第2話
農場は広い。
つばの広い帽子を風で飛ばされないように必死に押さえて、迷子にならないように旦那様のあとを小走りでついていく。
「大丈夫か?」
「っ、はい、大丈夫です」
「……息切れをしながらそう言われても説得力がない」
ため息をついた彼が躊躇いながら、どこか不服そうに手を差し出した。
「……え、」
顔が一気に熱くなるのがわかる。
肌の色が白い分赤くなるとまるで林檎のようで恥ずかしいのに。
それなのに、体温の上昇は止まらない。
「つ、繋がないのかっ」
苛立ったように声をあげる彼の頬が少し赤いのも、暑いからではなく、私のように恋情からであったらいいのに。
「繋ぎます…繋ぎます、旦那様」
骨ばった手のひらに自分の手を重ねる。
彼の手は自分より二回りも大きくて、妙な安心感があった。
黒髪に遮られて彼の表情は見えないけど、少しでも私を意識してくださっていたらいいのに。
「旦那様、」
声に振り向くと美しい女性がいた。
着ている服はやはり農民の物なのに、その透けるような金髪と澄んだ鳶色の瞳がまるで彼女をどこかのご令嬢のように仕立てている。
いつ見ても彼女はーーアリスは美しい。
私なんかより、ずっと。
薄い茶色の髪に、妖精界特有の薄いーーくすんだとも言うーー緑の瞳。
これと言って自慢できる美しさはどこにもなく、ただ凡庸な見た目を持ち合わせる私が彼女に敵うはずもない。
猫目の鳶色の瞳を細めて彼女は恭しくお辞儀をした。
「……アリスか、どうした」
「旦那様、今年はあの葡萄がよく実っております。夏ももう終わりですから、そろそろ収穫できるかと」
彼女は農場の責任者らしい口調で彼に告げた。
「そうか……では少し見に行くとしよう。
あの葡萄は今年も王室へ献上するよう、王に言われているんだ」
彼がふわりと笑う。
私には絶対向けない笑顔で。
アリスに向かって笑う。
やめて、ねぇ、もうやめて。
醜い感情が沸き上がる。
本来妖精はこのような感情を持ってはいけないはずなのに。
「畏まりました、ご案内します」
アリスの美しい微笑みに私は思わず彼の手から手のひらを抜き取った。
「リリー?」
「私は、先に戻っております。最近少し体調が優れぬもので」
ニコリと笑うと彼は訝しそうな視線を消した代わりに眉間のシワを深くした。
「体調が悪いなんて聞いてない」
「……はい、申し訳ありません」
「……早く戻るから、安静にしてなさい」
はい、と頷いて二人を見送る。
なんてお似合いの二人。
私が嫁がなければ結ばれるはずであった二人。
私が仲を引き裂いた二人。
知っているのだ。
二人が恋人であったこと。
これから二人が見に行く葡萄の品種名が「アリス」であること。
その名前を彼がお付けになったこと。
二人がまだ互いに思いあっていること。
私は、ちゃんと知っているのだ。