多重攻撃に、コウタは混乱する。

 咄嗟の判断が下せない。まずどの攻撃に対して――どう対応すればいいのかわからない。


「――炎獄(フレイムジェイル)


 戸惑い、躊躇している間に、グスクルの杖から炎が延びる。

 ミユキの悲鳴。足下から吹き出た炎がミユキを囲い、その場から動けなくする。


「ミユキっ! っ――!」


 皮膚を焼くような熱波に押され、コウタは数歩後退せざるを得ない。

 だが、コウタがそれ以上ミユキに気を取られていることは許されない。

 左から回り込んできたシラクスの剣がコウタを襲う。


(グスクルの攻撃は俺とミユキを引き離すための――!?)


 気付いた時にはもう遅い。

 迫る死の白刃を前にして、コウタの身体が生存本能に蹴り飛ばされるように勝手に動く。

 腰に下げた鞘から老婆から貰った剣を闇雲に抜き放ち、辛うじて防御の態勢を取る。


「が――ッ!?」


 次の瞬間――シラクスの剣がコウタのそれに叩きつけられた刹那――重さの乗った一撃はコウタを剣ごと吹き飛ばす。

 攻撃を受け止める――などといったことはできなかった。技量も身体能力も違いすぎるのだ。


「く――っ」


 尻餅をつくコウタへ目掛け、シラクスは容赦なく踏み込んでくる。

 その剣先は、確実にコウタの心臓を狙っている。


(あの一突きで終わりだ――)


 コウタは辛うじて剣を手放さずみいたが、その剣先はあらぬ方向を向いており、足も地面から離れている。

 防御も回避もできない無防備な態勢。

 今度こそ――殺される。


「――死ね」


 迫る剣尖、迫る死。


(――くそおおお!)


 コウタは無我夢中で、ミユキへ魔力を送る。


「――前歯フロントブレード斬撃スラッシュ!」


 シラクスが突こうとした剣を引き、咄嗟にミユキの方を振り向いたのは非常に良い反応をしているとしか言いようがない。

 しかし、その直後にシラクスを襲ったのは、剣では防御不可能な不可視の攻撃だった。

 シラクスは巨大な鉄槌に叩かれたように地面にくず折れ、気を失う。


「ち……そんな力があったとは」


 マクドネスは警戒するように距離を取り、ミユキを振り返る。

 ミユキは炎の中で、こちら側に顔を向けて立っていた。

 炎のせいでその場から動けないが、向きを変えることはできる。そして、前歯フロントブレード斬撃スラッシュ魔力による斬撃を飛ばす。そのため、向きさえ合わせれば多少の距離が離れていても相手に攻撃を当てることができるのだ。


「ニーファ、水弾を打て!」


 マクドネスの言葉に、ニーファは首を振った。


「無理です。グスクルさんの魔術と干渉します」

「チッ」


 コウタはグスクルやニーファとミユキを挟む位置に立っている。

 魔術を飛ばそうにも射線上のミユキが邪魔になる、そういう位置取りだ。


「しゃあねえな、自分で――やるか!」


 言葉と同時、マクドネスの拳が飛んでくる。コウタはそれを斜め後ろに下がるようにして避ける。

 さらに一発、もう一発。


 剣と拳、リーチ差があるにもかかわらず、攻撃の隙をついて反撃を――なんてできない。

 避けるのが精一杯だ。

 リーチ差よりも大きい、二人の技量の差による結果だった。


「……これでさっきの攻撃は放てねえな」


 マクドネスの言葉で、コウタは気付く。

 数回の攻防で、コウタはマクドネスとミユキに挟まれる形になっていたのだ。


「そっちも援護を受けられないぞ」

「必要ねえな、お前程度には」


 マクドネス、再び殴りかかる。

 だが、油断しているからか、それまでの攻撃に比べ、拳の速度が若干遅く、動きも直線的だ。


(――いけるか!?)


 コウタは一か八か、反撃に出た。

 拳に対して身体を斜めにしてかわしつつ、その勢いで相手の肩口に剣を振り下ろす。

 が、


「――かかったな」


 ――ガキン! と鈍い金属音。

 振り下ろした剣が横合いからの衝撃で逸れ、空を切る。


(しまっ――)


 たたらを踏むコウタ。


 敵に、乗せれたのだ。

 わざと隙のある攻撃で反撃を誘い、そしてコウタの素人剣法による攻撃はあっさりと引き戻したマクドネスの拳で弾かれた。


 半秒にもみたない間だが――致命的な隙。

 コウタが己の失策を悟った時には、マクドネスはさらに踏み込み、


「ふ――ッ!」


 手刀が振り下ろされる。狙いはコウタの――手首。

 鋭い痛みが走ったと思った次の瞬間、気付けば剣を取り落としていた。


「男なら正々堂々拳で戦おうぜ? なあ」


 嘲るようにマクドネスは言う。


 もうコウタは丸腰だ。

 頼みにしていたリーチ差はなく、ミユキの援護も受けられない。

 そして、逃げようにも炎に囲まれたコウタに逃げ場はなく、そもそもミユキを置いて逃げるなどできるはずもない。


(……いや、どうせここで戦うしかないんだ)

(逃げてはいけない。拳から目を逸らすな。勝つための方法を考えろ――)


 コウタは自分に言い聞かせるが、それが強がりであるという自覚もあった。

 実力差は今、身を以て思い知ったばかりだ。

 それを、例え小細工の一つや二つ思いついたとして――ひっくり返すことができるのか――?


(コウタ!)


 コウタの頭の中に、ミユキの声が響いたのはその時だった。

 そうだった、とコウタは思い出す。

 ミユキは――召還獣は、召還士と意志疎通ができるのだ。声を出さずに。

 通常の召還獣――文字通りの獣ならともかく、ミユキなら言葉のやりとりができる。


(コウタ、提案があるの)

(うん、今ならいけると思う。きっと、私たちが勝つために必要なこと――)


「よく頑張ったが、そろそろ決めさせてもらうぜ」


 だが、状況は、例え追いつめられた人間に対しても待ちはしない。

「せっかくだから見ておくがいいさ。――ウルズ・ハガラズ――」


(魔術!?)


 そう思ったのは、マクドネスの拳に魔力が集中するのを感じたからだ。

 だが、違う。

 誰に教わったわけでもないが、感覚で分かる。あれは、いわるゆ魔術――魔力を攻撃魔術に転化し、外部に飛ばす技と異なる。


(なんだあれは……!?)


「くくく……これはな、『爆裂拳』ってやつだ。本来は魔物相手に使う必殺技のようなものだが、特別に見せてやるよ」


 直感敵に悟る。あれに対して、防御は不可能、回避も――たぶん不可能。


「ここで――死ね!」


(――逃げるな)


 いつかは戦わなければならない。コウタはずっと心の中でそう思っていた。

 きっと今が――その時だ。


(――逃げるな! ここだ、ここが勝負なんだ!)


 反射的に竦みそうになる身体を、後ろに逃げようとする心を意志の力で抑え込む。

 回避も防御も無視し、ただ無我夢中で――拳を突き出す。

 マクドネスの拳を追って、コウタの拳が空を走る。

 まるで鏡写しのように。二人の拳は吸い込まれるように空中で激突せんとし、


「――形態還元(リブート)!」


 コウタが叫んだ、その瞬間――コウタの持つ最後の魔術(・・・・・)が発動する。

 ミユキから弾ける、膨大な魔力。それが召喚士たるコウタへと一気に逆流。

 荒れ狂い、自分の身体さえ食い破らんとするその魔力を必死に制御し――己の拳へ。


「な――!?」


 マクドネスが目を見開く。だが、もう遅い。

 拳と拳。魔力と魔力。二つのそれが止める間もなく激突し、


 ――爆発。


「……ふぅ」


 そして、後に残ったのは、拳を振りぬいた姿のコウタだけ。


 一瞬の出来事だった。

 コウタの拳を起点として爆発的に膨れ上がった魔力は、マクドネスの攻撃を魔力ごと押しつぶし、さらに衝撃波となってマクドネス自身をも吹き飛ばした。

 そして、マクドネスは地面に叩きつけられた状態のまま、気を失っている。


 ただの衝撃で、この鍛えられた男がそう簡単に気を失うとも思えない。

 おそらく直接叩きつけた膨大な魔力が、何らかの作用を及ぼしたのだろう。


(あとは――)


「おおっと、そこまでだ」


 グスクルの嘲るような声。

 そして、ミユキの――悲鳴。


「ミユキっ!」

「チェックメイトだ。お前らはもう無力なクソガキどもだからな。同じ手品は二度と使えねえ、違うか?」

「コウタ……! 熱い……熱いよっ……!」


 ミユキは炎の中に囚われたミユキは――人間の姿に戻っていた。

 無力な、少女の姿に。

 そうだ。今のミユキはもう、召喚獣ではないのだ。


 あのとき――マクドネス――と拳を交えた時、コウタはミユキの身体を無理やり元の姿に戻した。

 その時、ミユキは召喚獣として溜めこんでいた膨大な魔力をコウタへと逆流させ――その魔力を利用して、マクドネスに勝つことができたのである。


 だが、その代償として、ミユキは人間の姿に戻り「戦う力」を失ってしまった。

 ただの少女には、魔術の炎の輻射熱にすら、耐えられない。

 今すぐにでもミユキにかけ寄ろうと考えたが、あの炎は生身で突破できないと知っている。

 コウタもまた、無力な人間に過ぎないのだから。


(だったら――)


「ハッタリだ。お前らはミユキが欲しいんだろう? おいそれと傷つけることはできないはずだ!」


 切れる手札(カード)は、どうしようもないほどに限られている。

 だから、すぐにでもミユキを助けたい気持ちをこらえ、コウタは強気に言う。

 だが……


「火傷くらいニーファがなんとかするさ。ようは生きてりゃいいんだよ」


 グスクルは嘲るように言う。

 その隣で、無言で帽子を深くかぶり直すニーファ。


(こいつら……こいつら……ッ!!)


 コウタは怒りのあまり歯ぎしりし、拳を握りしめるが、かといってミユキを助ける術はない。

 どちらにせよ相手に交渉は通じないのだ。


(だったらどうすればいいんだよ、くそ……!)


 グスクルもマクドネスも、ミユキとの連携で何とか倒した。

 本来なら、それだけでも破格の成果なのだろう。


 だが、あと一歩。

 この一歩が届かなければ、何の意味もないというのに――


「ニーファ、あのガキを仕留めろ」


 グスクルの声に、ニーファはこくりと頷いた。

 グスクルの半歩前へ出て杖を構え――しかし何を思ったのか、杖を降ろす。


「おい、ニーファ?」

「やはり……確実な方法で仕留めます(・・・・・)

「ああ、任せるさ」


 ニーファは左手に持った杖をそのままに、懐から短剣を引き抜いた。

 そして、その短剣を逆手に構え、コウタの方へ歩きだす。奇妙なことに、その構えは杖以上に様になっている。


 コウタは――動けない。

 ミユキが人質同然の状態で盾に取られている限り、動くことはできない。


「ラグズ・ウルズ――水弾(ウォーターボール)


 詠唱と同時にニーファの杖から水と球体が弾丸のように飛び、コウタの足元で弾ける。

 その衝撃だけで、コウタは尻餅をついてしまう。


「ま、待て……待ってくれ!」


 コウタの言葉など聞こえていないかのように、一歩、また一歩とニーファは機械的に歩を進める。

 ただそれだけのことで――あっという間に間合いは詰まる。


「待っ――ぐはッ!」


 腹に衝撃。

 杖で殴られた――そう気づいた時にはもう、ニーファはコウタに馬乗りになって地面に抑え込み、その短剣を首筋に突き付けている。


(く、くそ――)


 力任せに振りほどこうとするが、相手が巧みに体重を移動させているせいか、せいぜい体を揺さぶるだけで終わってしまう。

 もがくコウタに応じるようにニーファの身体が揺れ――ずっと彼女の表情を隠していた鍔広の帽子が地面に落ち、その下で露になった綺麗な水色の髪が風に流れ――


 ――目が合った。


 今まさにコウタを殺そうとしているはずの彼女の目は、しかし驚くほど透き通っていた。

 少なくとも、コウタはそう感じた。

 湖のように深く、静かな青い目だった。


 もしかしたら、とコウタは思う。

 もしかしたら彼女も、大切な何かのために戦っているのかもしれない。

 そのためだけに、必死に、愚直に、敵に刃を向けているのかもしれない。


 だとしたら――勝ち目などない。

 そういう人間は、きっと強いのだ。


(もう、どうしようもないのか……?)


 その時、コウタの胸中に湧いて出てきたのは、恐怖ではなかった。

 ある種の諦観と、覚悟だった。

 だから、コウタは体の力を抜き、一切の抵抗を止めた。


「わかったよ……。俺のことは好きにしてくれ」


 コウタがその言葉を口にした瞬間、ニーファは僅かに目を見開いた。


「……コウタ! コウタ!」


 遠くでミユキが呼ぶ声が聞こえる。

 悲鳴のような、懇願のような。

 しかし、もう、どうしようもない。


「でもせめて……ミユキは……彼女だけは、助けてやってくれないか。どうか、決して不幸な結末にならないように」


 首に食い込んだ短剣が、ぴくりと震える。

 ニーファぼそりと、まるで独り言のように呟いた。


「どうして抵抗しないの?」

「抵抗すればミユキを燃やされるだろ?」

「……本気でそう思ってる?」


 コウタは力なくため息を吐いた。


「……わかってるよ。ミユキは例え焼かれても命までは取られないはずだ」

「だったら――」

「そうと分かっても、それが愚かだとわかっていても、俺には動けない。あいつがもう傷つくのは嫌だ。例え俺が死んでも、嫌なんだ……」


 ニーファは、コウタの言葉を聞いて、俯き、黙り込んだまま動かなくなった。

 あるいは、何かを考えているのかもしれない。

 馬乗りでナイフを突きつけた姿勢はそのままだが、少なくとも、すぐにコウタに止めを刺そうという素振りは見られない。


 やがて、ニーファは何かを決心したように俯いた顔を上げると、コウタの目をまっすぐに見て、言った。


「一つだけ、確かめさせてください」


 提案があります。

 さらに小さな声で、そう付け加える。


「私を――」


 ニーファの言葉に、コウタは驚愕の表情を浮かべたが、何も訊かずに頷いた。


「……だったら、覚悟を決めなきゃな、お互い」


 コウタは息を吸い込むと、隙をついて右足を振り上げ、突き上げた膝でニーファを背中から打ち据える。


「……っ!」


 バランスを崩すニーファ。

 衝撃のせいか、その手から短剣が滑り落ち、コウタの頬を掠めて地面に突き刺さる。

 元より体格ではコウタに分があるのだ。


「……っは!」


 力任せに――ではなく、反動をつけ――後ろに転がる勢いでニーファを弾き飛ばす。

 コウタ自身は回転受け身の要領で後ろに一回転してそのままの勢いで立ち上がり、ニーファに駆け寄る。

 そして、今まさに立ち上がろうとしていたニーファの首を背後から乱暴に拘束し、


「……グスクル!」


 見せつけるように、先ほど拾っておいた短剣を彼女の首筋に突き付ける。


「動けばこいつの命はないぞ!」


(……さあ、どう出る?)


 立場は逆転した。

 そう思いたいが、これが通じるかどうかはグスクル次第だ。


「あ……何がやりたい?」

「人質交換だ。ニーファを殺されたくなければ、武器を離してミユキを解放しろ」


 コウタにとって、これは賭けだった。

 交換に応じるならば、それでよし。もしそうでないなら……


「…………ちっ」


 グスクルは顔をしかめて舌打ちした。

 その表情は、困惑でも動揺でも、ましては恐怖でもなく……ただただ、不愉快そうな、面倒くさくて怠そうな、そういう類の表情だった。

 それだけで、コウタは結末を悟った。


「下手を打ったなニーファ、もうてめえは用済みだ。また新しく治癒術師を探さなきゃなんねえな」


 グスクルはあっさりと、何のためらいもなくそう言い、杖を構える。

 グスクルは気怠げに呪文を唱え、その先端に、炎が渦巻く。

 このまま攻撃する気だ――ニーファごと。


(ああ、そうかよ。そういうことかよ……)


 ニーファは人質になど、ならかった。

 彼らのとってはただの手駒というだけで……邪魔になれば捨てるのだ。


 もう彼らに、ニーファは必要ない。

 役に立たなければ、そこに居場所など――ない。


「そっか……私……」


 ニーファは俯いたまま、小さな声で呟いた。


「何、期待してたんだろうね……」


 瞬間、ニーファの足が地面を蹴りつける。

 いや、地面ではなく――そこに転がっていた、彼女の杖を。

 跳ね上がった己の杖を手にした彼女は。

 泣き出すような、あるいは笑い出すような、震え声で、


「ラグズ・ラグズ・ハガラズ・ラグズ――」

「お、おい……ニーファ?」


 グスクルの狼狽える声。

 ニーファはそんなに彼に構わず、ただ機械的に唱え。


「……塞げ」


 その瞬間、グスクルとフーザの足元から跳ね上がったのは水の塊だった。

 生き物のように動くそれらは蛇のように彼らの顔に絡みつき、鼻や口を塞ぐ。


 あっさりとくずおれる二人。

 コウタは驚いてニーファを振り返る。


「ばかだね、わたし……」


 ニーファは地面に倒れた二人を見下ろし、ぽつりと呟いた。


「誰かに必要とされたかっただけなのに……」


 乾いた声色のそれは、誰に向けた言葉だったのか。

 一体どんな事情があってニーファが彼らと行動を共にしていたのか、コウタは知らない。

 それよりも、今は……


「ミユキ!」


 ミユキを囲んでいた炎は勢いを無くし、溶けるように消えていく。

 それを確認する前にコウタは駆け寄り、ふらついて倒れそうになったミユキの身体を支える。


「――ミユキ!」


 一糸纏わぬ姿のミユキはコウタの腕の中で気を失っていた。

 驚くほど軽いミユキの身体に、上着をかけ、コウタはふとニーファの方を振り返る。


「いいなあ……うらやましいなあ……」


 何をするでもなく呟かれたその言葉は、コウタの耳の奥に残っていた。


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