005 わたくし赦しませんわ
いつもよりほんの少し長めです。
「あ、上がりました…… 」
お風呂上りのイリスを見て、自分の頬が熱くなるのを実感する。
彼女は可愛い。
けれど水浴びしかしていなかったという話からも分かるとおり、淡い桃色の髪はすこしキシんでいたし、その白い肌も多少は荒れていた。
しかし、しっかり身体を洗い、お湯に浸かり火照った彼女はとても色っぽかった。
もちろん髪質や肌荒れが1日で改善するわけもないが、浴室にあるシャンプーやリンス、ボディソープなどは貴族御用達の一流品だ。
髪はさらさらになるし、お肌にもいい。
なにより湯上りの美少女というのは男心をくすぐるものだ。
じーっと見ているとイリスに不思議そうに首を傾げられる。
「あの、どうかいたしましたか?」
「なんでも、あぁいえ、ひとつありましたわね」
表向き同性ということになっているとはいえ、マジマジと見てしまっては視線から男だとばれるかもしれない。
慌ててなんでもないと応えようとして、ひとつ気になっていたことを聞いてみることにした。
「貴女、なぜ昨日と口調が違いますの?」
「それは、お仕えする立場ですので」
「そう。学園の廊下ではもっとずけずけとしておりましたのに」
「あ、あの時は同室の方とは、ましてブリューナク家の方とは知らず、失礼いたしました」
ブリューナク。
それは王族が国を作る時に手を貸した、国を支えるための巨大な柱。
それは貴族階級に魔導師を集め、平民との区別をつけ、その平民のストレスのはけ口として奴隷を生み出した、貴族からすれば偉大な、平民や奴隷からすれば恐ろしい大貴族。
そんな相手に口答えした挙句、その相手が自分と同室だったという彼女の心労はいかばかりか。
けれど、それでは面白くない。
僕は最悪の貴族の侯爵令嬢を演じている。
そう、演じているだけだ。
本当に周りを不幸にしたいわけではないし、平民や奴隷を蔑んでいるわけでもない。
だというのにイリスは自室で口調に気を使い、心安らぐことができない。
これはいけない、そんな事ではだめだ。
自室というのはもっとだらけられる場所でなければいけない。
私服のままにベッドへ飛び込み、ポテチを食べながらコーラをがぶのみし、暖房つけっぱなしで寝たら翌朝熱をだして病院へ担ぎ込まれるような……違う違う、これは病弱だった前世の悪いパターンだ。
とにかく、イリスにも自室では安らいでほしい。
「つまらないですわ。貴女、わたくしの下僕ですのに、他の家畜どもと同じような事をされては、つまらないですわ!」
大事なことなので二度言う。
「ど、どうすれば」
「廊下で会ったときと同じようになさいな」
「ですがそれは」
「なさいな」
「です」
「なさいなさい!」
「かしこまりま」
「は?」
声を冷たくする。
男のものとは思えない甘ったるい声の中に、冷たい鉄の棒を差し込むように。
この侯爵令嬢が機嫌が悪いときの演技として、声を作り上げる。
一瞬、イリスが怯えたようにするが、今後もかしこまられ、怯え続けられるくらいならこの一瞬だけ怖がられるほうがマシだ。
マシ、なんだけど。
ごめんなさい、本当にごめん! いつか事情を話せる日がきたら殴ってもらっても構わない。
女の子を怯えさせていう事聞かせようとしているのだから最低でしかない。
前世の僕なら助走をつけて殴り飛ばす。
なぜ僕がこんな事をしなければいけないのか。
お爺様のせいだな、いつか助走をつけて殴ろう。
「わかりました、わかりましたからその感情の無い目をやめてください!」
「目ですの?」
声じゃないのか? がんばってたんだけど。
「えと、こんな感じでございま、ですよ」
言い直しながら、僕の顔へと手鏡を向ける。
そこにはあいも変わらず美しい白い髪、白すぎるほどに白い肌をした美少女が。
その桃色の瞳孔を開き、光のない眼で無感情に鏡を見ていた。
怖っ!?
あ、でも見覚えがあるなこれ。
前世の記憶が無い頃の僕は大体こんな表情だった気がする。
なんだ、驚かせやがって。
「ふふふ」
「ひっ」
しまった、油断して笑いがもれた。
こんな顔で笑われたらそりゃ怖い。当人が怖いのだから他人が怖くないはずがない。
でも、うん、これはいいな。
今度から相手を脅す時は意図的にこの顔を出せるように練習しておこう。
イリスに怯えられるのは困るので、ほっぺをぐにぐに、まぶたをぱちぱちとして表情を元に戻す。
「かわいい」
「え?」
ぼそっと漏れ聞こえたのはイリスの呟きだ。
うん、想像してみよう。
無表情な美少女が、鏡を見ながらほっぺを弄り、その後満開の笑顔になる。
小動物的な可愛さがあるね。
「あ、いやこれはその」
「いいですわよ。もう一度言って見なさい?」
「えと、クリスタさま、かわいいなと」
「ふふふ、いいですわよ。家畜がわたくしを讃えるのは当然のことです。好きなだけ褒め称えなさい」
「そうですよね」
イリスの表情が暗くなる。
……ですよね! 男が自分は可愛いから褒め称えろとかドン引きだよ、わかる!
いやまて、落ち着け。
たしかに男ならひどい発言ではあるが、侯爵令嬢クリスタとしては特段ひどい発言ではない。痛い発言ではあるが。
他にもっとやばい発言をしているのだから今更これくらいでしょげられても困る。
「クリスタさまは髪もお綺麗ですし、お肌も瑞々しいですし、本当に可愛いと思います。クリスタさまは別格ですけど、他の貴族さんもやっぱり、わたしなんかとは違う生き物のようです」
「それは、そう、ですわね」
ろくにお風呂にも入れないような平民と貴族は、やはり違う。
僕も水浴びしかしてこなかったが、貴族なので素がいいし、この学園に入るにあたって一ヶ月ほど入念に訓練された。
それにあたってスキンケアなどもしている。
この学園では当たり前のように使われている魔石を利用した品々はやはり高級品で、平民がおいそれと使えるものじゃない。
素材がいいとはいえ、平民の女の子と貴族では長年の積み重ねから差が出るので別の生き物のように見えてしまうのは仕方がない。
だがそれではいけない。
僕は男だ、こんなナリをしていても、ちゃんと男だ。
男が可愛いのは、まぁ諦めるしかない。そういう風に生まれたのだ。
なによりこの身は自称美の女神に押し付けられたものである可能性が高い。
それなら可愛くて綺麗なのは当然だし、それを否定するのは友達だったお地蔵さまを否定するみたいでしたくない。
しかし、しかしだ!
男が可愛くて綺麗なのに、女の子がそれを見てうつむくなどあってはいけない。女の子のほうが可愛くあるべきだ。
というか、女の子は女の子であるというだけで、男からしたら可愛いものだ。異論は認める。好みというのはあるからね、
「いえ、いけませんわ!」
「え?」
「あなたはわたくしの下僕ですのよ、そこらの家畜に負けるなど許しませんわ!」
「え、まってください、その、そこらの家畜ってまさか」
「あなたの言うほかの貴族さんの事ですわ!」
「いやいやいや待ってください、待ってくださいクリスタさま!」
「わたくしからしたら貴族だろうと平民だろうと奴隷だろうと等しく家畜ですわ! 私の下僕が他の家畜より可愛くないだなんて認めませんわ! お座りなさい! 早く! ハリーハリーですわ!」
思い出してほしい。
僕が作り上げようとしているクリスタ=ブリューナク侯爵令嬢の設定はこうだ。
王族とブリューナク家を除いた民はみな等しく家畜である。
そして気に入ったものは下僕としている。
邪魔者はどかす(物理)。
そんな彼女の下僕が他の家畜のほうが綺麗だというなどと、認めるだろうか?
いいや、認めない。
認めてはいけない。
まぁ、普通の男なら諦めるしかあるまい。
なにせ女子のスキンケアなどわからない。それどころか男としてのスキンケアだってちゃんとやっているやつは少ない。
精々綺麗な服を贈るくらいしかできないだろう。
だがしかし、しかしだ。ここで改めて思い出してほしい。
なぜ僕はこんな愛らしい容姿で生まれたのか?
あの自称美の女神に再臨用の肉体とやらを押し付けられたからだ。
そしてあいつは四年間語り合ってきたお地蔵様だ。
春風 晶は4年間、美の女神らしきお地蔵様と語り合ってきたのだ。
そんな僕が美容の知識をもっていないはずがなかった。
何度も同じ雑学をよく話してくる友人。
僕にとってあのお地蔵さまは、そんなポジションだった。
問題があるとしたら、この手の知識って数年、下手したら数ヶ月で更新されることだけど、ここは異世界だ。地球の常識を参考にしつつ、固執しないようにしておこう。
「まず髪を乾かしますわよ。あなた温風の魔法は扱えますわね?」
「熱波までなら」
「強すぎますわ! 髪を焦がすおつもり!?」
そんな魔法を使われたらキューティクルが全損だ。
「すみません!?」
「では、えーと、これでいいですわね」
ばきっと天井から吊るされていた魔石のうち一つをはずす。
魔石というのは魔物から取れる特殊な石で、魔物の元となった魔法が込められている。
詳しくは今回省くが、この魔石の魔力を使い切ると空の魔石になり、自由に魔法が込められるようになる。
部屋の照明に使われているのは、そうして一度使い切られたクズ魔石に光の魔法を込めた安価なリサイクル品だ。
それでも、平民が簡単に買えるようなものじゃないけど。
「わたくしがしてもいいのですけれど、これも練習ですわね。イリス、この魔石の魔力を散らせなさいな」
「あの、魔石灯が壊れて」
「問題ありますの? ありませんわよね?」
「はい、ありません」
何かを諦めたように魔石から光の魔力を散らすイリス。
ついで熱風の魔法を込めてもらう。
「あら、わたくしとしたことが、もうひとつ要りますわね。イリス、こちらには冷風をお願いしますわ」
「……はい」
天井の魔石灯からばきっと魔石をとりはずし、再びイリスへと手渡す。
ちなみに160cmちょいの僕の手が天井に届くはずもなく、ベッドに乗ってとっている。
さて、すでにお気づきだろうが改めて言わせて貰おう。
いま作っているのはドライヤーである。
この世界には色々と魔道具があるが、残念ながらドライヤーはない。
髪を乾燥させるだけなら乾燥の魔法があるからだ。
しかしそれではいけない。
あれは水分を蒸発させるための魔法で、髪を乾かすのはただ蒸発させればいいというものではない。
そもそもドライヤーに温風機能と冷風機能があるのにはちゃんと理由があるのだから。
「さて、イリス、動いてはいけませんわよ」
「え? ひゃっ」
湯上りのイリスの髪をタオルで丁寧に拭いていく。
ごしごしと、ではいけない。タオルで髪をはさむようにして軽くぱんぱんと叩き、髪の間にある水分をタオルにうつして行く。
男だと適当に自然乾燥させるやつも多いのだけど、これは臭いの元になってしまう。
生乾きの雑巾が臭うのに、人の毛が大丈夫なわけがないのだ。
間違ってもガシガシと拭いてはいけない、髪が傷つく。
「クリスタさま!? いけません、そのようなこと」
「貴女わたくしの邪魔をするおつもりですの!? 動くなと言ったでしょう!」
「ええぇぇえぇ!?」
叫んでも無駄である。
いまの僕は平民の髪を強引に乾かす極悪貴族、クリスタ=ブリューナクだ。
次にイリスに作ってもらった温風の魔石を使う。
人の手で魔法が込められたものは魔道具と言われ、魔石に触れて念じれば誰でも扱えるので僕でも大丈夫だ。
そこから噴出す温風で彼女の髪を一気に乾かし、たりはしない。
それでは乾燥の魔法と一緒だ。
髪からある程度魔石を離し、頭皮に直接あたらないよう斜めに風を送る。
また長時間同じ場所に当たり続けないよう気をつけつつ、髪全体に少しずつ当てていく。
8割ほど乾いたところで冷風の魔石の出番だ。
温風だけで乾かさないのにはいくつか理由があるが、今回の理由としてはキューティクルの保護である。
このキューティクルというやつは男にはよくわからない単語だけど、今回軽い説明に留めよう。
これは髪にある鎧のようなものだ。温かい状態だと鎧の隙間が大きくなり、傷つきやすくなる。
髪を8割ほど乾かした後に冷風を浴びせ冷やすことで強固な鎧にし、寝ている間などに布や髪同士の摩擦で髪が傷つかないように守れるのだ。
しかも隙間の無い強固な鎧からは水が逃げなくなるので髪はつやつやになるし、長髪であってもからまりにくくなる。寝癖だってつきにくくなるのでそれで悩んでいる人は是非試してほしい。
そんな事をイリスに説明しながら、丁寧に髪を乾かしてやる。
もちろんブラッシングも欠かさない。
ブラッシングも本当は入浴前にしたほうがいいんだけどね。
うん、綺麗になった。
我ながら完璧な仕事である。
「お、終わりましたか?」
「ええ、終わりましたわ」
「あ、ありがとうございました」
侯爵令嬢に髪をケアされるなどという恐ろしい状況から脱した彼女に、しかし僕はひどい言葉を浴びせかけた。
「髪は終わりましたわ、さぁお肌のお手入れですわよ!」
「まってください、大丈夫です自分で、自分でやりますから!」
「何を言っていますの、貴女にわたくしと並び立つに相応しいだけのお手入れができまして? みすぼらしい下僕を連れ歩くなんてご免ですわよ」
「うぅ……」
これは彼女が僕へかけた不安に対する軽い意趣返しでもある。
平民の彼女に、貴族が贅を凝らしたスキンケアなどできるわけが無い。
そもそも僕の知識は自称美の女神にけしかけられて学んだ日本のものだ。
当時はただの男子学生だったから生かす機会もなかったけれど、今は違う。
「さ、お手入れの時間ですわよ!」
「ううぅぅぅっ」
涙目のイリスに軽い嗜虐心が疼く。
同室の平民を追い詰める姿はまさに悪役令嬢に相応しいものだろう。
男の僕がスキンケアに気を使って生活しなきゃいけないのに、女の子のイリスが平民だからとおざなりにするなんて許さん!
スキンケアなんて男の身からすると面倒で時間のかかるだけのものなのに、この学園に通うことが決まってから毎日ちゃんとやってるんだぞ!
あぁ、髭剃りだけでよかった前世が懐かしい。あれはあれで肌を切る危険があったけど。
けれど大丈夫、イリスにだって時間ならある。
夜はまだ、はじまったばかりなのだから。
スキンケアの仕方は色々あるのでツッコミは受付中。むしろ作中で彼らに語らせたい豆知識などは大募集してますので感想欄からどうぞ( ゜∀゜)つ
体調が普通の風邪の範囲になってきたので主人公の怨念退治も秒読みです。
今年は風邪からの高熱で入院してる人もいるそうなので皆さまもお気をつけください( ノД`)…




