血筋
あれからさらにブックマークが一人増え、感謝感激です。
ですが、このペースでは今回のMF新人賞は間に合わないと悟り、辞退することにしました。ご了承のほどをよろしくお願いします。
堕天使ルシファー。人類の多くが知っている堕天使の名。
それが唐突に目の前で口にされた。魔王という言葉と共に。
昔から寝かしつけられる時に聞かされていた魔王の話。人間でありながら、恐ろしく強いと伝えられる人物。一説では、異能の第一人者なのではないか、と論争が起こっている人物だ。
だが、その考えはあまり現実味はない。
魔王の子孫なら確かに異能を持って産まれそうだが、そうなると世の中の人物のほとんどが彼の子孫となる。彼はそういったことには興味を持たず、妻以外には愛人などといったものを作らなかったらしい。
そうなると、その説は明らかにデタラメだ。
「堕天使、ルシファーだって?」
「そんなの、本当にいたんだな……」
突風に煽られながら必死にこらえる絢と浩二が純粋な反応を示した。
咲も同じように呻きながら必死に突風に抵抗する。
まさか、今まで戦っていた男が女だとは思わなかった。いきなり『瓦解』が発動したのは、強化系の能力を使っていたものだからだ、と勝手に思ってはいた。しかし、姿を変貌させているなんて誰も考えられない。それも、性別を変えている時点で尚更だ。
しかも、その人物が堕天使ルシファーと言うではないか。話がいきなり突拍子もなくなってきた。
ルシファーは飾りとは思えない翼を羽ばたかせ、空に飛び上がる。そして、顎に手をやり無言に三人を一瞥した後、真っ直ぐ咲に視線を向けた。
ようやく風の勢いが弱くなってきた時、なるほど、とルシファーが呟いた。
「貴様、まさか術式破壊が能力だなんて。流石の私も驚いたわ。でも、少し特殊ねぇ。その両手で触れたものしか術式は破壊出来ないなんてね」
「なっ!?」
能力に気付かれた。正式名称に違いはあるが、それでも大体は同じだ。一体どうして、と疑問に思うがそれも今更のことだ。
気付かれたとしても、向こうに対策することは出来ないのが咲の能力の特徴だ。それを活かして、距離を詰める。空に飛び上がっている相手との戦い方はその時に考える。
先ほどの風の影響からか少々ふらつきながらも立ち上がる。そして、距離を詰めようと一歩踏み出す。
が、先制を仕掛けたのはルシファーだった。
人差し指と中指だけを立て、手のひらを上に向けてクイッ、と下から上に指を動かした。
思わず身構えると、自分の足場が地震が起きたように揺れ、地面が隆起してその身体を持ち上げた。
「うわわっ!?」
咄嗟にしゃがみ込み、少ない足場の地面にしがみつく。そして、隆起した地面がいきなりその挙動を止め、しがみついていた咲の体が運動エネルギーに従って宙へと舞い上がった。
「……へっ?」
そして、目の前には足を天高く掲げたルシファーの姿が。
「阿久根っ!」
「咲!!」
「さて、耐えられるかしら?」
切れ長の双眸がスッと細められ、反射的に防御の姿勢になる。その防御越しに強烈な踵落としを食らい、眦を鋭くしつつ奥歯を噛み締めてその痛みを堪える。
だが、振り抜かれた蹴りは恐ろしく威力が高く、更に空中という環境もあり、咲の体はその蹴りの勢いと重力に引っ張られ地面へと真っ逆さまに落ちていく。
――身体が動かない!?
身体が痺れたのか、重力に逆らえないのかわからないが身体を動かそうとしてもビクともしない。
「浩二! なんとかしろ!」
「わかってるよッ! 青龍!」
絢に急かされ、顔を青くしながらも浩二が青龍を創り出す。青龍は身体をくねらせながら地面と咲の間に潜り込み、見事にキャッチした。
優しくキャッチしてくれたからか、特段痛い場所はない。唯一挙げるとすれば、蹴られた部分だろうか。
「ありがとう」
青龍に礼を言うと、まるで甘えているようなグルルッ、という音を鳴らしてきた。
軽やかな動作で地面に降り立ち、次の瞬間には背後で何か大きなものが倒れる音と地響きが聞こえてきた。
ハッとなって見ると、青龍の身体の一部が陥没し、そこからルシファーが浮かび上がってきた。
硬い鱗に守られているはずの龍でさえ、あの堕天使には相手にもならなかったらしい。ほんの一瞬の出来事だった。
「咲、下がって!!」
言われるままにルシファーから距離をあける。すると、灼熱の業火が工場内で荒れ狂い、ルシファーに殺到した。耳を覆いたくなるほどの轟音。すぐ目の前で起こっている厄災のような大火災のせいで、じっとりと汗ばんでくる。
ただでさえ嫌な汗を流しているのだが、それに負けじ劣らじの熱気だった。
「今のうちに、一旦態勢を立て直すよ!」
「うん!」
急いで絢達の元に駆け寄るが、浩二がもう立っているのでやっとの状態だった。呼吸は荒く、顔も青いを通り越して半ば死人にも見えなくはない。
「この炎、効いてるかな?」
「多分、効いてないね。何かやったようには見えなかったけど、それでも平然な顔をしていたのはわかったから」
「なんだよそれ。これじゃセンセーが手も足も出なかったのも頷けるよな」
浩二が青ざめつつも太々しく笑ってみせる。無理をしているのは明らかだ。
どうにかしてここから一度撤退出来ればいいが、まだルシファー以外にも二人の女がいる。
片方は咲と同じように細身だが、もう一人の高身長の女はかなり体格がいい。まるでプロレスラーだ。
そんな彼女たちが自分たちを見逃すとは到底思えなかった。
「そういや、何で咲の能力を見破られたんだ? それも、手で触れたものしか無効化できないって、どうしてそこまで?」
「それは多分あれだ」
絢の疑問の声に浩二が先ほどまで咲がいた――一度隆起した地面を指差した。
そこには特に何の変哲も無い砕かれた地面だ。ただ一箇所を除いては。
そこで咲にもわかった。その時、確かに自分は突風に抵抗するために身を低くし、地面に手をついていた。
その場所に、自分の手形が出来ていたのだ。
どうやら、この砕けた地面を作り出したのは彼女の異能か何かの力だったらしく、それを咲の『瓦解』が打ち消してしまっていたらしい。
浩二はどうやら、あの突風の中でもそれに気がついていたらしい。
――意外と周りを見てるんだ……。
少し意外だった。
「正直、とても退屈だ。軟弱な魂が受肉しただけの存在が、ここまで出来たことは褒めてやろう。が、それももう終わりだ」
突如、大火災の中からルシファーがひとつも傷や火傷が無い綺麗な状態でその美貌を現した。空を舞い、腕を組み、眼下の三人を見下ろしている。
その目が恐ろしく冷たい。が、それ以上に激しい殺意がその身に据えられ、恐怖で体が動かない。
「おーい。地が出てるよー!」
「放っておいて。元々私はこっちでしょうが。こっちはあの子と接する時に使った紛い物の私よ」
「それがすっかり染み付いてんじゃん」
「五月蝿い。なんなら、今すぐその首を落とそうか?」
「御屋形様への愚行、看過出来ぬぞ!」
「なんなら二体一でも構わないわ」
目の前でいきなり喧嘩が始まる。
だが、これはチャンスだ。向こうに意識が向いている以上、こちらが何かアクションを起こすにはうってつけだ。
出口までは六メートルほど。
おそらく、出口にたどり着くまでに気付かれるだろうが、それは止む無しだ。脱出出来れば、こちらの勝ちだ。
「二人とも、動ける?」
「なんとかな」
「どうすんの、咲?」
「今のうちに脱出しよう。一気に走り抜ける!」
「気付かれないか?」
「脱出出来れば勝ちよ」
「よし、ならすぐに動くぞ!」
浩二は更に何か言いたそうにしていたが、絢がそれを阻んですぐに走り出した。咲もそれに続く。
浩二は小さくため息を吐き、すぐに二人を追う。
――あと一メートル!
もう手を伸ばせば扉に届く。
その時に、相手もこちらに気づいたらしい。「まだまだ元気があるようだ」と呆れと驚嘆の入り混じった声が聞こえた。
ドアノブに手をかけ、力一杯扉を開け放つ。アドレナリンが出ているのか、特に重さも感じなかった。
背後を振り返ると、ちょうど浩二が扉まで走りきった所だった。
その時、無事に脱出出来ると確信し、気が緩んでしまったのは否めない。戦況は刻一刻と変化していく。
そして、歴戦を潜り抜けたルシファーが、それを見逃すはずもない。
そして、浩二が扉を閉めようとドアノブに手を伸ばした時、ルシファーが妖しく笑った。
「さようなら」
冷ややかに告げると、掌を咲たちに向けた。その刹那――
視界を覆い尽くさんばかりに眩い閃光が走り、一瞬その周囲から音が消えた。
咲たちのいる一帯が吹き飛ぶ。粉塵が巻き上がり、倒壊防止のために異能で強化されているはずの廃工場に大きな亀裂が生じる。地割れが起き、扉のある壁一面も一気に吹き飛んだ。
だが、それほどの爪痕を残しつつも、咲たち三人には傷ひとつない。先ほどの攻防によって生じた傷もなぜか癒えている。
強烈な閃光により、瞳に少しだがハレーションを起こしてしまってはいるが、それ以外にこれといった傷はひとつもなかった。
「ど、どうなって……」
「咲! 浩二! 無事かっ?」
「なんとか!」
絢の呼び掛けに答えつつ、ようやく瞳の痛みも引いてきた時、ルシファーの呻くような声が響いた。
「貴様は……ッ!」
咲はそちらに視線を向ける。
そこでは、咲たちを庇うような場所で一人の女性が立っていた。
思わず咲は息を呑んだ。その女性は、ルシファーに負けじ劣らじの美貌の持ち主だったからだ。長身痩躯に白のフリンジトップスに黒を基調としたロングコートを羽織り、クラッシュデニムを履いている。出るところは出て、引き締まったところは引き締まっているモデル体型であり、同じ女である咲から見ても羨ましい体型だった。対峙しているルシファーよりは少し小さいがそれでもまだ大きめのサイズのバスト。実に妬ましい。
美しく随分と長い黒髪を割れた窓から吹く風でなびかせる。刀袋に入った刀を腰間に差しており、その凜とした佇まいは正に聖女にも思えた。
それにしても背が高い。一七〇センチはある浩二よりも目測で一〇センチ以上は高く、加えて目測で一八〇前後の身長らしいルシファーよりも少し高い。
そして、彼女は一度こちらに橙色の瞳を向けた後、安堵のため息を零しつつ、向き直った。
なぜあの女がここに――
生きていることには別段疑問はない。だが、ここにいる理由とあの少女たちを守った意味がわからない。
あの女は確かに数百年前には身寄りのない子供を育てていた。魔王もその一人だった。少し特殊ではあったが……。
つまり、彼女は魔王の義理の母親だ。実母嫌いだった魔王が懐いた数少ない存在だった。
「……随分と久しぶりね。千秋」
阿久根千秋。それが彼女の名前だ。
こちらを見据える橙の瞳は鋭利な刃物を連想させるように細められ、流石のルシファーもピクッと指が動いた。
「あぁ、久しぶりだなこのトンチキ。相変わらず頭のネジが緩んでるんじゃないのか?」
「相変わらず口の悪いこと」
「お前も相変わらず仮面かぶったような喋り方だ。まだウィルの魂そばに置いてるのか?」
ウィルというのは魔王と呼ばれた男の愛称だ。ちなみに、他にも幾つかある。
「まあねぇ。もともとそういう契約だったもの。今も、ここにいる」
ルシファーは不敵に微笑んでみせる。
魔王は死してもその魂は未だ健在だ。本来なら魂は肉体が死んだ時、地獄か天国へと送られるのだが、それをサリエルの力を奪ったルシファーが現世に留め、片時も離れずにそばに置いてある。
ルシファーにそこまでさせるほど、魔王は彼女のお気に入りだったのだ。
「ウィルもかわいそうに」
「言ってなさい。――それよりも、何の真似かしら? その子達を守って、あなたに何の得が? ただの正義感で、というわけじゃないでしょう?」
問いかけると、千秋は一度鐳に視線を向け、そしてまたこちらに視線を戻した。そこには呆れている彼女の心情が見て取れた。
「何だ、まだ気づいていなかったってことかい? 随分じゃないか、まさか子孫をその手で殺そうとするとは」
「何のこと?」
ルシファーには彼女が何を言っているのかをうまく理解出来ない。子孫? 千秋の? ついに千秋が実子を生んだということだろうか。
いや、そうではあるまい。彼女の言い方では、まるで血の繋がった子孫をその手にかけようとするなんて、という風に聞こえた。
ルシファーの子? そんなもの――
「ッ!?」
ルシファーはカッと両目を見開く。それを見て、「やっと気づいたか」と小さく零した。
いてもたってもいられず、すぐに彼女のそばに降り立つ。
そして、咲と呼ばれていた少女に近づく。
「な、何よ!?」
呆然とことの成り行きを見ていただけの咲は、今まで戦っていた女が近づいてくることに気づき、すぐに戦闘態勢に入った。
だが、千秋がその肩に手を置き、「大丈夫だ」と呟くと、握られた拳がゆっくりと下げられていく。彼女の人心掌握術は相変わらずだ。
ルシファーは今一度咲を上から下まで見入る。
ローファーに学校のものらしい制服。適度に鍛えられた肉体に、サイドテールの髪型。それだけを見ると、特に不思議はない少女だ。髪の色を除けば。
金髪に茶のグラデーションの入った特徴的な髪色。
そして、改めて彼女のワインレッドの瞳を見つめる。
自分と同じ、鋭く細い瞳孔。
「――ッ!!」
思わず口を覆い、数歩後退る。
その特徴的な髪と瞳は間違いなく魔王の子のもの。正確に言えば、半分同化していた魔王とルシファーの遺伝子による作用で間違いようがない。
魔王の子供は金髪に黒のグラデーションだったが、それは時の流れで、親によって変わるのだろう。
「まさか……そんな……!?」
ルシファーの明らかな狼狽ぶりに、今まで戦っていた三人が怪訝そうに視線を交錯させる。話の流れについていけないのだろう。
そうだ、確かに呼ばれていたではないか。少年から、「阿久根」と。
どうして気付けなかったのだろうか? 二人は先祖がわかったが、この少女だけは無関係と思い込んでいた。
よくよく見てみれば、魔王の妻となった女の面影が少し残っている。
「ようやく気づいたか。鐳、この子の今まではどうだった?」
「平凡なものさ。父親に体術を学び、能力のことに気づいたのが中学二年の半ば。その能力は不完全だけどね」
千秋に訊かれ、鐳が半笑い気味に伝える。
どうやら、この鬼が咲の能力を知っていたのは、魔王の子孫だからという理由でマークしていたからだったらしい。
「私のことを知ってるの!?」
咲が驚いたように声をあげ、鐳が高笑いを上げる。
「あぁ、知ってるよ。ついでに言えば、その後ろの二人もね。何てったって、魔王の戦友の子孫だからねぇ」
今度は動揺するのは咲たちの番だった。どうやら、その事を知らされずに育ったらしい。
浩二と呼ばれていた少年は、嘗て魔王と共に様々な戦いを経験した氷崎千尋と呼ばれる男だ。幼い頃からよく遊び、競い合った幼馴染というやつだ。
そして、絢と呼ばれる少女の先祖は、少々特殊だ。とあるバイオ実験の研究者が自分の娘にそのウイルスを投与した。それに適応した娘が絢の先祖だ。初めは魔王とは敵として戦い、そして、いつからか味方として共に戦った滹沱華暁美という女。
「千秋、暁美はまだ生きてるのかしら?」
「あぁ、生きてるよ。ウイルスのおかげかねぇ。見た目は当時よりほんのちょっと老けたけど、まだまだ現役だよ」
おもむろに訊いてみると案の定の答えが返ってきた。
では、暁美が彼女のことを知らないわけがない。これ以上やると、あの時の仲間が自分に刃を向けそうだ。
まさに危機一髪だった。
ルシファーはふらりと咲に近寄ると、おもむろに彼女を抱きしめていた。淀みなく静かな、作為のない動作だったせいで、咲は反応出来ずになすがままだった。
抱きしめられたとわかった瞬間、「なっ!?」と驚きの声を漏らし、暴れ出すが構わずに抱きしめ続ける。
「そうか、そうか。まだ血は続いていたのか。悪かったわね、そうと知らずに痛めつけて」
千秋の優しい眼差しを背中に受け、ようやく抱きしめる力を抜いた。
その時には、ある決心がルシファーの中にはあった。
そして、その為にしなければならないことも、すぐに頭に浮かんだ。
「鐳、例の騒動で分かっている事を話しなさい」
「なんだいいきなり。唐突だねぇ」
「例の騒動? ……あぁ、あの植物状態か」
千秋がルシファーの物言いに納得した様子で頷いた。
「この騒動に終止符を打つわ」
威厳をたっぷりと感じさせる振る舞いに圧倒されてか、誰かが生唾を飲んだ。
チラリと千秋を見れば、彼女も異論はないらしく今一度頷いた。そして、彼女もまた鐳を見やる。
二人の視線を受け、鐳もニヤリと笑うと今までずっと預けていた背中を壁から離した。
「明日、アタイらのアジトに来な。千秋なら知ってるからね。出来れば、その子達にも来て欲しいから、学校が終わった放課後に」
「あたしらも?」
「御屋形様の御命令也。否定することは許されざらんや」
どうやら、彼女たちが来ることは強制らしい。
ルシファーとしても特に異論はない。それは千秋も同じらしかった。
「じゃあね〜」
鐳はそうとだけ言うと、パチンッと指を鳴らす。瞬間、視界が真っ白に塗りつぶされ、鐳と蓮の姿は跡形もなく消え去っていた。
それに瞠目している三人を尻目に、千秋に声をかけた。
「私は少しやることがあるから、先に行くわ」
「そうか。また明日だ」
「えぇ。それじゃ、またね。――咲」
「……!」
いきなり声をかけられて、言葉も出ない咲に微笑ましく思い、そして空間移動でその場から離れた。
後に取り残された者たちは、千秋の手で家まで送り返されたらしい。




