014 わたくし学食に行きますわ
魔法が使えないことをなんとか誤魔化す事に成功したあとは、特に何事もなくお昼休みになった。
授業の合間の休みは次の準備をする程度の隙間休みだけど、お昼はがっつり一時間の休みがある。
だからクラスメイトの中で社交的な、あるいは野心家なやつがひとりくらいはお昼を一緒にと誘ってくると思っていたのだけど、そんなことはなかった。
鉄食い鼠ミンチ事件が尾を引いているらしい。
この学園のお昼ご飯は学食かお弁当、もしくはお抱えの料理人に作らせるらしい。
さすが貴族のいる学園、と思ったけど料理人に作らせる人やお弁当派は本当にごく一部のわけありだけらしい。
アレルギーが多いとか。
それもそのはず、ここの学食を平凡な高校や大学と比べてはいけない。
なにせ王族が利用する可能性すらあるのだ。
大貴族御用達のレストランなどからスカウトされた一流のシェフが腕を振るっている上、学費に食費が含まれているのでお昼の時間なら無料、さらにおかわり可能。
当然平民も利用可能。
貴族の生徒と平民の生徒で自然と席が固まっているが、そこはまぁ仕方ない。身分差というとドロドロしたものを感じるので男女のグループが別れるようなものだと思っておこう。
その辺りの事情をジェイドに聞いた僕はせっかくだからとイリスも誘い三人で学食に来ていた。
侯爵令嬢に誘われたら平民のイリスでは断れないだろう。こちらが悪意をもっているなら彼女は断る度胸があるかもしれないけど、今回そういう意図はない。
友達と食べる約束をしていたら申し訳ないけど、わがまま令嬢がそこを気遣うのもおかしいかなと思いきって声をかけたところ、なんとイリスは基本ひとりで食事をしていたらしい。
ぼっち飯である。
別の意味で気遣う必要があるかもしれない。
「あら、本当に美味しいですわね」
そしていま僕が食べているのはビーフシチューだ。
あの白くない、カレーみたいな色合いのやつ。
別に異世界だから魔物のお肉というわけじゃない。というかこの世界の魔物は死ぬと魔力に分解されるので死体が残らない。
残るのは核である魔石だけ。
まぁ魔獣とかは死体が残るし、食べられるのもいるらしいけど、これは普通に、いや普通以上に美味しい牛肉だ。
部位はタンだろうか。
昔、日本で生活していたころ似たようなものを食べた覚えがある。
牛タンといえば焼き肉のメニューや仙台の駅弁で有名な牛タン弁当などがあるけど、その肉はこりこりとした独特の食感でとても美味しい。
けれどシチューになると途端にその印象が変わる。
口に入れた瞬間に肉がとろけるのだ。
あのこりこりとした、牛タンの魅力でありながら硬いともいえる食感が、じっくり煮込まれることでまったく別のふんわりとやわらかな食感に姿を変える。
これがまた美味しいんだ。
このビーフシチューはあの時の感動を思い起こさせ、しかも上書きするほど美味しかった。
「やっぱり貴族の方でもここの料理は美味しいんですか?」
「そうですわね」
あごに人差し指をあて、すこひ考える。
僕は今生での過去の食事をふりかえっていた。
この場合必要なのは春風晶ではなく、クリスタ=ブリューナクの感想だろう。
幽閉されていた間も粗食だったわけじゃない。貴族からしたら質素でも、平民からしたら高級な食材で作られた料理だった。
簡単な野菜炒めの食材が松阪牛とかそんなイメージだ。
それにこの学園へ来ることになってからの一ヶ月は、マナーの復習を兼ねて侯爵家にふさわしいだけの料理を食べてきた。
その経験から、この料理は非常にレベルが高いと判断できる。これを作っているシェフは噂にたがわずブリューナクお抱えの料理人と並び立つほどの腕前があるんだろう。
ちなみに日本ならお高いホテルでちょっとがんばれば食べられそうな感じかな。家庭で再現するのは難しい、というかできる人はプロレベルだ。それも一流の。
「うちで食べているものと遜色ないですわね」
「ここの料理人は国からお墨付きをもらった超一流ですからね。お嬢様の口にあうということからもその実力がわかります」
僕の感想にジェイドが補足してくれる。
こうした僕へのフォローが彼の本来の役割だ。
決して僕に殴られる事ではない。
「貴族さまはこんなにいいものを毎日食べてるんですね。すごいです」
存外にうらやましいと告げてくるイリス。
僕は戸惑う。
「学園にいる間はあなたも毎日食べられるのでしょう。ならいいじゃなありませんの」
「卒業したら食べられなくなるかと思うと……」
「まぁ、仮に魔導騎士として最高峰の聖獅子騎士団に配属となっても、毎日は無理でしょうね」
そんなイリスに、ジェイドも戸惑いながら応じる。
しかし、僕もジェイドもイリスの発言に戸惑っている訳じゃない。
出会ったばかりのイリスの様相から平民の中でもあまり裕福ではないことが伺えたし、平民に僻まれ、羨ましがられるのは貴族のステータスみたいなものだ。
むしろ僕が前世で読んできた作品に登場する悪役令嬢ならここぞとばかりに彼女を見下し、嫌らしい笑みを浮かべる場面だ。
本当ならそうすべきだと自覚しつつも、僕は、そしてジェイドもイリスと話しているのに、彼女の事は見ていなかった。
「そうですよね、残念です…… 」
「貴女を飼うのは食費がかかりそうね…… 」
真顔で悔しがるイリスに僕らは若干頬をひきつらせていた。
平民に気圧されるなんて貴族にあるまじき失態だ。
しかし僕が意地の悪い、本当に他人を家畜やペット扱いするお嬢様でもこれをみたらイリスに手を出すのは躊躇うかもしれない。
何故なら彼女の前には完食済みのお皿のタワーと、なお食べ続けている大盛の料理がわんこそばのように運ばれてきていたからだ。
なにより恐ろしいのは彼女の食べる量と速度ではない。
それにこの学食が完全に対応しているということだ。
この学食は席に座ると注文を取りに来てくれるスタイルのはずなのだが、イリスが食べ終わると同時に次の料理が差し出されてくる。
料理を運ぶウェイターもウェイトレスも驚いた感じはない。
転入直後の僕とは違い、イリスはこの学園ですでに二ヶ月ほど生活している。
これから導き出される事実はひとつ。
彼女は日常的にこれだけの量を学食で食べているということだ。
この小さな身体のどこにあの量が入るのだろうか。
「ねぇジェイド、彼女の食費、わたくしのお小遣いで足りるかしら」
「お嬢様がしっかりお役目を果たされれば、まぁ、ご当主さまからいただけるのではないでしょうか。お役目を果たされれば」
暗にお前いい加減目的思い出せよと言われた。でも第二王子が正体隠してたら平民との接触を邪魔なんてできないし、色仕掛けもなにもない。
僕にできるのは男だとばれないようにすることくらいだろう。
「しかしながら、この質でこれだけの量を毎日食べられては小さな男爵家程度なら傾きかねませんね」
「侯爵家でよかったですわ。安心してイリスを飼えますもの」
「さらっとペット扱いしないでください!」
キッとした目付きで怒るイリス。
彼女も大分僕に慣れてくれたらしい。初対面で名乗りをあげてブリューナク侯爵家だと知られてからは多少びくびくしてた事もあったけど、こうして言いたいことはハッキリ言うのが彼女の本来の性格だ。
「…… ペットになったら卒業しても毎日ご馳走なのかな」
「え?」
「な、なんでもありません」
残念ながら僕は難聴系ハーレム主人公ではない。悪役令嬢はむしろ地獄耳系だ。
聞き返しはしたものの、その台詞はしっかり聞き取っていた。
大丈夫かこの娘。
はじめて会ったときに絡んでいた身体目当ての貴族のぼんぼんとかにごはんで釣られたりしないよな。
まぁないよね、学生なのでまだ見習いとはいえ一応魔導騎士だ。彼女が身分差を気にせず本気で抵抗したら並の騎士よりも強い。
強いはずだけど、ただの食事だといわれて薬を盛られるくらいはありえるかな?
「ダメですわよ、知らない人から食べ物をもらっては。ご馳走してくれると言われても着いていっては行けませんわよ」
「なんの話ですか! わたしは子供じゃありません!」
イリスは僕と同い年だったはず。たしか17だ。でも見た目は14才くらいに見える。
それでも知らない人に着いていくような年齢じゃないけど、こうも嬉しそうにごはんを食べてると不安にかられる。
ほっぺたに何かのタレをつけてるさまは背丈も相まって小さな子供にしかみえない。せっかく朝早く髪もセットして大人っぽくしたというのに台無しだった。
「もう、汚してますわよ」
「うひゃっ」
彼女の頬を指で拭う。
後からハンカチを使えばよかったと気がつくも、反射的にやってしまったからなぁ。
この辺りにお嬢様歴一ヶ月というのが現れている。
汚れた手をハンカチで拭こうとして、人の肌に触れてからそれをするのはなんか失礼だなと思った。
『見なさい、手が汚れてしまいましたわ』みたいな。
僕の目指す悪役令嬢はそういう陰険なのではなく、もっとカラッとしたタイプだ。邪魔者は暗殺せず殴り飛ばすスタイルだ。
だからと言ってこのままでは困る、どうしよう。
「す、すみませんクリスタさま。美味しくてつい」
「ふむ」
汚れに気がつかないほど美味しかったらしい。
たしかに僕が食べているビーフシチューは美味しいし、このタレも良い匂いだ。
ペロッと舐めてみた。
甘辛くて美味しい。
「たしかに良い味ですわね」
「ひゃう」
見ればイリスの顔が真っ赤になっている。
まて、なんだその反応は。
僕はただ女の子の頬についたタレを拭って舐めただけ……。
めっちゃ恥ずかしい!?
いや女の子同士ってことになってるからいける。
いや行けるじゃねーよ、どこに行く気だよ。性別偽ってセクハラとか最低だろ!
自己嫌悪に陥りそうだ。
しかしそれを表に出すわけにはいかない。
「まぁイリス、何を赤くなってますの? 熱でもおあり?」
「ひ、人の顔についたタレを舐めないでください」
「いいじゃない、女同士なのだし」
違いますよね知ってます。
ほんとごめん。
「えと、それはそうなんですけど。クリスタさまは時々男らしいというか」
ピシリ、僕とジェイドが固まる。
ぎぎぎ、と油の切れたロボットのように固くなった関節を動かして、話を続ける。
「あら、わたくしを見てそんなことを言ったのはあなたがはじめてよ? 自分でいうのもなんだけど、わたくしの形容詞には綺麗、美しい、愛らしい、そういったものが相応しいと思わない?」
本当に自分で言うことじゃない。
でもこの姿はお地蔵さまからの贈り物だ。他人にもらったものを卑下することはできないし、実際女神と見紛うほどの容姿ではある。
しっかり鍛えているのにパッと見では筋肉もあんまり無さそうに見えるしね。
女神的な欠点はなんの特殊能力もない事と生えていることくらいだ。
「あ、見た目は本当にお綺麗だと思います。でも」
「でも?」
「男の人をフレイルで殴り飛ばしたり、模造剣で斬りかかるのはあんまり女の子っぽくないというか」
そこかぁ!
たしかにそうだね、男らしい行動だよね、悪い意味で。
「あ、あら。魔導騎士科には女子もいっぱいいるじゃない。イリスも剣の扱いには長けているのでしょう?」
「それはそうですけど、他人の練習に乱入して襲いかかったりはしませんよ」
「いけませんの? このわたくしに文句がおあり?」
「普通にいけないことですよね!?」
間違いない。
安心してほしい、正しいのは君だイリス。
そしてジェイド、よそ見してないではやく助けてくれ。
「いけないことですけど、文句は、まぁ、ないというか」
「あら?」
「結果だけみればどっちも私を助けてくれましたし、その」
「言いたいことがあるならハッキリ言いなさいな」
「見た目と言動に差がありすぎて逆にカッコいいというか」
ギャップ萌えだと!?
この世界にその概念があるかは知らないけれど、いまイリスはクリスタにギャップ萌えを感じていると、そういうことなのか?
「すごく失礼だとは思うんですけど、たまにやんちゃな男の子みたいに見える時があります」
この世界に転生して、かっこいいとか男の子とかはじめて言われた。
この容姿だし、お母様も半ば女の子みたいに扱ってきたし。
嬉しいなぁ。
なんて喜んでる場合じゃない!
この話題を続けるのはまずい!
「ちょっとお花を摘んできますわ、ごめんあそばせ!」
「あ、クリスタさま!?」
僕はガタッと音をたてて立ち上がると、男の子扱いされた嬉しさと、万が一にも正体がばれるわけにはいかないという緊張から顔を熱くしつつ学食を飛び出した。
後は任せたよジェイド、君の仕事をしてくれ。
色々やりすぎて質問攻めにされない転入生。




