051 わたくし八つ当たりしますわ
イリスの奴隷登録を正式に済ませた翌朝。
僕は悶々とするのを抑えきれずベッドでごろごろと転がっていた。
「あ~、うー、あー」
考えてみてほしい。
イリスは借金奴隷として登録こそしたが、その仕事内容は特に決めていない。
つまり僕がその気になれば戦闘奴隷として戦ってもらうこともできるし、家事奴隷として部屋の掃除をしてもらうことも可能。
そして愛玩奴隷として夜のお世話をしてもらうことだって可能なのである。
そんな彼女が無防備に隣のベッドで眠っている。
これは年頃の男にとってものすごい誘惑だ。
正直に言えば手を出したい。イリスは美少女だし、愛玩奴隷に手を出したって犯罪ではないのだ。
それどころか完璧に合法だ。僕が何をしようと責められることはない。
が、それは法律上の話だ。
僕はイリスを、正直これが恋心なのかどうかは判然としないのだけど、好きだとは断言できる。
イリスも僕を嫌ってはいないだろう。
けれど彼女は僕を女だと思っている。
それで無理やり関係を迫ったりしたら今後彼女と友人でいる事も、それ以上の関係に進むことも不可能になるだろう。
これがフィクションなら僕だって「やれ! そこだ、押し倒せ!」なんて無責任に煽るけれど、我が身に降りかかるとそんな簡単な話ではないとよく理解できた。
すまなかったラブコメの主人公たち。
いまだにお前らなんかモテすぎでムカつくとは思うけど、それでも手を出さずに耐えていることは評価してあげたい。
「そうだ、走ろう」
僕は転がるのをやめてむくりと起き上がると、赤い学生服、ではなく黒い学生服に身を包んだ。
上着は置いてきてしまったので今頃灰となっているだろうけど、着て帰った部分は修復を済ませた。
店に持ち込む時間的余裕はないので手作業だ。
裁縫に関しては前世の知識と経験しかないので不安だったけど、まぁ見られないほど酷くはない。
走るならノースリーブの服とスカートで十分だろう。
スカートの丈も長いしね。
「はっはっはっ、すぅ、はっはっはっ、すぅ」
口で3回吐いて、鼻から息を吸う。
特にちゃんと学んだわけじゃないけれど、これがランニング中の僕のスタイルだ。
早朝の冷たい綺麗な空気の中を走るのは中々清々しい気持ちだ。
寮の周りでは物足りなく、校舎のほうへと足を向ける。
こんな時間ではさすがにひと気はないかと思っていたけれど、意外と人がいた。
鎧を着込んでいるのは騎士科かな? 杖をもったりローブを着ている生徒もいるから、魔導師科もいるみたいだ。
さすがに政治科はいない。
魔道騎士科もいるかと思ったけど、ジミーとミゾレはまだ戻ってきていないし、イリスは部屋で寝ている。ジェイドは知らないけど、訓練をするにしても校舎へ来るような性格でもないだろう。
他の班が戻ってきたという話も聞かないし、ここにいるのは僕だけみたいだ。
「あら? 何かしら」
しばらく走っていると、ざわざわと騒がしくなった。
一部の生徒同士が揉めているらしい。
我ながら趣味が悪いなと思いながら、ついつい野次馬をしに行ってしまった。
日本人の悪い癖、いや、そういえばグリエンド人も野次馬する人が多かったな。
この世界の人、回復魔法のせいで危機感が鈍っているから。
「邪魔なんだよお前ら、図体でかいんだからすみっこに引っ込んでやがれ!」
「し、仕方ないじゃないですか、剣を振るにもある程度のスペースが必要なんです」
「魔法に比べたら大した広さじゃねえだろうが!」
「だからといって何故場所を渡さなきゃいけないんです、ここは騎士科のエリアですよ!」
「魔法訓練場の使用許可取り損ねたんだよ! お前らは森にでも行ってろ!」
「あなたたちが悪いんじゃないですか!?」
おぉ、細身の学生たちが鎧を着込んだガタイのいい学生4人に乱暴な調子で怒鳴りつけている。
前世の価値観が残ってると異様な光景に映るな、これ。
細身の学生たちが魔導師科、ガタイのいいほうが騎士科なんだろう。
騎士科の生徒たちはそのほとんどが一代貴族である騎士の子供たちで、そのままなら貴族になることはない。
逆に魔導師科のほとんどは領地もちの、代々貴族の家の子供で、平民出身者も自分たちは魔法の使える特別なエリートだという意識が高かったりする。
そんなわけでどんなに強靭な肉体を誇る騎士でも、魔導師や貴族の子息には強く出られないのだ。
実際、よほど近距離で戦いを始めなければ騎士は魔導師に勝てない。
それでも素直に場所を受け渡さず、少々弱気でも意見を通しているあの学生は大したものだと思う。
「ああ? だったらやるか? 勝った方が今日からここを使えるってことでいいだろ」
「え、いや、それは。勝てるわけないじゃないですか」
は?
「分かってんじゃねえか。だったらさっさとどけよ雑魚」
「う、でも」
「でももカカシもねえよ! 邪魔だっつってんだろ!」
「わ、わかり、ました」
はあ?
「はん、最初からそうすりゃいいんだよ」
「ちょっとそこの貴方」
黙っていられなくなった僕は、思わずそう声をかけていた。
「え、ぼ、僕ですか?」
「そう、貴方ですわ。なぜ戦いませんの?」
「は? そりゃこいつらが俺らに勝てるわけないから」
「貴方には聞いていませんわ!」
なんかさっきから邪魔なやつがいるので殴り飛ばしておく。
人が話してる最中に邪魔しちゃいけませんってお母様さまに習わなかったのか。
僕は習ったぞ。邪魔するとアイアンクローが飛んでくるんだ。
「「「ニーーーーックッ!?」」」
え? ニック?
あ、ほんとだ。聞き覚えのある口汚さだと思ったらニックじゃないか。
まぁいいや、あいつならこれくらいじゃ死なないだろ。
ちなみにディアスはいないようだ。政治科だしね、あいつ。
「で、なんで戦いませんの」
「あの人は無視ですか!?」
「あんなのどうでもいいんですのよ。何故戦いませんの」
「それは、だって。貴族に剣を向けるなんて」
なるほど、それはたしかに問題だ。
けれどここは学園で、さっきのは形式上貴族の側から試合を申し出た事になる。
「貴方たちから仕掛けるならともかく、貴族から挑まれた場合は問題ないでしょう?」
「だって、魔導師に勝てるわけないし」
「あ?」
思わず声が低くなる。
低くなっても女の子にしか聞こえないのは、この場合良いのか悪いのか。
「ひぃっ!? な、なんですか!? ていうか貴女ほんとになんなんですか!?」
「わたくしを知らないですって? 生意気な家畜ですわね。わたくしはクリスタ=ブリューナクですわ」
「げえぇえ!? 屠殺令嬢!?」
「なんですのその品の無いあだ名は!」
「ぼ、僕がつけたわけじゃありませんよ! ただ風の噂で」
「噂で?」
なんだろう。僕は牛とか豚とか殺した覚えはないけれど。
森豚は多足蛙をおびき出すエサに使っただけだし。
「平民を家畜と称して、殺して魚のエサにするのが趣味だって」
「あら、それは間違ってますわね」
平民を虐げるとか僕の方針に反する。
クリスタ=ブリューナクは平民も貴族も関係なく、好きな人たちを助けるために悪役令嬢を演じているのだから。
「あ、そうなんですか。そうですよね、いくら貴族様でもそこまで」
「わたくしにとっては貴族もみな家畜ですわ」
「もっと酷かった!?」
なぜか話している彼ら以外の、周囲の学生たちまで悲鳴を漏らしていた気がする。
おかしいな、ちゃんと笑顔で話しているのに。にこにこ。
「それで、貴方たち。騎士では魔導師に勝てないと本気で思っていますの?」
「だって、剣の間合いにたどり着く前に魔法でやられちゃいますし」
「たしかに魔法が使えない貴方たちは不利ですけれど、それで諦める理由になんてなりませんわ」
「え?」
だってそうだろう。
たしかに騎士は魔導師に勝てない。
それがこの国の常識だけど、魔法が使えないことですべてを諦めなきゃいけないなら、僕はここで悪役令嬢なんてやってはいない。
最初から諦めていたら、イリスを助けることだって、お兄さまをゴブリンキングから開放することだってできやしなかったんだ。
「わたくしが試して差し上げます。ちょっとかかってきなさいな」
「え、で、でも」
「安心しなさい、魔法は使いませんわ。武器も、そうですわね、どなたか模造剣を貸してくださる?」
「は、はい。これでもいいですか?」
騒ぎには混ざらず、様子を伺っていた別グループの学生から模造剣を受け取る。
軽く振って、問題がないことを確認する。
「大丈夫ですわ。さぁ、かかってらっしゃいな。まさか、同じ条件でも勝てないほど、騎士科は弱いと言いますの? なんなら4人同時でも構いませんわよ?」
「なっ。そこまで言うなら分かりました、後悔しないでくださいね!」
結論から言おう。
その騎士科4人組は弱かった。
いや、弱すぎた。
「貴方たち……本当に雑魚でしたのね」
「「「「うぅ」」」」
まさか4人がかりで僕に一撃も浴びせられないとは思わなかった。
お兄さまの警備兵たちが相当な実力者だったというのもあるだろうけど、それにしたってこの学生たちは弱すぎる。
「仕方ありませんわね、暇つぶしも兼ねて鍛えてあげますわ。そこで待っていなさい」
「え? 暇つぶし? ちょ、ちょっと!?」
イリスが傍にいるもやもやを発散するには丁度いい。
僕は彼らを鍛えるのに必要なモノを取りに、一度部屋へと戻ることにした。
部屋へ戻るとイリスはまだ眠っていた。
さすがに連日の騒ぎで疲れが溜まっているんだろう。
起こすのも忍びないから静かに目的のブツを手に取ると、さっさと騎士科の下へと戻る。
「あら、素直に残っているとは意外でしたわ」
「ぼ、僕たちだっていつまでも弱いままでいいとは思っていないんです。魔導騎士科、それも僕たちをここまで圧倒できる人が鍛えてくれるっていうなら、拒否なんてしません」
いや、君ら程度なら普通の騎士でも一人で一掃できると思うけど。
わざわざ追い討ちをかける事もないか。
「良い心がけですわ。それじゃ、走りこみから始めますわよ」
「わかりました、それじゃあ服を着替えに」
「何を言っていますの? そのままですわよ」
「え、でも鎧着たままじゃ重いし」
たしかに重いだろう。
重いだろうが、彼らは日本人じゃない、異世界人だ。
仮に学園の簡易な鎧ではなく、フルプレートメイルを着込んでも走り回るだけの体力があるはずだ。
「だから、何を、言っていますの! 貴方たち防壁魔法もろくに張れないのでしょう? 戦場で鎧を着たまま走る体力もなしに戦えると思っていますの!?」
この世界は人間同士の戦いだけでなく魔獣や魔物との争いもある。
相手が礼儀正しく戦ってくれるだなんて思ってはいけない。
「いや、でも」
「仕方ないですわね、わたくしも着れば納得するのかしら」
「え?」
「そこの貴女、申し訳ないけれど鎧も貸してくださる?」
「え? は、はい!」
剣を貸してくれた学生が女の子だったので、これ幸いと鎧も拝借する。
仕方ないんだよ、肩幅が狭すぎて男物の鎧が合わないんだから。
「これでよし。さ、走りますわよ」
「「「「えーーーーー」」」」
「は し り ま す わ よ !」
僕は部屋から持ってきたブツ。
いつぞやのフレイルを全力で振り回し始める。
ぶおんぶおんと豪快な音を立てて円を描く鉄球に、騎士科の4人の顔が青ざめる。
「まさか、それ」
「さあ! わたくしに追いつかれないよう逃げ回りなさい、家畜ども!」
「「「「やっぱりいいいいっ!?」」」」
「このオーガ! デーモン!」
「そこはせめて、せめて鞭じゃないのかよ!?」
「百歩譲って模造剣だろ!」
「あら、これも模造品ですわよ?」
「「「「打撃武器に模造品もなにもあるかああああーーーーっ!」」」」
一向に走り出さないのでとりあえず端のひとりを殴り飛ばすことにする。
大丈夫、フレイルの扱いにはもう慣れた。
「ぎゃあっ!?」
「まずひとり!」
「やべえゲラルドがやられた! こいつ本気だ!」
「逃げろ、殺されるぞ!」
「散開しろ! 全員を追うことなんてふかのぐおおおおおおおおおおお!?」
「アンドリュー!?」
馬鹿な、それでは訓練にならないだろう。
みんな一緒に死ぬ気で走ってもらおう。
大丈夫、どれくらいで死ぬかは経験済みだ。その直前でちゃんと止めてあげるよ。
「なぁ、あれ俺たちのせいなのか?」
「いや、あたしたち悪くないでしょ。ないよね?」
「ぶっちゃけ僕も騎士科は見下してるけど、あそこまで酷いことはできないよ」
「まったくだ、ひでぇことしやがる。アレが侯爵家のご令嬢か……」
見物していた魔導師科の貴族たちが何か言っているけど、気にしないことにしよう。
今はこの軟弱な騎士もどきを鍛え上げる時間だ。魔導師にかかずらわっている暇はない。
「何を寝ていますの、さっさと起きなさい! あ、それと列を乱した家畜から屠殺しますわね♪」
「「「「嫌ああああああーーーーっ!?」」」」
青い空の下、彼らの悲鳴が響き渡った。
後日騎士科にて行われた模擬戦で、彼らは学年上位の成績を叩き出したらしいが、特に僕へのお礼などは無かった。
解せぬ。
クリスタのもやもや発散に付き合わされる一般生徒たちの図。
先日もあとがきで報告させて頂いたFAの掲載許可をいただけたので、活動報告に載せさせていただきました!
とってもかわいいですのでTwitterやってないからみてないよ、という方は是非ご覧ください。




