BULLET:6
「ここ、か……」
美幸へと残されたスペンサーの伝言に従い、ジムは隣県との境になっている、山中へと車を乗り入れた。
州でありながら、その中には都道府県があり、幾つかはジャパンのような横文字や、他国語の名称へと変更を受けている。
一国が、戦争ではない形で消失したことへの混乱が、そのような部分に現れていた。
強制や、圧力による統治という形が取られず、民主的な配慮がなされたために、このような混沌を招いてしまっていた。
鉄道線路の上に立つ。もうすぐ始発がやって来るだろう、朝もやの中で、ジムは敷き詰められている砂利と枕木を踏んで進んでいく。
「ジム!」
霧の向こうに真美がいた、パイプ椅子の背にテープで括られて座らされていた。
暴れる度にガタガタと椅子は激しく揺れる。
彼女の顔に浮かんでいる不安と安堵に、ジムは頬を引き締めた。
「よう、ジム」
その隣には彼もいた。ジムはゆっくりと脇の下から銃を抜いた。
「スペンサー……」
「おっと、これが何か……わかるよな?」
おどけるように、真美の足元を爪先で示した。
テープでまとめられた足首の真横、椅子の足に何か別のものが巻き付けられている。
「C4か……」
「そう、で、起爆装置はここだ」
左手を挙げる。
「このスイッチを離せば十五分でドカンだ」
「十五分?」
「そうだ。長いだろ? チャンスをやるよ」
タン! と、ジムの足元で銃弾が跳ねた。
「チャンスだと?」
スペンサーの右手にある銃を、剣呑に見やる。
スペンサーはその銃口を揺らして見せた。
「面白いだろう? 政府の犬と敵が、同じ市民権ってぇ餌に釣られて争うんだ。もっとも」
揺らしていた銃口を、ジムの眉間へとぴたりと合わせる。
「俺はもう、市民にはなれないだろうけどな?」
引き金が引かれるよりも一瞬早く、ジムは右へと跳んでいた。
美幸は、行かせて良かったのかと悩んでいた。
だが他に頼ることもできなかった。
(ジム……)
父の隣で、車中で、美幸はジムとの会話を回想する。
──あたしのママも、ホームレスだったけど。
「詳しく話したこと、なかったよね?」
おどおどと脅えた目を向けると、ジムが優しい目をして、先を促していた。
美幸の母親は、サムの妻ではない。
別の人間であったし、父親もまた違っていた。
サムの一家と美幸とは、血が繋がっていなかった。
その屋根無しの親子は、雨が降ってもずぶ濡れになって過ごしていた。
母を見上げる娘は、悪寒を堪えて唇を真っ青にしてふるわせていた。が、それは母親も同じであったし、どうしようもない事柄でもあったのだ。
軒先を借りることさえ許されずに、二人は薄汚れた服を着て歩いていた。
その服は、死んだホームレスからの租借品である。
自分たちが死んだ時には、剥ぎ取られ、また別の誰かの手に渡るであろうものであった。
その街は、そうした形が当たり前の事柄であった。
「でも、それをパパが拾ってくれた……」
美幸は、まるでこれまでの態度を償うように、告白を続けた。
『へイ!』
ジャパン支部に派遣され、サムが見たのは、本国のスラムよりも酷い世界であった。
排他的なジャパンという州は、前世紀の政策による被害者であろう彼らを、救うどころか、ただ生活圏から追い立て、追い出し、清潔に『清掃』するだけの方策を推し奨めていたのだった。
そこには、人道的な見地など存在してはいなかった。
そうやって、危険地帯として封鎖された区域へと追いやられていった者たちは、病や、飢えや、苦しみのために狂うか、壊れるか、死んで行く。
「あんまり気持ちのいいものじゃなかったよ」
「サム……」
「コーヒー、飲むだろ?」
運転席に乗り込んで、サムは二人それぞれにカップを渡した。
美幸はジムの胸に擦り寄ったままで、両手でカップを受け取った。
「暖かいね……」
「ああ……」
美幸の呟きに答えたのはサムだった。
「……俺がライトを当てながら近寄るとな? 美佐子が……、美幸の母親なんだが、飛び掛かって来たんだよ、逃げろって叫びながらな?」
土砂降りの雨の中、サムは美佐子に組み倒されて、どうしたらいいものか慌てたと言った。
痩せこけた女の何処に、これほどの力があるのかと、疑うような気迫であったが……跳ねのけるのは簡単だった。だが、それをためらわせるものがあったのだ。
細過ぎる腕が、あっさりと折れてしまいそうで恐かったのだと言う。
サムは首を締められても、結局は耐えたという。
握力のなさを、哀れむ余裕もあったというのだ。
それほどに美幸の実母はやせ衰えていた。
「それで?」
「大荒れさ」
肩をすくめる。
「美佐子は話を聞ききゃしないし、美幸は泣き喚いて動こうとしないし」
「……で、引き取ったのか」
「ああ、美佐子は無理だったが……」
「ああ……」
気がつけば美幸の体が震え始めていた。
コーヒーが縁からこぼれる。跳ねたものが、ジムのシャツに染みを作る。
ジムは腰に腕を回して抱き寄せた。
寒気を打ち払えるよう、体をさすって温めてやる。
それはまるで、妹に、血を別けた肉親に対して、接しているようであった。
「『美幸』……、か」
ビクリと、『美幸』を名乗っていた少女が脅えた。
「……もう死んだものだと思ってるよ、行方不明になって十年だ」
美幸とは、サムの実子の名前であって、それは彼女の本名ではなかった。
行方不明となっている『美幸』の戸籍は、現在は彼女のために用いられている。
「恐いの……」
今、ここに居る美幸は、一層震えた。
「真美……、あたしを親友だって言ってくれてるけど、あたし、パパの子供だってふりをして……、バレたらどうなるのかって、それを考えると」
何も言えない、言えるはずが無かった。
消息不明の女の子の戸籍を借りている偽りの存在などと、どうして告白できるだろうか?
美幸の正体は、市民のふりをして紛れ込んでいる、ホームレスである。
これは重罪であった。ジャパンにおいて、ホームレスに市民権は与えられていない。
不法滞在者であり、人権は認められていないのだ。
そんな存在が、成り代わりを演じて、市民権を悪用していることになるのだから。
美幸は、だからこそ、ホームレスに共感を抱いたり、近寄ってはならないのだと、自分を戒めていた。
決して気付かれてはならない、悟られてはならないことであるから……。だから、表向き、美幸は過剰なまでにジムを嫌って見せていたのである。
心ですまないと、詫びながら。
蔑みの言葉が、全て自分にも当てはまるものだと、傷つきながら。
「やめてぇ!」
悲鳴を上げる真美の前で、二本のナイフが甲高い音をぶつけ合った。
アーミーナイフを逆手に持つスペンサーと、ナックル付きのコンバットナイフを絶えず繰り出すジム。
お互いの顔には、異常なまでの憎悪が張り付いていた。
スペンサーは殴りつけるついでのように振るい、ジムのコートの胸を裂いた。
「くぅ!」
ジムもまた一歩下がりながら、下から上へと斬り上げた。
ビイッと、スペンサーのコートに裂け目が生まれる。
「ふっ、あ!」
それでも、恐れもしないで、スペンサーは間合いを詰めて蹴りを放った。不安定な状態で受け止めたジムは、派手に砂利の上を転がされることとなった。
「お前もっ!」
一回転して起き上がるジムに、スペンサーはボールを飛ばすような蹴りを放った。
「俺と落ちろ!」
ジムは脇に引いていたナイフを突き出した。
スペンサーの足に細い筋が入り、直後にぱっくりと切れて血が溢れ出した。
真美は泣きじゃくり、叫んだ。
「どうしてそんなに市民になりたいの!? おかしいわよ!」
自分にとって当たり前のこと、それが殺し合いを演じてまで奪い合わなければならないのだと、真美には理解できなかった。
スペンサーはそんなお嬢様に簡潔に答えた。
「『市民』じゃなきゃ、『人間』じゃないからだよっ、なぁ、ジム!」
血が流れたぐらいでは怯まない、斬られた瞬間は熱くとも、銃で撃たれたわけではないのだから。
それ程には、痛みもショックも来はしない。
二人はその程度の痛みに堪えるだけの精神力を持ち合わせていた。
持たなければ生きて来れなかった。彼らにとって、この程度は慣れていて当然のものであった。
「教えてやれよ! 俺達は……、ゴキブリやドブネズミよりも惨めに生きて来たってなぁ!」
二人のナイフは閃き合った、その様な環境で培われて来た精神は、痛みなど無視できるようなものだという、特異な認識を与えていた。
切っ先が触れ合う度に生理的な嫌悪感をもよおす硬質な音が響き出る。
ジムは目の前の狂気に集中しながらも、心でスペンサーに応えていた。
(そうだ、俺も憧れていたよ……)
ナイフの煌めきの中に、様々な記憶が垣間見えた。
初めてサムに会った日のことが。
サムが、結婚したと指輪を見せてくれた時の驚きが。
娘が生まれたと、だらしなく目尻を下げた喜びの表情が。
誘拐された時の号泣、嘆きと悲しみと、崩れ落ちている夫婦の姿が。
(すまない、サム!)
ジムはサムの娘の行方を知っていた。
他ならぬ彼女を見付けたのはジムだったからだ。
貯水層の中で、ガスによって膨れ上がっていた。
ウジも沸いていた。
目玉から口から虫が沸いていた、耳からもこぼれていた。
それでもその顔を見た時に、ジムにはその子が『美幸』であるとわかってしまった。
例え認めたくなかったとしてもだ。
FBIに対する見せしめの行為であった。そのためにサムの娘は狙われたのだ。
変わり果てた彼女を抱きしめた時に、ジムの中で何かが切れた。
壊れて、砕けた。
計画の首謀者をつきとめたジムは、同じ苦しみを味合わせるために……。
(自業自得だ)
その男の子供も、関係の無い存在であった。だがそれがどうしたというのだろうか?
子供の鞄に爆弾を忍び込ませ、その日、そのごく普通の家庭を、ジャパンから永遠に消し去った。
『美幸』の仇を討つために。
そして、それからもジムは、ひたすら人殺しを続けて来た。
終わりなど、いつしか気にしなくなっていた。
市民などという夢も見なくなっていた。
大切な何かが失われたから。
壊されたから。
腕に熱く焼けるような痛みが走った、血も滲む。
痛みが現実へと引き戻す。
それさえもジムは怒りに変えた。
記憶を蘇らせることさえ許さないのかと。
(お前らがくり返すから!)
ジムは気力をさらに高ぶらせていった。