BULLET:7
「くっ、う!」
自在に繰り出されるナイフをかろうじて避け、ジムはお返しとばかりにスペンサーの頬を浅く裂いた。
朝日に、鮮烈に血が光る。
「そんなに市民になりたいのなら、お父さんにお願いしてあげるからぁ!」
泣き叫びが霧を散らすように辺りに響いた。
真美は……頬を、腕を、足を、撫でるように裂かれ、血でまみれた男達に恐怖していた。
一つの傷ができる度に、痛みを想像してすくみ上がってしまっていた。
そんな真美を肩越しに見て、スペンサーは「ははっ!」っと笑った。
「聞いたか? 市民にしてくれるんだとさ!」
「ああ!」
ナイフを繰り出すと見せての左拳にジムはよろけた。
「国が、……俺達を捨てやがった国がくれなかったものを、お嬢さんが『パパ』にお願いしてくれるんだとさ、ふざけるなぁ!」
ナイフを順手に持ち変える。
「税金が払えなきゃ市民じゃねぇ! 保証もなんにもしてくれねぇっ、助けてもくれなかった奴らが、首相令嬢の『お願い』を聞いてくれるわけねぇだろうが!」
突き出されたナイフがジムの左腕を深くえぐった。
(動脈、切れたか!?)
吹き出した血に焦るが、ジムは考え過ぎだとねじ伏せた。
「自分の男と、母親の男と、どっちが勝つかようく見てろ!」
(耳鳴りがしやがる……)
ジムは、それも気のせいだと思うことにした、が……。
(違う!)
ジムは、はっとスペンサーの、さらには真美の背後に目をやった。
「始発か!?」
「え!?」
ジムの声に背後に顔を向ける真美。
「嫌だ、ちょっとぉ!」
ガタガタと椅子を揺らして逃げようとするのだが……。
「きゃ!」
その場で倒れてしまった。
「嫌ぁ!」
電車が迫って来る。耳鳴りの正体は列車の発する音だった。機関員は線路上の『物体』に気がついていない。
まだ、霧が晴れきっておらず、見えていなかった。
(轢かれる!)
真美はギュッと目を閉じた。
「真美!」
ぐいっと引かれる感じ、間一髪、転がった脇を列車が駆け抜けていった。
真美は、何故、どうしてと、目を丸くして、自分を引っ張ってくれた恩人に驚いていた。
「美幸!?」
「よかった、間に合って……」
ふぅっと息をつく。
「くっ!」
「ジム!」
美幸の叫びにハッとする。
「ジム!」
ジムは左手でナイフを払いのけていた。
切られた腕は上手く動かず、盾の代わりに振り回すしかなかったようだ。
──ゴッ!
さらに、体勢の崩れたスペンサーの頬を、ナイフのナックルで殴り付けもした。
──ゴォン!
爆風が、真美を、美幸を、ジムを、そしてスペンサーを吹き飛ばした。
(もう十五分経ったのか!?)
ジムは焦りを交えて、真美と美幸の姿を探した。
煙のわりには炎が少ない。それは正しく、爆発したのは真美の椅子のものとは別の爆発物であった。
はっとする。
「スペンサー!」
吠える。
姿が消えていた。車の走行音が遠ざかっていく。
爆発したのは、ただの煙幕弾だった。
「……逃げる気か?」
「ジム!」
車が線路に乗り上げて来た。
ウインドウを開き、サムが叫ぶ。
「乗れ!」
「ああっ!」
「あ、置いてかないで!」
ジムは行きかけて、慌てて真美の元へと駆け戻り、血まみれのナイフで拘束テープを切り裂いた。
「大丈夫か?」
「ああ」
運転は任せて、ジムはコートを脱いで丸めた。
ひっと、背後で二つほど小さい悲鳴が上がったが、気にしている余裕は無い。
左腕半ばから、血がじわりと滲み出している。
「深いな?」
眉をひそめて、サムが尋ねる。
「血管は?」
「いける、切れてない」
指を使って傷口広げ、確認し、ジムは信じられないような行動に出た。
「やだ!?」
二人の少女は目を閉じた。
じゅっと、嫌な音がした、次いで肉の焼ける香りが鼻孔をくすぐる。
カーライターを押し当てて傷口を焼いて溶接したのだ。
車内に嫌な匂いが充満する、うげっと真美と美幸は口を押さえて窓を開けた。
ルームミラーで、えずく子供たちに顔をしかめ、隣の男に自重しろという。
「……派手に動くとまた開くぞ?」
「その前になんとかする」
わかっていて焼いたとは言え、熱くなかったわけではない。
頬が引きつって上手くは喋れないようだった。
「無理をするな、お嬢さんは取り戻したんだ」
「だめだ」
ジムは首を振った。
さらに脇のホルスターから銃を抜く。
「ここで逃がせば、あいつは何度でもやって来る」
決意を孕んだ言葉に、真美は弾ける様に顔を上げた。
「ねぇ? どうしてそんなに市民になりたいの!?」
美幸に縋り付いて泣きながら尋ねる。
「今だってみんなと一緒でしょ? お店に入って、普通にご飯を食べて、ねぇ? どうして市民になりたいの!」
ぎゅっと……、力が篭った。
美幸の腕に。
「美幸?」
抱く腕に込められた力に、真美は美幸の顔を見上げた。
そこには、真美の知らない美幸が居た。
酷く辛そうに唇を引き結ぶ、知らない女の子の顔があった。
「……誰も、守ってくれないもの」
「え?」
くぐもった声には、やけに実感が篭っていた。
「……殴られようと、犯されようと、死んでも、生ゴミ扱い。それがわたしたち、ホームレスよ」
「美幸?」
(わたしたち?)
真美は美幸の話を理解できなかった。
まさか、美幸の正体が、ホームレスの女の子だと、想像もしていなかったからである。
「ホームレスにはね? 人権が無いの」
ぽたぽたと……。
真美の手に雫が落ちて来た。
「美幸……、泣いてるの?」
美幸の目元を拭ってやる。
その手を、美幸ははね除けた。
「人殺しになっても百倍もマシなのよ、市民って!」
サムは、困惑している真美に暴露した。
「美幸はホームレスの女の子なんだよ……俺の子じゃない」
「サムおじさん?」
過多の情報に、真美の頭はこんがらがってしまっていた。
「美幸が……、ホームレス?」
だって、と、サムを見る。
「俺が拾って、行方不明になった娘の代わりにした」
「代わり?」
「……そんなもんだよ。人口だけが過剰で、物価が高く、だが就労場所を提供できない。しかし本国政府の期待に応えるためには、多大な税収入を確保しなければならない。金満国家の伝説を当てにして、アメリカは日本を買い取ったんだからな? ジャパンはそれに応える義務があるのさ。それがジャパンなんだ、わかるか?」
真美は青い顔をして首をフルフルと振った。
「……わかれよ。税金と保険料、その他、金を収められるやつだけが人間なんだ。金づるとして存在意義を認められてるだけなんだよ。だから、金払いのいい連中を……『市民』を養うのが精一杯で、それ以外を救ってやってる余裕なんてない。それがジャパンって州の正体だ」
「パパ……」
苦渋を浮かべるサムに、美幸も胸の痛むような声を漏らした。
「……だがな?」
一転、サムは安心させる様に声を和らげた。
「俺は美幸を……、『加奈子』と呼べなくても、美幸の代わりなんかじゃない、俺の娘だと思ってる」
「うん……」
美幸は顔を伏せるように、前席の背に額を押し付けた。
「美幸……、泣かないで」
ぽたぽたと滴が跳ねる。
真美は見ていられなくて、美幸の背をそっと撫でた。
「お前も……、もういいんじゃないのか?」
そんな二人をルームミラー越しに微笑んでから、サムはジムへと話を振った。
「……俺はもういいんだ。美幸だってこんなことを望んじゃいない」
「それを決めるのは俺だ」
「俺が知らないとでも思ってるのか?」
一瞬、空白の時間が生また。
「美幸……、お前が見付けて、埋めたんだろう?」
車内が沈黙で満たされた。
「知ってたのか?」
「やっぱりか……」
ジムはちっと舌打ちして、顔を背けた。
「わかってはいたさ……、あれほど殺しを避けていたお前が、突然……、おかしいってな」
「そうか」
話しながらも準備は進める、ジムは血糊の付いたナイフをコートの裾で拭った。輝きを確かめる。
そこに映るサムは顔をしかめていた。
「美幸はもう帰って来ない、それが事実だ」
「わかっているさ」
「わかってないだろう?」
サムは剣呑な目を向ける。
「美幸が本当に、お前がそんな風になることを望んでると思ってるのか?」
ピタリと……。
サムの喉元に、ジムの持つ白刃が当てられた。
堪えきれずに漏れ出す殺気が、黙れと、何よりも雄弁に物語っていた。
「……遠足を楽しみにして、弁当箱を買って、……許せるわけがないだろう?」
初めての遠足だと、小学校に入ったばかりで、はしゃいでいた。
「お前が殺し屋になって喜ぶと思ったのか?」
「望んでないのはあんただろう」
ジムは刃を当てたままで吐き捨てた。
「人殺しまでさせる気は無かった? 汚い仕事はさせても、最後の一線だけは越えさせるつもりはなかった? なんて言うなよ?」
ナイフを引き、背中側の鞘へと、ぐっとはめ込む。
「潜入調査って名目のスパイが欲しかったんだろ? 情報を流すだけで殺しをやらせるつもりはなかった? 違うな、あんたは結局、俺が殺しに慣れていくのが辛いんだろう?」
続いて銃を抜き、弾層と予備のマガジンを確認する。
さらにジムは、ダッシュボードから、勝手に弾を持ち出しにかかった。
サムは吐き出すように、重く、答えた。
「ああ……、そうだ」
サムは本音を持ち出した。
「市民として登録されていないお前なら……、確かに誰を殺したって罪には問われんよ。ジムなんて人間は存在してないんだから。存在しない人間を捕まえることはできない。だがな、お前は許せるのか!?」
「……前を見てろよ」
「自分を許せるのか!? 美幸に会わせる顔があるのか? 答えろ!」
「復讐なんかじゃない」
「じゃあなんだ!」
「憧れだった」
「なに?」
道が混んできている。朝の通勤ラッシュが始まりつつある。
サムはちらちらと横を向く。しかし俯いたジムの顔はよく見えない。
「白い家、幸せな家族、すくすくと育っていく赤ん坊……。あんたは俺の理想だった」
ジムは背筋を伸ばすように仰向いた。
ばさりと髪が後ろへ流れる。
「だから……、許せなかったんだ」
カートリッジを戻し、スライドさせて弾を装填する。
その目は、銃に宿っている死だけを見ている。
「……幸せを壊して、のうのうと生きてる奴らが許せなかった」
ゆっくりと前を向く。
グリップを両手で握り、銃口を額に当てて祈るようにジムは目を閉じた。
「……結局、お前の勝手な想いでやったことだと言うんだな?」
「そうだ」
ジムの口から、熱い息と共に、復讐の言葉が吐き出された。
「美幸のためなんかじゃない。俺から美幸を奪ったあいつらを、俺は絶対に許さない」
ジムは呪いを掛けるように、ゆっくりと全てを思い出していった、忘れかけていた感情を。
サムに、初めて美幸を抱かせてもらった時のことを。
ホームレスの自分がと遠慮した。だがサムも、彼の妻も、ジムは家族だからと許してくれた。
とても小さな命だった。
だのに、まだ赤ん坊だというのに、命は溢れてこぼれていた。
落としかけて、笑い声が上がって、泣き出されて、慌てて。
それでもだぁだぁと……。
(そうだ、思い出せ!)
市民もホームレスもなく、無邪気に、等しく愛してくれた幼い少女を。
(思い出せ!)
ジムの瞳から、優しいものが、くしけずられていく。
(俺は、奴らを、許さない)
ジムはホルスターに銃を戻した。