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シェイク

作者: 水原 順

 虫の好かない顔ってのはあるものだ。

 入部初日。体育館の隅に確保された卓球場で、そいつと睨み合った。

 あっさりとした細身の童顔で、まあ可愛い方かも知れない。耳が出るほどの、ショートカットも、確かに似合っている。でも、目つきがヒネていた。

 青山初花。ジュニア卓球のK市大会二位。県大会でも、ベストエイトに入っている。

 何でも出来るオールラウンド型で、その多彩なテクニックを、何度も目の当たりにしている。直接当たった事は、一度も無い。

「あんた、誰だっけ?ジュニアの大会で、何度か見た事あるけど」

先に挨拶した愛子にそう言って、丸いメガネの奥でこちらに向けてきた、人を見下したような視線が、許せなかった。

 そりゃあ、初花の方が格は上だろう。愛子の市大会の成績は、ベストフォーが最高だったのだから。県大会の出場権は獲得したが、大会当日、三十九度の熱を出して、出場することは出来なかった。

「有名な、青山初花さんくらいになると、ウチなんか眼中に無いんだね。村瀬愛子。覚えといてね」

 愛子は引きつった笑顔を見せると、吐き捨てるように自己紹介をして、ツカツカと初花の横を通り抜け、奥の更衣室へ向かった。

「愛子、待ってよ」

同じ小学校で卓球をやっていた、松野すみれが、慌てて付いて行った。


いきなり、生意気なヤツだった。

「K市大会二位の、青山初花さんだよね?よろしく」

 練習着に着替えて、柔軟体操をしようとしている所へ、声をかけられた。

 ぶっきらぼうな物言いで、全身から『ふん。あたしゃ、あんたなんかに負けないヨ』というオーラがビシバシ出ていた。

 村瀬愛子。ジュニアの市大会で、優勝した塩田絵里に準決勝で敗けて、ベストフォーになったが、塩田絵里とフルセット打ち合ったのは、村瀬愛子と自分だけだった。

 強いのは、間違いない。団体戦では、頼もしいチームメイトになるだろう。しかし、それとこれとは、別である。虫が好かない。しかも、シングルでは敵だ。

 チビで、ダブダブの制服着て、まん丸の童顔で、顔の三分の一くらいあるドングリ眼に、ライバル意識剥き出しにしやがって。

 どっちが上か、すぐに思い知らせてやる。初花は、軽く屈伸運動を始めた。


「もう、愛子ったら。いきなり青山さんと、揉めないでよね。ヒヤヒヤしたじゃん」

 更衣室に入ると、すみれの抗議があった。

「ウチは別に、揉めようとしたわけじゃ、ないよ。コッチが挨拶してるのに、何よアイツの見下した態度は」

「名前憶えられてなかったのが、気に入らないの?でも、あれ嘘だと思うよ」

「何で?」

「だって、市大会で愛子が敗けたの、塩田さんでしょ?青山さんと塩田さんはライバルなんだから、塩田さんの試合は、全部注目してるわよ」

「塩田さんしか、見えてなかったんじゃないの?」

 卓球シューズの紐を結びながら、愛子が言うと、着替え終わったすみれが、ラケットケースとタオルを持って立ち上がった。

「でも愛子、塩田さんから二セットも取ったじゃない。そんな相手が、全然気にならないと思う?」

 確かに。それじゃあ、さっきはワザとイヤミを言った事になる。どちらにしても、腹が立つ。着替えを完了した愛子も、首にタオルを掛け、ラケットケースを持って、立ち上がった。戦闘開始だ。

「集合!」

 三年生のキャプテン、赤木奈津子の号令で、全員が集まった。

「クラブ紹介の時に自己紹介したけど、改めて。あたしが、部長の赤木。副部長は、この子。二年の結城さん。覚えといてね」

 赤木は、隣に立っている、ポニーテールの女の子の肩に手を置いて言った。

「それじゃあ、今から自己紹介をしてもらうわ。あなたからよ」

 赤木が、初花に向けて言った。

「明星小学校から来ました、青山初花です」

 部員たちから、どよめきの声があがった。どうやら、先輩たちにまで名前が知れているようだ。

 千鳥小学校から来た、谷口詩織と松山茜。愛子と同じ、双葉小学校から来た、松野すみれと続き、最後に愛子の番が来た。

「双葉小学校から来ました、村瀬愛子です」

 再び、部員たちがどよめいた。どうやら、愛子の名前も知れていたようだ。

「上級生の紹介をする前に、今からうちの部のルールをいくつか説明するから、よく聞いてね。先ず、部活に来て最初の挨拶は、オハヨウゴザイマスだから、明日からそうしてね」

変な習慣。なんか、芸能界みたい。

「卓球台や用具は、全員で出し入れするけど、最後のモップ掛けは、一年生の仕事よ。いいかしら?」

 赤木が、一年生に向けて、呼びかけるように言った。

「はい!」

 返事をしたのは、三人だった。愛子、すみれ、そして初花。マズイ、と愛子は思った。赤木の顔が、厳しくなった。

「返事はどうしたの?もう一度、聞くわよ。いいかしら?」

「はい!」

 今度は、五人で返事をした。自分は、一回目でちゃんと返事をしたなどとは、言えない。連帯責任なのだ。小学生時代、クラブ活動に縁の無かった詩織と茜は、戸惑ったに違いない。

「よろしい。返事や挨拶は、キチンと大きな声ですること。いいわね?」

 赤木が、元のやさしい顔に戻って言った。今度は、五人揃って大きな声で返事をした。

「今年は、有名人が二人も入ったことだし、双葉中学卓球部も、一気に強くなるわね」

 赤木は笑っていうと、今度は先輩たちの紹介を始めた。

 二年生五人、三年生も五人。愛子たち一年生も、五人。

決して多いとは言えないが、練習場の広さを考えると、丁度良いかもしれない。なんせ、体育館をバスケットボール部と一緒に使っているので、卓球台が四台しか置けないのだ。

基本のラリーから、練習を始める。一台で、四人が一度に練習できる。ラリーをするペアが、台の対角線に向かい合うことで、2組一度に練習出来るのだ。

「パートナーチェンジ!」

 キャプテンの赤木が号令を掛けると、各自がひとつズレる事により、ラリーのパートナーをチェンジするのだ。人数が奇数なので、常に一人が余ってしまう。

 上級者同士のラリーは、まるでメトロノームのように正確なリズムで、延々と歯切れの良い音が続く。反対に、片方が上級者でも、もう片方がそうでなければ、すぐに途切れてしまうのだ。

 つまり、確実に相手コートの同じ位置に打ち込む事で、相手も同じフォームで打ち返す事が出来るのだが、同じ位置に打ち込むコントロールが無ければ、相手がいくら上級者でも、同じフォームで打ち返す事は出来ない。

 要するに、卓球の練習とは自分を如何に精密機械に近づけるかの練習、と言えるだろう。

 何度か移動した。愛子は今、2番目の台の、オーソドックスに打てる右コーナーで、三年生の、田村真理と打ち合っている。同じ台の左コーナーでは、愛子たちと対角線で、すみれと、これも三年生の川島純が打ち合っていた。

 わりと小気味良く続くのだが、十回前後でネットに掛かったり、台から逸れたりして途切れてしまう。三年生の二人には悪いが、すみれと愛子が打ち合えば、もう少し続くのだ。

 愛子は、隣の台の右コーナーに、チラリと目をやった。初花と、三年生の赤木が打ち合っている。

 二人とも、精密機械そのものだった。正にメトロノームのような正確なリズムで、延々と打ち合っている。

 愛子は『赤木さん、さすがキャプテンやってるだけの事はあるじゃん』と、赤木が聞いたら気を悪くするような感心の仕方をした。

 結局、ラリーで初花と絡む事は無かった。

 次に、二人一組でサーブの練習に入った。片方がサーブを打ち、もう片方がレシーブする。サーバーは、レシーブされないように工夫して打たなければならない。十本で、交代だ。

 愛子はすみれと組んで、練習を始めた。赤木が余る形になり、みんなのサーブをチェックしている。

 フォアからのサーブ五本の後、バックからのサーブを二本打った所で、赤木に声を掛けられた。

「すごいわね、あなたのバックサーブ」

「へへ。ありがとうございます」

 いきなり褒められた愛子は、どうリアクションして良いかわからず、お代官様に褒美の言葉をもらった、庄屋のような愛想笑いを浮かべて言った。

「あなたと青山さんには、技術的にアドバイスするような事、何も無いわね」

 赤木は、笑って言うと、他の台へ行ってしまった。

 それからしばらく、交代でサーブの練習をしていると、ジャージの上下を着込んだ、愛子の担任でもある、津田佳代子が現れた。

「おはようございます!」

 上級生が、一斉に声を上げる。

 一年生五人も、慌てて大声を上げた。

「おやおや、今年の一年生は、元気がいいわね。あ、村瀬さん。ウチに入ったのね」

「はい。よろしくお願いします」

「頑張ってね」

 愛子に笑いかけ、津田先生は赤木の方へ行った。何か打ち合わせている。

「それじゃあ、三年生は、技術向上。二年生は、素振り。一年生は、ランニングにかかってちょうだい。結城さんは、一年生の指導をお願いね」

 津田先生が、指示を出した。教室で見るのとは、別の顔に見えた。

 双葉中卓球部は、常に三つのグループに分かれて練習を行う。

 まず、一つ目の技術練習とは、スマッシュやレシーブやドライブ、カット等、個々の技術を集中して行い、磨きを掛けていくもので、卓球台が四台では、一学年がやっとである。それが、三つのグループに分けて練習を行う、一番の原因だ。

 次に素振りは、どこの学校でもやっているオーソドックスなもので、ステップを踏みながら、フォアとバック、それぞれ千回が日課だ。

 そして、今から愛子たちがやる、ランニングである。靴を履き替え、副部長の結城に連れられて、グラウンドに出た。結城は、首からストップウォッチを提げている。

「さあ、ここがスタートラインよ」

 校舎から、グラウンドにでるアプローチは、コンクリート張りで、他は土だ。その境目を足で踏みながら、結城が言った。目の前に、校門があり、教室でお喋りをしていたらしい、帰宅部の生徒が三人、出て行くのが見えた。

「いい?ここから校門を出て、学校の外を三周して、最後に校門から入って、ここがゴール」

 全員、心の中で『ゲェー』という声をあげた。学校の外周は、丁度一キロだと聞いていたのだ。

「みんなが走り出したら、このストップウォッチを押すわ。一時間で完走出来なきゃ、バツとしてもう一周だからね」

 またまた、『ゲェー』である。まあ、結城のストップウォッチを見た時から、嫌な予感はしていた。

 小学校からの経験者三人は、大丈夫だろう。詩織と茜の体力は、分からない。

「じゃあ、位置について」

 とにかく、走るしかない。五人全員、スタートライン代わりのコンクリートの境目に並んだ。何だか、ロードレース大会でも走るような気分になってきた。

「スタート」

 結城の合図で、一斉にスタートを切った。

 初花が、先頭で校門を出た。次に愛子、すぐ後ろにすみれ。その後五メートル離れて、詩織と茜が続いた。

 野球部とサッカー部が、グラウンドを半分づつ使って練習していた。

 そのグラウンドを左に見ながら、歩道を金網沿いに走る。サッカー部は、二人一組でパスの練習をしている。その中にいた、同じクラスの土井健太と目が合って、お互いにちょっと笑った。

「ハハハ。土井のヤツ、神妙な顔してやってるね。愛子と同じクラスだっけ」

 すみれが、並びかけてきて言った。土井健太は双葉小学校出身で、すみれも知っている。

「そうだよ。でもアイツ、小学校の時からバカだったじゃん。ああやってると、ちょっと別人みたいだね」

「言えてる」

 そう言って笑うと、すみれはまた少し後ろに下がった。道は広いが、歩道は二メートル程しか無いので、二人並んで走るには、ちょっと狭いのだ。

 一つ目の角を曲がる頃には、野球部の練習エリアに入っていた。シートノックをやっている。

 ここでは、一年生は入れてもらえないらしく、外野にズラリと並べられて、声を上げているだけだった。同じクラスの、石橋拓也と千葉勇一も、その中に並んでいた。

「アハハハ。あいつら、いきなり玉拾いなんだ。苦労してるよね」

 またまた、すみれが並んできた。石橋拓也もそうだが、それ以外にも双葉小出身が、何人かいたのだ。すみれの体力は、まだ余裕のようだ。

 二つ目の角を曲がると、道全体が狭くなる。二メートル程の道を挟んで、左手はグラウンド、右手は土手で、その向こうは林になり、やがて山へと続いている。車は、通れない。

 やがて、グラウンドが終わり、体育館の外壁を見ながらしばらく走ると、三つ目のコーナーが近づいてきた。

 初花は、愛子の十メートル先を、同じペースで走っている。すぐ後ろに、すみれの規則正しい息遣いも、聞こえる。

 三つ目の角を曲がる。道は相変わらず二メートル程で、左は体育館の裏。右は要壁になっていて、上にテニスコートが四面と、テニス部の更衣室が有る。

 体育館の裏側が途切れ、校舎裏を左手に見ながら、走り続けた。

 四つ目の角を曲がった時、チラリと愛子は後ろを見た。すみれはすぐ後ろにいる。詩織と茜は、三つ目の角を曲がるところだった。

 すぐに、校門の前を走り抜けた。サッカー部は、まだパスの練習をしていた。土井健太が、同じ場所で練習していたが、すみれはもう話しかけては来なかった。規則正しい息遣いが聞こえるだけだ。

 二周目の、一つ目の角。野球部の、シートノックが続いている。十メートル前を走る、初花の足音。すみれの息遣い。その、規則正しいリズムを聞きながら、二つ目の角を曲がった。

 三つ目の角を曲がる頃には、すみれの息も乱れてきた。初花も、ペースこそ落ちていないが、息遣いが聞こえてくる。愛子の息も、少し上がってきた。

 四つ目の角。校門の前を走り抜けた。あと、一周。サッカー部は、ドリブルの練習をやっていた。それを見る余裕が、愛子にはまだあった。

三周目の、一つ目の角。チラリと後ろを見たが、詩織と茜は、まだ最後の角を曲がっていなかった。愛子は、いきなりペースを落とした。

「どうしたの、愛子」

 愛子が、故障で失速したと思ったらしく、すみれがちょっと慌てた口調になった。

「ごめん、すみれ。先に行って」

 愛子が笑いかけると、安心したのか、すみれも笑顔を返して先へ行った。

 すみれが行ってしまうと、愛子は歩くようなペースになった。詩織と茜は、まだ来ない。

 野球部が、シートノックを終えて、バッティング練習をやっていた。一年生は、やはり外野に並んで、声を上げているだけだ。

 ようやく、詩織と茜が、並んで一つ目の角を曲がってきた。愛子は、その場で足踏みをして待った。

「もう少しだよ。頑張って!」

 愛子の声が聞こえたのか、二人は少しだけ、ペースを上げた。

「大丈夫。あせらなくても、時間はあるからさ。それより、あきらめちゃ、駄目だよ」

 ようやく追いついてきた二人に言うと、二人とも、青ざめた顔を上下に動かした。返事をする余裕も無いようだ。

愛子は二人の後ろに付いて、走り始めた。早歩きほどのペースだ。

「小刻みに呼吸しないで、一度大きく吐くの。そしたら、新しい空気が、イッパイ吸えるからさ。そうやって、息を整えるんだよ」

 返事は無い。

「いい?ウチがやるから、真似しなよ」

 愛子は、地面に向かって、息をハァーっと長く吐いた。そして今度は、身体を反らせ、天を仰ぐように、鼻から大きく吸い込んだ。

「さ、やってみな」

二人が、苦しそうに顔を歪めて、息を吐く。

「もっと!全部吐き出せ!」

 愛子の声に、二人とも自分の前の空間にしがみつくように、吐き続けた。そして、プツっと糸が切れたように、二人が頭を跳ね上げた。

「鼻からよ!鼻から吸う!もっと!」

 二人は足を止め、背伸びをするようにすい続け、ハァッと勢いよく吐いた。

 呼吸が少し楽になったのか、顔に少し赤みが戻った。

「さ、行こう」

 愛子は、二人の前を走り始めた。時々振り返り、二人に檄を飛ばす。二人のペースも、少しだけ上がった。

 二つ目の角、三つ目の角と曲がり、体育館の裏側を通り過ぎた時、茜の足が止まった。

「谷口さん、先行って」

 詩織は頷いて、フラフラと走って行った。

「村瀬さんも、先に行って」

 茜が、喘ぎながらいった。

「何言ってんの!さあ、がんばろう」

 茜が、自分を引きずるように、走り始めた。歩く程の速さだ。

 四つ目の角。曲がって、三十メートル先の校門が見えると、茜のペースが、少し上がった。あと、少し。

 校門を入ると、結城がストップウォッチを持つて、ゴールであるコンクリートのつなぎ目に立っていた。その少し向こうで、詩織がへたり込んでいる。初花とすみれは、お互いに少し離れた位置に立っていた。

 ゆっくりとゴールした愛子に続いて、茜も崩れ落ちるようにゴールした。結城が、ストップウォッチを押す。愛子と、その場にへたり込んだ茜が、同時に結城の顔を見た。

「五十五分二十秒。なんとかセーフね」

「やった!やったじゃん、松山さん!」

 愛子はしゃがみ込み、茜の両肩に手を置いて、ゆすった。茜も、苦しそうだが、笑顔を見せた。

 立ち上がろうとした愛子の背中に、結城が冷たい声で言った。

「村瀬さん。あなたは、もう一度走り直しよ」

「え?」

「もう一度、始めから走り直しだって言ったの」

「どうしてですか?一時間、かかってませんけど」

「あなたが、手を抜いて走ったからよ」

「手を抜くって、そんな…ウチはただ、みんなで…」

「脱落しそうな者の手助けをしろなんて、誰に言われたの?アンタの自己満足でしょ?」

 初花が横から口を出した。愛子の顔色が、変った。口を開こうとした愛子に、初花がさらにたたみかけた。

「松山さんの為にだって、ならないじゃん。自分一人でやらなきゃあ、練習の意味が無いって事が、分からない?まさか、ジュニアの市大会ベストフォーくらいで、もう自分は練習しなくていいって思ってんの?思い上がってんじゃないわよ!」

 愛子は、開きかけた口を閉じた。茜は、泣きそうな顔をしている。

「青山さん。あなたも、ちょっと黙ってて」

 思わず口を出したらしい初花は、我に返ったように左手で、自分の口を押さえた。どうやら、愛子に対して言いたい事が、心の中にモヤモヤと溜まっていたようだ。

「やり直しが気に入らないんなら、部長か顧問に言ってみれば?あなた強いから、特別扱いしてくれるかもしれないわ。だったら、あたしもつき合わずに自分の練習出来るしね」

 愛子は、一度うつむき、歯を食い縛った。心の中で、つぶやく。ドンマイ。目を閉じ、一度深呼吸をしてから、姿勢を正した。

「すみませんでした。もう一度、お願いします」

 愛子は、スタート位置に立って、結城に頭を下げた。結城が、無言でストップウォッチを構える。

 二度目のスタート。サッカー部の練習も、野球部の練習も、目に入らなかった。恥ずかしさと、不満の入り混じったおかしな気持ちを抱え、愛子はただ走った。

 脱落しそうな者を励まし、みんなで一緒に目標を達成する。それが、そんなにいけない事なのか。中学のクラブ活動は、それを『甘い』としか判断しないのか。

 そう考える自分と、結城や初花の言葉に納得する自分とが、ないまぜになって愛子の胸にわだかまっている。気付くと、もう一周目が終わっていた。

 いけねぇ、いけねぇ。集中しなきゃ。愛子は、少しペースを上げた。

 三周を走りきり、校門に飛び込んだ時は、愛子の息はかなり上がっていた。ゴールには、仏頂面の初花が、一人で待っていた。手にストップウォッチを、持っている。

 愛子がゴールすると、ストップウォッチを止めて、無言で愛子に渡した。タイムを見ると、四十二分三十二秒だった。

「今回だけにしてよね。ああいう、ベタベタした真似」

 吐き捨てるような初花の一言に、愛子の反省が吹き飛んだ。

「なによ、エラそうに。一々、突っ掛からないでくれる?」

「アンタ見てると、イラつくの。運動部やめて、仲良し文化クラブでも作ったら?」

「見てるとイラつくんなら、見てもらわなくてケッコウよ。一年生のクセに、なによその白けた態度。ザーマス系のオバサンか、アンタは?頭のテッペンが毛羽立ってるのも、なんかムカつく!」

「誰が、オバサンよ?アンタのオカッパも、相当変よ。チビだし、顔もまん丸だし、何処から見ても、小学校四年生ってとこね」

「背は、アンタも変わんないじゃん。自分も子供のクセに、オバサンみたいな銀縁眼鏡がムカつく!頭の毛羽毛羽もムカつく!その、アッサリした顔が、一番ムカつく!この、ケバケバ!」

 愛子が掴み掛かると、初花が愛子のほっぺたを、左右に引っ張って怒鳴った。

「うるさい、チビ!ドングリ眼、ギョロギョロさせるな!その眼が一番イラつく!」

 髪は引っ張る、張り手は飛ぶ、取っ組みあって転がりまわるの、大喧嘩になった。サッカー部の男子が数人、慌てて飛んできた。その中には、土井健太も居た。

「やめろよ、お前ら」

「こんな所で、乱闘してんじゃねえよ」

 二人は、それぞれ羽交い絞めにされた。

「離してよ!関係無いでしょ!このチビ、退治してやるんだ!」

「言ってろ、このケバ!絶対泣かしてやる」

 二人とも、興奮が納まらずに暴れているが、大柄な上級生に羽交い絞めをされているので、両足が地面から浮いてしまい、それをバタバタさせているだけになっていた。他の部員は、ニヤニヤ笑いながら、その様子を見ていた。何人かは、止めにきたのでは無く、ただの野次馬なのだ。

「何やってんの、あんたたち!」

 その怒鳴り声に全員が振り返ると、すごい形相の赤木が、仁王立ちしていた。愛子と初花が、一瞬で凍りついた。

「よ、よう、赤木。お前んとこの一年、元気いいよな」

 愛子を押えていた男子は、赤木のクラスメイトらしい。赤木が全身から発しているオーラに、明らかにビビッている。

「中村君、迷惑かけて、ごめんなさい」

「あ、いや…、迷惑なんてかかってねえよ」

 中村と呼ばれた上級生が、愛子を離した。それを見て、初花を押さえていた上級生も、慌てて手を離す。

「さ、お前ら!練習に戻れ!」

 中村が号令を掛けると、みんな慌ててグラウンドへ走って行った。

 愛子と初花は、並んで赤木の前に立った。愛子の体操服は胸元がベロンと伸びて、あちこちが黄土色に汚れていた。髪の毛もクシャクシャで、鼻の頭に砂が付いている。

 初花の体操服も似たようなもので、眼鏡が少しずれていた。頬に、砂が付いている。どちらも、酷い顔だった。

 赤木は腰に手を当て、厳しい顔で二人をしばらく見つめた後、いきなり吹き出した。

「アンタたち、なんて顔してるの。女の子でしょ?」

「ハハ…」

「へへ…」

 赤木が笑顔を見せたので、二人はホッとして照れ笑いをした。

「本来はクビなんだけど、その面白い顔に免じて、今回だけは見逃してあげるわ。次に、クラブ活動中に暴力振るったら、クビだからね。分かった?」

「はい!」

 二人とも、直立して返事をして、頭を下げた。

「但し、お咎めナシって訳にはいかないからね。今日は罰として、今のコースを五周よ。なによ、その顔。なんか文句あるの?」

「ありませーん!」

 二人同時に返事をして、校門を飛び出した。

 愛子は、気が遠くなった。でも、仕方が無い。クビに比べたら、お安い御用だ。

 ふと、初花と目が合った。お互いに、プイと横を向いた。


 次の日は、一日中筋肉痛だった。当然だ。愛子は昨日、合計十一キロも走った事になる。

 クラスでは、昨日の乱闘騒ぎが広まっていて、散々からかわれた。土井健太の仕業に違いない。いや、野球部も遠巻きに見物していたから、千葉勇一か、石橋拓也のセンもある。

「やっぱり愛子は、柔道向きだよ」

 昼休み、弁当を食べながら、小学校からの親友、坂口直美が笑っていった。小学校から柔道をやっていて、中学に入ったら、一緒に柔道部に入ろうと誘われていたのだ。

「だったら、三組の青山初花ってヤツを勧誘してやってよ。そしたら、ウチも清々するからさ」

 愛子はそう言って、卵焼きを口に押し込み、ご飯をかき込んだ。

 放課後、部活が始まっても、愛子と初花は口を利かなかった。今日は、技術向上練習と素振りをやった。一セットの練習試合もやったが、愛子と初花は何となく互いを敬遠した。

 ただ、最初のラリーだけは、自動的に組合せられる形になった。

 正確無比に一定のリズムを刻んでいた音が、しばらくすると急に早くなり、周りが手を止めて観てしまう程のラリーになった。

 ラリーは一分程続いた後、愛子の打球がネットに刺さることで、終わりを告げた。辺りに、ホッとした空気が流れた。

 そのラリーは、他の部員に、後の練習試合で二人がぶつかる事を期待させたが、結局肩すかしを喰らった格好になった。

 そんな二人が、初めて対戦したのは、一週間も後の事だった。各学年毎に、総当たり戦でのリーグ戦をやらされたのだ。試合は、十一点の三セットマッチで、二セット先取すれば勝ちである。

 やはり三年生は赤木、二年生は結城がそれぞれ優勝した。

 いよいよ、一年生最後の試合。全勝同士の、愛子対初花である。

「いよいよね、愛子。頑張りなよ」

 すみれが、愛子の肩を叩いた。

「ま、練習だもんね。どうって事無いよ。どれくらい出来るのか、確かめてやる」

 そう言いながらも愛子は、シューズの紐を結びなおした。最終戦なので、全部員が周りで注目しているのだ。ジワリと滲み出た掌の汗を、タオルでぬぐった。

 初花は、特に緊張した様子も無く、もう定位置についてこちらを見ていた。その目つきが気に食わない。

「では、今から優勝決定戦を始めます。周りのみんなは、応援は控えてね。いい?」

 審判を勤める赤木が、ギャラリーに声を掛けた。全員が返事をする。副審兼スコアラーは、副部長の結城だ。

「お互いに、ラケットを確認して」

 愛子は、自分のラケットを渡し、代わりに初花のラケットを手に取った。実際の大会等で、互いに規格外のラバーや、接着剤を使用していない事を確認する為の行為だが、よほどの事でないと、触っただけでは分からない。まして、中学生くらいでは、尚更だ。

 しかし、この行為を放棄しない理由は、別にあった。使用しているラバーの種類で、相手のタイプや、攻撃パターンがある程度読めるのだ。

 初花のラバーは、両面ともに『裏ラバー』が貼っていた。これは、カットマン、もしくはドライブマンである事を意味する。

 初花は、オールマイティーになんでもこなすが、主力武器はやはりドライブなのだ。

 ちなみに、愛子は片面に『表ラバー』、もう片面に『裏ラバー』を貼ってある。これは、愛子がスマッシュを主力武器にした、前陣速攻型である事を意味していた。

 身長の低い愛子は、台から離れずに前陣で戦う必要があったのだ。

「じゃあ青山さん、村瀬さん、ジャンケンでサーブ権を決めて」

 愛子がパーで、初花がグー。サーブ権は、愛子が取った。二本づつで、交互にサーブ権が移るのだ。お互い、形式上の礼をして顔を上げると、闘志むき出しの視線がぶつかり合った。

 フォアでのサーブ。初花はいきなり、ドライブスマッシュで返してきた。取れない。愛子は、軽く舌打ちした。

 二本目。次はバックサーブ。初花がバックハンドで返そうとしたが、ネットに突き刺さった。ッシャ。愛子は左手を握った。一―一。

 サーブ権の移動。初花のフォアからのカットサーブ。カットで返した。初花も、さらにカットで返す。数回突き合ったあと、いきなり初花のドライブスマッシュが来た。甘い。ドライブで返せた。左コーナーを掠めて、決まった。ッシャ。

 初花の二本目のサーブも、フォアからだった。カットで返す。ドライブスマッシュ。咄嗟に愛子はレシーブしたが、大きく台を外れてしまった。初花が思わず、左手を握った。

 その後、スコアはジグザグで進み、八―七で愛子がリードしている状況から、初花のドライブスマッシュが連続で決まり、八―九と逆転された。

 愛子の二本目のサーブ。渾身のバックサーブが、ネットに突き刺さった。自爆。愛子は思わず、床を蹴った。八―十。セットポイントだ。

 初花の、フォアからのサーブ。カットで返した。初花の、ドライブスマッシュ。愛子もドライブで返す。高速ラリーが五回続いたあと、初花の打球が、ネットに突き刺さった。

 ッシャア!愛子は大きく声を出し、左手を胸の前で、強く握った。九―十。あと一点で、デュースに持ち込める。そうなれば、サーブ権は一本づつ交代で、二本連取しなければ、何点取ろうがそのセットを取れないのだ。

 初花二本目のサーブ。初花の構えが、変わった。球を高く放り上げ、しゃがみ込みながら、ラケットの裏面で縦に小さく、鋭く切ってきた。王子サーブ。ギャラリーから、どよめきが上がった。オリンピック級の選手も使う、高等サーブだ。

 愛子は、その揺れるように切れて飛んで来た球を、側面から逆に切って返した。しかし、その球には、もう力が無かった。初花のドライブスマッシュが、愛子の右を鋭く抜けていった。シャアッ!初花は叫んで、左手でガッツポーズを見せた。歓声が上がった。

「ちょっと、静かにして!まだ、一セット終わっただけよ!」

 赤木が、大声でギャラリーを制した。

 今の、最後のプレイ。王子サーブを打った初花に先ず驚き、それを返した愛子に、また驚いた。

 しかし、王子サーブでさえも、返されることを想定して、帰ってくるコースを予測して、ドライブスマッシュを打つ体勢で待っていた初花に、一番の脅威を赤木は感じた。

 小学生の市の大会で、王子サーブを打つ選手も、返せる選手も、殆どいないに違いない。それでも、返されるところまで対応出来ていると言う事は、そのレベルの選手と常に打ち合っているからに他ならないのだ。

 愛子は、一度屈伸し、タオルで汗をぬぐった。コートチェンジだ。ギャラリーの中に、すみれの心配そうな顔が見えた。

 ふん。さすがにヤルじゃん。王子サーブとは、厄介なモン持ってるわね。でも、このまま簡単に勝てると思うなよ。愛子は自分に気合を入れるため、心でつぶやいた。ドンマイ。


 いきなり出した王子サーブを、打ち返してくる辺りは少し驚いたが、まあアレぐらいはやってもらわなければ、張り合いが無い。

 二セット目。今度は、初花のサーブから始まる。今度は、あんな接戦にするつもりは無かった。

 初花は、一度体を沈め、伸び上がった。王子サーブ。愛子のレシーブは、ネットに掛かった。

 二本目も、立て続けに王子サーブを放つ。愛子のレシーブは、やはりネットに掛かった。二―〇。サーブ権が、愛子に移る。

 愛子が、フォアからのカットサーブを放ってきた。初花は突っつきで返した。すると、いきなり球が、力無く浮いた。

 強烈なスマッシュが、初花に右を突き抜けていく。一杯くわされた初花は、舌打ちをした。

 カットサーブと見えたのは、実は無回転のナックルサーブだったのだ。カットサーブとの見分けが難しく、突っつきで返すと、球が浮いてしまう。高等サーブの一種だ。

 二本目は、ネット際に短いサーブを落としてきた。これでは、ドライブで返す訳にはいかない。初花は仕方なく、チョコンと返した。強烈なスマッシュが、今度はバック目掛けて飛んできた。

 初花は咄嗟にラケットに当てたが、玉は台から大きく外れてしまった。二―二。

 初花の意思とは反対に、二セット目もやはり接戦になった。王子サーブも、あまり連発すると、完璧に慣れられてしまうので、押さえなければならない。

 九―十と追い込まれた初花は、愛子のスマッシュをドライブでバックに返し、それを愛子がネットに引っ掛けて、十―十のデュースとなった。ギャラリーから、溜息が漏れる。

 ここからは、一本づつサーブ権が移動する。初花は、体を沈み込ませた。出し惜しみしている場合ではない。王子サーブ。

 愛子が、逆回転で返してくる。ドライブスマッシュ。愛子は、かろうじてラケットに当てた。しぶとい。しかし、球はロビングとなって、山なりに高く返ってきた。チャンスボール。

 初花は十分引きつけて上から振り下ろし、愛子のコートに叩きつけた。パキィン、と音がして、バウンドした球が愛子の頭の上を越えていく。決まった、と思った。

 しかし、愛子はボールを追って、後ろへ走り、更にロビングで打ち返してきた。大きな弧を描いて、球は初花のコートへ返ってきた。初花は、渾身のドライブを放った。愛子は、もう定位置近くに戻っている。ドライブで返してきた。

 数回高速ラリーが続いた後、初花の放ったドライブが、少し甘く浮いた。痛烈なスマッシュが、初花の左を抜けて行った。ッシャ!愛子が、左拳を握る。

 王子サーブを放って、逆に点を取られた事に、初花は引きずられた。次の愛子のナックルサーブに、レシーブ球を浮かされてしまい、スマッシュを決められてしまった。愛子が声を上げ、左手の拳を突き上げた。再び、歓声が上がった。

 ナックルサーブと、強烈な回転のバックサーブは確かに厄介だが、愛子の一番の武器は、あの正確なコントロールにある。

三セット目は、王子サーブは封印だ。たかが校内試合で、王子サーブに完璧に慣れられては、大会の個人戦に影響する。少し不利でも、初花はサービスエースを捨て、打ち合いのみで戦う事を決めた。


「はい、みんな静まって!三セット目を始めるわよ。二人とも、コートチェンジして」

 愛子は、タオルで顔の汗を拭きながら移動した。掌にも、グッショリ汗をかいている。

 王子サーブには、大分慣れてきた。もう少し連発してくれると、ありがたい。逆に、愛子は三セット目にナックルサーブを使う事を、自分に禁じた。やはり、個人戦の本番を意識しての事だった。

「愛子、勝負は時の運って言うじゃない。次があるわよ、次が」

 学校の帰り道、すみれが愛子の肩に手を置いて言った。

 結局、三セット目は九―十一で初花に取られ、一年生の優勝は、逃してしまったのだ。

「何言ってんの、すみれ。今日は、アイツも勝ったなんて思ってないよ」

「ん?ああ、そう言えば、最初にセット取った時、結構派手にガッツポーズしてたのに、三セット目取った時は、仏頂面してたわよね。何でだろ?」

「ウチもアイツも、最初はマジだったけど、練習だって事に、途中で気が付いたのよね。大会の個人戦じゃ、敵同士じゃん」

「なるほど、そうね。それでナックルサーブも、回転の特別きついバックサーブも出さなかったんだ」

「アイツも、王子サーブ隠しちゃったしね」

 校門を出たのは六時過ぎだったが、まだ薄明るかった。大分、日が長くなっている。

「来月の総体、愛子やアイツは、一年生でも出してもらえるんだろうな」

「上級生っていっても、すみれの方が強いじゃん。だから、ウチが出られるんなら、すみれも出られるよ」

「ムリムリ!個人戦は、八人枠だよ。三年全員と、結城さんと、愛子とアイツで決まりだよ」

 スーパーの前まで来る頃には、日は殆ど落ちていて、西の空に夕焼けの名残が赤い帯びを曳いていた。団地のシルエットが、まるで影絵のように見えた。

スーパーの店内は明るく、夕方の買い物客も一段落して、店内は空いていた。店の前にいつも出ている、たこ焼きの屋台は、もう無かった。五時半くらいから店仕舞いを始め、六時になると、さっさと帰ってしまうのだ。

「あーあ、やっぱり終わってる」

「今日は、遅かったもんね。でも、もう六時半だし、帰ったらすぐに晩御飯だよ」

 スーパーの、入り口の上に掛けてある時計を見ながら、すみれが言った。

「ちぇ!しゃあねえ。晩メシまで我慢するか」

 六個で百円のたこ焼き屋は、部活帰りの中学生にとっては、ありがたい存在だった。七時までやってくれたら、申し分の無い所だ。

 スーパーの前で、手を振ってすみれと別れた。愛子は角を曲がって、住宅街へ。すみれは、もう少し真直ぐ行くと、通り沿いに家がある。

 来月の、総体。まだ、二週間以上ある。メンバー発表が、楽しみだ。初花との決着は、その時に着けてやる。

家の明かりが、見えてきた。愛子は、無意識に足早になった。お腹が、空いていた。

待ちかねた、メンバー発表があったのは、それから三日後だった。練習の前に、津田先生がみんなを集めた。

「T地区の総体まで、あと二週間よ。今からメンバーを発表するから、今日からは総体に照準を合わせた練習をすること。いいわね」

 はい。と、全員が姿勢を正した。緊張した空気が、流れる。

「まず、シングル出場の八人は、山村を除いた三年生全員と、庄野を除いた二年生全員」

 選ばれた八人の上級生が、力強く返事をした。八人枠には、愛子も初花も入る事は出来なかった。愛子は、肩を落とした。

「次に、ダブルス二組。山村・庄野組と、青山・村瀬組」

 返事をしたのは、山村と庄野の二人だけで、愛子と初花は思わず絶句した。

「青山、村瀬、返事はどうしたの?」

「あ…はい!」

「は、はい!」

 二人は、慌てて返事をした。

「団体戦は、三年生の赤木と川島と田村。二年生の結城。それに、山村・庄野のダブルスで行くから、そのつもりでね。それから、青山・村瀬組は、今日から二人一組で練習すること」

「ダブルスの練習以外もですか?」

 初花が、思わず声を上げた。

「そうよ。柔軟体操も、ラリーやサーブの練習も、全て二人一組よ」

「どうしてですか?」

 愛子も口を挟んだ。聞かずにはいられなかった。初花と二週間ベッタリなんて、耐えられるはずが無い。

「ダブルスは、二人の呼吸が合わないと、実力の半分も出せないわ。だから、あと二週間っていう短期間でお互いのクセ、性能、考え方、全てを理解し合うためよ。それから、もう一つ」

 津田先生の顔が、少し厳しくなった。

「指示された事に不満があるなら、いつ辞めても結構よ」

 ホームルームや授業の時には、考えられない迫力だ。二人は、肩を落として頷いた。

 ラリーの練習は、ダブルスの二組が一台を占領して、練習した。山村と庄野が、フォアの対角線を使い、愛子と初花はバックの対角線を使って、ラリーを始めた。

 山村と庄野のラリーも、かなりハイレベルなものだった。高速のラリーが、規則正しくいつまでも続いている。

 愛子と初花のラリーは更に高速で、ケンカ腰とも思える勢いだった。まあ、実際にケンカ腰なのだが。

「あんたたち、そんなに仲悪いの?さっきから、スゴイ顔で睨み合っちゃってさ。ペアなのよ、あんたたち」

 初花の打球がネットに掛かり、ラリーが止まったのを機に、山村が声を掛けてきた。

「別に、あたしは何とも思っていませんけど。コイツが、勝手に敵意むき出してるだけで」

「ウチが何だって?」

「ほら、そうやってすぐに咬み付くじゃない。このチビ!」

「チビって言うな、このケバ!背は、あんたも変わんないじゃん!」

「ほらほら、今度ケンカしたら、クビなんでしょ?」

 今にも取っ組み合いそうな二人を見かねて、二年生の庄野がなだめに入った。

「ケンカなんか、しませんよ」

「そうそう。議論してるだけです。ほら、国会なんかでも、よくエキサイトしてるじゃないですか。ウチらも、そうなんです」

 二人は我に返り、慌てて弁解した。

「議論が、聞いてあきれるわ。さあ、ラリーはそろそろ終わりにして、一度練習試合してみましょうか。小学校時代、ダブルスやった事ある?」

「あります。ウチ、すみれ…じゃない、松野さんとペアでした」

「あたし、練習ではやりましたけど、試合に出た事はありません」

「あら、練習だけして、試合には出なかったの?どうして?」

「言わなきゃ、いけませんか?」

 山村は、ちょっと初花を見つめた後で言った。

「言わなくて、いいわ。ちょっと興味があっただけなの。じゃあ、始めようか。ちょっと待ってて。誰かに、審判を頼んでくるわ」

「わたしが、やるわ」

 津田先生。ずっと、こっちに注目していたらしい。

 互いに礼をして、ラケットを交換した。

 三年生の、山村ゆかり。表ラバーと、裏ラバーが、片面づつに貼ってある。愛子と同じ、前陣速攻型だ。

 二年生の、庄野美香。両面に裏ラバーが貼ってあるが、ラバーのクッションが分厚く、柔らかい。カットマンだ。

 前陣速攻型の愛子にとって、カットマンはあまり相性が良くない。上級者になると、それこそ何でも拾う勢いで、ストレートのスマッシュが決まりにくい。愛子の得意なバックからのカットサーブなども、実に上手く返してくる。

 ただ、愛子にはカットマン対策用に、ナックルサーブを持っているし、ドライブスマッシュも一応は打てるので、それほど苦手とせずにいられるのだ。

 愛子がジャンケンで勝ち、サーブ権を取った。初花が、無言でピン球を親指で弾いてよこしてきた。先に打てと言う事だろう。

 口で言え。そう思ったが、愛子は黙っていた。愛子がサーブを打つと、そのまま愛子が前衛、初花が後衛となる。台から離れずに攻撃重視の前陣速攻型は、当然前衛に向いており、ドライブマンの初花が後ろを護る陣営が理想であるのは、愛子にも分かっているからだ。

「本番と同じ、十一点五セットでやるわよ。お互いに、礼」

 礼をして、愛子はサーブの構えに入った。

 卓球台は、真上から見ると、長方形の真ん中をネットが横に区切っていて、自分のコートと相手のコートを分けてあり、さらに縦にも白線で区切られて、各自のコートも二つに区切られている。

 つまり、漢字の『田』の形になるのだが、ダブルスの場合、愛子が『田』の下から上に向けて打つ場合、右下の自分のマスに叩きつけたサーブが、左上の相手のマスに、対角線に入らなければ、アウトとされる。

 その後のレシーブからは、相手のコートのどこへ打ってもかまわない。

 但し、サーブを打った愛子が、返ってきた球を打ってはいけない。必ず、ペアが交互に打たなければならないのだ。

 つまり、テニスと違って、前衛・後衛に定着してはいられない。後衛にいても、相手がネット際に球を落とせば、前に突っ込まなければならないし、前衛にいても、鋭いスマッシュや、長いサーブ等は、下がって捕らねばならない。

 それを極力避けるには、どこへ打って、相手に打ちにくくさせるかという攻め方より、相手にどう打たせて、自分たちの得意の陣営に返させるか、という攻め方の方が大切になってくるのだ。

 愛子は球を放り上げ、得意のバックサーブを放った。ゲーム開始だ。

 最初の一セットは、五―十一で取られた。取った五点は、全てサービスエースだ。

 二セット目は、三―十一で取られた。練習で、サービスエースを決めても意味の無い事に気付いた二人が、王子サーブとナックルサーブを封印したのだ。その代わり、ラリーで三点取れた。

 山村と庄野のコンビは、ピッタリと息が合っていた。

愛子のスマッシュチャンスは、大抵カットマンの庄野がしっかり後衛にいる時で、力を絶妙に殺してネット際に返してくる。後衛の初花が慌てて前に飛び込み、突っつきで返すのを、山村が強烈なスマッシュで攻めてくる。

全てがこの調子で、他にもパターンは違えど、初花に後衛の仕事をさせない、愛子のスマッシュを意図的に打たせるなど、こちらの攻撃が、全て相手にコントロールされているイメージが、拭えなかった。

三セット目。これを落とすと、敗けだ。しかし、愛子はサービスエースを狙うつもりは無かった。ラリーを制する事が出来なければ、大会に出ても悲惨な結果が待っているだけだ。

フォアからの、サーブ。前衛の山村が、軽く返してくる。初花のドライブ。庄野がカットで返す。回転が、キツイ。愛子は突っつきで返した。山村の、スマッシュ。初花が、ロビングで返した。カットマンの庄野だが、チャンスボールは叩きつけるようなスマッシュを放ってきた。愛子は、かろうじてラケットに当てたが、ネットに突き刺さった。

「何やってんのよ。アレくらい捕れないの?ドジ!」

「はあ?苦し紛れに、ロビングなんか打つから、チャンスボールになるんじゃない。このへたくそ!」

 お互いに、この試合初めて交わした言葉が、これだった。津田先生は、何か言いかけたが、口をつぐんだ。〇―一。愛子は、初花の顔を見た。


 いきなり、愛子が左手を台の下へ下げ、相手から見えないようにした。初めての、サイン。親指を立てて、左へ向けた。サインの打ち合わせなど、当然していない。

 愛子が、バックサーブの体勢を取る。それを見て、こちらのバックへ返させるつもりだと分かった。

 愛子のサーブと同時に、初花は極端に台の左側へステップした。山村のレシーブは、こちらの左コーナーへ返ってきた。

 十分なタメを作って待っていた初花は、相手のバックギリギリに、ドライブスマッシュを打ち込んだ。一―一。

 サーブ権が移る。山村の一本目は、回転のキツイ、バックサーブだった。初花が、突っつきでネット際へ返す。庄野もそれを突っつきで返した。

 突っつき合いになった。愛子は打った後、すぐに初花の視界の外へ移動する。鮮やかなものだ。コイツが、ジュニアの時に自分のペアだったら。打ち合いながら、初花は思った。

 ジュニアで初花と組んでいた相手は、真面目な大人しい性格の子で、シングルでは市大会ベスト十六の成績を残していた。

 だが、ダブルスで初花と組むと、どうしてもそのスピードについて来れない。自分が打った後、目の前から消えてくれず、障害物となってしまうのだ。

 おまけに、黙っていられる性格の初花ではない。当然、罵詈雑言を浴びせてしまう。ドジ!バカ!へたくそ!。

 そのたびに萎縮して、ついに練習に来なくなってしまった。それから初花は、ダブルスのペアを組ませてもらえなくなった。

 自分が悪いのは、分かっている。でも、言われても言われても、何とか上達してやろうと思わず、そのたびに萎縮するだけの相手に、どうしても、優しく接する事が出来なかった。

 愛子の打球が、ネットに掛かった。

「へたくそ!ちゃんと返せ!」

「うるさい、ケバ!黙ってろ!」

 新しい相棒は、憎たらしくて頼もしい、イヤなヤツだ。


 一―二。山村の二本目は、フォアからのサーブだった。横回転。軽いドライブで返し、初花は左に飛び退いた。

 庄野が突っつきで返してきた所を、愛子がスマッシュで返す。咄嗟に山村がラケットに当てたが、力の無い球が返ってきた。チャンスボール。初花が、ドライブスマッシュで畳み掛ける。庄野が、かろうじて拾った。球は、緩やかな弧を描いて、バック側に返ってきた、

 台の左に寄り、タメを作って待っていた愛子の渾身のスマッシュが、相手のコートを叩いて、山村の左をすごいスピードで抜けて行った。ッシャ!愛子は、この試合初めてのガッツポーズを出した。二―二。

 打った後の事は、考えない。大抵の打球は、あのヒネクレ者が返してくれる。それも、アイツが打つ前に、自分が立ち位置を知らせておけば、そこからスマッシュを打ちやすい位置に返ってくるようにコントロールして。

 すみれは良い相棒だったが、さすがにそこまでの技術は、期待出来なかった。

 サーブ権の移動。初花の一本目のサーブ。初花が、愛子の顔を見た。サインを出せ、という意味だろう。

愛子は、初花と並んで台の下に手を入れ、親指を立てて、左へ向けた。さっきと同じサイン。バックに返ってくるように指示を出したのだ。

初花が、回転のキツイバックサーブで、庄野の左を攻めた。左にステップしてバックハンドで返した庄野の打球は、愛子がバックの体勢で待ち構えている所へ、ピタリと返ってきた。憎たらしいことを除けば、最高の相棒かもしれない。

 愛子のバックスマッシュ。山村の前から移動しようとしている、庄野を狙った。山村は、庄野が障害物になり、捕る事が出来なかった。三―二。

 次のサインは、初花が出した。Vサイン。当然、なんの意味か分からない。

 初花が、体を沈み込ませた。王子サーブ。つまり、エースを狙う。もし、相手が返すことが出来ても、どこへ返って来るか分からないと言う事か。

 庄野のレシーブは、ネットに掛かってしまった。四―二。サービスエースも、取ろうというつもりになったらしい。ラリーでも、十分点を取れると確信したのか。

 愛子も、このセットを全力で取る為に、全力で打つバックサーブと、ナックルサーブを解禁した。

 結局、第三セットは、十一―六で取った。内容は、ラリーで六点、サービスエースで五点だった。

もちろん、点を取られる度に、罵声は飛び交った。ドジ!へたくそ!チビ!ケバ!それを聞く津田先生の口元が、かすかに綻んでいた。それには皆、気付いていなかった。

その後も四セット、五セットと続けて取り、練習試合は愛子と初花が制した。

「さすがね、二人とも。でも、本番ではこうはいかないからね」

 山村が、タオルで汗を拭きながら、手を出してきた。握手。初花も、庄野と握手している。

 山村にも庄野にも、まだ顔に余裕があるように思った。もう少し、余力がありそうだ。二週間後の本番が、楽しみになった。

 五時半に、校門を出た。まだ、真昼のような明るさだ。また、日が長くなっているような気がする。

「すごいじゃん、愛子!山村さんたちに勝っちゃうなんて」

 帰り道で二人になると、すみれが急に話題を今日のダブルスに振った。校門を出てしばらくは、上級生も一緒なので話にくかったのだろう。

「エヘヘ。まあね。でも、山村さんたち、多分まだ何か隠し技持ってると思うよ」

「へえ、どうして分かるの?」

「だって、顔に余裕があったし、後半はあんまり厳しいサーブも打ってこなかったしね」

「ふうん、そうなんだ。でも、すごいよ。あの二人、去年の新人戦で、県大会のベストエイトに入ったんだよ。知ってた?」

 愛子は、目を丸くした。確かに強かったが、まさかそれほどとは思っていなかったのだ。

「何で、すみれが知ってんのよ?」

「愛子たちの試合が始まる前に、他の先輩が言ってたのよ。いくらあの二人でも、県大会のベストエイトペアには、勝てっこないってね」

「ふうん。やっぱり、何か隠してるな。ちぇっ、面白くねえの」

 愛子が、口を尖らせた。

「何言ってんのよ、愛子。それでも、普通勝てないって。悔しいけど、あたしとペアじゃあ、勝てなかったと思うよ」

 しまったと思った。愛子は、慌てて両手を振った。

「何言ってんのよ。ウチと一番息が合うのは、すみれに決まってんじゃん。あんなヤツ、確かに上手いけど、ダブルスは相性だってあるんだから」

「いいって、愛子。気ィ使わなくってさ。あたしに遠慮してると、いつまでも青山さんと息合わないよ。あたしも、すぐに追いついてみせるからさ」

 そう言って笑ったすみれの笑顔が、愛子にとっては眩しく、思わず目を伏せてしまった。

「ありがとう。がんばる」

 ぶっきらぼうに、そう言うしかなかった。

「あ、今日はまだやってるよ、たこ焼き」

 いつものスーパーが、見えた。たこ焼き屋の屋台ののぼりが、まだ立っている。

「あ、あのオヤジ、店閉める準備してる!急げ、すみれ!」

「待ってよ、愛子!まだ大丈夫だよ!」

 いきなり駆け出した愛子を、すみれが慌てて追いかけた。空に、ほんのりと赤みが差していた。


 私立愛川学園は、幼稚園から大学まで、エスカレーター式になっている、お嬢様学校だった。ここが、総体T地区大会の会場だ。

 校門を入ると、綺麗に整備されたグラウンドで、テニス部が練習用具を出して、用意をしているところだった。

「すごいね、ここ。どこかの大学みたい」

「学校は知ってたけど、ウチも入るのは初めてだよ」

「ここは、体育館も設備が整ってて、うちの学校とは大違いよ。卓球部も、強いわ」

 校内を見て、眼を丸くしている愛子とすみれに、赤木が笑って言った。

「でも、総体なのに、中学校の体育館でやるんですね。なんか、変なの」

 初花の感想には、山村が答えた。

「地区大会は、そうなの。他の運動部も、大抵はそうよ。市の大会からは、グリーンアリーナになるわ。男子も一緒よ」

 そう言えば、我双葉中学校にも、男子卓球部は一応ある。まあ、一年から三年まで合わせても、七人しかいない弱小部だが。

 普段は、家庭科室の隣にある、プレイルームと呼ばれている部屋で、練習している。卓球台は、二台だけだ。

双葉小学校時代、一緒にやっていた瀬戸巧も、入部している。今日は、男子は東中学校で試合をするはずだ。

 男子は、人数も少ないし、瀬戸ならシングルで出してもらえるだろう。愛子は、出かかったタメ息を、押さえた。試合に出られない者も、いるのだ。

 運動場の二面を囲むように、テラスが張り巡らされていた。校舎の脇で、全長四メートル位ありそうなマリア像が、グラウンドを見つめて微笑んでいた。

「こっちよ」

 赤木が、みんなを先導していく。テニス部の部員が、愛子たちを見て手を止め、ハキハキとした、歌うような声で挨拶をしてきた。おはようございます。

 こちらも負けずに、大きな声を出した。おはようございます。声では負けなかったが、優雅さでは、完敗だ。

 校舎の裏へ回ると、二階に観客席までありそうな体育館が、デンと構えていた。

「すごい…」

「やっぱ、金持ちなんだろうな、この学校」

「ほらほら、変な感心してないで入りましょ。一年生、挨拶で負けちゃ駄目よ」

 津田先生に促されて、開いている扉から入った。そこは、市営の体育館のように、靴用のロッカーと、大きな箱に入った来客用のスリッパが置いてあった。もう一つ扉を開けないと、館内には入れないらしい。

 全員、靴をロッカーに入れず、カバンに突っ込んで、靴下のまま館内に入る。扉の前で、整列した。

「よろしくお願いします!」

 赤木の声に続いて、全員で声を上げ、礼をした。すでに、何校か先に来ていた。挨拶が、体育館に反響する。

 会場は、すでに出来上がっていた。コートが、十二面。二階に、小さいながらも、観客席がぐるりと囲んでいた。各校が、それぞれ固めて荷物を置いている。

「二階に荷物を置いて、着替えたらここに集合ね」

 津田先生はそう言うと、会議用の机を三台並べて造ってある、本部席の方へ行った。他の学校の先生も、何人か集まっていた。

「さ、あたしたちも、急ぎましょ」

 赤木が、みんなを促した。

 着替えて集合すると、先生からトーナメント表を配られた。ダブルスは、十六組出場している。四回勝てば、優勝だ。愛子たちは、双葉Bチームとして、登録されていた。

山村たちAチームとは、決勝まで当たらない組み合わせになっていた。

試合は、ダブルス、シングルス、団体戦の順番で行われる。コートは十二面あるので、いきなり出番だ。

「さ、アップするわよ!」

 体育館の空いている所に、輪になった。他の学校は、ラリーを始めている所もある。

「おはようございます」

 歌うようなイントネーションで、愛川学園のユニフォームを来た女の子が、声を掛けてきた。

「双葉中学さんは、五番台と六番台を練習に使ってください」

「はい。ありがとうございます」

 赤木が返事をすると、女の子はペコリと頭を下げて、別の学校の方へ行ってしまった。

 柔軟体操の後、ラリーに移った。五番台でシングル出場の八人が、二組づつ対角線に練習し、六番台でダブルス出場の二組が、ダブルスを組んでのラリーをやった。

「アンタたち、今日はそれやめなさいよ」

 庄野が、小声で言った。打球がネットに掛かったり、台を逸れたりすると、愛子と初花が罵り合うのだ。

「まあこれは、掛け声みたいなもんで…」

「無意識に、出ちゃうんですよね。コイツ見てると」

「何よ、ケバ!」

「文句あるの?チビ!」

「いい加減に、しなさい」

 庄野が、ピシャリと言った。

「公式試合よ。クラブの練習じゃないの。対戦相手にも、迷惑じゃない。いい?今日は、ケンカは厳禁だからね」

「…はい…」

 二人とも、頷くしかなかった。

 開会式が終わり、ダブルスの試合が開始された。愛子たちは第三コート、山村たちは第八コートだ。

 一回戦の相手は、舞浜中学Aチームだった。どうやら、上級生らしい。

 試合は、愛子たちのサーブ権から始まった。愛子のバックサーブを見て、相手は目を丸くした。

 一回戦は結局、ナックルサーブも王子サーブも出すことなく、十一―三、十一―二、十一―五でストレート勝ちを収めた。

 二回戦は、今第四コートでやっている、千鳥中学Aチームと、歌島中学Bチームの勝者だ。

「なんだ、どっちも大した事ないじゃん」

「まあね。それより、あそこ見なよ。第一コート。島田理穂が、外人と組んでる」

 初花が、アゴで示した先に、髪を二つに結んだ、少し太めの女の子が、プレイしていた。

島田理穂。ジュニアの大会では、名の知れたカットマンだ。市の大会でも、ベストエイトまで行った実力者だ。

「ペアの外人は?」

「さあ、初めて見るわね。三年生じゃないの?」

 ペアの女の子は、綺麗な長い金髪をポニーテールにした、青い眼の美人だった。身のこなしが柔らかで、敏捷なプレイをしている。その子が今、ドライブスマッシュを決めて、試合が終わった。

「結構手ごわいかもね」

「まあね。それより、もう一人、厄介なのがいるわ。あっちの方が、大変よ」

 今度は、初花は第五コートをアゴで示した。

 背丈は、初花とあまり変らない。可愛いが浅黒く、いかにも気の強そうな顔をしている。ネコのように敏捷で、全身バネのような印象だ。

 ペアの、大柄な女の子は知っている。景山千香子。愛子は、ジュニアの大会で一度対戦して勝っている。千香子は、ベスト十六だった。

「同じ、一年よ。大沢和希。ジュニアの全国大会の、大阪代表よ。なんで、ここにいるんだろう?」

「なんで、アンタが知ってんのよ?」

「会場が、大阪だったじゃない。オリンピックの福山愛が、エキジビションやるって言うから観にいったのよ。」

「げえ!アンタって、結構ミーハー?」

「うるさい!」

 初花が、少し顔を赤くしてうつむいた。愛子たちの、のんきなやり取りの間に、第五コートの試合は終わっていた。

 ベストエイトが出揃った。双葉中学AとB、愛川学園B、千鳥中学A、歌島中学A、東中学AとB、大門中学Aの八チームだ。

 二回戦に勝って、ベストフォーに入ると、市大会の出場権がもらえる。次の相手は、千鳥中学Aチームだ。

 二人ともカットマンという、なんとも珍しいチームだったが、サービスエースこそ取れないものの、十一―五、十一―四、十一―五の、三セットストレート勝ちに終わった。これで、市の総体出場の資格を得た。

 山村たちは、第四コートで大門中学Aチームと戦っていた。二セット連取して、三セット目に入っている。九―五でリードしていた。

 山村の、バックサーブ。レシーブで返ってきた球を、庄野が鋭くカットする。なんとか打ち返してきたが、その球には力が無かった。山村の、スマッシュ。

 強烈な打球が、相手コートを叩く小気味良い音を響かせた。

「すごい。山村さんのスマッシュ、あんなに強烈だったっけ?」

 目の前のプレイに拍手をしながら、愛子がつぶやいた。

「練習は、練習。力を隠してたんじゃない?あたしたちも、敵ってことね」

 初花が、小声で答えた。

 山村の二本目。フォアからのサーブを、相手は突っつきで返してきた。庄野も、突っつきで返す。

五・六度、それが続いた後、相手のミスで球が浮いた。庄野のドライブスマッシュ。これも、強烈だった。ゲームが終わった。

「庄野さん、あんなドライブ打てるんだ。アンタのより、威力あるんじゃない?」

「うるさい、チビ。ほっぺたツネるぞ」

 みんなに聞こえないように、小声のやり取りだった。今日は、ケンカは禁止されている。

 二回戦が全て終わった。ベストフォーは、双葉中学AとB、東中学B、愛川学園Bの四チームだ、

準決勝まで十五分間の休憩があった。愛子と初花は、トイレに走った。体育館の入り口を入ったところに、大きくて綺麗なトイレが完備してあった。女子校だが、一応男子トイレも併設されている。

用を足して手を洗っていると、島田理穂が、一人で入ってきた。理穂が、愛子を見て笑いかける。

「島田さん、久しぶり」

「本当ね、村瀬さん。お手柔らかに」

 愛子と理穂が握手をしている所へ、トイレに入っていた初花が出てきた。

「コイツも、知ってるでしょ?」

「コイツって言うな、チビ」

「もちろん。青山さん、話すの初めてよね。よろしく」

 理穂が差し出した右手を、初花が握った。

「ちょっとアンタ、手ぇ洗ってないじゃん」

「あ、ごめん」

 初花が舌を出すと、理穂が苦笑いをした。

 ガチャリと音がして、トイレから理穂のパートナーが現れた。

「オー!アナタたち、次の対戦相手ネ。ワタシ、リンダ・カーター。ヨロシクネ」

「ウチは、村瀬愛子」

「オー、愛子!アナタの名前、ラブと言う意味ね。イイ名前デス」

 リンダが、愛子の右手を両手で握った。

「へへ。そうかな」

 愛子が、照れ笑いをする。

「青山初花よ。よろしくね」

 手を洗っていた初花が、スポーツタオルで手を拭きながら言った。

「アナタの名前の意味も、ワカリマース。ハツカ、二十日と言う意味ネ」

「違うわバカ外人!」

 初花の右手を両手で握ったリンダの頭に、初花は左手のチョップで、ツッコミを入れた。理穂が声を上げて笑う。

「青山さんって、面白い!」

 そう言われると、本当は本気でムッとした初花も、笑わなくては仕方ない。

「ハハハ、そう?」

「ところでリンダ、手ぇ洗ってないよ」

 理穂の声に、愛子と初花が固まった。オー、アイムソーリー!リンダはおどけて、チラリと舌を出して見せた。


 第一コートで、双葉中学B対愛川学園B。第八コートで、双葉中学A対東中学の試合が始まる。

 山村たちの相手の東中学Bは、大阪代表の大沢和希と、景山千香子のペアだ。しかし、愛子も人の心配をしている場合では無かった。

 愛子も初花も、理穂と対戦した事は無い。ベストエイトと言っても、やはり敗けた相手は、あの塩田絵里だ。本当の実力は、分からないのだ。

 相棒のリンダは、上級生ではなく同じ一年生で、去年までアメリカに住んでいた。中学に上がる前に、父親の仕事の都合で、半年前に日本へ来たらしい。それは、さっきトイレで聞いた。

 普通は、途中入学の出来ない愛川学園に編入出来るなんて、よほどお金とコネを持っている家なのだろう。

 リンダは、元々アメリカでテニスをやっていた。この学校へ来て最初の友達が、理穂だった。殆ど日本語を話せないリンダは、理穂について卓球を始めたのだ。

 頭も運動神経もかなり良いリンダは、たった半年で、日本語も卓球も急激に上達したのだ。とにかく、あの柔らかい身のこなしが、リンダの実力を物語っている。手強い相手には違いないだろう。

 お互いに、軽くラリーをやった後、ラケットの交換をした。

 リンダのラケットは、両面共に裏ラバーが貼ってある。ドライブマン。カットマンの理穂のラケットには、同じ裏ラバーでも、少しクッションが分厚めの物が貼ってある。

 お互いのラケットチェックが終わり、愛子とリンダがジャンケンをした。愛子の勝ち。リンダが声を上げた。

「ソーリー、理穂!愛子、ジャンケン強いネ。でも、ゲームは負けないワ」

 愛子にウインクして、リンダは自分のコートへ戻っていった。

 一本目。愛子のバックサーブ。強烈な回転のそれを、リンダはレシーブしきれず、ネットに引っ掛けた。一―〇。

「ミステイク!」

 二本目。初花から、バックへ返させろとサインが出た。愛子は、フォアからのサーブで、リンダのバックを狙った。

 リンダの、バックレシーブ。こちらのコートの左側へ、ピタリと返ってきた。極端に、台の左側へステップアウトした初花が待ち構えていた。

 ドライブスマッシュ。理穂が拾った。返ってきた球には、十分な回転が掛かっていた。愛子が、突っつきで返す。それをリンダが、ドライブで返してきた。更に初花が、ドライブで返す。

 横回転のカットで、理穂が返してきた球を、愛子が突っつきそこね、台を逸れてしまった。一―一。

「な…」

 言いかけた初花が、口を閉ざした。

『何やってんのよ、へたくそ!』

『うるさい!注文通りにバックへ返させたんだから、アレで決めろバカ!』

 お互い、眼で言い合った。

 サーブ権が、移動した。リンダの一本目。フォアからの、高速サーブ。初花はそれを、いきなりドライブスマッシュした。オーバー。一―二。

『あんたバカ?何、いきなり打ってんのよ』

『一点二点で、ガタガタ言うな!チビ!』

 やはり、声に出さずに、眼で言い合った。

 リンダの二本目。バックからのサーブを、初花は突っつきで、理穂の左へ返した。理穂がカットで返してくる。回転がキツかったので、愛子も突っつきで返す。

 リンダのドライブが、少し浮いた。初花の、ドライブスマッシュ。理穂はかろうじて拾ったが、山なりの球が、返ってきた。チャンスボール。愛子の渾身のスマッシュは、ネットに突き刺さった。一―三。

『入れろよ、チャンスボールなんだから。何年卓球やってんのよ、チビ!』

『うるさいケバ!自分も今、オーバーしたじゃんか、バカ!』

 その後も、声に出せないストレスが、少しづつ二人の心に溜まっていった。スマッシュだけでなく、サーブにも狂いが出始め、第一セットは、六―十一で取られた。

「何やってんのよ、さっきから。やる気あんの?」

「ふうん。全部ウチの責任ですか?何、自分の事は棚に上げてんのよ、このケバ」

 水分補給をして、汗をタオルで拭きながら、顔を寄せ合って囁きあった。離れて見ていると、二セット目の打ち合わせにしか見えない。

「何よ、あの二人。チームワークが出てきたんじゃない?何か、相談してるよ」

 応援席から見ていた、谷口詩織が言った。

「ンなワケないじゃん。庄野先輩にクギ刺されてるもんだから、ああやって小声でケンカしてるのよ」

「なんで分かるの、すみれ?」

「付き合い長いもん。初花の性格も、もう把握したしね」

「へえ。どんな性格?クールなのは、見てれば分かるけど」

 詩織が、体を乗り出して聞いてきた。すみれは、小さくタメ息をついて答えた。

「愛子と同じ。単純で、短気」

 コートチェンジしての二セット目。サーブ権は、愛川学園だ。

 リンダの一本目。バックからのサーブを、愛子が突っつきで返す。理穂の突っつき。初花のドライブを、リンダもドライブで返してきた。

 愛子のスマッシュ。理穂が、拾った。返ってきた球には、力が無い。初花の、ドライブスマッシュ。リンダが、ロビングで返した。球が、高く上がる。

 再び、愛子のスマッシュ。それも、理穂が拾った。なんと固い守備力か。戻ってきた球を、初花がドライブスマッシュしたが、球はネットに突き刺さった。〇―一。

「…く…」

 お互い、顔を見合わせたが、何も言わなかった。眼の会話も無かった。

 リンダの二本目。回転のキツイ、バックサーブ。愛子のレシーブは、相手のコートを逸れ、サービスエースを取られた。〇―二。

 お互い、無言だった。胸の中で、わだかまりがシコリになって、二人の動きに重石のように圧し掛かる。

マジで、ヤバイ。コイツと組んでも、地区大会で優勝も出来ないのか。愛子は敗けを予感した。それも、悔いが残る敗け方だ。


 その後もズルズルと、調子が戻らないまま試合は進み、スコアは三―八となった。サーブ権は、こちら。愛子の二本目だ。

 初花は、バックのサインを出した。愛子はフォアで、理穂の左へサーブを放った。理穂がバックで返した球は、初花の要求通り、こちらのコートの左角に返ってきた。

 タメを作って待ち構えていた初花の、渾身のドライブスマッシュ。リンダに、拾われた。返ってきた球には、力が無かった。

 愛子のスマッシュ。理穂が、ロビングで返す。チャンスボール。初花が、思い切り叩いた。しかし、球は相手コートを逸れてしまった。三―九。

 あれが、入らないなんて。さっきから、まるで泥沼に、腰まで浸かっているみたい。足が、取られる。体が、重い。

 ふいに、優しい力で肩を叩かれた。愛子。

「初花、ドンマイ」

 愛子の大きな眼。罵りの色は無い。自分を包み込んでくるような眼だ。

その眼を見つめていると、胸のシコリが消えていくような気がした。ここは、泥沼の中じゃ無い。足など、取られることは無い。

 サーブ権の移動。理穂の一本目。横回転を効かせた、バックサーブだ。初花はそれを、突っつきで返した。リンダのドライブ。愛子がそれを、突っつきで返した。

 さらに理穂が突っつきで返してきた球を、初花は強引にドライブスマッシュで返した。リンダがロビングで返そうとしたが、台をわずかに外れた。シャアッ!この試合、初めて初花がガッツポーズを出した。四―九。

 愛子が、左の拳を出してくる。初花はそれに、自分の左拳を合わせた。

『悪いけど』

 愛子が、眼で言う。何が言いたいか、ハッキリ分かった。初花も、眼で返す。

『うん。悪いけど、この二人』

『ウチらの敵じゃ無い』

 初花は、左手の親指を立ててみせた。愛子が頷く。体が、軽い。抱きしめたいほど、憎らしい相棒だ。


 初花の動きが、変わった。自分の胸のシコリも、いつの間にか消えていた。お互いに、単純なヤツだ。

 理穂の、二本目。数回のラリーの後、愛子のスマッシュが決まった。五―九。

サーブ権の移動。愛子の、ナックルサーブ。理穂のレシーブが、浮いた。チャンスボール。初花のドライブスマッシュが、相手のコートを叩く。六―九。

愛子のスマッシュ。初花のドライブスマッシュ。続けて、もう一本初花のスマッシュ。九―九。追いついた。

サーブ権の移動。初花の一本目。王子サーブを、リンダがかろうじて拾った。絶好球が、愛子の目の前に浮いてきた。スマッシュ。台を叩く音。逆転。初花と、左拳を軽く合わせた。十―九。

初花の、二本目。もう一度、王子サーブ。リンダのレシーブを、愛子が、突っつきで返す。理穂がカットで返した球を、初花がいきなりドライブスマッシュで返した。リンダの咄嗟のレシーブは、小さなロブとなって返ってきた。

愛子のスマッシュ。鋭い打球がコートを打つ小気味良い音が、二セット目の終わりを告げた。十一―九。

その後試合は三セット目十一―四、四セット目十一―五と連取した愛子と初花が、理穂とリンダのペアを破った。

「さすがね、二人とも。決勝戦、頑張ってね。応援してるわ」

「アナタたち、ベリーストロング!それも、第二セットの途中から、いきなりスゥイッチ入ったネ。市で、もう一度戦いたいヨ」

 そう言って、リンダは初花を抱きしめ、頬にキスをした。初花が、眼を丸くする。初花を放したリンダが、愛子を見てニッと笑った。愛子は、思わず後ずさりした。

「ウ…ウチは、遠慮しとくわ」

 しかし愛子は、あっと言う間に抱きしめられ、結局リンダのキスの餌食となってしまった。とにかく、いよいよ決勝戦だ。

 第八コートでは、山村たちが苦戦していた。セットカウントは一―二で、今は、第四セットを戦っている。四―六で、リードされていた。

 サーブ権が移動して、大沢和希の一本目。高速サーブ。それもネット擦れ擦れの、超低空弾だ。

 山村が、ドライブで返す。突っつきで返すと、球が浮いてしまうのだ。

 景山千香子も、ドライブで返した。庄野が、カットする。少し甘い。和希のスマッシュ。強烈な打球が、山村の右を突き抜けて行った。四―七。ヨッシャ!和希の、ガッツポーズ。

「すごい」

「そりゃあ、すごいわよ。全国区なんだから。先輩には悪いけど、アレとやる事になりそうね」

「まだ、分かんないよ。応援しなきゃ」

 初花は、肩をすくめた。

 和希の二本目。また、高速サーブ。ドライブで返そうとした山村の打球が、ネットに引っ掛かった。四―八。

 サーブ権の移動。山村の一本目。横回転をかけた、バックサーブを、千香子が突っつきで返した。

ラリーになった。山村のドライブ、千香子のドライブ、庄野のカット。難しい回転だが、和希はお構いなしにスマッシュにいった。

空気を切り裂くような打球が、山村の右を抜けて、台を大きく逸れていった。アウト。カウントは、五―八。

「メチャメチャ強引じゃん。ちょっと、荒くない?」

「全国大会でも、あの調子よ。バンバン外すし、バンバン決めるの。トータルで、入る方が多けりゃいいって考えね」

「はあー。相手が打つ前に打つ。攻撃は、最大の防御ってか」

 山村の二本目。フォアからのサーブ。少し、甘く入った。千香子のドライブ、庄野のカットときて、またまた和希の強引なスマッシュ。今度は、庄野に直撃した。六―八。

「ゴメンゴメン、堪忍やで、先輩。さあ千香子、ドンマイや。あんたのサーブやで」

 和希は、庄野を左手で拝む仕草をした後、後ろを振り向いて千香子に言った。

「自分で外して、何がドンマイよ」

「あれくらい図太くなけりゃ、全国区にはなれないんじゃない?あんたも、神経だけは全国区よね」

「お前が言うな、ケバ」

 千香子の一本目。横回転の、バックサーブ。庄野がカットで返すと、いきなり和希がスマッシュを放った。強烈な打球が、台を叩いて山村の左を抜けていった。ヨッシャ!和希のガッツポーズ。六―九。

「まさに、前陣速攻型の見本ね。アンタ、先生って呼んだら?」

「そう言えばアイツ、ジュニアの全国大会で、どこまで行ったの?」

 試合に眼を向けていた初花は、顔を愛子の方へ向けてから言った。

「ベストエイト」

 愛子が、息を呑んだ。

 千香子の二本目。もう一度、横回転のバックサーブ。庄野が突っつきで返すと、やはり和希の強引なスマッシュが来た。今度は、山村が拾った。

打球は、小さめのロビングとなった。千香子の、ドライブスマッシュ。庄野も、ロビングで返す。和希のスマッシュ。強烈だった。山村が、相手に背中を見せるような体勢で、拾った。

打球は大きく上がり、相手コートに着弾した後、大きく跳ねた。千香子が追う。台から二メートル離れた位置からの、ドライブスマッシュ。

長距離のドライブスマッシュは、空中で大きく鋭く変化する。フックが掛かり、いきなり落ちた打球に、庄野はかろうじて触ることしか出来なかった。打球は、台を遥かに外れて飛んで行った。六―十。マッチポイント。

 サーブ権の移動。庄野の一本目は、回転の強いバックサーブだ。和希はそれを、いきなり強引なバックスマッシュで返した。球が、ネットに突き刺さる。七―十。

 庄野の二本目。もう一度、同じサーブ。和希は、それも強引にバックスマッシュで返した。

 打球は、山村の左を鋭く攻めた。山村は、それにラケットを合わせるのが、精一杯だった。球は、ネットに引っ掛かって、落ちた。

 愛子は、思わず目を閉じた。試合終了。十五分後には、このペアと決勝戦だ。

「竜巻みたいなヤツね」

「上手いこと言うじゃん。ま、今回はダブルスだから、戦い方もあるけどね。ところで、アンタのナックルサーブは、あいつには通じないわよ」

「ウチも、そう思う。お構い無しに打ってくるんだから、意味無いよね」

 和希と千香子が、タオルで汗を拭いながら寄ってきた。

「あんたらが、決勝戦の相手やな。村瀬さんと、青山さんやろ?千香子に、聞いたで」

 ニカッと笑って言うと、手を出してきた。

「ウチ、大沢和希言うねん。よろしゅうな」

「知ってるわ。全国大会、観たわよ。あたしは、青山初花。よろしく」

 初花が、握手に応じながら言った。

「あちゃー。応援に来てくれてたとは、知らんかったわ。優勝出来んで、ゴメンやで」

「誰が、あんたの応援って言ったのよ」

「カカカ。まあ、大阪流のボケや。気にせんといて」

「かずきィー」

 和希が、愛子に右手を差し出した時、千香子が、のんびりした口調で声を上げた。

「なんやねん。今、挨拶中や。ちょっと黙っとき」

「ウチは、村瀬愛子。よろしく。ところであんた、大阪代表だったんじゃないの?転校したの?」

「そやねん。パパの仕事で、しゃあなしや」

「パパァ?」

「なんや?ウチがパパ言うたら、おかしいんか?」

「パパって…大阪弁に、合ってないじゃん。それと、あんたのキャラにも…」

「やかましわ!」

 三人が声を上げて笑う。一人だけ笑ってない千香子が、またのんびりした口調で言った。

「ねえ、かずきってばァー」

「なんやねん、さっきから。今、新しい友情を深めてるとこやん。邪魔しなや」

「でもォ」

「でも、なんやねん?」

「決勝戦までに、トイレにいかなきゃ。かずきも、ガマンしてるって言ってたしィ」

「あ、せやった!ウチ、トイレに行きたかってん。テキパキ言えや、おまえも」

 和希は、千香子の頭に軽くツッコミを入れると、愛子たちへ振り向いて、再びニカッと笑った。

「ほな、決勝戦でな。友達や言うても、勝負は別やで。エエな!」

 和希は一息でまくしたてると、自分より頭一つ分は大きい、千香子の首根っこを引っ張った。

「行くで、千香子!グズグズしとったら、置いて行くで」

 そう言って、体育館の出口に向かって去って行った。

「やっぱり、竜巻みたいなヤツね」

「友達に、されちゃったわよ。アンタ、気が合うんじゃない?」

「どういう意味よ。まあ、ウチはあんなヤツ、嫌いなタイプじゃないけどね。なんとなく、決勝戦が楽しみになってきたわ」

 体育館の時計を見た。あと十分で、決勝が始まる。

 和希たちは、時間ギリギリに帰ってきた。

「堪忍、堪忍。トイレ、ちょっと混んでてん。さ、決勝戦始めよか!」

 和希は、悪びれずに言うと、早速ピン球を打ってきた。試合前の、ラリー。和希、愛子、千香子、初花の順で、小気味よく続く。大柄な千香子も、ジュニアの頃より、動きが洗練されていた。

 しばらくラリーを続けた後、愛子は自分の番で打ち返さず、左手でキャッチして止めた。

「そろそろ、始めない?」

 和希が、ニヤリと笑う。

「エエな。そないしよか」

 お互いに、ラケットを交換した。千香子は、両面が裏ラバー。ドライブマンだ。和希は、やはり前陣速攻型らしく、フォアに表ラバー、バックに裏ラバーを装着している。

「ふうん。ウチと、同じタイプやな。おもろい。手加減、せえへんで」

「フン。簡単には、勝てないよ」

「よう言うた。勝負や」

 愛子と和希がジャンケンをして、愛子が勝った。

 愛子の一本目。回転のキツイ、バックサーブ。狙いは、和希の真正面だ。和希は、突っつきで返してきた。初花の、ドライブスマッシュ。

 千香子が、ドライブで受け返す。愛子の突っつき。和希の真正面。和希は、やはり突っつきで返す。

 初花の、ドライブスマッシュ。今度は、決まった。一―〇。

 愛子の二本目。再びバックサーブ。真正面を狙われては、強い打球が打ちにくい。

愛子が打つと同時に、強引にスマッシュで返すべく、和希は左のバック側にステップアウトした。しかし、愛子の狙いは、フォア側の角だった。打球は、ガラガラのフォア側を叩く、サービスエースになった。二―〇。

「やるやん」

 和希が、白い歯を見せた。サーブ権の移動。

 和希の一本目。高速サーブが、初花を襲った。体の真正面を狙われた初花は、咄嗟に突っつきで返してしまった。球が浮く。千香子の、強烈なドライブスマッシュ。愛子はなんとかラケットに当てたが、球は台を大きく外れた。二―一。

 和希の二本目。初花は、いつもの立ち位置より、少し後ろに立った。高速サーブに対応して、フォアかバックのドライブで返すには、いつもの位置では間に合わない。

 カットサーブが来た。初花に、ドライブを打たせないつもりらしい。初花は前に出て、突っつきで返した。千香子のドライブ。愛子が、突っつきで返す。

 和希の、強引なスマッシュ。台に決まらず、初花に直撃した。三―一。

「悪い、初花。堪忍な」

 和希が、初花を片手で拝むと、初花が笑って答えた。

「いいよ。その調子で、どんどん当ててくれても」

「アホな。敗けてまうやん」

 また、和希が笑った。

 サーブ権の移動。初花の一本目。フォアからのカットサーブを、千香子がドライブで返す。回転がキツイ。愛子は突っつきで返した。

 和希の、強引なスマッシュ。弾丸のような威力だ。打球は、台のフォア側で兆弾し、初花の右側を抜けて行った。初花は、一歩も動けなかった。三―二。追いつかれると、余計なプレッシャーがかかる。

 初花の二本目。王子サーブ。千香子はラケットに当てたが、ネットに引っ掛かった。四―二。

 サーブ権の移動。千香子の一本目。フォアから、横回転のサーブ。愛子は、突っつきで返した。和希の、スマッシュ。ネットに、突き刺さった。五―二。

 千香子の二本目。同じサーブを、愛子は同じ返し方で返した。和希のスマッシュ。今度は、台のフォア側に着弾した。初花は、ラケットに当てたが、球は大きく外れた。五―三。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。狙いはやはり、和希の真正面。しかし、台の下で、和希はいつもより更にかかとを浮かせ、すばやく左右に移動出来る準備をしていた。

 愛子が打つ。自分の真正面。和希はそれを見極めてから、瞬間的に左にステップした。強引な、スマッシュ。初花の左。ラケットを合わせたが、打球はネットに引っ掛かった。五―四。

 愛子の二本目。今度は、正面と見せかけて、和希のフォアを狙った。さっきと違い、コースを見極めてからステップする和希には、通用しなかった。同じ手に、引っ掛からない。これが、全国大会のレベルなのか。

和希が、強引にスマッシュを放った。しかし、その強烈な打球は、ネットに突き刺さった。六―四。

さっきから和希は、スマッシュしか打ってこない。リードはしているが、不気味な圧迫感が、愛子と初花を包んでいた。

サーブ権の移動。和希の一本目。初花は、やはり立ち位置を後ろへ取った。高速サーブより、カットサーブの方がまだ扱いやすい。

和希の、カットサーブ。初花は、前に出て突っつきで返す。千香子の真正面を狙った。千香子の突っつき。

ネット際。愛子は、慌てて前へ乗り出し、突っつき返した。和希のスマッシュ。台を叩いて、体勢を崩していた愛子に当たった。六―五。

 和希の、二本目。高速サーブ。立ち位置を下げて、カットサーブを誘っていた初花は、前へ飛び出す準備をしていたため、慌ててラケットを出したが、打球はネットに引っ掛かった。六―六。

 サーブ権の移動。初花の一本目。王子サーブに頼るしか無い。一本目を、千香子はレシーブ出来ず、エースとなった。七―六。

 初花の二本目。やはり、王子サーブ。千香子は、かろうじて返した。威力の無い球が、ネット際に落ちた。愛子はスマッシュを打てず、何とかラケットに当てて返すのが、精一杯だった。

 和希のスマッシュ。初花のラケットを弾いて、後ろへ飛んでいった。七―七。

 初花が、床を蹴った。愛子は、初花の肩を叩いた。

「初花、ドンマイ」

「分かってる。今からよね」

 サーブ権の移動。千香子の一本目。横回転の効いた、フォアからのサーブ。愛子は、突っつきで、ネット際へ返した。和希は、台の側面に回りこみ、強引にスマッシュに出た。決まらずに、後ろへ抜けて行った。八―七。

 千香子の二本目。同じサーブ。愛子は、ドライブで遠目に返した。和希の、ステップバック。強引なスマッシュ。

 初花はドライブで拾ったが、球はネットに引っ掛かった。八―八。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。回転のキツイ、バックサーブ。お構いなしの、和希のスマッシュ。初花が、ロビングで拾った。

 今度は、千香子のドライブスマッシュ。愛子も、ドライブで返したが、打球に力が無かった。

 強烈な、和希のスマッシュ。初花が、反応出来ない。稲妻のような打球が、台を叩いて行った。八―九。

 愛子の二本目。フォアのサーブを、ネット際へ落とす。今度は、和希も突っつきで返した。初花、千香子、愛子とそれが続き、またも和希が、強引なスマッシュに出た。

 初花は思い切って、ドライブスマッシュで応戦したが、打球は入らずに、台をオーバーしてしまった。八―十。

 サーブ権の移動。和希の一本目。初花はやはり台から遠目に立ったが、和希は高速サーブで来た。

 初花が、ドライブで返す。千香子のドライブ。愛子はそれを、突っつきで和希のバックへ返した。フォアは、危険過ぎる。

 しかし、バックでも和希はお構いなしだった。強引な、バックサーブ。鋭い打球が、ネットに突き刺さった。

アウト。一瞬そう思ったが、打球は勢いでネットを越え、こちらのコートにポトリとこぼれた。八―十一で、一セット目は、取られてしまった。

「行儀の悪い事、してしもたな。堪忍やで」

 今のような入り方や、台の角を擦って入ったような場合、卓球では相手に対して詫びる習慣があった。

 コートチェンジ。水分補給をしながら、初花が言った。

「スマッシュが、段々決まりだしてきたでしょ?セットカウントを重ねる毎に、手が着けられなくなるわよ」

「じゃあ、仕方無いよ。スマッシュを、打たさない」

「それしか無いわね。二セット目、アンタにあげるわ。好きにしなよ」

「オッケイ!」

 ニヤリと笑って、二人は左拳を合わせた。

 サーブ権は、東中学Bからだ。和希の一本目。高速サーブ。愛子は、いきなりスマッシュで返した。しかし、打球はネットに突き刺さった。〇―一。

「なんや、今の。ナンボ何でも、ムチャ過ぎるで」

「まあ、ウチらにも考えがあるんでね」

「ふうん。まあエエわ。行くで」

 和希の二本目。高速サーブ。愛子は再び、強引なスマッシュに出た。今度は、オーバーで外した。〇―二。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。このセットのレシーブは、千香子だ。愛子は、このゲーム初めて、ナックルサーブを放った。

 回転系のサーブと思った千香子は、カットで返した。球が浮く。初花の、ドライブスマッシュ。台を叩いた打球は、千香子に移動する間を与えず、千香子を直撃した。一―二。

 ウッシャ!初花が、声を出す。左拳を、愛子と合わせる。

 愛子の二本目。回転のキツイ、バックサーブ。千香子は、今度はドライブで返してきた。初花は、カットでネット際へ落とした。

 和希が慌てて前へダッシュ。ネット際の球を、かろうじて拾った。愛子のスマッシュ。強烈な打球が、台を叩いて千香子の左側を抜けて行った。二―二。ッシヤ!愛子の、ガッツポーズ。

 サーブ権の移動。千香子の一本目。フォアから、横回転のサーブ。初花は、遠目のドライブで返した。和希の、強引なスマッシュ。

 愛子はその打球に、スマッシュで応じた。打球は、ネットに突き刺さった。二―三。

 千香子の二本目。回転のキツイ、バックサーブ。初花は、カットで、やはり遠目に返した。和希を台から離し、少しでも距離を稼ぐためだ。至近距離で、あのスマッシュを打たれると、返すどころか反応する事も難しい。

 和希は、やはりスマッシュできた。距離がある分、愛子は十分反応出来る。和希の打球を、愛子はスマッシュしたが、台をオーバーして飛んで行った。二―四。

 サーブ権の移動。初花の一本目。王子サーブで、勝負に出た。さすがの和希も、スマッシュで返す事は出来ない。突っつきで、かろうじて返した。

 チャンスボール。愛子渾身のスマッシュが、千香子のフォア側を鋭く抉って、抜けて行った。三―四。

 初花の二本目。また、王子サーブ。和希はラケットに当てたが、打球はネットに引っ掛かった。四―四。

「かぁー!厄介なサーブ、持ってるなあ。まあ、連発してくれたら、そのうち完璧に返したるわ」

「アンタの、高速サーブもね」

 初花の代わりに、愛子が応えた。

「カカカ。おもろいやん。さあ、盛り上がろか。コラ千賀子、お前もなんか言え!」

「あたしは、いいよォー。それより…」

「それより、何や?」

「和希のサーブ。審判が、睨んでるよぉ」

 和希がハッと我に返ると、審判をしてくれていた、千鳥中学の先輩が、和希を睨んでいた。

「ドアホ!それを、はよ言わんかい!がははは、先輩。すんません。今すぐ、サーブ打ちますよって、堪忍してください」

「プレイ中のお喋りは、失格の対象になるわよ」

「へいへい、分かってま」

 和希は、ヘコヘコと頭を下げると、愛子に向き直って構えた。

 和希の一本目。高速サーブ。

 愛子は、いきなりスマッシュで返した。打球は、ネットに突き刺さった。四―五。

 和希の二本目。やはり、高速サーブ。愛子はそれも、スマッシュに行った。打球はやはり、ネットに直撃した。四―六。

ウチのサーブを、スマッシュで返そとしても、無理や。和希の眼が、そう言っている。

サーブ権の移動。愛子の一本目。緩めの、ナックルサーブ。千香子は、ドライブで返した。しかし愛子のサーブは、ただでさえ無回転のところを、更に威力を殺してあるのだ。

千香子の打球は、勢い良く立てに変化してネットに突き刺さった。五―六。

「千香子、アカン。ナックルやろが、回転系やろが、突っつきで返したれ。初花のスマッシュは、ウチが止めたる」

 千香子が、頷く。

「ふうん。じゃあ、止めてもらいましょうか」

 初花が、一度屈伸した。

愛子の二本目。ナックルサーブ。千香子は、和希の言葉通り、突っつきで返した。球が、浮く。

初花の、ドライブスマッシュ。強烈だが、和希はロビングで拾った。打球は、愛子の前でバウンドして、大きく跳ねた。

愛子は、まるでバレーボールの選手のように、ジャンプした。上空からの、ロビング打ち。相手コートに着弾して、大きく跳ねる。

千香子が、追う。台から、三メートルの位置から放つ、超ロングドライブ。大きく曲がって台を叩き、高く跳ねた。

再び、初花のスマッシュ。ドライブではなく、上から勢いよく叩きつけた。さすがの和希も、ラケットに当てる事が出来なかった。ヨッシャ!初花の、ガッツポーズ。六―六。

サーブ権の移動。千香子の一本目。回転のキツイ、バックサーブ。初花は、カットで返した。

和希の、強引なスマッシュ。ネットに突き刺さった。七―六。

千香子の二本目。フォアから、横回転のサーブ。やはり初花は、カットで返した。

またもや、和希の強引なスマッシュ。ネットを掠めたが、そのままの勢いで台を叩き、愛子の左を抜けて行った。七―七。

サーブ権の移動。初花の一本目。王子サーブ。和希はなんと、スマッシュを被せてきた。弾丸のような打球が、台を叩く。愛子は咄嗟にラケットに当てたが、球は全く別方向へ飛んで行った。七―八。

「ヨッシャ!王子サーブ、敗れたりや!」

 和希の、ガッツポーズ。初花の舌打ち。

「初花、ドンマイ」

 愛子が、声を掛けると、初花は左手の親指を立てて、頷いた。

 初花の二本目。やはり、王子サーブ。和希は今度も、スマッシュを被せた。鋭い打球が、愛子を襲う。愛子は、夢中でラケットを振った。スマッシュ。

一瞬オーバーしそうになった打球は、千香子の手前で急激に落ち、台を叩いた。八―八。

「今の打球って…」

 愛子が、初花の顔を見た。初花が、頷く。ドライブ。

 偶然、ラケットがほぼ水平になった状態で、球の上っ面を擦るように振り抜いたのだ。そのため、打球に鋭いドライブ回転がかかったのだ。

 サーブ権の移動。和希の一本目。

高速サーブの上っ面を、愛子は全力で振り抜いた。打球は、ネット擦れ擦れを通過した後、急激に落ちた。千香子は、反応出来なかった。九―八。

「ッシャ!高速サーブ、敗れたり!」

 愛子が、左手の中指を立てて、和希に突き出した。

「ほお。スピードドライブも、持ってたんか。なんで、今まで出さへんかったんや。出し惜しみしとったんか?」

「今、偶然打てるようになったんだよ。ウチは、出し惜しみしないからね。ガンガン行かせてもらうよ」

「オモロイ!望む所や!」

「かずきィ…」

「なんやねん!今、ライバル同士の…」

 和希は、ハッと我に返った。審判が、睨んでいる。和希は、肩をすくめて構えに入った。

 二本目。やはり、高速サーブ。愛子の、スピードドライブ。もう一度、決まった.ッシャ!十―八。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。ナックルサーブ。千香子の突っつき。球が浮く。初花のドライブスマッシュ。

「させるか!」

 和希の、強引なスマッシュ。弾丸のような打球に、愛子は反応した。スピードドライブ。打球は、ネットを通過した所で急激に落ちて、台を叩いた。ッシャ!愛子の、ガッツポーズ。十一―八。二セット目を、取り返した。

 第三セットは、初花の王子サーブに千香子が苦戦し、愛子のスピードドライブを、和希がスマッシュで返しあぐねて、十一―七で愛子・初花組が取った。あと、一セット。

 第四セット。愛子と和希の、強打での乱打戦となったが、愛子のスマッシュを受けるのが、四人の中では力の劣る千香子である事が、こちらの有利につながった。

 そして試合は、ついに十―七のマッチポイント。サーブ権は、東中学。和希の二本目。

 和希はやはり、高速サーブで来た。愛子の、スピードドライブ。ネットを越えて、鋭く落ちる。千香子は、かろうじてラケットに当てたが、打球はネットに引っ掛かり、力なく台を転がった。十一―七。

「ウッシャア!」

 愛子の、大きなガッツポーズ。

「ナイススマッシュ、愛子!」

 初花が、左の拳を突き出す。愛子が、それに自分の拳をぶつける。

「やるやん。完敗や」

「和希、ゴメン…。あたしが足を…」

「あ?なんやて、千香子?しょうもないコト言いな!この二人が、強かったんや。でもアンタら、憶えときや。市の大会で、絶対リベンジ決めたるさかいな!」

 和希が、人指し指をビシッと向けてきた。

「よし!望むトコロだね、初花!」

「モチロン。楽しみにしてるわ」

 愛子と初花も、親指を立てて応えた。

「カカカ。ヨッシャ、ウチも楽しみや!」

「ねえ、かずきぃ…」

「そやから、お前はなんやねん。今、ライバル同士が、再戦の誓いを…」

 気付くと、審判だけでなく、回りのギャラリーも、先生たちも、睨んでいる。サッサと片付けて、シングルスの試合を始めなければならないのだ。

 千香子以外の三人が、肩をすくめて小さくなった。なにはともあれ、地区大会優勝だ。


 シングルスは、和希の独壇場だった。東中学は、二・三年生合わせても、六人しかいないので、和希と理穂はシングルにも出してもらえているのだ。

 赤木と、準決勝で結城を破った和希が、決勝戦を戦う事になった。

 愛子たちは、必死に赤木を応援したが、和希のスマッシュは、セットを重ねる毎に手がつけられなくなっていった。

 結局、第一セット、八―十一。第二セット、六―十一。第三セット、五―十一のストレートで、和希が優勝を決めた。

 赤木は、準優勝。準決勝で和希に敗けた結城は、ベストフォーとなった。双葉中学は、他にも、三年生のドライブマン・川島純がベストエイトに入り、合計三人が、市総体出場を決めた。

 午後からの団体戦。我が双葉中学は、一回戦、舞浜中学を五―〇で破り、二回戦、和希のいる東中学に、四―一で勝って、決勝進出と、市総体の出場権を獲得した。さすがの和希も、団体戦ばかりは、一人では勝てない。

 決勝は、愛川学園。一番手の田村真理と、二番手の川島純が敗けたが、ダブルスと結城綾香、赤木奈津子が勝って、三―二で地区大会の優勝を決め、T地区総体を終えた。

表彰式の後、全員で台を片付け、全て終わったのは四時過ぎだった。

体育館を出た。外は、まだ真昼と変わり無かった。グラウンドには、テニス部はもうおらず、ソフトボール部が練習をやっていた。

グラウンドを通る愛子たちに、声をかけてくる。さようなら。愛子たちも、挨拶を返した。全く、お行儀の良い学校だ。

愛川学園の校門前で、現地解散となった。各学年が、何となく少しづつ離れて固まって歩く。すみれが、小声で言った。

「うちの学校、強かったんだ」

「ホント。団体戦、優勝だもんね」

「愛子と初花も、スゴイよ。一年生で、優勝だもん」

 詩織が、顔を寄せてきた。

「スゴイって言えば、東中の大沢和希。スゴかったね、ホント」

「そうそう、赤木さんもスゴイと思ったけど、その赤木さんが、歯が立たないんだもんね」

 茜が、より一層声を潜めた。

「市大会で、リベンジ宣言されてたじゃん。大丈夫?」

「まあ、ウチらはいつでも来いって感じよね、初花」

「まあね。一週間じゃあ、景山って子が大沢和希のレベルに追いつくのは、無理だろうしね」

「じゃあ、大沢さんの足を景山さんが引っ張ったから、勝てたって事?」

 詩織の問いに、初花は首を振った。

「二人のレベルが違いすぎて、微妙なタイミングが合わないのよ。大沢和希が、景山って子の足を引っ張ってるとも言えるわけ」

「へえ。じゃあ、アンタたちはレベルが合ってるってワケね」

 初花は、返事に困った。愛子の力は認めているが、素直にそれを出せないのだ。

「そう言う事。愛子と初花は、いいコンビだと思うわ」

 すみれが、助け舟を出した。愛子と初花は、一度顔を見合わせ、何となく眼を逸らせた。

「ね…ねえ、もうすぐいつものスーパーじゃん。たこ焼き食べようよ」

 愛子が、話題を変えた。

「たこ焼き?いくら?」

「六個入り、百円!」

「食べよう、食べよう!」

 みんな、急ににぎやかになった。日は、ようやく西に傾きはじめ、住宅街を薄いオレンジ色の光で包もうとしていた。


 市総体の当日は、グリーンアリーナで現地集合とされていた。家が近い愛子とすみれは、いつものスーパーの前で待ち合わせ、一緒にバスに乗ってやってきた。

総合運動公園と言う、野球場や陸上競技場まで備えた、大きな公園の前でバスを降りた。他の学校の選手たちも、公園の中を、グリーンアリーナ目指して、ゾロゾロと歩いている。

 公園の中をしばらく歩くと、テニスコートの向こうに、大きな体育館が見えた。メインアリーナ。その建物に隣接する、学校の体育館を二回りほど大きくした建物が、サブアリーナだ。規模の小さな大会は、こちらで行われる。これらの総称が、グリーンアリーナというわけだ。

 サブアリーナの前の広場にも、所々に各学校が集まっていた。すでにユニフォーム姿で、素振りをしている者もいる。

「ひゃあ、やる気満々だね」

「アンタは、人事じゃないでしょ」

 すみれが愛子の頭に、平手でツッコミを入れた。

 サブアリーナの正面入り口を右手に見て、扇形に広がった綺麗な石段を上がると、メインアリーナの正面入り口だ。

 メインアリーナの正面入り口前は、まるで開場前のコンサート会場のように、大勢の中学生でごった返していた。

「何?この人数。ちょっと、うんざりするよね」

「今から試合しようってヤツが、なに言ってんのよ。ダブルスからなんだから、しっかりアップしときなさいよね」

「へいへい。すみれさんの言う通り」

 愛子は、肩をすくめた。

「んで、ウチらの学校、どこに固まってんのよ。旗でも立てといてくれりゃいいのに」

「こらこらアンタら。田舎モン丸出しで、キョロキョロしとったら、アカンで」

 大阪弁。振り返ると、和希が千賀子を引き連れて、笑って立っていた。

「オッス、和希。おはよう、千香子」

「なんで、挨拶の言葉が違うねん」

「おはよう村瀬さん、松野さん」

「おはよう。愛子とすみれで、いいよ」

 すみれが言うと、千香子がのんびりとした笑顔を見せて、頷いた。

「アンタらの学校、あっちで固まってたで。この前、ウチに敗けた赤木いう先輩が、今日は敗けへんて、さっき言いに来よったわ」

 和希は、メインアリーナの、カーブした壁で、死角になる辺りを親指で指しながら言った。

「ありがとう。行こう、愛子」

「ちょい、待ち。ええか、愛子。今日は、地区大会のリベンジや。ウチらと当たるまで、絶対に敗けるんやないで」

「ウチらは、誰にも敗けるつもりは無いよ。アンタこそ、シングルで赤木さんと当たるまで、敗けないでよね」

「アンタと同じや。シングルでも、誰にも敗けるつもりは無いねん」

 和希が、親指を立てた。

「ねえ、かずきィ」

「それから、初花にも言うとくんや…」

「ねえ、かずきってばぁー」

「なんやねんお前は!いっつも邪魔しくさって。今、ライバル同士が、お互いに闘志を燃やす、エエ場面やねんで」

「でも、集合が掛かってるよ」

 和希が、千香子の指差す方を見ると、東中学の生徒が集まって、全員でこちらを睨んでいた。

「こらアカン!ほな愛子、試合会場でな!」

 和希は、千香子の襟首を引っつかむと、慌てて自分の学校の方へ走り去った。

「アイツって、登場するたびに、あんな感じね」

 ひとしきり笑った後、すみれが言った。

「ま、天然ってヤツじゃない?それより、ウチらも行かなきゃ。アイツみたいになっちゃうよ」

 二人は、さっき和希が教えてくれた方へ急いだ。

 八時半に、会場した。二階席の最前列に荷物を置き、双葉中学の拠点とした。コピー用紙に印刷された、トーナメント表が配られる。

「お、和希たち、準決勝で山村さんたちと当たるじゃん。山村さんたちに、リベンジ決めてもらわなきゃ」

「ホント。でも、島田さんとリンダの組には、準決勝で当たるよ」

「和希たち、山村さんたちと当たる前に、消えちゃうかもよ」

 愛子とすみれの会話に、初花が割って入った。

「ほら、小浜中学の塩田絵里と、池澤麻衣のペアが出てる。三回戦で、和希たちと当たるわ」

「塩田絵里は、確かに強いけど、池澤麻衣ってのが、どれだけ出来るか分からないじゃん。二人の実力のバランスが、重要なんでしょ?」

「アンタたち、池澤麻衣を知らないの?まあ、無理も無いか…」

「勿体付けないで、早く言え!ケバ!」

「えらそうに言うな、このチビ!」

「アンタたちも、試合以外はそのまんまね。で、初花。池澤麻衣って、何者なの?」

「今、二年生。去年、つまり一年生の時、総体のシングルスで、全国大会のベストフォーだったわ」

 愛子とすみれが、目を丸くした。

「全国、ベストフォー?」

「よかった、別のブロックで」

「そうよ。あたしたちなんか、準決勝でその怪物チームと当たるのよ」

 後ろの座席の声に振り返ると、山村がタメ息をついて、肩をすくめた。

「ご愁傷さまです」

 愛子と初花が、合掌して山村を拝んだ。

 試合場は、三十面の卓球台が、敷き詰められている。開会式は、観覧席に座ったままで、行われた。

「さ、アップに行くわよ」

 開会式も終わり、十分後にダブルスの一回戦が開始される。山村の指示で、双葉中学ダブルスチームは、試合場へ降りて行った。

 卓球台は、少しでも試合場に慣れておこうという選手たちが群がって、上から見ると、フライパンの中で弾けるポップコーンのように、白い球を弾ませている。

愛子たちは、軽く柔軟をやり、素振りを始めた。ボクサーがやるシャドウボクシングのように、頭の中で創造した相手と、実際に試合をしているつもりで、ラケットを振るのだ。

サーブ。横にステップして、突っつき。ステップインして、スマッシュ。

上級者になると、第三者が見ていても、まるで本当に誰かと試合をしているように見えるのだ。四人とも、そのレベルにあった。

一回戦の相手は、初めからあきらめていた。十一―二、十一―二、十一―三で、簡単に退けた。

二回戦の相手は、なんとかしようと必死になって掛かって来たが、十一―三、十一―五、十一―五と、やはり愛子たちの圧勝で終わった。

三回戦も、愛子と初花は十一―七、十一―六、十一―六と、安定した試合を見せ、ベスト十六に勝ち残った。

山村・庄野組も、名門押谷中学を相手に一セットは取られたものの、見事ベスト十六へ勝ち上がった。

 和希・千香子のペアも、理穂・リンダのペアも、危なげなく三回戦を突破した。

 試合は四回戦。これに勝てば、ベストエイトという試合。愛子たちは、これも十一―八、十一―六、十一―七と、ストレートで勝ちあがった。一回戦から、一セットも取られていない。

「ベストエイトか。とりあえず、県大会の切符は手に入れたね」

「次の相手は…ほら、あそこでやってる。玉屋中学と、岩山中学の勝った方。まあ、岩山中学で、決まりじゃない?」

「ジュニアの市大会、ベストエイトの土井さんと、ベスト十六の村沢さんのペアか。ウチも、そう思う」

 初花が、あっと声を上げた。第三コート。和希と千香子のペアが、塩田・池澤ペアと戦っている。

「行こう、初花」

 この位置からでは、スコアが見えない。二人は、台の向こう側へ回るために走った。その時、塩田絵里のドライブスマッシュを、千香子が弾くのが見えた。

 セットを、取られたようだ。審判が、スコアボードを頭上にかざし、みんなに見えるように回した。六―十一。しかも、セットカウントは〇―三と表示されていた。たった今、敗けが決定した所だったのだ。

「和希たちが、ベストエイトから洩れた。しかも、ストレート敗け…」

「それだけ、あの二人がスゴイってことよ」

「まぁ、ドンマイってとこね。やってみなきゃ、分かんないじゃん」

「あーあ、お気楽なチビ。でもまあ、決勝戦の事より、今は次の試合に集中しなきゃね」

「その通りデス。そして決勝の前に、ワタシたちとも戦わなければナリマセン」

「リンダ!」

 振り返ると、リンダと理穂が笑って立っていた。どうやら、ベストエイトに勝ち残ったらしい。

「今日は、必ずリベンジしまス。今日が、トテモ待ち遠しかったデス」

 リンダは、愛子の手をにぎり、そして初花の手も握った。

「リンダ。あたしたちも、村瀬さんたちとやる前に、もう一回勝たなきゃ駄目なのよ」

「オー、リホ!アイムオーケー。でも、ベストを尽くして、必ず勝ちマス」

 言いながら、リンダは愛子と初花に、ウインクして見せた。

「その意気その意気。ウチも、楽しみにしてるよ」

「じゃあ、後でね」

 愛子と初花は、そそくさとその場を退散した。なんの拍子に、キスされるか分かったものではない。

 準々決勝は、やはり岩山中学の土井貴子・村沢由紀のペアだった。お互いのラケットを交換してチェックするとき、土井貴子が声を掛けてきた。

「青山さん、久しぶり。憶えてくれてる?」

「もちろん。アンタ手強かったもんね」

「ありがとう。今日は、負けないわよ」

「望むところよ」

 土井と初花は、握手をして分かれた。

 土井貴子は、ジュニアの市大会の準々決勝で、初花に敗けているのだ。

もう一人の村沢由紀は、島田理穂に敗れて、ベスト十六になったはずだ。カットマン同士の拾い合いで、とんでもなく長い試合だったので、憶えている。

ジャンケンで敗け、土井のサーブで試合が始まった。高速サーブ。愛子はいきなり、スピードドライブで返した。

打球が、鋭く台を叩く。決まった、と思ったが、村沢が拾った。初めから、台の二メートル後ろで守っていたのだ。

山なりの打球。初花の、ドライブスマッシュ。土井のロビング。チャンスボール。愛子は、上から思い切り叩きつけた。

拾われた。大きな打球が、ゆっくり返ってきた。初花はそれを、土井を狙って上から叩きつけた。

真正面の打球。土井は咄嗟にラケットに当てたが、打球はネットに引っ掛かった。一―〇。

土井の二本目。また、高速サーブ。和希に比べると、やはり甘い。愛子は同じく、スピードドライブで返した。

決まってもおかしくない打球を、村沢に拾われた。山なりの球。初花のドライブスマッシュ。土井が、ドライブで返す。

愛子の、スマッシュ。強烈な打球が、台を叩く。しかし、村沢がそれを拾う。山なりの打球。初花のスマッシュ。土井のロビング。

チャンスボール。愛子が、上から叩きつける。台を叩いて、打球が大きく跳ねる。

村沢が、背走して追う。振り向きざまに、大きなロビングで、打ち返す。台から、三メートルは離れた所からだ。

高く上がった打球は、台のど真ん中に着弾し、再び大きく跳ね上がった。今度は初花が背走する。振り向きざまの、ドライブ。遠すぎる。打球は、相手のコートに到達する前に鋭く縦に変化して、ネットに突き刺さった。一―一。

サーブ権の移動。愛子の一本目。回転のキツい、バックサーブ。村沢の、突っつき。初花のドライブ。土井も、ドライブで返す。

愛子の、強引なスマッシュ。村沢が、ロビングで拾う。初花の、ドライブスマッシュ。土井が、ドライブで返した。

打球が低い。愛子は、スピードドライブを放った。村沢が、拾う。山なりの球。初花のスマッシュ。土井の、ドライブ。

低めに返ってきた打球を、愛子は強引にスマッシュに行った。打球は、ネットに直撃した。アウト、と誰もが思ったが、球はそのままの勢いでネットを乗り越え、相手コートにポトリと落ちた。二―一。

「すみません」

 愛子は、マナー通りに頭を下げた。

 二本目を打つ前に、愛子は台の下に掛けたタオルで、汗を拭いた。初花と、眼が合う。

『強打は、全部拾われるよ』

 初花の眼が、言っている。元々ドライブマンの土井も、カットマンに近くなっている。壁を相手にしているような気がした。

 それなら、他に方法はある。壁とネットの間を攻める。つまり、ネット際を攻めるのだ。愛子は、左の親指を立てた。初花が、眼で頷く。

 愛子の二本目。ナックルサーブ。村沢の、突っつき。打球が、浮く。初花のスマッシュ。土井が、ドライブで拾う。愛子はそれを、突っつきでネット際へ落とした。

台から二メートル離れていた村沢は、猛然と突っ込んできたが、さすがに間に合わなかった。三―一。

サーブ権の移動。村沢の一本目。フォアから横回転のサーブ。初花は、突っつきで返した。土井のドライブ。愛子が、突っつきでネット際へ落とす。

今度は、台から一メートルしか離れていなかった村沢が、前に突っ込んで突っつきで返した。初花は、その村沢を狙って、ドライブスマッシュを放った。

村沢が邪魔で、土井はどうする事も出来なかった。四―一。

そこから、ゲームは一方的に進んだ。村沢は、台から最低一メートル離れて守らなければ、愛子のスマッシュなど、とても拾う事は出来ない。そして、その距離からネット際へ落とされた打球を、体勢を全く崩さすに拾うだけの性能は、村沢には無かった。

一方の愛子は、村沢の位置を見て、ネット際かスマッシュかを瞬時に判断し、打ち分けるだけの技術があり、相棒の初花も、村沢が体勢を崩した瞬間に、それを狙って強打を打てるだけの技術を備えている。

結局、十一―五、十一―四、十一―五で岩山中学を制した。ベストフォーに進出だ。

「やるやん、アンタら。こないなったら、優勝やで」

 和希と千香子。近くで、応援してくれていたようだ。

「何よ。敗けちゃったから、もっと荒れてるかと思ってたけど」

「カカカ。アホいいな、初花。まだ、個人戦が残ってるやんか。塩田と池澤には、そこでリベンジや。二人とも、ケチョンケチョンにしたるで」

「ハハハ、アンタならホントにやりそうね。まあ、ウチも後で応援するわ」

「強敵よ、二人とも」

「何や初花、人事みたいに。ウチより先に、アンタらが戦うんやで。まあ、決勝に残れたらの話やけど」

「ウチらは残るに、決まってんじゃん。でもその前に、うちの山村さんたちが、倒しちゃうかも知れないよ」

「悪いけど、そら無理や。まあ、アンタらの先輩も、ベストフォーには残りよったけどな。くじ運や、くじ運」

「ホント、ズケズケ言うわね。でも、運も実力って言葉もあるでしょ」

 初花の反論に、和希は急に真面目な顔つきになって答えた。

「あるけど、塩田と池澤には、運じゃあ勝たれへんで。アンタらの、次の相手にもな」

「ウチらの、次の相手って…」

「準決勝は、愛川学園とちゃうで。西田中学や」

「え?リンダたち、敗けたの?」

「今、あそこでやってる最中や。そやけど、さっき見た時、もう二セット取られとったからなあ」

 和希は、第二コートを指差して、のんびりした口調で言った。

「それをはよ言わんかい!初花、行くで!」

 愛子は、和希の大阪弁を真似て言うと、初花の襟首をつかんで、第二コートへ駆け出した。

「けたたましいヤツやなあ」

「お前が言うな」

 千香子が、大阪弁で和希にツッコミを入れた。

 試合は、三セット目。五―七でリードされていた。

「高崎真由と、井川千尋じゃない」

「アンタ、知ってるの?」

「二年生よ。あたしたちの前の年に、ジュニアの市大会で高崎真由は、二位。井川千尋はベストフォーよ」

「ホント卓球オタクね、アンタ」

「うるさい、チビ。教えてやんないぞ」

「ごめん、ごめん。で、やっぱり強いんでしょ?」

 初花の話によると、井川千尋は、池澤麻衣に敗けてのベストフォーだが、それまで一セットも取られる事が無く、池澤麻衣からも、敗けたとはいえ、一セットは取った。

 もう一人の高崎真由も、決勝で池澤麻衣とフルセット打ち合った末に敗け、二位となったが、どちらが勝っても、おかしくない試合だったと言う。

「二人共、池澤麻衣に敗けてんだ。まあ、どっちにしても、倒さなきゃ優勝出来ないんだから、倒すっきゃ無いよね」

「アンタは、いいね。単細胞で」

「うるさいケバ!前向きって言ってよね」

「そう言う意味で、言ったのよ」

 初花が笑うと、愛子はちょっと肩をすくめた。

 歓声が、上がった。高崎真由の、ドライブスマッシュが決まった。五―八。

「島田さん、リンダ、頑張れ!」

 思わず出した愛子の声に、リンダが振り向く。

「あきらめないで!」

 初花の声に無言で頷き、リンダは、サーブの体勢に入った。フォアからの、横回転のサーブ。

 高崎真由の、いきなりのドライブスマッシュ。理穂が、ロビングで拾う。井川千尋の、ドライブスマッシュ。リンダが、かろうじてドライブで返した。

 高崎の、スピードドライブ。ネットを越えて、鋭く落ちる。理穂の、極端なロビング。打球が高く上がる。相手コートのど真ん中に着弾した打球が、大きく跳ねた。

 井川が、背走で追う。振り向きざまの、ロングドライブ。打球が、大きく変化して、台を叩く。リンダの、ドライブスマッシュ。一週間前より、威力が上がっている。それを、高崎は、スピードドライブで返した。

 鋭い打球が台を叩き、移動前のリンダを襲った。高速の打球を、高速で返した効果だ。理穂は、リンダが邪魔で打球に触る事も出来なかった。五―九。

 サーブ権の移動。高崎の一本目。フォアから、横回転のサーブ。理穂が、カットで返す。井川のドライブ。

 リンダの、ドライブスマッシュ。再び高崎は、スピードドライブを被せてきた。高速の打球が、リンダを襲う。避けきれない。

 理穂は、リンダと台の間に割り込むようにラケットを入れた。しかし、ラケットに当たった球は、そのままネットに引っ掛かってしまった。五―十。マッチポイント。

 高崎の二本目。回転のキツイ、バックサーブ。理穂は、突っつきで返した。井川の、ドライブスマッシュ。リンダも、ドライブで返す。

 高崎の、スピードドライブ。理穂が、ロビングで拾った。山なりの打球。井川が、上から叩きつける。リンダが、ショートドライブで拾う。ネット際へ、短い打球が落ちる。

 高崎が、前に飛び込み、突っつきで返す。理穂の、スマッシュ。しかし打球は、無情にネットに引っ掛かった。五―十一。セットカウント〇―三で、理穂たちはストレート敗けを喫してしまった。

「オー!あなたたち、ベリーストロング!でも、県大会で必ずリベンジしまス」

 リンダは、高崎と握手し、抱擁すると、頬にキスをした。唖然とした高崎を放り出し、リンダが井川を振り返ると、井川は後退りした。

「決勝戦の、健闘を祈りマース!」

 そう言うリンダに、アッと言う間に捕まって、井川もリンダのキスの餌食となったのは、言うまでもない。

「強いよ、このチーム」

「分かってる。アンタ流に言うと、バランスが良いってんでしょ?」

「それに、息もピッタリ合ってるわ。見たでしょ、あの動き?まるで、二人で一人の選手みたいに、前後の交代がスムーズじゃない」

「ま、ウチから言わしてもろたら、アンタらもエエ線行ってるで」

 後ろでやり取りを聞いていた和希が、会話に入ってきた。

「技術的には、それほど変わらへん。後は、根性で決まるで、根性で」

 和希が、愛子の胸を、拳で軽く叩いた。

「かもね。とにかく、ウチらはここで敗けるつもりは無いからね」

「そう言うこと。ま、せいぜい応援してよね、二人とも」

 初花は、和希と千香子に言って、笑った。

 準決勝は、第一コートで、塩田たち小浜中学Aチーム対山村たち双葉中学Aチーム、第六コートで、高崎たち西田中学Aチーム対愛子たち双葉中学Bチームが行われる。各チーム、それぞれコートに着いた。

 軽い、ラリー。機械仕掛けのように、スムーズなステップワーク。二人で一人。初花も、上手い事を言ったものだ。

 お互いのラケットを、交換する。二人とも、両面に裏ラバー。ドライブマンだ。違いは、高崎真由の方が、わずかに薄くて硬いラバー。井川千尋の方は、ほんの少し厚くて、柔らかいラバー。

 硬いほど、回転が掛かりにくく、スピードのある打球を打ちやすい。柔らかいほど、回転を掛けやすく、打球を拾うのに適している。

 つまり、同じドライブマンでも、高崎は攻撃重視、井川は守備重視ということだ。

 ジャンケンで勝ち、サーブ権を取った。愛子の一本目。

 フォアから、横回転のサーブを、ネット際へ落とす。高崎の、突っつき。ネット際へ返ってくる。突っつき合いのラリーになった。

 愛子の打った打球が、わずかに浮いた。高崎の、スピードドライブ。初花が出したラケットに触ったが、打球は大きく台を逸れた。〇―一。

 愛子の二本目。ナックルサーブ。ネット際でなく、遠目に落とした。高崎なら、ネット際でなければ、強引に打ってくると思ったからだ。

 掛かった。高崎の、ドライブスマッシュ。打球は、一度高崎側のコートを強打してから、ネットを越えてきた。一―一。

「へえ、面白いサーブ持ってるね」

 高崎が、笑った。

 サーブ権の移動。高崎の一本目。球を高く放り上げ、落下速度に乗せてのカットサーブ。いわゆる、回転系高速サーブだ。初花の、レシーブ。しかし、打球はネットに引っ掛かった。一―二。

 高崎の二本目。同じサーブ。

 今度は初花が、なんとか突っつきで返したが、ネット際へコントロールするほどの余裕は無い。井川の、ドライブスマッシュ。

 愛子はそれに、強引にスピードドライブを被せた。高速弾対高速弾。移動前の、井川を狙った。井川は避けきれず、高崎の障害物となってしまった。二―二。

 サーブ権の移動。初花は、一本目から王子サーブで勝負に出た。井川のレシーブが、ネットに引っ掛かった。三―二。

 井川が、眼を丸くしている。

 初花の二本目。もう一度、王子サーブ。井川のレシーブは、またネットに引っ掛かった。四―二。

「連発すると、慣れられるよ」

「ここが、勝負でしょ。とにかく、第一セットは、何が何でも取るわよ」

 汗を拭きながら、頭を寄せて囁き合った。

 サーブ権の移動。井川の一本目。強い回転の、バックサーブ。愛子が、突っつきでネット際へ返した。高崎も、仕方なく突っつく。また、ラリーになった。

 初花の打球が、少し浮いた。すかさず、井川のドライブスマッシュ。愛子が、スピードドライブを被せる。打球は、台を叩いて高崎のバック側を突き抜けていった。五―二。

 その後も、井川のドライブスマッシュに合わせて、愛子がスピードドライブを被せる事と、王子サーブでのエースでポイントを重ね、第一セットは十一―六で、愛子たちが先取した。

「やるわね、一年生コンビ。でも、勝負はこれからだからね」

 コートチェンジですれ違いざま、高崎が言った。愛子は、軽く頭を下げた。

「第二セットも、今の要領ね」

「あんた、王子サーブ連発すると、マズくない?」

「慣れられる前に、ケリがつくわよ」

 頭を寄せて囁き合い、左の拳をお互いに軽く合わせた。

 第二セットは、高崎のサーブから始まった。回転系の、高速サーブ。愛子は突っつきで返した。井川の、ドライブスマッシュ。初花が、ロビングで返す。

 スマッシュが来る。そう思ったが、高崎はカットで返してきた。愛子が、突っつく。ラリーになった。数度目に、愛子が打ち損じた打球が、ネットに引っ掛かった。〇―一。

 高崎の二本目。今度は回転のキツい、バックサーブだ。愛子も、バックのレシーブで返す。井川が、突っつく。またラリーになった。

 数度目に、初花が放ったドライブスマッシュに、高崎がスピードドライブを被せた。移動前の初花を襲う。初花は避けきれず、打球は台を叩いて、愛子の左を抜けていった。〇―二。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。ナックルサーブを、井川が突っついた。打球が浮く。初花の、ドライブスマッシュ。高崎が、スピードドライブを被せる。

 高速弾対高速弾。それを、逆にやられている。打球は、愛子のラケットを弾いて、台を大きく逸れていった。〇―三。

 愛子の二本目。フォアから横回転のサーブ。井川が、突っつく。また、ラリー。チャンスボールが行っても、高崎は自分から強打を打つ事はしなかった。

 初花の打球が、相手のコートをオーバーした。〇―四。

 サーブ権の移動。井川の一本目。フォアから横回転のサーブ。初花が、突っつきで返すと、高崎も突っつきで返してきた。

 この精密機械のようなコンビを相手に、ラリー合戦は不利だ。愛子は、強引に強打に出た。井川が、余裕を持ってロビングで返す。初花が、もう一度ドライブスマッシュを放った。今度は、高崎がドライブで返す。

 愛子のスマッシュ。しかし、その強烈な打球は、ネットに突き刺さって、ポトリと落ちた。〇―五。

 井川の二本目。回転のキツイ、バックサーブ。初花が、突っつきで返す。また、ラリーが始まった。愛子のスマッシュ。井川の、ロビング。

 初花のドライブスマッシュ。高崎が、スピードドライブを重ねる。また決められた。〇―六。

 サーブ権の移動。初花が打つ前に、二人は頭を寄せた。

「徹底的な、カウンター戦法だね」

「うん。でも、カウンター打てるのは、高崎さんだけみたいね」

「よく見てるじゃん。じゃあ、このセットは、ウチにまかせなよ」

「OK!」

 初花の一本目。王子サーブを、高崎はレシーブしきれず、ネットに引っ掛けた。一―六。

 初花の二本目。もう一度、王子サーブ。高崎が、今度はかろうじて返した。力の無い球が、返ってくる。愛子はそれを、スマッシュで叩いた。

 井川が、ロビングで受ける。初花のドライブスマッシュ。高崎が、スピードドライブを重ね、移動前の初花を狙った。

 初花が、いない。打った瞬間、ステップアウトしていた。愛子が、カウンターに、更にカウンターを重ねる。スマッシュ。

 稲妻のような打球が、ネットに突き刺さり、勢いあまって、相手コートにポトリと落ちた。ニー六。

「すみません」

 愛子は、マナー通り声を掛けた。

 サーブ権が移動した後も、パターンは変えなかった。初花しか、スマッシュを打たない。高崎が、カウンターで来れば、愛子が更にカウンターで返す。

 簡単に、カウンターにカウンターを合わせると言っても、実際には非常に難しく、愛子が一発目で成功したのは、殆どマグレと言って良かった。まあ、一度ネットに突き刺さったのだから、本当は成功とも言えないが。

 しかし、このセットを捨てても、それが出来るようにならなければ、この相手は倒せないのだ。

 その困難なカウンター返しを、ニー六の状態から、愛子は六回試みた。二度失敗、一度成功、一度失敗、二度成功。スコアは五―九となった。

 サーブ権の移動。初花は、二本続けて、王子サーブで高崎のレシーブミスを誘い、エースを奪った。七―九。

 サーブ権の移動。高崎の一本目。愛子が突っつきで返すと、井川がチャンスボールを初花に返してきた。

 初花のドライブスマッシュ。高崎のカウンター。愛子のカウンター返し。強烈な打球が、台を叩く。決まった。八―九。

 あえて、こちらにカウンター返しを打たせてくるのは、失敗する確率が高いからだろう。実際、あと二回失敗すれば、このセットを失うのだ。

 しかし、そんな事を恐れてはいられなかった。ラリー合戦では、あちらに分があるのだ。

 高崎の二本目。同じパターン。愛子のレシーブを、井川がチャンスボールで返してくる。初花の、ドライブスマッシュ。高崎のカウンター。愛子のカウンター返し。

 しかし打球は、猛烈な勢いでネットに突き刺さり、ポトリと落ちた。八―十。セットポイント。

 サーブ権の交代。愛子の一本目。ナックルサーブは出さなかった。どうせ、チャンスボールが返ってくるのだ。

 井川のレシーブ。やはり、チャンスボール。初花のドライブスマッシュ。高崎のカウンター。愛子のカウンター返し。

 フルスイングの打球は、一度ネットに突き刺さり、勢いあまって相手のコートへ落ちた。ッジャア!愛子は、思わずガッツポーズを取った。それから、ハッと我にかえり、頭を下げた。

「すみません…」

 井川が、苦笑いで頷く。

 九―十。あと一点で、デュースに持ち込める。しかし、今のも本来はミスっていた所だ。相手は、やはり同じ作戦でくるだろう。愛子は一度屈伸して、体から緊張を追い払った。

 愛子の二本目。初花から、サインが出た。相手の右端に、ナックルを打て。意味は分からないが、愛子はサインに従った。

 井川のレシーブ。元々、チャンスボールを返そうとして突っついた井川の打球は、更に大きく浮き、ネット際に着弾して大きく跳ねた。

 単調になった敵の作戦を、見事に逆手に取ったのだ。

 初花は、台の側面に回りこみ、打球が目の高さに落ちてくるまでひきつけて、上から思い切り叩きつけた。

 ピン球が、割れたような音を上げて台に叩きつけられ、高崎の頭上を越えて、大きく跳ねた。カウンターなど、打てる打球では無い。高崎が、背走する。

 振り向きざまに打った高崎の打球は、台を大きく逸れてしまった。十―十。ついに、デュースに持ち込んだ。ヨッシャァ!初花が大きく吠え、ガッツポーズを取った。

「ナイス・スマッシュ!」

「当然!勝負はここからよ」

 左拳を、軽く合わせた。

 サーブ権の移動。井川の一本目。回転のキツイ、バックサーブ。初花が、突っつきで返す。高崎の突っつき。愛子は、スマッシュを放った。

 井川のロビング。初花のドライブスマッシュ。しかし高崎は、スピードドライブを被せず、ただ拾っただけだった。

 愛子の、スピードドライブ。井川が拾う。初花が突っつきで返し、ラリーになった。作戦を変更したらしい。ラリーの長期戦で、確実に仕留めようというのだろう。

 愛子が何度目かに、強引なスマッシュを放った。しかし、それはネットに引っ掛かった。十―十一。アドバンテージを、与えてしまった。もう一点、続けて取られると、このセットを取られてしまう。

「短気起こしちゃ、相手の思うツボだよ」

「でも、ジリ貧になる前に打たなきゃ。ラリーじゃ、ウチらの方が不利だよ」

「思いつきで打つくらいなら、ラリーの長期戦の方がマシよ。とにかく、ヤケは起こさないこと」

「へえ、短気なアンタが、ずいぶん冷静じゃん」

「そうしなきゃ、勝てないんだから、仕方が無いでしょ」

「OK!」

 左拳を、軽く合わせる。

 デュースなので、サーブ権は一本づつ移動する。初花は、一度体を沈みこませ、伸びざまに、球を高く放り上げた。王子サーブ。

 高崎がレシーブを、ミスった。ヨッシャ!初花のガッツポーズ。再び、十一―十一のデュースとなった。

 サーブ権の移動。高崎の、回転系の高速サーブ。愛子が、突っつきで返したのを始めに、突っつき合いのラリーになった。

 絶対に、向こうからは打ってこない。初花が、ドライブスマッシュを打っても、高崎は拾うだけた。

 愛子が打っても、それは同じことで、井川もディフェンスに徹している。

「何しとんねん!チマチマとラリーに付き合わんでもエエねん。技術は、向こうがチョイ上や!アンタらパワーで勝負せな、どないするねん!」

 和希の大声に、審判が咎めるような視線を向けてきた。和希が、肩をすくめる。基本的に、プレー中のアドバイスや野次は、禁止されているのだ。

 しかしその声は、愛子の耳にしっかり届いていた。技術で呑み込まれる前に、こちらがパワーで呑み込むしか、この二人に勝つ方法は無い。

 愛子が、いきなりスマッシュを放った。井川が、拾う。

「ケバ、行け!」

 愛子の声。返ってきた球を、初花はドライブスマッシュで強打した。高崎が、拾う。打球に力は無かった。

 愛子のスマッシュ。井川が、かろうじてロビングで返す。初花が、ドライブスマッシュを被せる。高崎が、かろうじてラケットに当てた。拾い方に、余裕が無くなってきた。

 力の無い球が、返ってくる。愛子のスマッシュ。井川が必死に出したラケットに当たって、返ってきた。初花のスマッシュ。

 高崎が、必死に返す。愛子が、スマッシュを被せた。ついに井川は、この強打の嵐に呑み込まれてしまった。打球が、井川の左側を突き抜けた。ッシャ!愛子の、ガッツポーズ。

十二―十一。アドバンテージを取った。

「開き直ったな、チビ」

「ふん。攻撃は、最大の防御って言うじゃん。和希の言うとおり、ウチらパワーで勝負しなきゃ、勝ち目無いもんね」

「まったく」

 初花が、肩をすくめた。

 サーブ権の移動。愛子は、ナックルサーブを放った。井川が、突っつきで返した。球が浮く。初花の、ドライブスマッシュ。

 高崎が拾う。再び、愛子と初花の強打を、井川と高崎が拾う形になった。愛子は二回目に放ったスマッシュで、このセットを決めた。

 ッシャ!ガッツポーズを取った愛子が、左拳を初花に突き出す。初花が、それに自分の拳を合わせた。

 セットカウント、二―〇で迎えた第三セット。二人は、最初からガンガン行った。決まろうが決まるまいが、お構い無しの、スマッシュの嵐だ。

 高崎・井川ペアは、防戦一方となってしまい、十一―五の圧勝で、愛子と初花が決勝進出を決めた。

「今日は負けたけど、まだ県大会があるからね。そこで、もう一度戦おうね」

「はい。ウチらも、もっと練習して、負けないようにします」

 高崎が差し出した手を握って、愛子が言った。

「楽しみにしてるわよ」

 初花と握手しながら、井川が笑って言った。

「やるやん、アンタら。ついに、決勝か。ま、ウチのアドバイスのおかげやな」

「まあ、否定はしないよ。二人とも、応援サンキュー」

 寄ってきた和希と千香子に、愛子は親指を立てて言った。

「で、山村さんたちは、まだよね」

「あ、ほら!まだやってる」

 初花が、第一コートを指差して言った。

「行こ!初花。じゃあ和希、千香子、決勝戦も応援ヨロシク!」

 愛子は、初花の手を引っ張って駆け出した。

「なんや、会話もそこそこに、行ってしまいよった。慌ただしいヤツやなあ」

「だから、お前が言うなってば」


「すみれ、どう?」

「ああ、アンタたちおめでとう。勝ったところ、ここから見たわよ。こっちは、ほら」

 すみれが、スコアボードを指差した。セットカウント〇―二。現在、第三セットを戦っているが、スコアは五―十のマッチポイント。

「先輩、あきらめないで!」

 詩織と茜が、懸命に声を出している。

 池澤麻衣の二本目のサーブ。これで決めるつもりの、顔つきだ。池澤は、一度体を沈めた後、伸び上がりざまに、球を高く放りあげた。王子サーブ。

 百六十㎝の長身から繰り出されるそれは、初花の王子サーブより、空中での変化が大きかった。

 山村の懸命なレシーブは、むなしくネットに引っ掛かった。五―十一。その瞬間、二階の双葉中の応援席から、悲鳴にも似たどよめきが上がった。決勝戦の相手が、塩田絵里と池澤麻衣のペアに決まった。

 握手をした後、肩を落とした山村たちに、愛子たち一年生は、声を掛けられずに、その場に立ち尽くした。

「ウチらが、リベンジするわ」

「あたしが今、言おうと思ってたのに」

「そうよ。アンタたちなら、負けないわ」

「うん。あたしも、そう思う」

 一年生は、少し元気を取り戻し、口々に言い合った。

「その意気で、頑張ってね」

 振り返ると、山村と庄野が、笑って立っていた。

「あ、先輩…。さっきの試合、残念です」

「村瀬。アンタは、今から試合でしょ。今、リベンジしてくれるって言ったじゃない。あの二人、やっぱり強いわよ」

 山村が、愛子の肩を叩いた。

「はい、分かってます。ウチらは、全力で行くだけです」

「その意気ね。あたしたちも、上で応援してるわよ」

 山村はそう言うと、二階の応援席へ上がっていった。庄野も、愛子たちに笑いかけると、その後を追っていった。

「決勝戦は、この第一コートで、十五分後よ。アンタたち、トイレに行かなくて大丈夫?」

「そうね、念のために、行っとくか」

「あたしも、行くかな」

 愛子と初花は、すみれの助言に従うことにした。トイレは会場を出て、広い廊下を右へ十m程歩いた所にあった。

大きくて、綺麗なトイレだ。これだけ大勢の人がいるのに、今は誰もいなかった。

二人が、用を済ませて手を洗っていると、洗面台の鏡の向こうに、いきなり塩田絵里がいないいないバアをして現れた。

「チャオ!二人とも、お久しぶり!」

 塩田絵里が、おどけて二人に敬礼してみせた。

「ジュニア依頼ね、塩田さん」

「ウチの事も、憶えてくれてたんだ」

「当り前じゃん。絵里は、絶対アンタたちが決勝に出てくるって思ってたよ」

「そう言ってもらえると、なんか嬉しいな」

「アンタ、敵にほめられて、喜んでんじゃないわよ」

 初花が、愛子の後頭部を軽く叩いた。

「相変わらず、キツイね青山さん」

 そう言って、絵里は声を上げて笑った。

「なんや、アンタら。こんなトコで、前哨戦か?」

「ああ、和希。千香子は?」

「そう、いっつも一緒におるかいな。二階の、応援席におるわ」

「大沢さん。さっきは、どうも」

 絵里が、和希にも小さく敬礼してみせた。

「和希でエエて言うたやろ。コイツらは、今までの相手みたいに、簡単にはいかんで。まあ、足元掬われんように、気ィ付けときや」

 和希が、右手の親指で愛子と初花を指しながら言った。

「ちょっと、和希。アンタどっちの味方よ」

「どっちも、味方や無い。ライバルや。まあ、せいぜいオモロイ試合見せてや」

 初花が、肩をすくめる。

「大沢…じゃなくて、和希。シングルスで当たるの、楽しみにしてるよ」

「ああ。ダブルスの借りは、そこで倍返しや。アンタの先輩にも、言うとくんやで」

「ちょっと、愛子!」

 すみれが、トイレに駆け込んできた。

「なによ、慌てて」

「第一コートに、もう審判が来てるよ」

「いけね!そんじゃあ、後でね!」

 愛子と初花は、慌ててトイレを飛び出した。

「ずるい!絵里、まだトイレ終わってないよ!」

 絵里は、慌ててトイレのブースに駆け込んだ。

「あ、ウチもトイレやった」

 和希も、慌てて絵里の後に続いた。

「あーあ。みんな同じようなヤツばっかり」

 すみれは、肩をすくめて応援席へ向かった。


『小浜中学、塩田さん。至急第一コートへ来て下さい』

 場内アナウンスが、絵里を呼び続けていた。

「あの…。さっきトイレにいましたから、もうすぐ来ると思いますけど」

 愛子が、審判に申し訳なさそうに言った。別に、愛子に責任は無いのだが、ついさっきまで一緒にいた手前、なんとなく自分も悪いような気がしたのだ。

「首に縄でも付けて、引きずって来てくだされば、よろしかったのに」

 池澤麻衣が、軽くウェーブのかかった茶色い髪を、憂鬱そうにかき上げながら言った。

「あなたもペアなんだから、同罪よ。全く、決勝戦だって言うのに」

 審判をしてくれる、西田中学の三年生が、池澤に、咎めるような口調で言った。

「ペア言っても、それぞれが一個の人格ですわ。まさか檻に入れて管理する訳にもいきませんでしょ?」

 池澤が言い返すと、審判はハッキリと怒りを顔に出した。睨まれた池澤が、肩をすくめる。

「たった今、首に縄付けて引っ張って来いっていったじゃない」

 そう言った初花の方を見て、池澤は口に手を当て、コロコロと上品に笑った。

「そう言えば、言ったわね。今度から、あの子とペアを組む時は、うちの愛犬・カリーナのリードでも借りてこようかしら」

 そう言って、またコロコロと笑った。

 場内アナウンスが、もう一度呼びかけたとき、会場に絵里が駆け込んできた。

「お待たせしましたー!塩田絵里、ただいま参上!」

 意気を弾ませながら、審判に敬礼すると、愛子たちに向き直ってウインクしてみせた。

「お待たせ。さ、楽しもうね!」

「何してらしたの?こちらの審判の方が、とても良い方だからよかったけど、本当なら棄権扱いされているところよ」

 池澤は、シャアシャアと言うと、審判と愛子たちに、ペコリと頭を下げた。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。さあ、始めましょう」

 そう言われると、審判も何も言えなかった。

 軽いラリー。小気味良い音がしばらく続き、お互いのラケットを交換した。

 両面ともに、裏ラバー。それも、薄くて硬い、攻撃重視のドライブマン仕様だ。そして、塩田絵里と池澤麻衣のラケットは、二本とも全く同じ物だった。攻撃型ドライブマンが持つ、最終進化形のラケットが、この仕様なのだろうか。

 ジャンケンで勝った愛子が、サーブ権を取った。愛子の一本目。回転を効かせた、バックサーブ。絵里がドライブで返す。ただのドライブではない。曲がりながら、落ちてくる。

 初花が、ドライブで拾う。球速が上がった。池澤の、ドライブスマッシュ。合わせられる。愛子がラケットを出した瞬間、打球は鋭く曲がりながら落ちた。空振りなど、久しぶりのことだった。〇―一。

 愛子の二本目。同じフォームからの、ナックルサーブ。塩田のドライブ。打球は大きく曲がり、ネットを越えずにバウンドした。一―一。

「へえ。ジュニアで絵里とやった時より、ナックルサーブの精度、上がってるじゃん」

「プレイ中に、お喋りしないの」

 愛子に笑いかけた絵里が、池澤に咎められて、肩をすくめた。

 サーブ権の移動。絵里の一本目。回転系の、高速サーブ。変化がすごい。初花が、突っつきで返す。池澤のドライブ。鋭い横回転の打球が、曲がりながら落ちてくる。愛子が返した打球が、ネットに引っ掛かった。一―二。

 絵里の二本目。もう一度、回転系の高速サーブ。初花が、カットで返した。池澤の、ドライブスマッシュ。

空中で鋭く曲がり、台に着弾すると、さらに外へ逃げて行く。愛子のラケットが、再び空を切った。一―三。

「すごいドライブ。空振りなんて、ウチしばらく無かったのに」

「あれが、全国のトップレベルよ。あの変化に慣れなきゃ、試合にすらならないよ」

 頭を寄せて、囁きあった。

 サーブ権の移動。初花の一本目。一度体を沈め、伸び上がった。王子サーブ。池澤が驚いた表情を見せた。レシーブは、ネットに引っ掛かった。二―三。

「王子サーブがあるなんて、聞いてなくてよ、絵里」

「だって。池澤先輩から見たら、大した事じゃないと思って」

「ウソおっしゃい。忘れていたんでしょう」

 絵里が、チラリと舌を出した。余裕シャクシャクの会話が、ムカついた。

 初花の二本目。王子サーブ。池澤が、ドライブで返してきた。

愛子が返そうとしたが、回転の鋭い王子サーブをドライブで返された事で、打球におかしな回転が掛かっていた。球は愛子のラケットを弾いて、台の外へ飛んでいってしまった。二―四。

サーブ権の移動。池澤の一本目。一度沈めた体を、大きく伸ばす。王子サーブ。初花で経験した王子サーブとは、威力も球筋も全く違うものだった。

愛子は懸命にラケットを合わせたが、打球は自分のコートでバウンドし、ネットに引っ掛かった。二―五。

池澤の二本目。もう一度、王子サーブ。高い位置から、揺れながら落ちるその打球を、愛子は捕らえることが出来なかった。二―六。

「アンタら、何やってるねん!当てに行かんと、打ちに行かんかい!技術は逆立ちしても、勝たれへんねん。パワーで勝負せんかい!」

 怒鳴り声を上げる和希を、すみれが羽交い絞めで止めている。

「すごい応援じゃん。でも、絵里もそう思うよ。ガンガン打って来なきゃ、勝ち目無いって」

「あなた、試合中に敵にアドバイスして、どうするの?真面目になさい」

 池澤が、呆れた顔で絵里に言った。

「やれやれ、ナメられっ放しね。それじゃ、お言葉に従って、ガンガン行くよ」

「だよね。ウチらには、それっきゃ無いってか?」

 いきなり、審判がスコアボードを台に叩きつけるように置いた。その大きな音に、みんなが注目した。

「アンタたち!それ以上私語を続けると、没収試合にするわよ!」

「ハイハイハイ、始めましょう」

「すみません、もうしません!」

「サーブサーブ。ウチのサーブです」

 審判に怒鳴られて、四人は慌てて自分の位置に付いた。審判は、それぞれのチームを交互に眼で威嚇してから、フンッと鼻息を吐くと、台からスコアボードを取り上げて、愛子の方を手で示した。

 サーブ権の移動。愛子の一本目。回転のキツいバックサーブ。絵里がドライブで返す。変化がキツイ。構わず初花は、強引にドライブスマッシュを被せた。打球はネットに引っ掛かった。二―七。

「初花、どんまい」

「分かってる」

 愛子の二本目。同じフォームからの、ナックルサーブ。ドライブで返した絵里の打球は、自軍のコートにワンバウンドしてから、ネットを越えてきた。三―七。

「ちぇっ。ヤッパ、引っ掛かっちゃうよ。厄介なサーブねえ」

「貴方のドライブが、甘いのよ」

「絵里、甘くないモン。先輩も、打ってみれば、分かります」

 審判に睨まれ、絵里は慌てて首をすくめた。

 サーブ権の移動。絵里の一本目。回転系の高速サーブ。初花がドライブで返す。

池澤が、ドライブスマッシュを被せる。打球が早い。愛子のスマッシュ。打球は、勢い良くネットに突き刺さった。三―八。

絵里の二本目。同じサーブ。初花のドライブに、池澤がドライブスマッシュを被せる。愛子のカウンター。強烈な打球が台を叩き、金属的な音をたてて決まった。四―八。

ッシャア!愛子のガッツポーズ。左拳を、初花と合わせる。

「それやそれや!そのまま、ガンガン行くねんで!」

「ナイススマッシュ、愛子!初花も、ナイスアシスト!さあ、追い上げるわよ!」

 和希とすみれが、大声で声援を送ってくれる。二人とも、力が湧いてきた。

 サーブ権の移動。初花の一本目。ここは、当然王子サーブ。池澤はなんと、ドライブスマッシュで返してきた。しかし、必殺のはずの王子サーブを、池澤ならいきなり強打で返してくる力があることを、二人とも分かっていた。

 待ち構えていた、愛子のカウンタースマッシュ。稲妻のような勢いで台を叩き、絵里の左を突き抜けて行った。五―八。

 愛子のガッツポーズ。左拳を合わせる。声援が飛ぶ。

「やるじゃん。けど、絵里も負けないよ」

 絵里の姿勢が、少し低くなった。

初花の二本目。やはり、王子サーブ。池澤の、ドライブスマッシュ。愛子、渾身のカウンタースマッシュ。

絵里。瞬間移動のように消えた池澤の後ろで、待ち構えていた。スピードドライブを被せる。カウンター返し。

打球が、愛子と初花をゴボウ抜きにした後で、台を叩く音が響いた。音速を超える打球に、二人はおろか、周りの和希やすみれまで、唖然とした。五―九。

ここまで違うものなのか。上がってきた勢いを、一瞬で吹き飛ばされてしまった。気持ちで負けちゃあいけない。愛子は、気力を奮い起こした。

サーブ権の移動。池澤の一本目。王子サーブを、愛子は強引にスマッシュで返そうとした。打球は、ネットに突き刺さった。五―十。

池澤の二本目。トドメとばかりに、王子サーブを放ってきた。負けない。愛子はもう一度、スマッシュを叩きつけた。

池澤が、消える。絵里。被せてきたスピードドライブは、今の二人が対応できるスピードではなかった。打球が台を叩く音が空しく響き、第一セットが終了した。五―十一。

絵里と池澤が、強打を打ち始めた第二セット以降は、試合は一方的に進んでいった。

愛子のスマッシュは、ことごとくカウンターで返され、ナックルサーブにも慣れられて、エースの確率も下がっていった。

絵里と池澤は、どちらも殆ど同じ性能で、技術も、精神も、経験も、そしてパワーでも、愛子と初花を上回っていた。第二セットは、三―十一の完敗だった。

鋭く変化する二人の打球に、愛子と初花がやっとなれてきたのは、第三セットの終盤だった。

第三セット。カウント六―十。サーブ権が移動して、愛子の一本目。ナックルサーブ。

絵里は、下から摺り上げるように、ドライブを打ってきた。初花が、ドライブで返す。池澤の、ドライブスマッシュ。

鋭く曲がる。鋭く落ちる。だが愛子は、それをスマッシュで捕らえた。台をエグるように着弾した打球を、絵里がスピードドライブで捕らえる。しかし、打球は激しく自軍のコートを叩いて、ネットに突き刺さった。

ッシャア!愛子のガッツポーズ。初花と、左拳を合わせる。七―十。あと三点。

愛子の二本目。もう一度、ナックルサーブ。絵里の、ショートドライブに、初花がドライブスマッシュを合わせた。

池澤のカウンター。毒蛇のように凶暴な打球が、愛子を襲う。

負けてたまるか!愛子の、渾身のスマッシュ。カウンター返しの打球が、台を叩く。絵里のスピードドライブが、愛子のベストショットを上回った。

懸命に出した初花のラケットを弾いて、球は大きく逸れていった。七―十一。審判が、ゲームセットを告げた。

「県大会で、また当たるといいね。絵里は、楽しみにしてるよ」

 愛子も初花も、首を立てに振るのがやっとだった。握手をして、台を離れた。肩を落としたその姿に、すみれも和希も、声を掛けることが出来なかった。


 市総体が終わった。双葉中学の成績は、ダブルスで、愛子と初花のペアが二位。山村と庄野のペアがベストフォーで、どちらも県大会の出場権を獲得。

 個人戦は、三年生の赤木と二年生の結城が、ともにベストエイトで、県大会出場権を獲得。

 団体戦は、ベストフォーに残らなければ、県大会には出られない。双葉中学はベストエイトに入ったが、県大会への出場権は、得られなかった。

 ちなみに、和希は準決勝でフルセットを打ち合った末に、池澤麻衣に敗れた。結局決勝戦は、池澤麻衣と絵里の戦いになり、セットカウント三―二で、池澤麻衣が二年連続で優勝した。

閉会式が終わると、双葉中学の部員たちは、グリーンアリーナの前の広場に、全員集合した。

「みんな、頑張ったわね。特に、ダブルスのベストフォーや準優勝なんて、すばらしい成績よ。シングルスも、赤木さんと結城さんが、県大会へ行けるし。本当におめでとう」

 顧問の津田先生は、満足気な笑顔で言った。

「それじゃあ、ここで解散!」

 先生の号令に、全員で『ありがとうございました』と答え、帰路についた。

 広い公園の中を、バス停に向かってゾロゾロと歩いて行く。他の学校の生徒も大勢いるので、バスは混んでいるだろう。

 一年生五人は、なんとなく固まって歩いている。愛子と初花は無言で、それが五人の空気を何と重くしていた。

「こら愛子、初花」

 沈黙に耐えかねたように、すみれが口を開いた。

「初出場で準優勝しといて、何が気に喰わないのよ?」

「気に喰わないに、決まってるじゃん。準優勝ったって、あんな負け方したのよ」

「ウチも気に喰わない。絶対に、県大会でリベンジしてやる」

「何よ、元気あるんじゃない。落ち込んでるのかと思ったわ」

「ホント。まあ、愛子は怒ってる様にも見えたけど」

 二人の元気に安心したのか、詩織と茜も、会話に入ってきた。

「県大会まで、一週間。気合入れて行くよ、ケバ!」

「何、急に張り切ってんのよ。アンタこそ、トロトロしてんじゃないわよ、チビ!」

 他の三人が、声を上げて笑った。バス停が、見えてきた。バス停は、他校の生徒たちで溢れ返っていた。

 すし詰めのバスを二本見送り、三本目にようやく詰め込まれた。

四つ目の停留所辺りから、少しづつ人が降りて行き、七つ目のバス停で、ようやく普通に立っていられるようになった。

八つ目のバス停で、じゃあ、と言って初花が降りた。

やがて、スーパーの前に、バスが止まった。詩織と茜は、もう一つ先のバス停だが、愛子たちと一緒に降りてきた。

「何よ、アンタたち。もう一つ先じゃない」

 すみれの問いに、茜は笑いながら、無言ですみれの後ろを指差した。スーパーの前のたこ焼き屋。夕方の涼しい風に、いい匂いが混じっている。

「へへへ、お腹すいちゃった」

 詩織が言うと、愛子も笑って言った。

「ウチも。よし、たこ焼き食べて、頑張るぞ!」

「あたしたちだって、来月はカデットがあるんだもん。負けずに、頑張るわよ」

「たこ焼き食べて、か?」

 四人が、声を上げて笑った。五時を回っていたが、日は落ちていない。

また少し、夏が近づいていた。


(完)


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