BULLET:9
枝道から、跳ねるように車が飛び出す。
アスファルトにタイヤの跡を擦り残し、車は公道へ乗り入れ、加速をかけた。
必死の形相でハンドルを操りながら、サムは上空を通り過ぎていったヘリを横目に追っていた。
(警察? ロインの奴、余計なことを)
シートの間から真美が身を乗り出して訴えた。
「おじさん戻って!」
だが何かを思い詰めているらしいサムは、真美の声など雑音程度に聞き流した。
真美は身を引いて、後部の窓に張り付いた。
車はどんどんと遠ざかる。そこに居るはずの誰かを置き去りにして。
(こんなのってない!)
不条理の一言が思い浮かぶ。
車内に残る嫌な、焼けた肉の臭いが、ジムの凶行を思い出させる。
傷口を溶接するような、痛みに対する無頓着さ。
そんなものが、どうすれば生まれ出るのか理解できない。
そのような、理解できない生き方をしてきたのが……。
「ジム……」
ルームミラー越しに見た、銃口へと祈る彼の姿が蘇ってくる。
(違う、あんなの、ジムじゃない……)
真美はそんなジムと、誘拐事件の時に瞳をのぞき込んでくれたジムとの間に、気妙なズレがあると感じていた。
あの優しい目をした人を狂わせる何かとは、何なのだろうか?
だから、尋ねる。
「ねぇ……」
真美は尋ねた……美幸へと。
「市民権って……そんなに良いものなの?」
本当にわからなかったのだ。
生まれたときから当たり前のように持たされていて、そんなものの存在など確認したことすらないのだから。
美幸は……迷うように視線を漂わせた後で、コクリと頷いた。
「なかったら……」
美幸は俯いて、前髪を垂らしてで顔を隠した。
「なかったら、あたしたちは、野良猫以下だもん」
そこには、凄まじいまでの実感が込められていた。
「……ゴミを漁って、自動販売機やお店を荒らして、追い立てられて……そうでもしないと、生きていけなくて」
「だからって……」
美幸は怒りを込めて吐き出した。
「でもそうしないとっ、ジムが好きでやってると思ってるの!? 『美幸ちゃん』みたいに殺されちゃう子が……、真美だってそうなってたかもしれないのに! あたしだって」
えっぐと、しゃくり上げる。
「『美幸ちゃん』を、殺してる……」
ぐっと詰まる、何も言い返せなかった。
加奈子という子が、美幸として存在することで、本物の美幸の存在は無かったものになっている。
もし本物の美幸が生きていたなら? その子が帰ってきたなら、彼女はなんと言うだろうか?
実の父母ですら、代替え品を娘として扱っているのを見て、娘は行方不明になどなっていないと、なかったことにしているのを見て、なんと口にするだろうか?
真美とて、本当なら昨夜の内に、殺されていたかも知れなかった。
そうならなくてすんだのは、ジムのような不正規の存在があったからだ。
代わりに怪我をして、させられている人間が居たからだ。
美幸は語る。
「あたしたちなんて、蚊やゴキブリと同じだよ……うっとうしくても、見逃してくれる? うざったいって、追い払うでしょ? 叩くでしょ? ……殺すでしょ?」
同じ生き物ではないのだと言う。
「お風呂にも入ってないような、臭いだけでむせて吐きそうになる人を抱きしめられる? 遠ざかるでしょ?」
だったらと言う。
「同じ『人間』として、見てもらえるように、しないと……」
真美を見る。
「真美が、ジムに、どうしてって思うのって、ホームレスに見えないからでしょ? あたしにだって、そうは思わないのは、あたしたちが、同じ人間に見てもらえるようにしてるからじゃないの?」
だから、悩んでくれるんでしょ? と、彼女は問うた。
──人間って、なんだろう?
真美はそんなことを考えた。
実際、そうだろうと思ったからだ。ジムが守ってくれた。助けてくれた。
優しくしてくれた。だからこそ、彼のことが気になるのだろう。
これがただのホームレスであったなら、どうだろうか?
銃で撃ち合い、ナイフで斬り合う。ホームレスとはそういう人たちなのだと思ったなら、いなくなれば良いと思うのではないのだろうか?
迷惑だと、怖いと思うのが普通だろう。
(ママ……、心配してるかな)
唐突に、思い出す。
ほんの脅しだと、小遣い稼ぎだと騙されて、乗せられたのだという母親のことが。
小遣い稼ぎに、狂言誘拐を企み、父から大金をせしめようとした母。
どれだけ平和ボケをしているのかと問いたくなる。
だがそれが、美幸の言う、市民権を持った人間なのだと、気がついた。
(なにをしたって、昨日と同じ今日があって、今日と同じ明日が来るって、なんの保障もないのに信じられるようなゆとりがあるから、そんなことだってできちゃうんだ……)
必死に生きていないから。
がむしゃらに生きる必要もないから。
狂言誘拐すらも、日々の刺激程度に思えるのだろう。
保護や保障を与えられ、なんの不安もなく生きている。
なにもなくなりはしない、失うことはない。
そんな信仰を支えているのが……。
(市民権)
沈黙が満ちる。それを打ち破ったのはサムへの連絡であった。
「……わかった」
携帯電話を胸ポケットへとしまい込む。
「……まだ、なにかあるの?」
真美は恐いながらも尋ねた。
ここまで来ては、もう無関心ではいられなかった。
サムは重苦しく吐息をこぼした。
「……旧東京湾沿岸に浮かんでいたタンカーが動き出したらしい。奴らは街を火の海にするつもりだ」
真美はゾッと青くなった。
『おかげでもっとヤバい計画が』
スペンサーが口にした、意味のわからなかった皮肉について思い出す。
「そんな!?」
「テロリストを気取ったって、奴らは素人の集団だからな。世間に訴えるとかなんとか、くそ! やる事が極端なんだよ!」
サムの焦りに、真美は掠れた声を出した。
「そんな……、嘘でしょ?」
「嘘なもんか」
サムは真実味を持たせるために声を抑えた。
「もうあと何時間か後には、旧東京湾岸部は火の海だ」
「け、警察は……」
「……警察は『手順』があるから即応できない。今頃沿岸警備隊との折衝で泡食ってるだろうな」
「どうしよう……、どうしよう!?」
だから……という。
「……あいつに頼るしかない」
サムはそう言って車をターンさせた。
「きゃ!?」
真美は、倒れ込んできた美幸に驚いた。
「美幸?」
顔面蒼白、その上で、美幸は己の体を抱いて震えていた。
「また……、まだお兄ちゃんに」
「ああ」
サムは娘に対しても容赦が無かった。
「人殺しをさせたくないなんて、確かに偽善だったな……」
それがどういう意味なのか?
美幸の憤りを真美が奪う。
「だったらっ、州兵とか、だって!」
ジムでなくても──その希望は砕かれる。
「本国の指示で動きゃしないさ」
「どうして!?」
「中露への警戒で精一杯だからな」
「そんな!」
真美の頭の中に、先程の血で塗れ合う二人の様が蘇って来た。
その身に刻まれた深い傷。
あのような事……、今度はもっと酷いことになるかもしれない。
なによりも、知り合いが、あの優しい目が、くすんでいく、歪んでいくのは、恐怖であった。
「だめっ、そんなの!」
「あのなぁ」
サムは先程逃げ出した脇道に車を入れた。
「……湾岸大火災が起こったら、どうなると思う?」
「どうって……」
真美が思い浮かべたのは、炎の海に沈む街だったが、サムが言っているのはそういうことではなかった。
「……ジャパン政府は、この街を切り離すぞ」
もっと大きな、それは政治的な対処であった。
「湾岸部……水没指定の立ち入り禁止区域に一番多く住みついているのはホームレスだ。だが政府は、公式にはホームレスの存在なんて認めてない。けどな、そこに居る以上、火災が起きれば死傷者が出る。もしかすると、その中には市民権を持っている人間がいるかもしれない。となれば、見分けが付かない以上は、全ての負傷者を収容しなければならないし、死者も回収しなければならない」
それがどれだけの作業となるのか。
どれほどの資金が必要な作戦となるのか。
搾取を受け入れるという屈辱に耐えてまで、日本は身売りをしたのである。
「そんな金、どこから出すっていうんだ。人道支援とか、災害対策とか、そんなものは金と余裕があるからできることだ。それがないジャパンって州は、この街をまるごと捨てるぞ。州都を移動して、あとは知らんぷりだ」
もっとも……と続ける。
「首相は、その状況を利用するかもしれないがな。湾岸部は土地の沈降と海面上昇で見放された封鎖区域がほとんどだ。そこで火災が起こったところで、死ぬのはホームレスが大半だ。再開発もやりやすくなる。州都を移動した上で、真っ新に……」
「そんなっ、お父さんはそんなこと!」
「ホームレスを見捨てるような真似はしているのに?」
あまりにも痛烈だったかもしれないが、真美を黙らせるには十分な効果を持っていた。
「この州だけが、知事制度を取ってない理由がわかるか?」
唐突に話題を取り替える。
「責任を取らせるためさ」
「え?」
「首相はそのための首にすぎない。この州の政策について、決定は全て本国の議会で行われている。首相はただのお飾りだ」
「嘘……」
愕然とする。
選挙で選ばれた代表である……、と当然のように思っていたからだ。
(選挙?)
はっとした。
選挙権を持っているのは、誰なのかと考えて……。
想像をする。テレビで勝手な事を言っていた、評論家、批評家達……。
的外れな父への総括。
父は、それらに対し、軽く突っ込み、笑っていた。
だが裏を知ると笑えなかった。そんな父に対する批判や応援の中には、姿の見えない亡霊のような彼らの声は反映されていないのだから。
ぞわぞわとする。
父は、彼らの意見について肯定も否定もしていたが……『彼ら』とは誰のことだったのだろうか?
父は、ホームレスという存在を、勘定に入れた言葉を口にしていただろうか?
市民とホームレス。どちらの人口が多いのかはわからない。
だが選挙は『市民』だけで行われ、父は有権者に対する言葉だけを耳に入れていた。
それはどうしてなのだろう?
「同情はできるさ。本国が本当に欲しいのは橋頭堡なんだ。米軍を駐屯させるための巨大な基地だよ。ジャパニーズなんてどうだって良い。もし本国の切り離し政策が行われたら、この州は本当に駄目になる。だから本国へと、税金という形で貢がなきゃならん。有益だと示さなきゃならないんだ。そのためにはホームレスなんて無一文の連中のことなんて考えてはいられんさ。想像して見ろ。明日からは君も、君の友人も、その周りの人間も、テレビの向こうの連中だって、みんな一斉にホームレスになる。そんな未来が来たらどうなると思う?」
一切の庇護を失うのだという。
「今までホームレスを毛嫌いしていた連中が、今度はホームレスになるんだよ。認められると思うか? そんな風になることを。これまでぬくぬくと生きて来た連中が、そうなってしまったとして、これも現実なのだと認めて生きていくことができると思うか?」
そんな混乱を避けるためにはと説明する。
「現状を維持し続けることが最低限必要なんだよ。そのためにはホームレスのことなんて気にしてられんさ。お飾りはお飾りなりに頑張ってるってことだよ。良心を削って、本国に尻尾を振って、右と左、守れる方だけを選んで守ってる」
だからこそ、と。
「首相は、全てを台無しにする道は選ばない。選べない。この列島の三分の一を任されている人間として、その十分の一以下の面積を守るために、終始することなんてしない」
高潔だという。
「俺が知ってる君の父親はそういう人だ。もしそんな道を取れば、自分の首がどうなるかなんて考えるまでもない。それでもやる。きっとな。けど」
顔をしかめる。
「見捨てられた連中がどうなるか……」
捨てられる街に取り残される人間がどうなってしまうのか。
「ホームレスは、君たちピープルを憎んでる。うらやんでる。もしそんなことになったりしたら、連中は、ここぞとばかりに狩りの獲物にするだろうな、新参者を。今まで自分たちのことを、よくも……ってな」
「……真美もだよ?」
美幸の押し殺した声に、真美は素直に頷いた。
「真美のパパの仕事が無くなっちゃったら」
「わかってる……」
真美と美幸は、お互い俯きながら視線を交わした。
もしそのようなことになったりすれば、真美はどちらの側にも居られなくなってしまうだろう。
虐げる政策を取ってきた人間の娘として……。
最悪の選択をした男の家族として……。
何回書き直しても、会話が破綻してる気がする(´・ω・`)大丈夫かな