024 わたくし懐かしい夢を見ましたわ
あぁ、これは夢なんだなと分かる時がある。
明晰夢というやつだ。
夢の中なら痛みはないというけれど、実際のところ感触がある事も多い。
少なくとも、僕の場合は。激痛とかはさすがにないけどね。
そんな夢の中、舞台は幽閉されていたお屋敷らしい。
恐らくは僕の一人称視点で、目線の高さから察するに年齢は一桁くらいだろうか?
狭いお屋敷の狭い部屋、といっても日本の住宅事情と比べたら、高級住宅街にありそうなお屋敷なんだけど。
そこには僕と、お母様と、幾人かの使用人だけが暮らしていた。
けれど、いま目の前にいるのはその誰でもない。
アルドネス=ブリューナク。
侯爵家の長男にして長子。現伯爵。
お爺さまが現役を退けばお父さまが、そしてお父さまの次はこのアルドネスが侯爵を継ぐ。
夢の中の彼は、夢の中の僕と同じく今よりも若い。20代後半といったところだろうか。
顔は整ってはいるけれど、その表情には今と変わらずろくでもない性格がにじみ出ている気がする。
「貴様、なぜこんなところにいる」
「なぜと言われましても」
いぶかしげなアルドネスの問いに答えるように、僕の口が勝手に動く。
僕の意思で言葉を選んでいるわけじゃないから、やはりこれは夢で、記憶なのだろう。
普通転生者の夢って前世の記憶じゃないのかよと誰かを、この場合はお地蔵さまかな? を問い詰めたい。
「この狭い屋敷であの女と暮らす日々、退屈であろう」
「そうでもありません」
「ならば楽しいとでもいうのか? 私には耐え切れんな」
「楽しくもありませんが」
彼の声音は僕を馬鹿にしているようなものに変わりは無い。
僕と違って彼には魔法の才能がある。
彼からしたら僕は侯爵家の恥さらしもいいところだ。
そんな僕と、なぜ彼は話をしようと思ったのだろうか?
「わからんな。ああ、まったくわからん。人生は楽しいほうが良いに決まっている。その程度、平民どころか奴隷ですら理解している」
「そうなのですか」
「この屋敷の外には様々な物がある。美味い食事、上等な服、いい女。まぁ貴様のような子供に女はまだ早いかもしれないが。私はそれを存分に堪能している。羨ましいだろう?」
「別に?」
淡々と応える僕に、アルドネスは困ったように頭を掻いている。
この頃の僕は屋敷の外を知らない。
決められた事を、決められたとおりにして、決してここから出ないように生活する。
それで不便は無かったし、何かをしたいという欲求もなかった。
お母様はやさしかったし、使用人も僕を傷つけるような人はいなかった。
「外に出たいと思わないのか」
「お爺さまから出てはいけないと言われています。僕は魔法が使えませんから」
ブリューナク侯爵家の血を引く存在で、魔法が使えないのは僕だけだ。
固有魔法を使えない人はいる。けれど、そういう人でも魔法は使えるのだ。
「それはつまり、外に出たくないわけではないのだな?」
「もしお爺さまが出ろというなら、指示に従うだけです」
「そうか……」
アルドネスはこの時なにを考えていたのだろうか。
僕を哀れんでいたのか、蔑んでいたのか。
もしかしたら、何かに利用できると考えていたのかもしれない。
「いいかクリスタよ。私は女が好きだ。奴隷にも見目麗しいものがいてな、そういう女を買い集めるのは中々に愉しい」
「はぁ」
「税を払えぬ平民どもから、代わりに女を差し出させるのも愉快なものだ」
「はぁ」
お兄さま、こんな頃から下衆だったんですね。
いや、この時点でもう20を越えてるし、奴隷推進派ならそんなものだろうけど。
「そんなに女性が好きなのに、ご結婚はされないのですか?」
「馬鹿をいうな! なぜ私がひとりの女に縛られなければならない!」
「お兄さまは領地をお持ちですし、ひとりでなくともよいのでは」
「面倒くさいではないか!」
屑いよアルドネス。
だめ人間だよアルドネス。
「ふ、女はいいぞぉ。まぁ、妻はとらんが奴隷は大量に囲っているからな、そのうち子供もたくさんできるだろう」
「認知されるのですか?」
「当たり前だ。下等な平民や奴隷の血が流れているとはいえ、私の子供であることには変わり無い。ブリューナクの血を平民どもの中に紛れさせるわけにはいくまいよ」
すこし意外だ。
アルドネスのことだから、子供は無理にでも降ろさせるか、あるいは無視するか、お金で解決すると思っていた。
そういう貴族に泣かされる平民や奴隷は結構多い。
「たくさん抱いているからな。子供もその内に10人か20人か、もっと生まれてもおかしくはない」
「はぁ、おめでとうございます?」
「その中には、貴様のように魔法が使えない無能も生まれることだろう。貴様がここに押し込められているのは貴様がブリューナクの恥さらしであるからだ! つまり、悪い意味で特別な存在だということだ」
物凄い下品な笑顔のアルドネス。
なんでだろう、素材は良いはずなのに、表情の作り方ひとつでここまで落ちるのか。
僕も気をつけよう。
「無能者が増えれば貴様ごときを特別扱いすることもなくなる。なぜかわかるか」
「さぁ」
「無能者が増え、魔法が使えないものが侯爵家に増えるという事はこの私が、魔法を扱えるものが特別になるということだ! 貴様のような愚者ではなく、正当な後継者である私こそが特別扱いされるべきなのだ!」
「そうですか、よかったですね」
この時の僕は、そうかぁ嫉妬かぁ、僕なんかに嫉妬してもしょうがないのになぁ、とかそんな風に捕らえていた。
けれど、今の僕は別の方向から見ることができる。
これは、アルドネスはもしかして。
「であれば貴様も外へ出されることになるだろう。貴様を監視するためだけに屋敷を用意し、使用人を雇うなど無駄でしかない。貴族であればいくら金を使おうと気に掛ける必要は本来ないが、貴様のような無能者のために使う金などそれこそ本来ないのだ! 外へ出されたその時に、精々奴隷にならずに済むよう励んでおくことだな!」
「手に職をつけろということでしょうか」
「そこまでは知らん! 知らんがせめて身体でも鍛えておけ! 私は毎日のように別の女を抱いているからな! 貴様が特別扱いされるのもあと少しというわけだ。今宵も遊郭から買い上げた美姫が私を待っている! はーっはははは!」
高笑いをしながら、最後まで醜い笑顔を浮かべて去っていった。
その話の内容は、ほんともうどうしようもない下衆貴族だった。
だったけれど、彼はもしかしたら、幽閉されている弟を外にだしてやりたいと、ちょっとくらいは思っていたのかもしれない。
「夢、か」
目が覚める。
大きなベッドで、夢の中の自室よりも狭いその部屋で。
けれど、自由に出入りができる学生寮で、幽閉され存在を隠されていた三男ではなく、わがままし放題のお嬢様として目を開く。
少し離れた先の、イリスのベッドをみる。
当然だが同じベッドではない。
本来なら同室の貴族の世話をするのが平民の役目だが、僕は彼女に特になにも指示していなかった。
いや、正確にはお風呂の事件のあと、何もするなと厳命したのだ。
男だとばれる可能性は少しでも下げたかったし、下僕はお世話される側である。
それが主を世話しようなどとおこがましい、というクリスタ理論で押し切ったのだ。
そんな彼女の姿はいま、ベッドにない。
アルドネスと学園で再開してから数日。魔導騎士科の授業やイリスとの同居生活にも慣れ始めた。
彼女は朝早くから外でランニングしているらしい。健康的でとても良いと思う。
もちろん僕の朝のお世話をできなくなるが、するなと言ったのだから好きにしてほしい。
背は低いけど、十分大人の魅力を発し始めている美少女に朝のお世話をされるだなんて、男の身では耐え難いものがあるからだ。
主に、いや細かい理由は置いておこう。
ともかく、いまこの部屋には僕ひとりだった。
もう見慣れてしまった天井を見上げながら、夢の内容を考える。
学園で再会したように、昔と変わらず下衆だったアルドネス。
女好きで、僕が聞いていない甥っこ姪っこが何人いるかも分かったものじゃない、好色なアルドネス。
けれど僕は、夢で見た内容と現実の彼に、小さな、けれど確実な違和感を感じていた。
アルドネスはたしかに女好きだが、手を出していたのは奴隷や、奴隷に落とした女だけだ。
もちろんそれは奴隷には耐え難いものだろうし、平民からしても業腹ものだけど、貴族として一定のルールには従っていた。
むやみに襲うようなことはせず、正規の手順を踏んでいたのだ。
そんな彼が数日前、イリスに手を出そうとした。
イリスは奴隷に落とされるようなことはしていないはずだ。
無論ブリューナク侯爵家なら正規の手順など無視して、罪も無い平民の女性を攫っても権力で醜聞はねじ伏せられる。
けど、それは彼らしくない。
夢の内容はもう10年は前のことで、あれから下衆っぷりに磨きがかかっただけと言えばそうなのだろうけど、あの日の彼は僕を、実の弟であるクリスタを屋敷から開放したいと考えていた節がある。
つまり口ではああ言っていていも、弟のことが嫌いではなかったのだろう。
ツンデレのガチ屑貴族(男・肉親)とか誰得だろうか。少なくとも僕は嬉しくない。
そんな彼が、その弟がお気に入りと名言した後もその相手に手を出そうとするだろうか?
「わからないな、情報が足りない」
違和感はある。
あるけれど、確証はなにもない。
アルドネスに限らず領主は普段めったに領地から出ないと聞いているし、彼の領地はこの王都から遠く離れている。
この学園に通いながら彼の噂を調べることすら、僕には少し難しい。
王都には情報があつまるが、王のお膝もとである以上たくさんの貴族が来訪する。
その情報だって玉石混合で、アルドネスの正確な情報だけを調べるのは難しい。
「お爺さまに聞いてみる?」
だめだ。アルドネスは人としても貴族としても見下げ果てた屑だけど、ブリューナクとしては間違ったことをしていない。
それで探りを入れたら、こちらの事情を察知される恐れがある。
つまり僕が平民を庇ったということを。
何より平民であるイリスが侯爵家であり、現役伯爵のアルドネスを結果的に傷つけたということを。
お爺さまがそれをすでにご存知かどうかは知らないが、やぶへびになりかねない。
「はぁ、誰かいないかな。その辺詳しい人」
「何か知りたい事があるのですか?」
「うん、まぁ。お兄さまの領地での評判とか」
「お兄様……先日お会いしたというアルドネスさまの方でしょうか?」
「うん、そうそう……うん?」
僕は誰と話しているのだろうか。
横をみる。ジェイドがいた。今日は普通に授業があるので礼服ではなく学園の制服だ。
「きゃああああ!? じぇ、ジェイド!?」
「おはようございますお嬢様。お迎えにあがりました」
「ノックくらいしなさい!?」
「しましたが」
よりによって一番聞かれてはいけないやつに独り言を聞かれてしまった。
というかこいつは何で毎度毎度女子寮にさらっと入り込めるのだ。
たしかここの寮母さんは辺境伯の娘さんで、武勇に優れた人だったはずなんだけど。
どんな事情があっても男は入れないという彼女をどうやって出し抜いているのだろうか?
「よろしければ、私がお調べいたしましょうか?」
「え、よろしいんですの? 貴方わたくしの監視役でしょう?」
調べるとなれば僕から離れることになる。
マシュマロゴレムの改造素材を買いに行った時もそうだけど、こいつ役目忘れてるんじゃないだろうか。
それをわざわざ伝える必要はないのだけど、ジェイドが仕事をほうりだしているとお爺さまに知れたら彼がどうなるか分からない。
別に彼個人に恨みはないので、何かあったら目覚めが悪い。
「正直に申しますと、よくはありません」
「でしたら」
「ですが、お嬢様は私がいままで出会った中でもっとも侯爵家らしいお方です」
「ジェイド、貴方」
「魔法が使えないという問題はたしかにあります。しかしその精神性はあのご当主さますら越えていると思っています」
僕の事をそんな風に認めていてくれていただなんて。
感動に打ち震えそうになる。
「そう、誰よりも卑劣で、人の心を持たず、平民どころか貴族さえ玩具のように弄ぶお方は、ブリューナク侯爵家の歴史の中でもクリスタお嬢様ただお一人です!」
「ぶちのめしますわよ!?」
僕の感動を返せ!
「なのでまぁ、多少放置しても大丈夫ではないかと思いまして。私の仕事はたしかにご当主のお孫様の監視ですが、仮に貴方が侯爵家に相応しくない行動をとったとしても、今更素直に信じるものもいないでしょう。何か裏があるに決まっております」
「ふふふ、ジェイド、表へ出なさい」
そういう風に演技をしているからといって、そう言われて怒らないかと言われたら話が別なのだ。
大丈夫、彼は魔導騎士科に移動したとはいえ根本的に魔導師だ。
近距離から襲えば殺れる!
「かしこまりました。それではアルドネスさまの情報収集へいってまいります」
「そうではありません、そこへなおりなさい!」
「それでは行ってまいりますお嬢様。”隣泳ぐ魚よ、此方へ来たりて我を運び彼方へと到れ”《召喚・次元魚》」
ジェイドの足元に彼の魔力色である翡翠色の魔法陣が展開される。
そこへ彼がなにか、生肉のようなものを放り込むと巨大な魚が水面から飛び出すかのように魔法陣から姿を現し、同時にジェイドを丸呑みにした。
が、足首から先が少しはみ出ている。
「ジェイド!?」
「おや? 触媒をケチりすぎましたかね、少々小さい個体のようで」
彼が身体をゆするとそのまま徐々に飲み込まれ、ついに全身がすっぽりと納まった。
「それでは行ってまいります」
巨大魚はそのまま部屋の床へと向かい、その中に沈み、姿を消した。
「え、ちょっと、ジェイドオオオォォォッッ!?」
その一連の流れはまるで、魚が空中の虫を丸呑みにし、それを食らって再び水中へ戻るかのようだった。
少々みっともない場面はあったけれど。
「しょ、召喚獣……」
別に、本当にジェイドが食われたというわけじゃないんだろう。
いや口の中には入っていたけど、あの詠唱の意味を考えるならあの魚は移動用かな。
触媒をケチったといっていたし、あの生肉が触媒、召喚獣に贈る対価だろう。
魔力だけで召喚に応じてくれる魔獣は少ないのだ。
「た、たしかに、あれならどこにだって入り込めますわね」
移動速度はわからないけど、彼なら他の移動速度が速い召喚獣も呼び出せる可能性が高い。
遠い領地へいって話を聞いてまわるくらい、わけないのだろう。
そして僕が何かやったとして、それをお爺さまの耳に入れるのも一瞬でできるということだ。
ジェイドが本当の意味で無能じゃない事はわかっていたけれど、こんな魔法が使えることまでは知らなかった。
そんな彼が僕のために情報収集してくれる事を素直に喜べばいいのか、そんな彼を直接雇っているのはお爺さまだという事を恐れればいいのか。
それからしばらく、真顔でジェイドと本当に敵対した場合の対策を真剣に考えていた僕は、ランニングから帰ってきたイリスに不思議そうな顔をされたのだった。
「召喚術、あの腕前なら悪魔とか、もしかしたらドラゴンとかも? ていうか魚臭いな。ドラゴン、魚、ドラゴンフィッシュ。違う、魚は置いておこう。悪魔とかは、魚、悪魔で魚といったらデビルフィッシュ。つまりタコ……」
「クリスタさま、魚がどうかしたんですか? あの、クリスタさま?」
関係ないけど、運動して汗をかいて頬を赤らめているイリスは、背がちっちゃくても色っぽいなと思いました。
ス〇夫「悪いなクリスタ、これコメディなんだ!」




