087 おいたは駄目よ side???
広い狭い暗い明るい場所で、あたしは漂いながら静止していた。
何がなんだか分からないと思うけど、ここはそういう場所で、頭で考えて理解できるようなものでもない。
馬鹿の考え休むに似たりというのは、あっちの世界で聞いた言葉だったかな?
真っ白なここには、同じように真っ白なあたしと、真っ黒なあいつしか居ない。
正確に言えば真っ白なあたしの中に真っ黒なあいつがいるのだけど、ここまで真っ黒だとは思わなかったなぁ。ほら、あっちの世界って漂う魔力がほとんどないから、色が見えるほど個人の魔力も高まらないし。
そう、この真っ白があたしの魔力で、まっくろがあいつの魔力。魔力には本来色なんてないけれど、そこに他の要素が加わることで色がつく。例えば属性だったり、想いだったり、魂だったり。
魔力の色について話し出すと長くなるからしないけど、別に白いから清いとか、黒いから邪悪とか、そんなことは無い。ひとつ言えるのは、どんな色にせよ濃ければ濃いほど強いということ。だからあたしの真っ白も、あいつの真っ黒も、とても強いということになる。
とはいえあたしは本体じゃない残滓のようなものだから、これだけ濃い白であってもまだまだ本気には程遠い。さすがあたし。
あの日、600年もかけて再臨の準備を整えていたあたしは、とてもとても驚いた。
あっちの世界から同じ波長の魔力が飛んできたから、ついに本体が帰ってきたのかと思ったら、それはあたしと同じ欠片で、しかも見慣れない魔力のおまけ付きだった。
もっともこれでも神の端くれだ。あっちから来た欠片とささっと合体したあたしは、本体の事情も感情も理解した。そしてそれに同意する。本体だろうと欠片だろうと同じ存在なのだから、あたしが本体に反発するはずもないんだけどね。
だからあたしは、600年も掛けて仕込みをしたこの肉体を躊躇うことなく見慣れない魔力へ、ううん、見慣れない魔力を纏った魂、あたしのたった一人の友達にあげてしまうことにした。
あたしの再臨は遠のくけれど、別にあたしが消滅してしまうわけじゃない。なんなら、欠片のあたしが消滅したとしても本体が無事なら問題なし!
そのはずだったのに、あたしは今もこうしてここにいる。
あいつは無事に生まれたはずだけど、肉体の主導権を放棄したあたしには外がどうなっているか分からない。ただ時々、あいつの魂の動きからどんな状況なのか察することができたくらいだ。
あいつが無事生れ落ちてから色々な動きをしていたけれど、いまは落ち着いているみたい。つい最近ものすごく懐かしい気配を感じたのと同時に、激しく動き出した時はどうしようかと焦ったけれど、あれはもしかして、前世の記憶でも取り戻したんだろうか?
ここに居ると時間の感覚が曖昧になるけれど、あいつの魂を見ていると幸せな気持ちになる。本体にとって、本当に大事な存在なんだとわかる。まぁ、残念ながら恋愛感情ではないみたいだけど。あたしだって女神なんだから燃え上がるような恋とかに憧れたりもするんだけど、残念ながらそんな相手はいない。それどころか友達だってあいつしか居ない。仲の良かった神々も、あの喧嘩で軒並み敵に回っている。考えていたら悲しくなってきた。
そんな折、珍しいことが起きた。
この場所への侵入者だ。この空間へ入り込むという事は、催眠か、暗示か、憑依か。なんにせよまともな方法じゃない。獏や夢魔の類いかと思ったけど、どうもそういうわけでもないらしい。
それは黄土色の魔法。懐かしい、あたしが昔加護を与えた無数の魔法、そのひとつ。
あれはそう、《繁殖》とか言ったっけ?
「増えねばならぬ、増えねば、増えねばならぬ」
「あれ? 話せるの?」
意外なことに《繁殖》は無形の魔力から物としての形を取り始めた。それはぼこぼこした身体に、鷲鼻、緑色の肌をした大きな生き物だ。あたしが他の神々と喧嘩していたときは原典となった魔法そのままに読んでいたけれど、いまの時代では何て呼ばれてるのかな。
「やっほー、元気してた? って言ってもあたしが直接加護をあげた子たちはほとんど消されちゃったし、みんなの残滓から復活した子なんだろうけど。ってあたしも本体じゃなくて欠片だけどね!」
「増えねばならぬ、増えねば」
「無視!? 一応貴方たちのお母さんって呼ばれてるんだけど!?」
陽気に語りかけてみたけれど、反応は変わらず。
あたしが加護を与えた子たち、言わば魔物の始祖たちはもっと楽しい子たちだったんだけど、残滓ではこの程度なんだろうか?
そういえば、なんでここへ現れたんだろう。
そう思っていたら《繁殖》は真っ黒に向かっていった。
おっと、それはいけない、そっちは駄目よ。その真っ黒な魔力の奥には、無防備なあいつがいるのだ。
「ちょっとちょっと。それは駄目だよ。むき出しの魂は脆いんだから、純粋な魔法が近づいたら影響されて壊れちゃうってば」
行ってる傍からぐんぐんぐんぐん近づいていく《繁殖》。お母さんの言う事を聞かないとは何事か。まぁあたしがお腹痛めて生んだわけでもないし、原典は他の神が創ったわけだけど。でも加護をあげたのは、いまの身体を作ってあげたのはあたしなんだからもっと敬意をもって接してくれてもいいんじゃない?
正直、楽しんでいなかったと言えば嘘になる。
なんていっても600年ぶりに他の存在と会えたのだ。本体はあっちの世界で面白おかしく過ごしていたようだけど、あたしは再臨用の肉体を生み出すためこっちの世界でずっとぼっちだ。今だってあいつと一緒にいるとはいっても、認識しているのはあたしだけ。実質ぼっち。
だから残滓とはいえ、加護をあげた子が来てくれたのはとても嬉しかったのに。
よりにもよって、《繁殖》は真っ黒に。あいつの魂に干渉しだした。
真っ黒の端っこから、徐々に、本当にゆっくりと黄土色に染まっていく。魂の、その周囲にある魔力の色は存在の色そのものだ。それが他に染まるという事は、存在が損なわれ、別物へと変わることに他ならない。
「”それは駄目だよ”」
「増えねば、増え……っ」
だから、あたしはソレを見過ごせない。
どんなに加護をあげた子が可愛くても、無数にいる子供たちの、さらにその残滓ごときの価値が、友達に勝ることなどありえない。
それでも《繁殖》はやめようとしない。
あたしの強制力に苛まれつつも、それでも尚あいつの魂を犯そうとする。
「そう。それが貴方の答えなの。わかったよ」
残念だ。残滓とはいえ、本当に悲しいよ。
せっかくあげたものなのに、その一部とはいえ高々600年で。
「”返して貰う”ことになるなんて」
「ぐるぇあっ!?」
そっと持ち上げた右手を、《繁殖》の背へと突き入れる。ずぶずぶと、ずぶずぶと沈んでいった手は、やがて反対側、胸から突き出される。その手には黄土色の石が握られて。
ここは魂と魔力だけの空間。だから肉体の損失はそのまま魂の損失になる。
もちろん本物の肉体があるわけじゃないからイメージの問題だけど、そのイメージは想像なんかじゃなく、現実を伴う。
あたしは悲しい気持ちを抑えながら、その石からあたしの魔力を、加護を抜き取った。
加護を抜き取られた石はさらさらと砂のように崩れ、あたしの中に吸収されていく。
「うん、ささやかながら、還って来たかな」
本当にささやかな、言うなれば大きな水槽へスポイトから一滴だけ水を垂らしたような、そんな量だけど。あたしはたしかに権能を回収することができた。
この程度でなにか出来るようになるわけじゃないけれど、600年かけて用意した肉体をあいつにあげてしまった身としては嬉しい収穫だった。
「あー、早く本体こないかなぁ。肉体もっかい用意なんてしてたらあいつの寿命が来ちゃうだろうけど、その前に何とか来てほしいなぁ」
あたしだって遊びたい。あいつと、遊びたい。
本体の記憶は石に封じられ、身動き一つ出来ない苦しいものではあるけれど。
あいつと出会ってからは、あいつが遊びに来るようになってからは、毎日が楽しくて、楽しくて、魔法に加護を与えて回っていた頃を思い出すくらい、愉快な日々だった。
欠片のあたしは、それを見ることしかできない。
本体がこっちにくれば、あたしも統合される。そうなれば、あいつと遊ぶ事だってできる。
「あ、そうだ!」
この回収したばかりのささやかな権能。
こんなもの、再臨の足しにすらならない本当に小さなものだけど、それでも人ひとりへ干渉するには十分すぎるほどのものだ。
「そう、これは退屈なのが悪い。あたしは悪くな……いや、ちょっとは悪いかなぁ」
うん、勝手に覗き見されたら、嫌だよね。これは悪いことだ。
勝手に魂に干渉して、視界をジャックするなんて。でもでも、思考までは読まないし、外の景色を眺めるくらいさせてほしい。ここは本当に暇なのだ。
それに。
「悪いことなのは分かってるけど、やりたいものはやりたいんだもん!」
そうしてあたしは権能をそっとあいつに放り込んでみた。元よりあいつの肉体はあたしが再臨のために用意したもので、そこへあいつの魂を定着させるためにあたしの加護がばっちりついている。そこへ追加するだけなので、何の問題も、当然危険もなく事は済んだ。
さてさて、最初の景色はどんなかな?
『クリスタさま、起きてください、クリスタさま! 死んじゃ嫌です!』
「ちょっ!?」
617年ぶりに眺めた最初の光景は、血まみれの視界の中、必死に回復魔法をかける美少女だった。
あいつ、どんな人生歩んでるのよ!?
ぼかしてはいるけど、ここまで読んでくれた皆さんには多分無意味ですよね。
そう、懐かしのあの人(の一部)が再登場です!
本人の知ってるところから見えない場所まで、呪いやら副作用やらいっぱい苛まれてるクリスタくんの明日はどっちだ!?




