勇者になった婚約者
初投稿です。
楽しんでいただければ幸いです。
同一キャラによる連載始めました→「私の愛しい婚約者」
短編と若干設定が異なります。
ぶんっ、と音を立てて剣が振るわれる。
その勢いで、剣に付着していた血液が地面に飛び散り、すぐに蒸発していった。
誰も、何も言わない。
それほどまでに目の前で起きた光景は、異様で、異常だった。
「──所詮はこの程度か」
その中で唯一平然としている人物こそ、この光景を作り出した張本人である。
剣を鞘に収めると、まるで虫ケラでも見るかのようにソレを一瞥し、ふん、と鼻を鳴らした。
そして迷いのない足取りで私のそばへ近づき。
「ああ、愛しのリリィ!すぐにその傷を治すから、少し待ってくれるかい?」
そっと私の頬へ手を伸ばし、痛々しげに眉を寄せた。
その言葉と同時に、頬のピリピリとした痛みは、暖かなものにつつまれ、消えていく。
彼の施す治癒魔法だ。
数秒もしないうちに頬の痛みはなくなり、彼は本当に傷がきちんと治ったか、しつこいくらいにペタペタ触れて確認してきた。
「よかった、もし治らない傷だったら、この世のドラゴン全てを滅ぼすまで気が済まなかったよ」
ほっとしたように、微笑みながらの言葉。
それは冗談でも詭弁でもなく、実際にやりそうだし、実際にやれてしまうのだろう。
事実、彼はつい先程、空を飛んでいたはずのドラゴンを魔法で地面まで引きずり下ろし、魔法と剣を駆使して、たった一人で、ドラゴン討伐を行ったばかりである。
……本来、ドラゴン討伐は国をあげて取り掛からねばならない大惨事だ。
剣術を専門とする黒騎士団と、魔法を専門とする白騎士団が手を組み、犠牲を払いながら、それでもなんとか追い返すことで精一杯。
ドラゴン討伐は、不可能である。
それが全世界の常識だ。
我が国も過去数度ドラゴンが現れたことがあるが、討伐出来たことはただの一度も無い。
故にドラゴンを見つければ、隠れ、逃げるのが一番被害を最小限に食い止められる対処法とされていたのだ。
だというのに。
彼は、逃げも隠れもせず、むしろなんの躊躇いもなく、魔法でドラゴンをこの地へ引きずり下ろした。
ドラゴンの羽ばたいた風圧で飛んできた石により、私の頬が傷ついたという、ただそれだけの理由で!
ドラゴンの首に剣を添えた彼は、はっきりと言ったのだ。
『貴様程度が私のリリィに傷をつけるなど、万死に値する』と。
その直後、あっさりとドラゴンの首を切り落としてしまった。
不可能とまでいわれたドラゴン討伐を、たった一人で、実にくだらない理由で行った彼は、確実に頭がイかれている。
彼は、私──リリア・レイズの婚約者である。
レイズ伯爵家の長女として生まれた私は、ほかの貴族と同じように、家のためとなる相手と婚約を結ぶこととなった。
そんな時、自ら名乗りをあげてきたのが、彼である。
レオンハルト・ハインヒューズ。
ハインヒューズ公爵家の、三男だ。
家督を継げない三男とはいえ、ハインヒューズ公爵夫人は現国王陛下の妹君であり、彼は紛れも無く王家の血を継いでいる。
現国王陛下と女王陛下の間には、殿下がお二人いらっしゃるので王位継承権は限りなく低いが、王家にもしもがあれば王位継承権は大いに力を発揮することだろう。
しかし、その当時は面識もなく、なぜ伯爵令嬢程度の婚約者に名乗りをあげてきたのか、家族一同頭を悩ませたものである。
実際は彼がどこかで私を見かけたことがあったらしく、その頃から婚約者の座を虎視眈々と狙っていたのだと聞かされた時は反応に困ったのだが。
どちらにせよ、公爵家からの申し出を、伯爵家が断れるはずもなく。
この婚約はあっさりと決まり、私はその瞬間から花嫁修業が始まったのだ。
とはいえ彼は三男。家督は継げないので、私が公爵夫人となる可能性は万に一つもない。
もちろんなりたくもないのだけれど。
だって伯爵令嬢が公爵夫人になるなんて、重責に耐えられそうにないもの。
そういう面では、彼が長男でなくてよかったと思う。
「──ねぇレオン」
「なんだい?愛しいリリィ」
私は彼をレオンと呼び、彼は私をリリィと呼ぶ。
それだけではなく、『私のリリィ』『愛しいリリィ』と甘ったるい声で呼んでくるのだ。
その心地よい声色で呼ばれる愛称は、嫌いではない。
「わざわざ、討伐する必要は、なかったのではないの?」
首を切り落とされたドラゴンは既に絶命している。
ドラゴンの牙や爪や鱗は防具などの素材になるらしく、しかし詳しい生態は解明されていない。
あっさりと大事をしでかしたレオンは、きっと王都で英雄と呼ばれることになるのだろう。
もともと魔力が高く、剣術や体術に優れていることは知っていたが、まさかドラゴン討伐が出来るほどだとはこの国に住む誰も知らなかったに違いない。
だってレオンはドラゴン討伐は不可能という常識を、覆してしまったのだ。
ドラゴンが現れた瞬間に死を覚悟した私や、私の護衛たちを尻目に。
レオンはにこりと優しく微笑むと、もうとっくに消えた、小さな傷があった頬に指を滑らせる。
「私のリリィを傷つけたんだ。殺して当然だろう?おそらく国から報奨金も出るだろうから、なんでも好きなものを買ってあげるよ。ドレス?宝石?それとも屋敷がいいかい?」
……うん、やっぱりこの人の頭はイかれてると思う。
はぁ、と思わず溜息をついてしまった私は悪くはないはずだ。
私の頬を撫で続ける、彼の手をとる。
剣を握り続けたためにマメやタコが出来てかたくなった、私より大きな、がっしりとした手。
その手が、治癒魔法で癒えるとはいえ、数え切れないほど傷だらけになっていたことも、知っている。
レオンと初めて会った10歳の時、その手は白くきれいなままだった。
私と婚約し、それから、私を守るためにと昼夜問わず剣を振り、魔法を使うようになった。
師匠となったレオンのお義父様に、何度も地に伏せられ。
家庭教師に教わった魔法を、繰り返し繰り返し練習するうちに、魔力が尽きて倒れ。
地面に這いつくばって、血反吐を吐いて、傷ついて。
そうして身についた力は、彼の努力の賜物だ。
もともと公爵家の人間は魔力が多く、魔法や剣の才能があるものが多かったそうだ。
それでも、たった一人でこんな大業を成し遂げるまでになったのは、彼がそれだけ努力をした証。
昔は彼を守るために付けられていた多くの護衛たちは、彼が実力を身につけたことにより、守る必要がないと判断されいつの間にかいなくなっていた。
そこで初めてレオンは嬉しそうに笑ったのだ。
『これで、愛しいリリィを守れるよ』と。
そんなこと、私は望んでいないのに。
「バカな人」
「リリィ……?」
「ドレスも宝石も屋敷も、いらないから。……あなたが、レオンがそばにいてくれたら、何もいらないから。お願いだから、無茶なことしないで」
私のために。
そんな言い分で危険に突っ込んでいくことなど、私は一度だって望んだことはない。
剣術も魔法も、使えなくたって構わない。
「レオンは私の旦那様になるのでしょう?妻を置いていく夫なんて、私は望んでいなくってよ」
ただ、レオンが笑って、『愛しいリリィ』と、優しく呼んでくれれば、それだけでいいのだ。
だから。
まるで捕食者のように目をギラつかせて、魔法でドラゴンを突き落とした時。
本当に心臓が止まるかと思った。
レオンの実力はよく知っているつもりだ。
でもドラゴン討伐は過去誰もなし得たことのない、未知の世界。
もしもレオンの魔法が効かなかったら?
もしもレオンの剣が効かなかったら?
もしも、もしも、ドラゴンがレオンよりも強かったら?
レオンが死んでしまったらと思うと、生きた心地がしなかった。
結果的に数分もしないうちに討伐してしまったけれど、戦闘開始直後はそんなことなんてわからなかった。
レオンは私のことを愛してくれているけれど。
私だって、レオンのことを愛しているのだ。
愛しいレオンの手に頬を寄せれば、レオンの頬がほんのりと赤らんだのがわかる。
いつもは私に対する言動は積極的なくせに、私からの行動にはすぐ照れてしまう可愛いところもあるのだ。
「……すまない、リリィ。心配をかけたんだね。わかった、もう無茶なことはしないよ」
「約束してちょうだい。もしまた危ないことをしたら、そのたびに結婚式を1ヶ月伸ばしますからね」
「そんな!愛しいリリィとの結婚式のために色々と準備しているのに!」
悲鳴にも近い彼の言葉に、思わず笑みが漏れた。
時々コソコソしていると思ったら、やっぱり結婚式の準備をしていたのか。
結婚式の準備は新婦が積極的に行い、新郎は任せっきりということが多いらしい。
私たちは、レオンが公爵令息だからということもあるけれど、レオンの方がむしろ積極的に準備をしてくれるのだ。
私のドレスや宝石を選んでいる時は、レオンの目が輝いていた。
ドレスのデザインはレオンが私に内緒だというので、どんなものかはわからない。
けれどレオンや、公爵家御用達のドレスデザイナーも満足そうな顔をしていたのでかなりの出来栄えなのだろう。
そんなレオン渾身の出来を身につけてお披露目する日が先延ばしになるとなれば、そうそう無茶なことはしないはずだ。
「だったら、予定通り式をするために、無茶はしないでね?」
「……善処しよう」
レオンの顔には苦笑が浮かんでいて、それが彼が好戦的なのだと証明している気がした。
……レオンの好戦的な笑みも嫌いではないけれど、本当に危ないことはやめて欲しい。
私だって、レオンとの式は楽しみなのだ。
どうか約束通り無茶をしないで欲しい。
「さて、じゃあこのゴミ……ドラゴンを回収して王都へ戻ろう」
「ねぇ今ゴミって言った?」
「気のせいだよ、リリィの可愛い口からそんな言葉は聞きたくないなぁ」
白々しい。
レオンはにこにこと笑顔を浮かべながら、異空間収納魔法でドラゴンを回収する。
異空間収納魔法は人により収納出来る量が異なるのだが、レオンはドラゴン一匹まるまる収納出来る大きさなのだ。
「お前たちはレイズ家とハインヒューズ家に報告してきてくれ。面倒だが、すぐに帰れるかはわからないからな」
「はっ!」
レオンには護衛はいないけれど、私には念の為と護衛がついている。
基本的にはレオンがそばにいるから少し離れた位置から見守るだけだが、今回のように不測の事態が起き、レオンがそばを離れたときのためにとつけられているのだ。
基本はハインヒューズ家から派遣された護衛である。
「じゃあ行こうか」
「ええ」
レオンの差し出した手に、私も手を重ねる。
にこりと微笑んだレオンが魔法を発動し──次の瞬間には、王都についていた。
転移魔法はかなりの魔力を消費するため、普通は魔術師数人が、魔力の溜まった魔石を消費しながら発動する。
たった一人で転移魔法を発動出来るのは、この国でも数える程度しかいないだろう。
「──ドラゴン討伐を行ったので、陛下に報せて欲しいのだが」
王城の門番にそう声をかけるレオン。
怪訝そうな顔の門番は、おそらく言葉の意味を理解していないのだろう。
ドラゴン討伐は不可能、そんな常識覆されるなんて夢にも思わないし、私もいきなりレオンにドラゴンを討伐してきたと言われても疑ったに違いない。
しかし数拍置いてから彼がレオンハルト・ハインヒューズだと気がついたのだろう、慌てて敬礼をし、もう一人の門番にその場を任せて駆け出した。
その後、収納魔法から討伐したドラゴンを陛下の前に差し出し。
陛下や宰相様たち家臣の方々はあんぐりと口を開き。
上へ下への大騒ぎになったあと、ドラゴンの遺体を国が買い取り詳しく調べることで話はまとまったらしい。
遺体とはいえ、そこには未知の情報がつまっているのだろう。
提示された金額はかなりのものだが、レオンが少し渋ったために、さらに金額が引き上げられ──。
かなりの金額と、その功績を讃え侯爵の位を与えられ、さらに大々的に国民に発表することとなったようだ。
一応婚約者として彼の隣にいたものの、私はただ黙って話を聞いていただけである。
時々レオンに『どうするリリィ?』と聞かれ、それでいいと思うと答えたことが数度あったくらいか。
若干宰相様が涙目になっていたのだが、本当に大丈夫だろうか。
国民への発表後、ちょっとした凱旋パレードが行われることも決定し。
レオンは国民たちから“勇者様”と呼ばれ、私はその妻と呼ばれることとなった。
それというのも、そのパレードの直後に陛下が取り仕切って披露宴を行ってくださったのだ。
もちろん、レオンがデザインした、美しいドレスで。
結婚式は予想よりも早まってしまったが、これで名実ともに夫婦となった。
レオンは侯爵に、私は侯爵夫人に。
家族が出来たのだから、少しでもレオンの好戦的なところはマシになるだろう、と、思って、いたのだが。
「おのれトカゲ風情が!よくも私のリリィに傷をつけてくれたな!」
今度はドラゴンの羽ばたいた風圧で飛んできた石が腕をかすった、という理由でドラゴンを引きずり下ろしてしまったのだ。
ドラゴンをトカゲ風情と言い切り剣を鞘から引き抜いたレオンに、思わず頭痛を覚えてしまったのは仕方がないだろう。
誰かあの勇者様を止めてちょうだいな……。