020 わたくしのお兄様はわりと下衆いですわ
1話の時点で一部ブリューナク家の爵位が伯爵となっている部分がありました。
すでに訂正済みですが、正しい爵位は『侯爵』となります。
「ふんふふんふ~ん♪」
イリスが謎のテンポで歌いながら僕の前は歩いている。
もちろん寮へ戻るためだ。
ちなみにジェイドは「お嬢様、私はご命令を果たすために少々買出しに行ってまいります」と言って街へ向かった。
ジェイド、僕のお願いを聞いてくれるのは嬉しいけれど、お爺さまからの僕の監視という命令は放置していいのかい?
「あうっ」
「ちっ、なんだ?」
何かがぶつかる音と二人分の声。
見ればイリスが背の高い男性にぶつかっていた。腕の中のモモちゃんに集中していて前をちゃんと見ていなかったんだろう。
男性は身の丈180cmほど、結構やせていて脂肪はなさそう、そして筋肉もなさそう。
学生服を着ていないけれど整った服装をしているので、貴族だろう。
髪は白いロングで四角い眼鏡をかけている。
どこかでみたような気がするんだけど、誰だったか。
「あ、その、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「学園生か。小さくて見えなかったな」
「あう」
失礼なもの言いだけど、男性とイリスでは身長差が40cmくらいあるし、致し方ない。
この学園は貴族、平民どちらも通っているという特色から平民の商店主や貴族まで色々な人がやってくる。取引先だったり、学生の親だったり。
だから学生でも教師でもない大人がいるのは不思議なことじゃないんだけど、この男性はちょっと嫌な感じがするな。雰囲気の話だから直感でしかないんだけど。
「えと、それじゃあ、ごめんなさい、失礼しました」
「待て」
「はい?」
謝罪して立ち去ろうとするイリスを男性が呼び止める。
その顔には下卑た表情が浮かんでいた。
ひとつ確信した。
ニックがイリスに絡んだ時、本気でどうこうするつもりがあったわけじゃないというのは事実だという事を。
なぜならこの男性の表情はあの時のニックとは比べ物にならないほど歪んでいたからだ。
「貴様、その制服からして平民だろう」
「た、たしかにそうですけど」
「平民がこの私に触れておいてタダで済むと思っているのか?」
真のテンプレ横暴貴族が現れた!
すごい、ちょっと感動してしまった。
「わ、わたしは魔導騎士科ですから。平民とか貴族とか関係ないです」
イリスが言っている事は正しい。
ただし、それは魔導騎士科、正確には魔導騎士同士の話だ。
魔導騎士が貴族と完全に対等というわけではないし、まして僕らはまだ学生で魔導騎士という職業に着いているわけじゃない。
「何をふざけたことを言っている、貴様のような平民がこの私と対等だとでもいうつもりか?」
「そ、そんなつもりはありませんけど。貴族だからといって好き勝手していいわけじゃないですよね?」
明らかにイラついている男性に、それでもイリスは毅然と発言する。
これが彼女の良いところであり、悪いところでもあるのだろう。
貴族と平民が対等だとは彼女も思っていない。けれど一方的に平民を見下すような発言は見逃せない。
まっすぐで融通が利かないのは分かっていたことだ。
だからこそ僕は悪役令嬢を演じようと決意したのだから。
仕方ないのでふたりの間に割って入ろうとしたとき、男性が怒声を上げた。
「ふざけるなっ! この偉大なるブリューナク侯爵家が長子、アルドネス=ブリューナクが貴様らごとき下民と同じだと!」
「「え?」」
僕とイリスが固まる。
アルドネス……アルドネス=ブリューナク?
えーと、はい、はいはいはい! 思い出した!
最後にあったのはたしか10年も前だけど、たしかに面影はある。
この男性はたしかにブリューナク侯爵家の長男、といっても僕のお父様ってわけじゃない。
現当主であるお爺さまではなく、お父さまの子供。つまりぼくのお兄様にあたる。
例の手当たり次第女に手を出しているほうだ。
ちなみに次男と違って結婚はしていない。肉欲はあっても愛情はないタイプらしい。
貴族の大人がいても不思議ではないって言ったけど、遠方で自分の領地を治めてるはずのこの人がなんでこんなところにいるんだ。
「ほう、貴様よくよく見れば背は小さいが中々にそそる容姿をしているじゃないか」
「え?」
「丁度今夜の相手を決めかねていたところだ、貴様にしてやる、ついてこい!」
「あ、やっ!」
げ、まずい!
お兄さま。いやお兄さまって心のうちで言うのも嫌だからアルドネスでいいや。
アルドネスがイリスに向かって手を伸ばす。
女好きの好色貴族が自分に無礼な発言をした平民の美少女を見逃すはずがない。
たしかにこの学園の生徒は貴族であってもおいそれと手を出せないが、アルドネスはブリューナク。
しかも僕とは違い成人もしているし、個人で伯爵の爵位と領地をもっている現役の貴族だ。
多少の行為はもみ消せる可能性が高い。
「いぎぃっ!?」
「あれ?」
しかし僕が助けに入る必要は無かった。
イリスに突き出した手、正確にはその指先が彼女に触れる直前で妙な方向に曲がっている。
こう、硬いもので思いっきり突き指をしたような、そんな感じに。
「貴様っ、ブリューナクである私に抵抗しようというのか!」
「え、あ、いや、たしかに嫌ですけど今のは違」
「ぐだぐだ言わないでこっちに来い! ぎぃっ!?」
無事な左手を突き出してまたしても弾かれるアルドネス。
「あの、大丈夫ですか?」
「貴様、平民のくせに無詠唱で防壁魔法を展開するとは、やるではないか」
「えと、違います。たしかに無詠唱でも使えますけど、これは詠唱したやつです」
「何? この私が聞き取れないほどの高速詠唱ということか?」
「いえ、毎日朝に常時展開の物理防壁魔法を使ってるんですけど……」
そんな事してたのか!?
知らなかった。
あれ? でもさっき僕に抱きついて時はそんなもの感じなかったけど。
自分に危害を加える攻撃かどうかをちゃんと判別してるんだとしたら、かなり高度な魔法だ。
朝から今までずっと続いてるあたり彼女の魔力量も凄まじい。さすがは高魔力保持者。
「くくく、そうかそうか。強い女を力づくでねじ伏せるのもまた一興だ。泣き喚く女をモノにするというのはいつだって興奮するからな」
下衆い、下衆いよお兄さま。
わりと最低だよ。奴隷推進派の貴族だと普通なんだけど、チャラいディアスが可愛く見えるよ。
「うわ、最低ですね」
イリスも罵倒するとかでなく、思わず感想が漏れたという声音だ。
顔が完全に真顔である。
クリスタでさえあんな顔されたことがない。これがモノホンのブリューナククオリティだ。
完全に安心して観戦していた僕は、だから助けに入るのが遅れた。
そう、アルドネスはモノホンのブリューナク。
僕とは違い、強大な魔法を有する侯爵家の一員なのを忘れていた。
「その最低な男に組み伏せられる悦びを教えてやろうではないか! ”集え縛霊我にかしづけ! 罪人縛りて我に差し出せ!”《拘束する死霊》!」
宙から絵の具が滲みだすようにして、青白い魔力が流れ出す。
それは無数の青白い腕となり、イリスの全周囲から襲い掛かった。
彼女の頭上からも、真下の地面からも滲みだすそれは恐らく死霊術。
高位魔法ではなさそうだけど、この数が普通とも思えない。
ブリューナク侯爵家が誇る大魔力、その一旦がたしかに示されていた。
「イリっ」
イリスの名を叫ぼうとしたその時、彼女に触れた青い白い腕が一斉に霧散した。
腕はまだまだある。けれどイリスに少しでも触れたその先から消えていく。
「な、なんだこれは、貴様いったい何をした!?」
驚愕するアルドネスにイリスがどこか申し訳なさそうに応える。
「あ、朝部屋を出るときに、魔力障壁も少々」
「私の魔法を常時展開の障壁ごときで打ち消したというのか!?」
アルドネスが驚愕している。
ついでに僕も驚愕していた。
これは別にアルドネスが弱いわけじゃない。通常魔法とはいえブリューナクの大魔力であれば高位魔法に匹敵する。それをその場で詠唱した魔法防壁ならともかく、保険でかけておくような常時展開の防壁で防がれるほうがおかしいのだ。
情けないところを見ることが多かったイリスだけど、その実力は魔導騎士科主席に恥じないものだったらしい。
……もしかして僕、あの時ニックとディアスから彼女を助ける必要なかったんじゃないかな。
い、いや、イリスが貴族とトラブルを起こしたっていう事実を握りつぶせたんだから意味はあったさ!
いまトラブル起こしてるけど。
「認めん、認めんぞ小娘が! いいだろう、こうなれば高位魔法でねじ伏せてくれる! ”祖は」
おっとそれはさすがに不味い!
「通行の邪魔ですわお兄さま!」
「ぎゃああああああっ!?」
詠唱妨害のためにアルドネスを適当なメイスで殴り飛ばした。
ブリューナクは大魔導師の家系なので近接戦闘は苦手なのだ。僕以外。
え、このメイスはどうしたって?
忘れちゃいけないよみんな。この学園の廊下には歴代の卒業生の愛用武器、その模造品が展示されているのだ。
不埒者を撃退する道具には事欠かない。
「き、貴様この私がブリューナクだと知っての狼藉か!」
「当たり前ですわよ。お久しぶりですわねお兄さま」
「お兄さま?」
アルドネスが僕を見て首を傾げる。
ちなみに頭からだくだくと血を流しているのだが、彼はなぜ防壁を張っていないのだろうか。
「ふうむ、貴様のような美少女を妹にもった覚えは無いが」
「あら、本当にお忘れですの? 仕方ありませんわね、最後にお会いしたのは10年も前のことですし。屋敷に引きこもっていた身とはいえ実の兄に忘れられているのは少々哀しいですが」
嘘である。まったく哀しくない。
というか言いたいことがありすぎてそんな事どうでもいい。
「10年、引きこもり? 貴様、まさかクリスタか!?」
「改めてお久しぶりですわね、お兄さま」
「いや、だが貴様はおと」
「《思いっきり投げつけるは模造剣》 !」
「ぐわあああああああああぁぁぁぁぁッッ!?」
何口走ろうとしてやがるこの駄兄!?
僕が女装しているのはお爺さまの指示だぞ、それを暴露したらアルドネスだってタダではすまない。
「貴様、実の兄に何をするか!」
「助けて差し上げたのです! お兄さまもお爺さまからお伺いでしょうに、よーく状況を思い出してくださいませ!」
「何? ……そういえばそんな話もあったな」
お爺さまは多くの領地をもっている。そこからお父様、そして成人した兄ふたりに王族の許可を得て領地を分け与えた。
だがブリューナクの名を冠する侯爵領は未だにお爺さまの所領であり、よってお父様ではなくお爺さまがブリューナクの現当主を継続している。
お父様、或いは孫のアルドネスに引き継がせず現役の理由はいくつかあるらしいが、当主の目論見を台無しにするなど赦されることではない。
つまり、いま僕が追撃したのは僕だけでなく、この下衆兄を助けるためでもあったのだ。
「ふん、しかしそれとこれとは話が別だ。私はその女に用がある。邪魔をするな」
「は? 邪魔をするに決まっているじゃありませんの。コレはわたくしのモノですわ」
アルドネスと、ついでにコレ呼ばわりされたイリスの視線が僕に集まる。
「はっ! 役に立たない貴様でも女の味は覚えたか? その女は貴様のような無能な雑魚にはもったいない。私が可愛がってやるからさっさとよこせ」
「嫌ですわお兄さま、女の味だなんて。わたくし、彼女にそういったことはしておりませんわよ?」
「ほう? そいつは貴様の性奴隷ではないのか? ならなんだ。下女か? まさか平民ごときを友人とは言うまいな」
「下僕ですわ♪」
「……うん?」
アルドネスが首をかしげた。
それはもう、無垢な少年がよく分からないものを見たかのように。
この一瞬、下衆な表情が消え去るくらいに。
「それはあれか、ベッドの上で可愛がるという」
「頭を撫でたりボールをとってこさせたりですわね。毛並みを整えたり、エサをあげるのも楽しいですわ」
「クリスタさまっ!? そんなことされてませんよねわたし!?」
侯爵家同士の会話に横槍を入れるという恐ろしい行為をしているイリスへ向き直り、指を向ける。
まず頭、次に腕の中のモモちゃん、ついでセットした髪、最後にポケットにこっそり忍ばせていたクッキー(包装済み)を差し出す。
「お食べなさい」
「あ、ありがとうございます? あ、おいしい」
「ということですわ!」
「その女を犬や猫のような愛玩動物として飼っているという認識で構わないか?」
「構いませんわ」
「私には貴様が理解できんぞ」
悲報。クリスタ=ブリューナクは下衆貴族のアルドネスにすら理解されなかった!
まぁこれだけの美少女を侍らせておいて手を出さないというのは、たしかに理解できないかもしれない。
僕だって男なので手を出したくないかといえば嘘になる。
もちろん段階を踏んで、お付き合いからだが。
しかしいまの僕は悪役令嬢である。
令嬢である。段階を踏むどころか一歩目から踏み外している。
泣きたい。
「まあいい、その女が誰の所有物かなど関係ない。私は欲しいものは力づくでも手に入れる主義でな。邪魔者はおと、妹であろうと力づくで処理させてもらう!」
「ちゃんと言い直しましたわねお兄さま、偉いですわよ♪」
「うるさいわ!!」
すごい、すごいよアルドネス!
クリスタは僕が即興でつくりあげた人格なのに、その兄として相応しい人格だよアルドネス!
でもなんでだろう、全然うれしくない、涙がでちゃう。男の子なのに。
「わかったからさっさとそこをど”切り裂け!”《鋭風》 」
「ちょっ!?」
この野郎会話の最中に魔法打つなよ!?
そこをどきなさい、とかどきたまえ、の流れから切り裂けって繋げるとか卑怯だぞ!
非常に不味い。僕は魔法が使えない、だからジミーと戦ったときも速攻で、かつ一方的にクロスボウを連射するという手をとった。魔法を使われてから対処する手段が僕にはない。
風の刃が僕に迫る。
本来色も形もない空気の流れなのに、それが見えるのは魔力で構成されているからだ。
鉄の刃であれば咄嗟にはじける。けれど魔力ではどうしようもない。
迫り来るそれをゆっくり眺めて。
「《拘束する死霊》 !」
桃色の腕が無数に現れ、その魔力の刃を掴み取った。
それだけではない、ドヤ顔のアルドネスもその桃色の腕たちに拘束される。
この魔力色は見間違えようもない、イリスのものだ。
「こ、これは拘束する死霊 !? しかも省略詠唱だと!?」
省略詠唱は無詠唱とは少し違う。
無詠唱は完全に言葉を使わない。大して省略詠唱は呪文の詠唱をせず、魔法名だけを声に出す。
無詠唱より難易度は低いけれど、無詠唱、省略詠唱共に詠唱が長いものほど難易度が増す。
例えば鋭風のように”切り裂け”だけの短い呪文なら高位魔導師は無詠唱も省略詠唱も容易くできるらしいけど、この拘束する死霊のように長い詠唱はそうそうできるものじゃない。
「貴族さまでも、クリスタさまのお兄さんでも、わたしのお友達は傷つけさせません!」
イリスはそれをやってのけた。
しかも詠唱したアルドネスのものと同等の威力を発揮している。
これはつまり、ブリューナク侯爵家の長子より、平民上がりであるイリスの魔力が上回っているということだ。
イリスは高魔力保持者だが、それは僕以外のブリューナクも同じ事。
対等の条件で上回った彼女の才能は恐ろしいものと言えた。
「イリス、かっこいい」
「さすが魔導騎士科主席、そこに痺れる憧れる!」
「ブリューナク侯爵家のアルドネスさまを上回るとは、さすがはイリスさんだね」
「そこだ、やっちまえ! 追撃だ!」
「それはさすがにまずいでしょう、何はともあれよくやったわイリスさん!」
「クリスタもクラスメイトのために実の兄に立ち向かうなんて見直したぞ」
おお!?
いつの間にか。クラスメイトたちが追いついてきていた。
当たり前だ。
僕らはたしかに先に訓練場を出て寮へ向かっていたが、先の授業は今日の最後の授業。それが終われば彼らも寮へと帰る。
訓練場から寮へ向かう道が同じである以上、ゆっくりしていたら追いつかれて当然だ。
「だから呼び捨てにしないでくださいまし!」
「だからツッコムのそこなのかよ!」
「いつから見ていたのかもお聞きしたいですわね!」
「説明しよう!」
その僕に応えてくれた人がいた。
あれはたしかマシュマロゴレムのときも解説してくれたショタっ子、たしかヨハンくんだったか。
「僕らが合流したのはクリスタさんがアルドネスさまをメイスでぶん殴ったところだね!」
「ほぼほぼ最初からですのね!? どこに隠れてましたの」
「僕らは魔導騎士科だよ? 隠蔽や幻影の魔法くらいお手の物さ」
「才能の無駄遣いですわ!?」
大惨事である。
いやもうほんとそれしか言いようがない。
もしアルドネスが僕の事を弟といっていたら、どんなに誤魔化してもひとりくらい感づいたかもしれない。
あの時ぶん殴って本当に良かった。
「き、貴様らああぁぁあああぁああああっ」
「あっ」
拘束されたまま横倒れになっていたアルドネスが顔を真っ赤にして唸るように叫ぶ。
この状況、いったいどうしたらいんだよ。
そうだジェイド! 彼はお爺さまに直接雇われている。
お爺さまからの命令だとしてアルドネスを言い聞かせることだってできるかもしれない!
しかしジェイドはこの場にいなかった。
僕の脳裏にはなぜかPCパーツを物色するオタクのように、生き生きとゴーレムの素材をかき集めるジェイドの笑顔が浮かんでいた。
妄想の中のジェイドが爽やかに告げる「お嬢様、見ていてください。私はゴブマロを超強化してみせます」と。
たしかにゴブマロの復活を頼んだのは僕だ。
僕だけど、だけどさ!
なんで肝心な時にいないんだ、仕事の優先順位がおかしいだろおおおお!?
我ながら理不尽な叫びを心の中であげながら、どうやら事態の収集にはもうしばらくかかりそうだと天を仰ぐのだった。
お兄さま、登☆場!
そして10万PV達成しました、ありがとうございます!
そしてそして、異世界転移のジャンル別の年間ランキングでも78位に入ることが出来ました。
年間ですよ年間、これでジャンル別は全部ランキング入りしました、感無量です。
これも応援してくださる皆さんのお陰です、今後もがんばります!




