008 わたくし編入しますわ
ガツンっ! と僕の頭に特大のげんこつが降り注ぐ。
ごつんではない、ガツンっ!だ。
それをしたのは例の教官である。
彼は僕の立場を、少なくとも地位を知っている。
その彼が僕に手を出すなど普通ならありえない。
そう、普通なら。
その後追いついてきて状況を見守っていたジェイドが、僕とイリスが連れて行かれる直前にこっそりと教えてくれた彼のプロフィール。
「痛いですわ、ロバート=グラハム公爵」
「痛いですわじゃねえ! 俺の生徒を殺す気か!」
そう、侯爵ではなく、公爵。
彼は王家に連なる貴族であり、この国でブリューナクが好き勝手できない数少ないひとりなのだ。
ちなみにこの国の爵位を簡単に説明すると、国王を除いて上から順に公爵、侯爵、辺境伯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵、騎士爵となる。
この中で公爵は王族に連なる人だけがなれるので、通常の貴族で一番上なのは侯爵。我らがブリューナクがここになる。
そして爵位というのは実は土地につくもので、複数の土地を領地としている貴族は侯爵で伯爵で男爵でもあったりするのだけれど、全部なのるのは面倒なので一番上のものに家名を足して名乗るのがグリエンド王国流だ。
地球では領地名+爵位という国も多かったのだけど、この辺り西洋と東洋の爵位のあつかいが混ざった感じ。僕としては相手の家名を覚えるだけで良いので大分楽だ。
領地名で呼ぶ場合だと、相手の名前が田中太郎さんなのに東京侯爵領の領主だから呼ぶ時は東京侯爵とかになるんだよね、面倒くさい。
「本当に殺す気はありませんでしたのよ? まぁ、先ほどはわたくしもロバート公爵を殴り倒してしまいましたし、一発は一発ですわね」
「まったく、ブリューナクの隠し玉はどんな教育されてやがんだ、俺を公爵と知っても態度を変えやがらねえし、そもそも俺を殴り倒せるやつなんぞ聖獅子騎士団にもどれだけいるかわからんぞ」
まぁ、不意打ちだったし、彼もまさか僕のような少女()にあんな怪力が出せるとは思っていなかったからだろうけど。
僕は別に特殊な才能がわるわけでもなし、今後彼に不意打ちが通用することもないだろう。
それよりもだ。
「それで、なぜ公爵ともあろうお方が学園で教官などしていますの? だから殴ってしまいましたのよ?」
「おい、普通の教官だったら殴っていいわけじゃねえぞ?」
うん、僕もそう思う。
でもクリスタ侯爵令嬢はそう思わない設定なので赦してほしい。
「どうしてもなにも、俺は聖獅子騎士団の団長だ」
「「え?」」
僕と、同席していたイリスの声が重なる。
公爵が騎士団長? しかも教官? いやいやご冗談を。
「面白いジョークですわね」
「いやマジだぞ」
「……どうしてそんなことに」
なんでも、力が全てとされる魔導騎士科であってもかつては貴族優遇だったらしい。
表向きはそうでもないのだが、教官が男爵出なのに生徒に子爵が混じっていたりすると、指導への腹いせに学園外で報復されたりしたらしいのだ。
その後ある程度地位の高いものが実技教官をつとめるようになり、最近は聖獅子騎士団の団長でもあるロバート公爵がしているとのこと。
ちなみに、彼が魔導騎士なんてやっているのは単純に強いかららしい。
この国の王族は奴隷を解放しようとしてみたり、魔導騎士になってみたり、面白い人ばかりだな。
「つまり、お前みたいなやつを制御するためにいるわけだ」
「あ、はい、そういう事になりますわね。面倒ですわね」
「く、クリスタさま!?」
イリスが青くなっている。
それはそうだ、地位としてはロバートが上、実力も上。
その上口で何か言うだけならともかく、僕は彼を殴り飛ばしている。
だというのに上から目線で面倒だと、お前邪魔だよと言っているのだから平民のイリスは気が気ではないだろう。
「イリス、なにを怯えていますの?」
「こ、公爵さまに、その」
「いいですのイリス、先ほどの一発はわたくしから仕掛けたことへの報いとして素直に受けました。ですがそれはそれ、これはこれです。いま責められるべきはわたくしたちではありません、ロバート公爵、あなたですわ」
「ほう?」
腕を組んでこちらを睨んでいたロバートの頬がぴくりと動き、イリスが怯える。
けれど僕にはそれが、怒りからではなく、面白いものをみつけ、にやけるのを堪えているように写った。
「ねぇ公爵さま、あなた、家畜の管理もできない無能なのかしら?」
「クリスタさまっ!?」
「どういう意味だ?」
「そのままですわ。訓練中、それも多人数訓練での攻性魔法はご法度。魔導騎士でなくとも戦いに携わるものなら常識ですわ。だというのに、副団長さまともあろうお方がそれを未然にふせげないとは。あなた家畜どもに舐められているのではなくて?」
たしかに僕はやりすぎただろう。
だが元はといえばそれは彼のミスから起こっている。
そうクリスタ=ブリューナクは考える。
僕はそんな事思ってないけどね!
前世でいえば突然教室で銃を撃った生徒をどうして事前に止めなかったのかと教師を責めるようなものだ。理不尽すぎる。
ロバート公爵閣下には本当に申し訳ないと思う。
いつか、いつか謝るから! きっと、そのうち!
「それはたしかに俺の責任だが、その後の行動はどうなる」
「あら、わたくしの可愛い下僕が傷つけられて、見逃せと言いますの?」
「ぺっと? なんだイリス、お前この令嬢の愛人かなんかか?」
「違います! 同室者です! お友達です!」
「「お友達?」」
「はっ!?」
僕とロバート公爵の声が重なり、イリスがまずいと顔を青ざめさせる。
民は全て家畜、逆らうものは公爵さえも殴り飛ばす、侯爵令嬢へのお友達宣言。
今までの僕の行動をみていた彼女が、危機感を抱くのも無理は無い。
そして僕も平民とお友達だと思われるのはまずい!
どこからかお爺様に伝わってしまえばブリューナクにあるまじき行いとして処断されかねない。
「下僕風情がお友達? イリス、つけ上がるのも大概になさい!」
「ご、ごめんなさい!」
「おい、顔があけーぞ。本当は嬉しいんじゃねえのかお前」
「はあ!? 何を言ってますの。わ、わたくしが家畜風情に同等だと宣言されるなんて屈辱ですわ!?」
嬉しいに決まってるだろ馬鹿! こんな可愛い女の子にお友達ですって言われたんだぞ。
そりゃあ前世で「お友達ですよね」って言われたら残念だ、恋愛対象じゃないってことだし。
だが今は違う。あれだけやりたい放題やって、家畜だの下僕だの呼んでいる相手に対して友達だと言ってくれたのだ、嬉しいに決まってる。
だけど僕は否定するしかないのだ、ちくしょう!
これも全部お爺様のせいだ、いつか殴る!
「おいイリス」
「は、はいなんでしょうかグラハム教官!」
「貴族ってのはな、本音と建前ってのがあるんだ」
「は、はい」
「こいつを見ろ、わかりやすいだろう?」
僕の顔をジーっと見つめるイリス。
やめろ、くるな、近い!
顔どころか耳まで熱くなるのを感じる。
おいロバート貴様、僕がブリューナクだと知ってるだろう、なんだこれは、あれか、奴隷推進派のブリューナクを内部崩壊させようという王家の陰謀か!
「そう、ですね、わかりやすいです」
「だろう?」
「何を言っていますのあなた! 公爵といえど言って良いことと悪いことがございますわよ!?」
「これが照れ隠しってやつだ」
「なるほど」
「イリス! あなたも何を頷いていますの、下僕風情が生意気ですわよ!」
「他の生徒は家畜呼ばわりなのにお前はペットらしいぞ、愛されてんなぁ」
「そ、そうかもしれません」
いかーん! ここは戦略的撤退をするべきだと脳内が告げる。
ここにジェイドがいなくてよかった、いたら一発アウトだった!
ガタッと音を立てて椅子から立ち上がりドアへと向かう。
「おいまて、これ以上何も言わねえから逃げるんじゃねえ」
「逃げてなどおりませんわ!」
「おう、なら座ってろ」
素直に座る。
まずい、この公爵、強い。
さすがは初代ブリューナクが王と仰いだ人の末裔だ。
「さて、俺がお前に殴られたのはひとまず問題ないとしよう」
「では、貴方がわたくしを殴ったことも水に流してさしあげますわ」
「しかし問題が残る、わかるか?」
問題、まぁ色々あると思うけど。
これはひとつあげろってことだよなぁ、間違えたらまずそうだけど。
うん、ここは丸投げしよう。
「当たり前でしょう? 応えて差し上げなさいイリス」
「わたしですか!?」
「他にわたくしの下僕はいませんわね」
秘儀、部下に丸投げの術。
悪役の得意技である。
ロバートが呆れたような顔をしているが知ったことか。
ちなみに脳内で彼に敬称を就けるのはやめた。
先ほどの流れに対するささやかな腹いせである。
「えっと、魔導騎士科の生徒と政治科の生徒が決闘し、政治科の生徒に負けたこと、でしょうか?」
「まぁ、そんなとこだな」
「さすがですわイリス」
ロバートが頷き、僕はドヤ顔をする。
下僕の手柄は僕の手柄である。
「まず魔導騎士科の生徒が他の学科の生徒に手を出すなんざありえん。普通ならジミーのやつを処罰すれば済むんだが、今回はそう簡単にはいかない」
「決闘を挑んだの、わたくしですものね」
決闘に挑まれて応じた騎士見習いを、処罰するなんてありえないだろう。
いくらなんでも理不尽すぎる。
「しかも勝ったのも令嬢のほうだからな。ついでに言やぁその令嬢に対して攻性魔法を使った件で処罰して終わりにしてもよかったんだが」
「それでよいではありませんの」
「その、クリスタさまは楽しそうにクロスボウを乱射していましたから」
あぁ、そういえばそんなこともしたっけ。
正直、あれはギリギリの行動だ。
アレをやらなければ僕は無様に戦うことになり悪役令嬢などという仮面は剥がれただろう。
そしてやってしまったがために決闘に遠距離武器を持ち込むというとんでも行為を大勢に見せ付けてしまった。
「んでまぁどうしようかと悩んでたんだがよ、令嬢、あんた政治科の授業はどうした?」
「退屈なので抜け出してきましたわ!」
渾身のエンジェルスマイルを発動する。
「だと思ったよ」
耐えた!?
この自称美の女神から貰った世界最高峰の愛らしい笑顔を前にして、頬も染めず耐え切っただと!?
なぜだ、男としては喜ぶべきはずなのに、悔しい、非常に悔しい!
「んでだ、そんなに退屈なら魔導騎士科に転入しなおしてくんねえかな?」
「はい?」
「記録はちょちょっと改ざんして、令嬢さんは元々うちに転入するはずだったって事にする。そうすりゃ今日の事件は単なる模擬試合で生徒同士がはっちゃけた、お説教は俺がしっかりやったって事になる」
「それは」
まずい。
騎士科なら構わない。
魔法が使えずとも剣技が優れるものは多く、そのための学科が騎士科だ。
けれど魔導騎士科は魔法と剣両方の授業があり、今日のような実技が魔法にも用意されている。
そして僕は魔法が使えないのだが、それはブリューナクとしては、いや貴族としては恥でしかない。
それが故に僕は幽閉されていたのだから。
「政治科はつまんねぇだろ? 気持ちはわかるぜ」
わかっちゃだめだろ公爵閣下。
いやでもロバートは聖獅子騎士団の副団長か、そうか、脳筋か。そうか。
「イリス」
助けを求めようと彼女をみると、彼女は心なしか嬉しそうにしている。
「授業でもクリスタさまとご一緒できるんですね」
「あら、わたくしの下僕としての自覚ができましたのね?」
「違います! 違いますけど、ご一緒できるのは嬉しいです」
なんだか懐かれている、正直嬉しい。
「ま、わたくしも嫌ではありませんわ」
「おし、決まりだな! 手続きはしておいてやるから明日からこっちの教室にこいよ!」
……ま、わたくしも嫌ではありませんわ。
嫌ではありませんわ。
ありませんわ。
せんわ。
じゃなあああああああい!?
何やってるんだ僕は、イリスの笑顔に釣られてつい言っちゃったけどどうすんだよ!
あぁやばい、どうしよう本当に!
「クリスタさま」
ロバートが書類を改ざんしに向かったあと、イリスが話しかけてきた。
「なんですの?」
「明日から、改めてよろしくお願いします!」
その彼女の笑顔は、廊下で絡まれていたときの涙目とは全く違っていて。
僕が施したスキンケアなんかなくても、きっととても輝いて見えたと思う。
そんな笑顔を向けられている僕は、きっとこの学園で彼女が作った最初の友達で。
僕にとっては、この世界で出来た最初の友達だから。
「そんなの当たり前ですわ。イリス、あなたは早くわたくしの下僕としての自覚を持ちなさいな」
「だからペットじゃありませんから!」
そんな事、いろんな意味で言えっこない僕は、いつもの言葉で誤魔化したのだった。
爵位って現実でも国によって扱いが違いますよね。
自分にとって管理しやすい扱いにしてみました。要望が多ければ専用ページにまとめますが、あんまり本編には絡んできません。コメディですから!