雨の日の出会い
今日は雨。
夏の前のこの季節、今年も例年通り雨が降る。
真琴は部室棟の更衣室でユニフォームに着替えると、軒づたいに本校舎に戻った。下駄箱でスニーカーを上履きに交換する。
靴下を脱いで裸足になると、上履きに靴下を入れる。ポニーテールを揺らしながら、下駄箱前の廊下を左に折れた。
「真琴ー、準備できたー?」
「うん。先生は」
「職員会議だって。練習メニュー置いて行っちゃった」
生徒玄関から程近い、美術室や家庭科室が並ぶ廊下の前で同じ陸上部の菜摘が声をかけてきた。他の陸上部のメンバーは、廊下の前に部室から持ってきたマットを敷いて筋トレを始めている。
真琴は仲間達の邪魔にならないように避けながら、菜摘が用意してくれていたマットまで移動する。彼女達が使用するマットは、陸上部が並べたマットの中でも一番奥の端っこに置かれていた。
「遅れてくるって分かってたんだから、手前に置いておいてくれればいいのに」
「いやー、早い者勝ちだったんだもの。皆手前から置いていくからさー、結局残るのは階段前じゃん?」
「もー、なんのために菜摘を先に行かせたのか分かんないじゃん」
真琴は唇を尖らせながらマットに乗り込んだ。階段前は陸上部が練習してると知らずに降りてくる生徒がいるから、彼らと目があうと気まずいのだ。なんとなくどちらも邪魔をしてしまったという意識があるのと、練習を見られるのが恥ずかしいのとで。
二人でやいのやいのとじゃれあいながらストレッチをしていると、階段の方から足音が聞こえた。
「あ、菜摘、待った」
「ん? 何……ありゃ」
遅れて菜摘も気づいたようで、視線を上げた。
気の弱そうな男子が、階段の踊り場で困ったように立ち尽くしていた。鞄も持っているし、これから帰る生徒だろうか。上履きの色が緑色ということは、一年生だ。
真琴は立ち上がると、階段下から踊り場に向かって声をかける。
「ごめん、今ここ陸上部が使ってるけど、通ってくれて構わないから」
「えっ……」
男子が困ったように視線をうろうろさせる。たぶん一年生だから通るのが怖いのかもしれない。
「通りづらかったら別の階段使って行くといいよ」
真琴は階段を登って男子の側にまで来る。近づけばまだ成長期前らしく、身長は小学生のように低かった。
「でも……部室……」
「部室?」
真琴は階段下を見る。
階段前は家庭科室だけど、男子が家庭科部に入ったって話は聞かない。女子ばかりの部活だから、男子が入部したら絶対に話題が上がるし。
と、なると。
「美術部?」
男子はこくりと頷いた。
あちゃー、と真琴は頬を掻く。ちょうど美術室の出入口の前に広がるように陸上部がいるから、どこから行っても陸上部の前に行かないといけない。小心者の少年にはとんだ災難だ。
かといってこのまま置き去りにしても解決はしない。雨季に入ったから、これならもこういう事が起きるだろうし。
「おいで。階段降りたら目つぶってればいいよ。部室前まで連れていってあげる」
「で、でも」
「部活、サボりたいならいいけど」
そういうと泣きそうな表情になる。真琴はちょっと言い過ぎたかと思った。少年にサボるという言葉は効果覿面だったらしい。
でもこのままじゃ埒が明かないので、ちょっと強引に手を引いた。
「ほら、連れてってあげるって」
少年が何かを言う前に、真琴は階段を降りていく。少年もそれにつられて足を動かす。
マットの上で少年に手を振る菜摘の横を通りすぎ、陸上部のメンバーが次々に視線を上げるなか、真琴は少年を美術室に放り込む。
「わわっ」
「ほい、任務完了」
ぴしゃっと扉を締めたところで、誰かがパンパンっと手を叩いた。
「ほらー、サボってないのー」
「あれ、涼ちゃんじゃん、職員会議はー?」
「今日の職員会議は三年生の先生方だけよ。だから島崎先生は遅れて見えます。私は少し用事があったから遅れてしまったの。ささ、皆続けて」
副顧問の涼子が階段の方からやって来る。上階はちょうど職員室だったのを思い出した。
練習再開、と真琴は菜摘の待つマットへと戻る。
さっきの少年が何か言いたげに美術室の扉を少し開けたが、それには気づかなかった。