9.生徒会長と新聞部部長が来て
部室に向かう渡り廊下で、前に立ちはだかったのは一見して不良に分類される男子生徒だった。ネームプレートは付けていないが、肌蹴た学ランの襟下に「矢野」という刺繍が見える。 学章から二年生だということがわかった。
「王子の親戚だからって、図に乗るな。お前があの部にいることで価値が下がる。戌亥サンも一宮サンも、良いように思っていないに決まってる」
断言したその言葉は、いつも思っていたことだ。そして、それは聖さんが居て良いと言った一つの許可で正当化されていた。周りから見たら、邪魔者でしかない。そんな自分の存在は、聖さんの親戚という嘘で成り立っていることは重々承知の上だった。
「早く辞めるんだな!」
去り際、矢野は脛を蹴った。顔を殴ると痕が残るから、服で隠れる場所を攻撃したのだろう。矢野の苛立ちを表すかのような強い蹴りに膝をついた。
下から見上げた矢野の後姿に吐き気がした。これだから、人の悪意は嫌なんだ。
鈍く痛む足を動かし、部室に着いた。いつものようにノックして入ると、見たことのある人が聖さんと話していた。振り向いた女性の顔を見ると、それは入学式のときに見た生徒会長、緑川裕紀だった。凛とした雰囲気と、男性のような名前が印象的だったのを覚えている。そういえば透先輩もそうか、と思ったが、透先輩とは違うカッコよさの女性だった。
空気が違っているような気がした。透先輩は目を向けようとはしないし、学人先輩は一応普段通りだけど、気を張っているような感じだった。聖さんは変わらないようだが、表情は仮面のように見えた。
「君が須賀くんね。初めまして」
「初めまして、須賀由宇です」
自然の動作で右手を差し出してきた会長に、迷うことなく握手を返した。変に遠慮するのは失礼だ。三人の美形に囲まれている部なのだから、会長の容姿は特別綺麗だとは思えなかった。
慣れというか順応というか。比較的容姿の整った人に好かれる、という特性はここでも発揮された。
「伊集院くんの言ってたとおりね。顔とか、肩書きとか気にしないのね」
握手はすぐに終わった。しかし、会長の視線は離れなかった。にこにこと、楽しそうに笑っている。
顔とか肩書きを気にしないなんていつものことだった。礼儀は弁えているので、相手が不快には思わないようにはしている。変に緊張したり、遠慮しないだけだった。
聖さんと話していたのだから、聖さんに用があるはずだ。窺うように聖さんを見た。
「会長、話はあれで終わりだよね」
「ええ、よろしくお願いするわ。須賀くんも、お願いね」
にっこりと笑って会長は部室を出て行った。部室にはいつものように四人が残った。
話が見えてこないので、とりあえずいつもの席に座った。
「簡単に言うとね、文化祭で頑張れってことだよ。それが会長の依頼」
「会長が直々に?」
「うん。僕たちが二年連続優勝したから余計にね」
聖さんは何でもないかのように言ったが、責任重大だと思えた。それも今回の出し物を考えるのは自分。
頭が痛くなってきた。忘れていた膝もズキズキと痛む。
「由宇、そんなに気にすることもないよ? あの人はあの人で何か企んでいると思うし。まあ、期待しているのは芸術度だから、優勝を狙うとかは考えなくてもいいよ」
会長が期待しているのは芸術度、と聞いて少し気が楽になった。芸術面は聖さんが前面に出るだけで充たされる。締め切りまでまだ二週間ある。
ここにきて、やっと安心できた。どこから気を張っていたのかわからないほど、警戒していたようだ。
ノックの音が聞こえた。聖さんが入室許可の返事をする。会長が言い忘れたことでもあったのかな。
「会長が来てたみたいだね」
現れたのは知らない人だった。学章は三年生のもので、右腕には『新聞部』という腕章が付けられている。
「初めまして、須賀くん。新聞部部長、片岸だ。この前は佐川が悪かったね」
「いえ…」
「片岸部長は何が知りたくて来たのかな?」
片岸部長と僕の間に聖さんが割り込んだ。自然な感じだったけど、守られているように思えた。
「ズバリ、文化祭の出し物についてだ。会長も来てたことだし、決まったんだね?」
ニヤリと片岸部長は笑った。確信している笑みだ。それはさながら勝者を気取っているようで、気分が悪くなった。気分が悪くなるということは、悪意が含まれている。それを無意識に感じ取っていた。
それに対して、聖さんはあっさりとしていた。
「決まってないよ。まだ形も掴めていない」
「へえ? じゃあ、前と同じものでもやる?」
「うーん、どうかな。制服モノはやるかもしれないけど」
曖昧な答えに、片岸部長は聖さんの言葉を信じたようだった。聖さんが言っていることは全部本当のことだから、勘繰っても無駄だ。でも、ここで変に隠しているように見られて疑われるのは避けたい。
「制服もの、ね。確かにどの部でも仮装はするし。まあ、楽しみにしてるよ」
言いたいことだけ言って片岸部長は出て行った。
しんと静まった部室。やっと落ち着いて椅子に座ると、聖さんは腕を天井へと伸ばして唸った。
「ホント、こっちを探るより自分の心配しろって感じだよね。由宇、ゆっくり探そう。その方が楽みたいだし」
「わかりました。聖さん、先程は有難う御座いました。庇ってくださったんですよね?」
僕の指摘に、聖さんは一瞬動きを止めたが、すぐに笑みに変えた。右手を左肩に置き、左腕をぐるぐると回している。
「まあね。由宇が下級生だからって従う必要はないからね。じゃあ、行ってくるよ。今日はバスケ部だったよね」
聖さんは学人先輩が頷くのを確かめると、意気揚々と部屋を出て行った。透先輩は学人先輩の手元にある予定表を覗き込み、確認して聖さんの後に続いた。
やっといつも通りになった。学人先輩と二人きりの部室はいつの間にか安心できるものになっていた。それは、自分の中で『部員』として自覚ができた証拠だった。




