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日差しは温かく、風も凪いでいた。咲き乱れる花達は美しく、芳しい香りで辺りは包まれる。広い庭園の、小さな東屋で母娘の笑い声が響いていた。
──あなたにはやっぱり薔薇が似合うわ。
母は頭を撫でながらそう言った。
柔らかい微笑みを向けられて心が温かくなる。
ふと、母が視線をおもむろに上げた。柔らかな母の金糸が肩から背へ滑り落ちる。
「アランシア、ルクートの王子ですよ。ご挨拶なさい」
この国へ新たに同盟を結びに来ているというルクート王国からの使者は王と幼い王子だと今朝侍女が教えてくれたばかりだった。
今頃、自分の父とルクート国王が話し合いをしているだろう。
「年も近いし、いってらっしゃい」
庭で座り込み、花壇に咲いた花を見つめる幼いルクート王国の王子を見つめて母は微笑んだ。
「はい、お母様」
王子の茶色の短髪が穏やかな風に揺らぐ。彼は花壇に咲き誇る百合を眺めていた。
自分よりも少し大きな背中に近寄り、アランシアは声をかける。
「ルクートの王子様ですか?」
すると、ゆっくりとした動作でこちらを振り向き、不思議そうに首を傾げる。
「今、貴方のお父様と私のお父様が話し合いをなさっているわ」
少年はアランシアを見上げ、それからまた首を傾げた。
自分に話しかけているのが誰かわからないのだろうと気付いたアランシアは顎をきゅっと引き、胸をはって名乗ってみせた。
「私はラガルタ王国第一王女アランシア・ローズです」
「アランシア姫?」
「そうです」
すると、少年は照れたように視線を地面へと向けた。
陶器のような滑らかな白い肌、桃のように色づいた頬と唇。流れる髪は母親譲りの淡い金髪で、光によって白く輝く。──そんな端正な顔を持ってアランシアは産まれた。
将来有望だろうと期待させる顔だちの少女に向けて花を贈るのは、アランシアがまだほんの小さな頃から慣れてしまうほどに日常茶飯事だった。
だから少年が地面へと視線を移し、次には自分のポケットに差した薔薇の花を照れながらこちらへ渡す事を予想していた。
「これ、あげる」
その少年の言葉に、アランシアの予想は確信へと変わる──その一歩手前で、アランシアは固まった。
「……これを、私に?」
見れば差し出された手にある花は花壇の隅に咲いていた小さくて地味な雑草だ。美しく咲き誇る花に例えられる事はしばしあったが、雑草を渡されるのは初めてだ。
ラガルタ王国第一王女の生涯に、雑草を贈った男として記憶に残る事になるのだが、幼い王子は気にせず雑草を渡したのだった。
この時の、あの絶望。そして自分に驕っていた羞恥。一生アランシアは忘れはしない。
遠くで鳥の鳴く声がして、これが幼い頃の記憶を夢見ているのだと自覚した。そうしてゆっくりと重い瞼を開ける。
白い天井を見上げ、それから体をおこし、ため息をついた。
「嫌な夢……」
雑草を贈った男。
もう十二年前の出来事で、自分はもう齢十八となったのだが、今でも嫌な記憶として深く胸に刻みこまれている。
もう一つため息をつき、思いきり息を吸って声を張り上げた。
「ポーラ!」
「はいぃ、姫様っ!」
すぐにおさげを揺らしたそばかすだらけの少女が部屋へ飛び込んで来た。
「おはよう、ポーラ。支度するわ。手伝ってちょうだい」
「かしこまりました、姫様」
小柄な少女はアランシアを鏡台の前の椅子に座らせ、幼い頃よりいっそう輝きを増した自慢の金髪を櫛でといていく。
髪がとけるさらさらとした涼やかな音は耳に良く、アランシアは耳を澄ませた。
今日は何の香油をつけようかと目を閉じながら考えていると、朝早い時間なのにも関わらず扉をノックされた。
「こんな時間に? 誰でしょうか」
「朝早くに用事を言いつけるのは父上以外にいないわ」
扉の外から自分を呼ぶ声が聞こえ、ポーラが手早く香油をつけ、ドレスを着せてアランシアの支度を整えた。
それからアランシアを立たせ、暫く眺めた後、ポーラがにこやかに微笑む。
「今日もお美しいです、姫様」
「ありがとう。一体こんな朝から何かしらね」
どうせ良いことではないに違いない。ポーラが扉を開けると近衛兵の格好をした男がこちらに一礼すると、広間に来るようにとの父からの伝言を伝えられた。
面倒に思うが、国王でもある父に逆らうわけにもいかず、アランシアはポーラを伴って広間へと向かった。
***