泥んこアイロニー
次の日は朝から雨だった。しとしと降り続ける雨はグラウンドを泥にする。
放課後、帰ろうとした真琴は、下駄箱の前にいる夕貴に気がついた。
「稲瀬。何してるの?」
「あ、先輩」
夕貴は真琴の姿に気がつくと駆け寄ってくる。流れる生徒達のなか、彼女の目の前に立つと、夕貴は思いもよらぬことを言い出した。
「部活行きましょうよ」
「いや、だから私お休み……」
「さっき早川先輩に聞いたら、昨日から無断欠席になってるって」
「お、一昨日怪我したから皆分かってるって思って……」
目が泳ぐ真琴の手を、夕貴が握った。
「でも休みならお休みってちゃんと言わないとですよ。今週いっぱいで夏休みに入るんですから」
「いや、連絡網だってあるし……」
「無断欠席して後が辛くなるのは先輩ですよ」
夕貴の言葉に、真琴から表情が抜け落ちる。
「……いいよ。どちらにせよ引退するし、次の大会に出ても結果は見えてるから、出るだけ無駄だもん。受験もあるしね。ほら私、あんまり頭よくないから」
笑って見せれば、夕貴の真っ直ぐな目が真琴を見上げる。
「そんなこと言わないでください。頑張った努力は報われますよ」
能天気な夕貴の言葉に、カッとなる。
「報われないから言ってるのよ!」
悲鳴にも近い真琴の叫びは、真琴自身でも驚くほど大きな声で、生徒玄関にこだました。
素通りしていた生徒達が、何事かと彼らに注目する。
夕貴も驚いたようで、周囲の目にあたふたとしだす。
その間にも真琴は夕貴の横をすり抜けて、靴を履き替える。
「あ、あの、先輩!」
真琴の背中に夕貴の声がかかる。
「来週の火曜日! 美術室に来てください! 見せたいものがあります! だから、絶対、絶対、来てください!」
真琴は雨の中、足を痛めない程度の速さで生徒玄関を飛び出した。
分かっていない、夕貴は分かっていない。
彼女が今までどれ程の努力をしてきて、手が届かないことを思い知っているのか。
たった一ヶ月くらい、顔見知りになっただけの後輩に何がわかると言うのか。
真琴は唇を噛み締める。
傘をさせば、ぱらぱらと雨が落ちてきた。