プロローグ
その日、ボクは異世界に転生した。──
事の発端は、きっとどこにでもある話。
ただそれが『他人事』になるか『自分事』になるかどうかの違いだけ。
そして、不運な事に。
ボクはそのありきたりな物語の主人公になってしまったというわけだ。
さて、その物語の主人公であるボクの事を簡単に紹介するとなると、こんなところだろうか。
名前は生沢 近守。
時代劇スキーな父親が名づけた名前は、見事なくらいに学校で浮いていた苦い思い出がある。
年齢は27歳。
独身。
恋人居ない歴=年齢。
地方の三流大学を卒業後、上京。
中学生時代からのオタク趣味が高じマンガの編集者を夢見て某出版社に就職するも、待っていたのは延々と雑用を押し付けられる日々。しかもこの会社、人使いが荒い上になんだかんだで残業代まで支払わない。黒か白かで言えば真っ黒と言っても過言ではない職場環境で陰々鬱々と仕事に追われる。
……うん、我が事ながらすでに残念感が極まっている。
だが今思えば、このころですらまだまだマシな人生を送っていたと言えるのかもしれない。
日々を細々と生きていたボクの破滅へ向かう物語の幕を開いてくれたのは、かつての親友だった。
よくある話。
ほんとーーーーに、よくある話。
いわゆる『借金の連帯保証人』というヤツに、ホイホイと二つ返事でなってしまったのがボクの垂直落下人生の始まりだった。
まさか親友から騙されるなんて微塵も想像していなかっただけに、ヤツが逃げた後、冗談みたいな額の借金が目の前に突然現れた時には世紀末覇者の様にそのまま天へと帰りそうになったものである。
むしろ、そのまま天に帰ってた方がその後の辛酸を味わわずに済んだ、という見方もできるだろうか。
借金を背負い「これが運の尽きか……」と嘆いていたボクは、ボク自身のせいで、その運の尽いた底をぶち抜いてさらに下層世界へと落ちていく。
親友に裏切られたショックと、一向に減る気配のない借金。
そんな絶望を背負ったまま続ける仕事はあまりにも無意味で、救いが無いものように思えた。
そう思い始めると次第に会社を休みがちとなり、いつしかそれが無断欠勤になり、とうとうクビになった。
仕事をクビになると一時の開放感に包まれ、ボクは趣味だったアニメやゲーム、ネットに無心のまま没頭するようになっていく。
実家住まいだった事もそれに拍車をかけた。
両親達から心配され、とんでもない迷惑をかけながらも、その時のボクは現実の世界から逃避するのに必死になっていたのである。
しかし、その開放感が次第に薄れていくと、あとには凄まじい不安と恐怖だけが残った。
もはや自分が無気力なだけの惨めな最底辺の人間に成り下がったのだと自覚してしまうと、外を歩いているだけで疑心暗鬼に囚われ、他人から向けられる視線すら恐ろしくなった。
そして、ボクは家から外にでる事をやめた。
家の中でも唯一安息できるのは自分の部屋だけなので、そこから出る事も極力避けるようになった。
それから一年が経ち、二年が経ち。
とうとう文句のつけ様しかない、無残なヒキオタニートが完成した。
真っ暗な部屋の中、ぼうっと光るパソコンの画面を見つめながら自問する日々ばかりが過ぎる。
恨み抜いた結果だろうか、もはやかつての親友に対しては怒りすら湧いてこなくなってしまっていた。
それなら、次は一体誰を恨めばいいのか。
両親?
社会?
人類?
世界?
それとも……自分自身。
認めるわけにはいかない答えしかない問答を続ける内に、じわじわと心の奥底の方から輪郭を露わにしてくる一つの『結末』の姿。
その姿が自分の中ではっきりと形を成した時、ボクは丈夫なロープを用意した。
もし生まれ変われるなら、次こそは力強く生き抜いて、人並みの幸せを掴んでみたい。
そんな淡い願望を抱きながら。
首に巻きつくロープの結び目を確かめ、乗っていた椅子の上から宙へと飛び出す。
どこにでもある、ありきたりな物語のありきたりな結末。
だが、そうして一旦のピリオドが打たれたボクの物語は、奇跡的にも再び幕を開くことになる。
今度は『どこにもない、たった一つの物語』として。
──その日、ボクは異世界に転生した。