026 わたくし鞭に打たれるのは嫌いですわ
今回若干のグロ表現がありますのでお気をつけください。
鬱展開はありませんのでそこはご安心ください。
ジェイドフィッシュ事件にはその後だれも触れず、1日の授業を終えて放課後になった。
相談の結果、班を組んだメンバーで実地訓練用の買い出しへ向かうことにした。
ガイスト学園は全寮制の学園で、学園外に出るには許可がいる。
学園内はこれで様々な機密が行き交っている。その情報を高く買い取る情報屋などもいるので、その対策だ。
外出許可は簡単にとれるので未然に防ぐことができないけど、情報が漏れた時外出していた生徒を調べることはできる。
まぁ貴族なら名前を名乗るくらいで出られたりしてしまうのだけど、貴族の子息は緊急の要件で領地へ戻ることもあるので仕方ないといえば仕方ない。
つまり貴族ではないイリスとミゾレは許可がいる。
とはいえ手続きは簡単なものだし、なにより学園の授業の準備として出かけるのだから問題など起こるはずもない。
無事に外出許可を取った僕らは、街へと繰り出した。
買出しの内容だが、実はまだ決め切れていない。
一応学園からの支給品として幾ばくかのポーションなどはあるけれど、ほとんど自分達で用意しなければならない。
ただしそのお金は支給された3000ジェムから賄わなければならないのが問題だった。
魔導騎士は精鋭だ、それは戦の力にだけに留まらない。個人で強力な彼らは単身で敵地の偵察任務に就くこともあり、乏しい物質の中でやりくりせねばならないからだ。
むしろお金を使って事前準備をしていい今回は優しいとさえ言えた。
皆それぞれに自分のカードを眺め、残高を確認している。
僕の残高はいま着ている改造制服を作っても、なお1000万以上余っている。魔導武器を購入した時なぜか所持金が増えた結果だった。
なのにたった3000しか使えないとは、理由を理解はしていても悲しい話だ。
ところで、この国の通貨、意外なことに金貨などの硬貨ではなく、かといって紙幣でもない。
ではどんなお金かといえば、前世でいうところの電子マネーが一番近い。通貨単位はジェム。
特別なカードに特殊な魔力を注ぐことで、それがお金扱いになるのだ。このカードも個人の魔力を認識している魔道具なので他人は使えない。
平民も魔法が使えないだけで魔力はあるし、起動そのものに莫大な魔力の補充を必要とする魔導武器は使えなくても、元々魔力が込められている魔道具は使えるからね。忘れがちだけど。
こんなもの簡単に偽造できそうだが、それは不可能に近い。
最高位の魔物の魔石を複数用意し、幾重にも張り巡らせた魔方陣の中で王族の魔力と混ぜ合わせた魔力だけが、この国のお金として認められている。
ぶっちゃけその魔石のひとつでも売れば一生、どころか孫の世代まで遊んで暮らせる金額になるのだ。
日本の紙幣を偽造するだけの印刷機があるなら、素直に印刷業を営んだほうが儲かるのと同じことだった。
しかもこのカードは魔道具としての効果で、お金、つまり魔力を宝石のような形で取り出すことも可能だ。
これは外国だと良質な魔石のようなものとして取り扱われているので、外国へいった時には普通に両替、というか換金してくれる。通貨単位のジェムの由来はここから来ている。
当初通貨単位はなく、単純に数字だけでやりとりしていたらしいけど、諸外国とやりとりするようになってから不便だということでつけられたらしい。
だったら王族はお金作り放題の使いたい放題か、というとそんなこともない。
そんなことしたら普通に経済破綻するだけだ。この辺も紙幣を印刷しまくれば良いわけじゃないのと同じ話である。
「さてと、何から買いにいく?」
早速仕切りはじめるジミー。
自己顕示欲の強い彼らしいが、まとめてくれるのはありがたい。
イリスもミゾレも他人を引っ張っていくような性格ではないし、ジェイドは僕をたてて一歩引いている。
そして僕が、というかクリスタが引っ張るのは難しい。
リーダーシップを発揮する悪役令嬢が微妙というのもあるけど、僕は幽閉されていたお屋敷とこの王都しか知らない。
実地訓練の場所はゾルネ村というらしいけど、名前を聞いても場所もわからなければ何を準備すればいいかもわからない。
「ゾルネ村は、近いけど、少し遠い。馬車で一日半」
「ミゾレは行ったことがおありですの?」
「冒険者をしているときに、一度」
深い森に囲まれた村らしい。
主な産業は森豚という豚の畜産で、この森豚は菌類を背中に纏って繁殖させるらしい。
これが希少な薬の原料になるのだとか。
ちなみにその菌類は不味いみたいだけど、森豚は食べても美味しいらしい。
「前は馬車で行った」
「ちなみに馬車っていくらだ?」
「片道1人、420ジェム」
「「「「…………」」」」
たか、くはない。
ただ往復で支給金の3割近くが飛んでいく。
改めて言うがこの馬車の代金は高くない。むしろ一日半も乗せてもらってそれなのだから格安だ。
乗車時間だけで比較すれば日本の公共交通機関よりも圧倒的に安い。
学園からの支給金が少なすぎるんだよ。
「お嬢様、移動手段なら私が出せます。馬車はやめておきましょう」
「魚じゃありませんわよね」
いくら速度があろうとも、ぬらぬらてかてかにはなりたくない。
「あれが一番使い勝手が良いのですが、一度いったことのある場所にしかいけないのです。私はゾルネ村には行ったことがありません。ですが他にも色々と居ますのでご安心を。それよりも、解毒薬など魔法で代用できないものへ支給金を使うべきでしょう」
誰も反論せずに頷く。
ジェイドはこれで高位の冒険者だ。
経験者の発言を軽んじるようなやつはここにはいない。
同じく冒険者をしていたミゾレも同意見のようだし。
毒は回復魔法で治せない。
一応解毒の魔法というのはあるらしいけど、これは魔法で引き起こされた毒を消し去るだけらしい。
天然由来の毒には対処できない。毒と一言でいってもその種類は煩雑を極める。傷口の細胞を綺麗に増やせばOKな怪我とはわけがちがうのだ。同じ理由で病気も治せない。
回復魔法の熟練者なら、その毒の性質を理解していればそれに応じて魔法を組み立てることができるという話を聞くけど、やはり毒だからと咄嗟に解毒魔法を使う、といったことは無理らしい。
お母様に聞いた話で一番恐ろしかったのが、毒だと思っていたら実はウイルスで、回復魔法でそれが増殖して即死したという話だ。
お母様は時々そうした話を夜寝る前に絵本感覚で話すから、感情の希薄だった当時の僕でもベッドの中で震えた記憶がある。
「この人数でぞろぞろ移動しても邪魔だな。バラけるか?」
「なら、私は薬を」
「ミゾレなら適任か」
「ん。精霊が教えてくれる」
なんでも薬の類いは運が悪いと偽物を掴まされることがあり、自然由来の薬品ならミゾレが精霊の反応で調べられるらしい。
ジミーは非常食を、ジェイドは冒険者ギルドに寄ってゾルネ村の周辺の魔獣や魔物の情報を調べて来る事になった。
そして僕は。
「わたくし、特にやることがありませんわね」
正直お金を使っていいならいくらでも欲しいものはある。けれど使えるのは子供のお小遣いレベル。
野営道具とか、馬とか、普通の旅に必要そうなものは魔法でどうにかする。
となると普通ではないものを探すことになる。
普通ではない、といえばやはり魔道具だろう。
この世界の人にとっては日用品の魔道具だけど、僕にとっては目新しい品だ。
春風 晶としては当然として、クリスタ=ブリューナクとしても長年幽閉されていた身なので屋敷の外の魔道具は新鮮だった。
さらに言えば魔導武器は一部のものしか扱えない高級品ということもあり、この世界でも普通の道具ではない。
ふと《肉を切り刻むもの》は買った時に所持金が増えたけど、これは3000ジェム以内に含まれるのだろうかと疑問が浮かぶ。
もちろんそれがOKなら家から持ってきたという事にしてなんでも使い放題になってしまうけど、王都に実家がある生徒はそもそも少ない。貴族はみんな自分の親の領地から通えないから寮にいるのだし。
そう考え出したら気になって気になって仕方がない。
僕はあの魔導具店に行ってみることにしよう。
「ではわたくしは魔道具店に行ってまいりますわ」
「!?」
イリスがすごい勢いで僕を見た。
なんだろう、初めてみる表情だ。かわいいというか、少し面白い。
「侯爵家のお嬢様? 3000ジェムじゃ魔石だってろくに買えないぞ? わかるか?」
「世間知らず。箱入り?」
ジミーがやさしい目をしている。
いや、わかる、わかってるよ僕だって。《肉を切り刻むもの》 の起動用に魔石買ったわけだし。容量極小の無属性魔石でも1000くらいした。魔物相手に命がけでとってきた品だと思えば安いんだけど。
「まぁ、いいではありませんの。安い掘り出しものがあるかもしれませんし」
「いや、どうしてもっていうなら行くのはとめないけどさ」
「ではそういうことで」
「あ、待ってください!」
突然の大きな声に驚くと、イリスがぷるぷる震えながら僕を見上げていた。
なにこの生き物、可愛い。
「どうしましたの?」
「わ、わたしも着いて行っていいですか?」
「かまいませんけど」
そんな勇気を振り絞って言うようなことだろうか?
「イリスさんが懐いてる。すごい」
「感謝しろよクリスタ」
「は? 何をいっていますの貴方」
本当に何を言ってるんだろうジミーは。
「イリスがお前に懐いてるのは俺との戦いにお前が割って入ったからとみた。つまり俺の功績だ、存分に感謝してくれ」
「訳がわからない」
「……ふぅ」
ミゾレの言うとおりだ。本当に何を言っているんだろうこの男は。
たしかにそういう側面もあるかもしれないが、それを理由に自分の罪を棚上げしていいわけではない。
僕は真顔で《肉を切り刻むもの》を抜いた。
「まて! わかった、冗談だ! だからその物騒な包丁をしまえ!」
本当に切りかかるつもりは無かったけれど、通行人が包丁をみてギョっとしていたので素直にしまった。
じゃれあう僕らの横で、イリスにミゾレが話しかけていた。
「イリスさん、ブリューナクさん好きなんだ」
「違うんです。いや違わないんですけど、違うんです。確認、クリスタさまがどの魔道具店にいくのか確認しないと……」
「たしかこの通りでしたわね」
イリスを伴って街を歩く。
美少女とデートだわーい。そんな気持ちがないとは言わないけれど、傍から見てそうは見えないだろう。
ぱっと見どちらも美少女だという事をさておいたとしても、だ。
「く、クリスタさま? この通りは魔道具店は少ないですよ? 隣に行きませんか?」
そう、さっきからイリスが若干震えながら僕の様子を伺っているのだ。
声も震えているし、せわしなくキョロキョロと周囲を見回している。
有体にいって挙動不審だった。
「大丈夫ですわよ。一度足を運んでいるお店ですから」
「そ、そうなんですか。あの、どんなお店か聞いても」
「最近できたお店のようですわね。開店セールをしてましたし、壁が綺麗すぎましたから」
日々どんなに清掃を心がけても外の壁というのはどうしても汚れるものだ。
地面との境目あたりなど砂や泥などがすぐにつくし、経年劣化は隠しようが無い。
その点あのお店はとても綺麗だったから、間違いないだろう。
それを聞いたイリスは壁に手をついてうなだれていた。
「イリス? どうしましたの、そんなお猿さんみたいな」
かの有名な反省のポーズである。
彼女はなにか反省するべき事をしたのだろうか。
悪役を自認する身としては相談に乗る、なんて言ってあげられないのがもどかしい。
「なんでもありません……」
そうは言うものの、若干目が死んでいる。
さすがに心配になった僕が問いただそうとした時、それは聞こえてきた。
「おら、チンタラしてんじゃねぇ!」
「やぁっ!」
「うん?」
突然の怒声。
驚いたのは僕だけじゃなかったらしく、周囲の人たちも声の主を見た。
そこには小太りの男が、褐色の少女の長い黒髪を掴んで引きずる不快な光景が広がっていた。
少女の服装は布に穴をあけて首を出せるようにしただけの、貫頭衣にしても質素な代物で、横から素肌も大きく見えている。首には太い鉄の輪が嵌められていた。
「あれは」
「奴隷、ですね」
痛ましいものをみるように目を向けるイリス。
さすがにもう反省のポーズはしていない。
「や、離して!」
「うるせえこの盗人が! てめえはもう俺の奴隷なんだよ、精々死ぬまで奉仕しやがれ!」
なるほど、あの娘は犯罪奴隷か。
奴隷といえば二種類のイメージがある。
まずは日本人がよくイメージする主に逆らえず、暴力を振るわれ、慰み者にされる戦利品としての奴隷。
そして仕事の自由は無く、金銭も支払われないが、家はあり、主の許可があれば家庭も持て、祝い事では酒も振舞われる、最低限の保障がされていた奴隷だ。
グリエンド国では3種類の奴隷がいる。
まず借金を返せず、あるいは借金をするために奴隷となった借金奴隷。
彼らは規定の額を稼ぎ上げるまで仕事をやめられず、重労働を強制される。
だが仕事をしていれば暴力を振るわれることもないし、食事も提供され、奴隷ギルドが監視してるので性的な奉仕も強要されない。
超絶ブラックな派遣社員や契約社員のようなものだ。
次に犯罪奴隷。
犯罪に手を染め、捕縛されたものがなる奴隷だ。
この国が奴隷で成り立ってしまっている最大の要因ともいえる。
なにせ捕まった場合の処置が数日の拘留、犯罪奴隷落ち、死刑の3つしかない。
この国には日本のように、わざわざ犯罪者を牢に入れて仕事をさせ、養い、更生させる余裕などない。
だから凶悪犯でもなくとも、簡単にこの犯罪奴隷となってしまう。
借金奴隷は実のところ誰でもなれるわけではない。派遣社員のようなものというのは我ながら良い例えで、最低限なにか仕事ができなければなれない。
あの少女のように力もなさそうで、恐らく学もないだろう年頃では花売りしかできないだろう。
強要はされないだけで、そういう仕事を自分から求めることはできる。
けれど食うものに困り、その手の仕事も拒否すれば盗みを働くしかなくなる。
そうして犯罪奴隷に身を落す者もこの国には多かった。
最後に闇奴隷。
国が正式に認めていない、いわゆる攫われてきた奴隷たちだ。
これに関してはブリューナク家も認めていない。というか奴隷を管理する奴隷ギルドのずっと上はうちなので、その領分を侵す闇奴隷を認めるわけが無い。
お爺さまは闇奴隷を売っている奴隷商や闇ギルドを見つけたら、その構成員を一人残らず惨殺している。
「助けようとはしませんのね」
無理やり連れて行かれる少女を、皆哀れに思いつつ、けれど助けようとはしない。
あぁまたか、そんな空気で場が満ちて、各々の生活へと戻っていく。
貴族に対してさえ意見するイリスが、あの奴隷の扱いを見て飛び出さないのが少し意外だったから、思わず呟いてしまった。
あの小太りの男はどうみても平民だろうし。
「あの人は、悪い事をしていませんから」
小さな拳を握り締め、震えながらも諦めたように呟くイリス。
そう、あの男はなにも悪い事をしていない。
犯罪奴隷を、自分の道具をひきずっているだけなのだ。
ニックとディアスのときも、僕へ反論したときも、イリスは自分に対する言葉に反論していただけだ。
アルドネスも、平民を無理やり奴隷に落すのは貴族であっても罪なので、彼女が抵抗しても法律上は問題ない。
奴隷推進派の貴族は平民を殺しても権力でもみ消すことが多いので、普通抵抗なんてしないが。
けれど今回はいつもと違う。
イリス個人にふりかかった火の粉ではないし、なによりこれがこの国の日常なのだから。
「それでいいのですわ。貴女はわたくしの下僕です。あのような家畜に一々反応する必要はありませんわ」
「……」
いつもなら反論するイリスも、いまは何も言わない。
僕について歩きながらも、その目は奴隷の、泣きじゃくる褐色の少女に向けられている。
彼女は目を逸らさない。
助けたいのだろう。でも助けられない。
なら俯けばいい。或いは前だけをみればいい。それであの奴隷はいなかったことにできる。
だけど彼女は目を逸らさない。
自分の無力に震えながら、自分が泣き出しそうな表情をしているのに。
はぁ……。
ため息を一つ。
小さくしたけれどイリスは気がついたようで、そっと僕を見上げてくる。
まったく不器用で嫌になる。
イリスとあの奴隷は赤の他人だろう。
抱えなくてもいいストレスを抱えるなんて馬鹿の所業だ。
生きにくい事この上ない。
ああ、だからか。
あの日僕がイリスを助けたくなった理由が、分かってしまった。
かわいいから? 正しい。
女の子に良いところを見せたかった? 結果的にあんな感じだったけど、それも正しい。
言い寄っていたニックとディアスにイラついた? 大いに正しい。
けど、自分を悪役にしてまで助けたのは、分かってしまったからだろう。
イリスと僕が、似たもの同士だってことに。
できないとわかっていても、やりたいことがあって、そこから目を背けられない。
身体が弱かったのに、みんなのように動きたくて、その事を見ないように必死に走っていた僕のように。
あと少しで男と奴隷の少女の横を通り、すれ違う。
それだけで何も見なかったことにできるのに、それでもイリスは奴隷を見ている。
抵抗する奴隷にイラついた男が鞭を取り出し、奴隷を打とうとしたその時に。
「イリス、次はあのお店に入りましょう」
「え?」
僕はたまたま男の横にある店に入ろうとして、男と奴隷の間をつっきろうとして。
バチィンッ!
男の鞭が僕の身体に直撃した。
いつも騒がしい街の喧騒が消え、静まり返る。
男も、奴隷も、僕も、イリスも。
周囲で見ていた、見ないようにして日常へ戻ろうとしていた民衆も、いまは再び男と奴隷を、いや、僕らを見ていた。
「痛いですわね」
めちゃくちゃ痛い。
実は鞭というのは何度も何度も叩かないと怪我をしにくい。
けれど、棒で殴るのとは比べ物にならない痛みを与える。
痛めつけるためではない、怯えさせ、抵抗する意識を削ぐための道具だ。
だから、今にも泣き叫びたいほどに痛い。
だが、それは悪役令嬢に相応しくない。
「貴方、自分が何をしたのかわかっていますの?」
「え、は?」
「家畜の分際で鞭を持つだなんて、何様のつもりなのかしら」
男が正気に戻るよりも早く、僕は男の鞭を弾き飛ばした。
男の手元から離れ、地面に転がる鞭。
「ひ、ひぃっ!? て、てめぇ何しやがる! 今のはてめぇが飛び込んで来たのがわりぃんだろうが!」
驚き、尻餅をつきながら怒鳴る男に、僕は呆れ返る。
ガイスト学園の、貴族の赤い制服をきた生徒に向かって、平民がそんな事を言って良いと思っているのだろうか?
……あ、しまった黒く染めてたんだ。そのほうが悪役っぽいって理由で。
結構改造してるから見慣れていないと制服だってわからないかもしれない。
けどまぁ、そんなことを気にするクリスタ=ブリューナクではない。
「貴方、家畜の癖に飼い主の顔もわかりませんの? ふふふ、さすが畜生ですわね」
「あぁっ!? なにわけのわからねえ事いってやがるクソガキ! 大人をなめてんじゃねえぞ!」
男が懐からナイフを取り出すと、僕へ切っ先を向けてくる。
実際に切りつけるつもりかどうかは、知らない。
関係が無い。
貴族に刃を向けたのだから、それだけで処罰できる。
何より僕は、この男がただの屑だと思ってしまった。
ニックとディアスは、実際のところイリスに危害を加えていない。
ジミーは一応訓練中の話だ。
だがこいつは違う。
奴隷を力づくでひきずりまわし、意図せずとはいえ僕を鞭打ったというのに、謝罪もせずナイフを抜く。
しかもその動作がスムーズで手馴れている。日常的にこういう事をしているのだろう。
「へ、へへ。人様に蹴りいれるたぁ綺麗な顔してふてえ譲ちゃんだ、巡回騎士が来るまで大人しくしててもらうぜ。なあに奴隷落ちしたら俺がかわいがってやるよ」
武器を持ったことで気を取り直したのか、下品な笑みを浮かべる男。
生憎、お前なんかに可愛がってもらう気など毛頭ない。
でもあのナイフは危険だ。刃渡り30cmくらいだろうか。
だから僕はすでに使い慣れた《肉を切り刻むもの》 を抜くと、ナイフを握る男の右腕を切り飛ばした。
「え、あ?」
「飼い主に牙を向けるとは、これでは家畜ではなく害獣ですわね」
「あ、あ、ああああああああああああ!? 腕がぁ、腕ええええ俺の腕えぇぇぇッッ!」
男の醜い悲鳴が響き、場が騒然とする。
魔石を使っていないので呪いは発動しないけど、こんな男には必要ないだろう。
謎の少女が巨大な包丁で男の腕を切り飛ばしたというのに、意外なことに逃げようとする人はいない。
たぶんこの世界には回復魔法があるからだろう。ほとんどの平民は使えないけれど、大きな町には医者代わりの医療魔導師が常駐している。
腕が切り落とされたくらいなら、傷口次第だけど大体2時間以内に回復魔法をかけてやれば綺麗に治る。
というか、そうじゃないとさすがの僕も腕を落すのは躊躇した。
彼は盗賊というわけじゃないし、ここは平和な街中なのだから。
結局周囲の人から何人かが巡回騎士を呼びに走り去ったみたいだけど、見世物感覚の人が多いみたいだ。
危機感が足りない。
でも僕にとっては都合が良い。
ここ最近は魔導騎士科の気の良い面々と話していたから、忘れかけていた。
この国はこういう場所で、僕はそれを煽る貴族の出だ。
けれど僕には力が足りない。あるのは侯爵家としての名と、ほんの少しの剣の腕。
もっと必要だ。誰かを守るためには、大きな力が必要だ。
手っ取り早いのは有名になることだろう。悪名は無名に勝る。
ブリューナク侯爵家のお嬢様ではなく、クリスタ=ブリューナクの名を知らしめる必要がある。
「ちょっと、うるさいですわよ」
「ぎゃあっ!?」
僕は自分の声がよく通るよう、騒がしい男の顔面に蹴りを入れて黙らせた。
たしかにこの男は犯罪者ではない。
だけど、法を犯していなければ何をしてもいい、とは思わない。
そんな屑がわめいても、僕の心は痛まない。
奴隷の少女の泣き顔が、イリスの悔しそうに震える肩がのほうが、僕の心を揺り動かす。
だから彼には、精々僕の名を広めるための生贄になってもらおう。
「ふふふ、もしかして、まだわたくしが誰かお分かりになりませんの? それとも、この場にはわたくしの下僕以外にわたくしを知るものがいないのかしら?」
周囲を見回す。誰も僕の名を呼ばない。
当然だ。つい最近まで、17年間も幽閉されていた貴族の顔など、誰が見たことがあるというのか。その名を、誰が知ると言うのか?
「ええ、ええ、そうですわね。所詮家畜に人の名を覚える脳などありませんもの。でもわたくし、そんなの我慢がなりませんわ。だから、ちゃんと覚えてくださいませ」
周囲を睥睨し、悪役令嬢は名乗りを上げる。
美の女神に戴いたその姿を晒し、耳に残る、愛らしい声音を持って言い放つ。
「わたくしは偉大なる侯爵家の長女にして、家畜である皆様の飼い主、クリスタ=ブリューナクですわ!」
次回、ついに彼が役に立つ!?
すでに明日の20時で予約投稿していますのでお楽しみに!




