第10話
産まれた子供は男の子だった。
実際、痛くて苦しくて産んだ時の記憶は曖昧なのだけれど。
それでも。
生まれたてのこの子を抱き締めた時、私は泣いてしまったのだ。
愛しい彼と私の子だ。
私が産んだ子。
そう思うと涙が止まらなかった。
これ以上の幸せはないと思った。
生まれてきてくれたことが嬉しくて、幸せで私はボロボロと涙を流した。
彼はすぐさま部屋へ入ってきてくれて、私に優しいキスをすると、不慣れな手つきで我が子を抱き上げた。
「……ありがとう…」
彼の涙声が私に向けられたのか、腕の中の我が子に向けられたのかはわからない。
どちらにしても喜ばしい。
この瞬間で時間が止まり、永遠にこの時間が続けばいいと私は本気で思った。
「…アル」
『アルファス』ーー彼がこの子につけた名前だった。
生後二か月とまだまだ小さいが、アルは私の声を聞くと無邪気に笑ってくれる。
シャナはその笑顔に溶けそうなほどの笑顔を向けて「アル様、あぁ可愛い」と口癖のように連呼する。
アルの乳母もその人柄通りの優しい微笑みで私たちを見守ってくれている。
「リリー」
低い声と共に扉が開いた。
慌てて乳母にアルを託し、立ち上がる。
「おかえりなさい、旦那様。すみません…お出迎えできずに…」
けほ、と乾いた息が唇からこぼれた。
乾いた咳は一度出るとなかなか止まらない。
「いいんだ、そんなこと構わない。それよりも大丈夫か?」
乳母からアルを受け取り、優しく抱き上げながら彼は私を覗きこんだ。
「…っは、い…申し訳ありません…」
「ちが、違うんだ。責めてるんじゃなくて、」
「旦那様はご心配なんですよね、リリー様が。全く口下手な男は嫌われますよ」
シャナがニコリと笑う。
旦那様の眉間のシワが深くなるのを間近で見て、私は対処できずに狼狽えた。
「……旦那様はお優しいですね」
苦し紛れにそう言うと彼はそっぽを向いて
「当たり前のことだ」と言った。
不器用な彼らしい優しさが嬉しい。
乳母にアルを戻し、彼はやや重い口調で予定を告げてきた。
「しばらく王都に行かねばならない。
何かあったらすぐに伝えてくれ。すぐに帰るから」
「ふふ、心配しなくてもアルにはずっと付いていますのでアルに危険なことはきっとないですよ」
「そうじゃない」
彼の声はとても真剣だった。
「いや、もちろんアルだって心配だ。けれど今は君が心配なんだ、リリー」
彼の目が何かを訴えるように揺れていた。
青い海にいるような気分になる。
「旦那様がそう言ってくださることが、私はとても嬉しいです」
心のなかが温かくなる。
自然と浮かぶ笑みに、彼はその美しいかんばせを近づけて頬に一つキスをしてくれた。
幸せだと思った。
儚い幻想的な幸せ、いつか消えてしまう。
だから、私は
「いってらっしゃいませ」
そう笑って彼を送り出した朝、もしかしたらこれが最後かもしれない。
そう思いながらも、とても幸せだったのだ。
「……旦那様、レオンハルト様、」
消え入りそうな声で大きな背中に呼び掛ける。
流れた涙には気づかないふりをして、私は笑った。




