057 蒸発ゲルと友達になってはいけない
「あれ? 雨ですの?」
降り出したと思った雨。
それが窓ガラスにぶつかって蠢いている。
ちなみにここまで透明なガラスはこの国では高級品だけど、ちょっと濁ったものくらいなら平民でも利用している。
「おい、誤魔化しても逃げられんぞ。さっさと来い」
「いえ、そうではなくて。これ、本当に雨ですの?」
雨って、窓ガラスにぶつかったあと、その場でもぞもぞと蠢くものだっただろうか?
しかもこんな、色とりどりの。いくらここが異世界とはいえ、僕はこの国で17年生きている。その中でこんな雨は見たことがない。
「ぬ? なんだこれは」
「こ、これはまさか!」
「おいヨハンどこ行く気だ!」
慌てたように教室から飛び出していくヨハンくんと、それを追いかけるマーティン。
他の面々は呆然としていたが、イリス、ジェイド、ジミー、ミゾレ、ナーチェリアがそこへ続いた。
もちろん僕も。
ヨハン、マーティン以外の共通点は指導室に呼ばれているということだ。
ぶっちゃけあの二人を追うと見せかけて逃走を企てている。
「あ、おいコラ! 待たないかお前たち!」
背後でロバート教官が叫び、複数の足音が追って来る。
たぶんみんな付いてきたんだろう。
外へ飛び出した僕たちが見たものは、校舎や地面で蠢く何かだった。
青、赤、黄色、緑、オレンジ、紫、と多種多様。茶色や黒、白といった彩度の低い色は見当たらない。
スライム、という単語が脳裏をよぎるが、あれは流動体だ。
これらはもっとこう、固体っぽいというか、グミっぽい。
「やっぱり、これは蒸発ゲルだよ!」
「「「「説明よろしく、ヨハン」」」」
「みんな、ありがとう!」
嬉々として語りだしたヨハンくんによれば、これは蒸発ゲルという魔獣だそうだ。
そう、あくまでも魔獣。自然に発生した生き物で、魔法を原典とした魔物ではない。
ゲルとは水に近い身体を持ち、表面に薄い膜を作りその形を保っている生き物らしい。
この蒸発ゲルはその中でも特異な存在で、低い温度で膜が消え、その身体も蒸発してしまう儚い存在だという。
ただし彼らがそれで死ぬことはなく、遥か上空で滞留し、気温の高い日に雨となって地上へと降り注ぎ、復活するのだとか。
「だから冒険者ギルド認定の危険度としてはFランクしかないけれど、希少度だけならC、スライムみたいな中位の魔物と同等なんだ!」
「なるほど、それでヨハンはそんなにテンションが上がっていますのね?」
『それはボクたちが頭もいいからだとオモウヨ?』
「そうなんですの?」
『少なくとも、キミタチと同じくらいにはカンガエラレルカナ』
「なるほど」
いやまて、僕はいま、いったい誰と話している?
声はかなり下から聞こえてくる。
そっと目を向けた。
そこには丸い、マシュマロゴレムのような球状ではなく、もう少し楕円に近い存在がこちらを見ていた。
そう、マシュマロゴレムとは違って目があった。
そして僕と目があった。
『やぁ、ゴキゲンヨウ』
「きゃあっ!?」
『アッ』
思わず踏み潰す。
あっさりと潰れた。
『ヒドイナァ』
そして復活した。
「大丈夫ですかクリスタさま!?」
「お嬢様、ご無事ですか?」
「え、ええ。何なんですのこれ」
みれば、いつのまにか同種の存在に囲まれていた。
ここまで接近を許してしまったのは、こいつらに殺意というか、敵意のようなものを一切感じなかったからだろう。
「彼らが蒸発ゲルの真の姿だよ! やった、まさかこの学園に通っている間に出会えるだなんて!」
「な、なぁヨハン。彼らに危険はないんだね? もし他の生徒に危害を加えるようなら、我々が排除すべきだと思うんだが」
「そんなもったいない!!」
ミリアリアの提案に、非難混じりに叫ぶヨハンくん。
続々と集まってくる蒸発ゲルたちは、色とりどりで、見ようによっては愛嬌があると言えなくも無い。
「彼らはその特性上世界中を旅する種族なんだ! つまり、この世で最も世界のことを知っているといっても過言じゃない。何せ人間じゃ生き残れないような辺境にだって彼らは降り注ぐんだから!」
「へぇ、お前ら面白いな。会話できるんだよな?」
『マカセテ』
興味を抱いたらしいジミーが、近くに居た赤い蒸発ゲルへしゃがんで話しかけている。
ずいぶん無鉄砲だと思ったけど、よく見ればしっかりと防壁魔法を展開中だ。
「ロバート教官、どうしますかぁ?」
「そうだな、本来なら色々と説教したいところだったんだが、貴重な機会だ。お前ら、蒸発ゲルに聞きたいことがあれば話して見るといい」
「よろしいんですの?」
「彼らは本当に無害だからな。そして博識で、中々出会えない。俺だって過去に二度ほど出会ったことがある程度だ」
ロバート教官の年齢はわからないが、30より下ということはないだろう。
単純に15年に一度会えるかどうか、と考えてもたしかに貴重な機会だ。
「ではせっかくですし。ねぇそこのあなた」
『ボクかな? ナンダイ?』
「……ちょっと小声でもよろしくて?」
『いいよ、ナアニ?』
「わたくしのお兄さま、アルドネス=ブリューナクの居場所ってご存知?」
『あー? ゴメンネ。ボクらは降る場所を自分じゃエラベナイから。人探しはニガテなんだ』
「あ、そうですわよね、ごめんなさい」
知識があるといっても、そういう類のものじゃないだろう。
これは質問する事を間違えた僕のほうが悪い。
他になにか聞きたいことはあるかな? うーん。
あっ。ひとつ思いついた。これも小声で聞いておこう。
「では、魔法が使えるものと、使えないものの違いはご存知でして?」
『シッテルヨ。魔力は心臓に近い器官で作られて全身を回るんだ』
「それは知っていますわ」
『デモ普通は身体を維持するテイドの魔力しか作られないカラ、他のことには使えない。一部のたくさん魔力をツクレルいきものが、魔法に魔力をマワセルンダヨ』
「肺活量みたいな感じですの? 大きいほうがたくさん声が出せるといったような」
『ナンデわざわざたとえ直したのかワカラナイけど、ソウダネ』
僕は使えない側だから、実際に使えるものに置きなおしたほうがわかりやすかったんだよ。
「では、わたくしは魔力が足りませんのね」
『うん? オネーサンは高魔力保持者ダヨネ? 髪と目が綺麗な色をシテイルヨ』
「そうですけれど……そうですわね、魔力は、あるはずですわ」
僕は別に取替えっ子だとか、養子というわけじゃない。
正真正銘ブリューナク家の一人娘……もとい、三男だ。
だからこそなぜ僕だけが魔法を使えないのか、それが気になっている。
『ナラ、珍しいけどもうひとつ使えない条件がアルヨ』
「お聞きしますわ。あ、声は潜めてお願い致しますわね。あと他言無用で」
『注文がオオイナァ。えーっとね、魔力は心臓付近で作られるけど、魔法を使うための計算は脳で行われるんだ』
「わたくしが馬鹿だから使えないと言いたいんですの」
そりゃ馬鹿だとは思うけど、そういう馬鹿だとは信じたくない!
ぷるぷると愛嬌のある姿をしておいて、なんて辛らつな奴なんだ。
『チガウヨ、怒らないデ。その計算は脳でスルケド、実行は魂が行ウンダヨ』
「魂、ですの?」
『ソウ。魂が魔法を実行シテ、ソノ計算を脳が行い、心臓が必要な魔力を作り送リ出ス。これが魔法の一連のプロセスだって、昔神様が言っテタヨ』
「神様。どこでお会いしましたの?」
『さぁ? ボクらは寿命が無いカラネ。ドコだったカナ。何年前だったかもオボエテナイヨ』
「そう、ですの」
僕はうなだれた。
ひざを地面につき、両手もつき、地面を見つめていた。
土下座、ではないけれど、まぁ絶望を表すのによく使われるあのポーズだ。
『大丈夫? オネーサン』
おかしいとは思っていたんだ。
ブリューナク侯爵家に生まれ、高魔力保持者の特徴が現れているにも関わらず魔法が使えない。
お母さまも、お父さまも、高位魔法を難なく駆使していたというのに。
だからいつか、僕にだって魔法が使える日が来るんじゃないかと思っていた。
それは《肉を切り刻むもの》に魔力を引き出されたことで、より現実的になった、と勘違いしていた。
違うんだ。
僕とこの世界の、魔法が使えない平民とではその理由が違ったんだ。
彼らは魔力の量が足りていない。
だからなにかしらドーピングなんかしたら、使える可能性がある。
けれど、魔法が魂で行使するものであるなら?
僕は異世界から転生した存在だ。
ナーチェリアもわざわざ異世界転生者、と言っていた。
他の世界に転生するのが普通なら、わざわざ異世界なんてつけずに転生者でいいだろう。
区別するということは、それがイレギュラーということだ。
つまり僕の魂は、僕という存在はこの世界の肉体ではなく、地球人の肉体に宿ることが前提として構築されている。
パソコンにたとえるなら、本体が窓なのにOSがりんごみたいなものだ。
スマホにたとえるなら、本体が人造人間なのに、OSが黒苺みたいなものだ。
ゲームで例えてもいい。ス○ィッチにP○4のソフトを入れたって動かないのと一緒だ。
もし僕が魔法を使おうとするなら、魂をこの世界用と交換する必要がある。
ただ、それはもう僕の身体をもった別人だ。
僕が地球人、春風 晶の転生体である以上、僕にこの世界の魔法は使えない。
「ほ、ホントウに大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですわ。ってあら、ジェイド?」
何故か、僕の横でジェイドまで絶望ポーズをしていた。
彼も何か聞いて、そしてダメだったのだろうか。
「どうしましたのジェイド」
「お嬢様、俺はもうだめです」
「な、何がありましたの?」
「毎回焼き魚になる次元魚を何とかならないかと尋ねたのですが、諦めろと言われました」
『ジゲンギョは元々異界で平穏に暮らしてるカラ、ヨワイノはシカタナイんだよ』
ジェイドと話していたらしい緑色の蒸発ゲルが頭を振りながら話す。
……頭しかないけど。
「くっ」
「あー、まぁ、なんですの。強く生きてくださいな」
そういえば、お兄さまの館へ行ったときも一匹死んでいた。
なんでもお母様の館へ奴隷の女の子を送ったときも死んだらしい。
次元魚も意外と儚い存在だった。
「クリスタさま聞いてください!」
「今度はイリスですの? いったい何事?」
「この首輪は神々が休眠する前に作った古代魔道具なので神様じゃないとはずせないし壊せないらしいです!」
「なんで喜んでますの!?」
え、そこまでヤバイものだなんて聞いてなかったんだけど!?
そして何故君は嬉しそうなんだ。神々は休眠中ってことは、本格的に一生僕の奴隷ってことになるんだけど。
それ僕から逃げられないってことだよ?
僕もイリスから逃げられないってことだけど。
「わたし一人っ子なので、家族が増えるのは嬉しいんですよ」
「あぁ、そういう認識ですのね」
「お姉ちゃんって呼んでくれてもいいですよ?」
「たった一日差でドヤらないでくださいな」
イリスの誕生日は二月十四日、僕は二月十五日である。
たしかにイリスのほうが生まれたのは早いが、こんなの誤差だ、誤差。
「うおおおっ!?」
「今度はなんですの!? って、え?」
ジミーの叫びに目を向ければ、そこには外皮が消え、溶け出す蒸発ゲルの姿があった。
空を見上げればいつの間にか分厚い雲は消え去り、暖かな日差しが降り注いでいる。
「きゃあ!?」
「え、え、え、何だ?」
「まさかこれが蒸発ゲルの蒸発!?」
「うわぁ、グロイですぅ」
あちこちの蒸発ゲルの外皮が消え、気温が上昇するにつれて消えていく。
たしかに低い温度で蒸発するといってたけど、30度もないようなこの気温でか!?
『もうジカンみたいだね』
「あ、あなた」
『イインダ、いつものことダカラね』
「それで、それでいいんですの!? わたくし、まだ何も。そうですわよ、こちらの質問にだけ答えさせて、まだ何もお礼をしていませんわ!」
『そんなコトナイヨ。とても楽しい会話ダッタヨ。そうだね、それでもなにかお礼をシタイというのナラ』
もしまた出会えたら、またお話してほしいな。
そう言って、彼らは蒸発していった。
ほんの20分にも満たない邂逅。
だけど、僕らは忘れない。
いつか、またどこかで会おう。
晴れ渡る青空に雲が掛かる、そんな日に。
ところで、その日の午後から授業が再開されたのだけど、実技訓練の相手はマシュマロゴレムではなかった。
当然だ。同じ相手とばかり訓練してどうするというのか。
その相手は……。
「無理だ、俺には、俺にはゲルは斬れない!」
「何故だ、何故我々が争わないといけないんだ?」
「みんな落ち着いて、あれは蒸発ゲルじゃない、ただのゲルだよ!」
「「「知っているのかヨハン! じゃあ蒸発ゲルと違って強いのか!? 弱いもの苛めじゃないのか!?」」」
「マシュマロゴレムよりは強いくらいだね!」
「「「無理だあーーーっ!」」」
魔導騎士科の悲劇シリーズ、第二弾。蒸発ゲルの悲劇が幕を開けた。
まあ訓練相手はただのゲルだったんだけど、彼らの脳裏には蒸発ゲルたちの笑顔がちらついていたらしい。
気持ちはわかるが、ゲルは田畑を荒らすこともある害獣だとヨハンくんから説明を受けている。
訓練用に作られたマシュマロゴレムとは違い、実際に駆除へ向かう可能性がある存在だ。
「馬鹿なこと言ってないでさっさと駆逐しますわよ。ほら、イリスもはやくなさい」
「無理ですクリスタさまああっ」
「貴女もですの!?」
結局クラスの半数以上が戦闘を放棄したので、残りのメンバーだけでゲルたちを殲滅する羽目になった。
蒸発ゲルを友人だと思ってしまった彼らに、その同属っぽいものを殺すことはできなかったのだ。
「ねぇ、このクラス本当に大丈夫なんですの?」
「ダメかもしんねぇな……」
ジミーの、どこか遠くを見る目がとても印象的だった。
蒸発ゲル「我ら蒸発ゲルは不死不滅、何度でもヨミガエルさ」
さらっと今後だすタイミングがなさそうな設定を公開してくれる蒸発ゲルさん、まじイケメンです。
 




