BULLET:5
低く唸るように、エンジンの震動が体に響く。
真美は、両手首、両足首をガムテープで縛られ、その上でシートベルトによって固定されていた。
「むぅーーー!」
訴えてはみるものの、口を塞いでいるガムテープが邪魔で、くぐもった呻きを漏らすことが精一杯であった。
不格好に固定されてしまっているためか、真美は強ばる体をむずがった。
身じろぎをしてみるのだが、ベルトが食い込み、痛みが増しただけであった。
そんな様子に、誘拐犯が声をかける。
「悪いな。静かにしてくれるなら、口だけは勘弁してやるよ……、どうだ?」
真美は誘拐犯を見た。
そして気がつく。
(このコート……、ジムと同じ?)
熟考の末、真美は頷いた。
コートの色は白った。色違いであるが、サイズのわりに厚みがある所もそっくりだった。
男は苦笑しながら、真美の口に手を伸ばした。
ハンドルを操りながら、べりっと剥がす。
「ぷはっ……」
(臭い……)
勢い込んで吸い込んだエアコンの風に顔をしかめる。
「不安か?」
その様子を、男は勘違いして尋ねた。
「殺しはしない……予定だが、とりあえず餌にはなってもらう」
「餌?」
「ジムの」
「ジム?」
真美はキョトンとした。
この誘拐は、父親に関するものの続きだと思っていたからだ。
「知らない……、とは言わせない」
それまでは、多少なりとも柔らかだった瞳が鋭くなって、真美を射貫いた。
親しいと、なにか勘違いされているのだと思い至る。
「知ってる……、けど」
躊躇しながらも、おずおずと尋ねる。
「誘拐……、じゃなかったの?」
「ふん」
鼻で笑われた。
「その計画ならおじゃんさ」
トンッと、ハンドルの上で人差し指が跳ねた。
「おかげでもっとヤバい計画が動いてる……。ま、自業自得だと諦めてくれ」
(どういう意味?)
計画について訝しむが、危険な香りを敏感に察して、尋ねることはしなかった。
「ジムは……」
だがそれでも、彼の事だけは気になり、知ろうとする。
真美の足は震えていた。
「どうして、ジムを?」
「知りたいか?」
男はうすら笑いを浮かべて真美を見た。
「じゃあ電話をしている途中で、彼女は襲われたんだな?」
ジムは確認するように美幸に尋ねた。
サムの車はどこにでもあるような白の自家用車で、とくに改造は施されていない。
ドアを閉じて二人きり、ジムは話の内容を外へと漏らさないように気をつけていた。
下手に警察に動かれては困るからだ。
「美幸の悲鳴が聞こえて……、その後に、スペンサーって人がジムに伝えろって」
「スペンサーか」
ジムは噛み締めるように呟いた。
「知ってるの?」
「まぁな……」
苦いものを思いしたのか、ジムの柳眉が醜く歪む。
「あいつはな……、スパイだったんだよ」
スペンサーは車を止めて、激情を吐き出すようにハンドルに突っ伏し、語り始めた。
そうでもしなければ事故りそうだったからである。
声が激情によって震えていた。とても運転できる有り様では無かった。
「あの頃……、俺は組織でもそれなりのところに居たんだ」
スペンサーは憤怒に顔を歪ませながら語っていった。
ジムとの間に芽生えた友情、そしてボスの正体について口を滑らせた時のことを。
──それはどこかの裏路地だった。
倒壊したビルの、残された壁には、『HOPE!』と赤い文字が書き殴られていた。
二人はその壁にもたれて、ちびたタバコを吹かしていた。
揃いであつらえたお互いのコートは、異臭を放つまでに汚れている。
黒は白くすすけ、白は黒く染まっていた。
色違いの灰色。それでも二人の顔には、笑顔があった。
「親友だと思ってた! 俺は次のヤマが終われば市民になれるはずだったんだ! そうなったらお前にも屋根を貸してやるっ、あいつもそうなりゃいいって喜んでたのによっ! なのに!」
怒りに顔が歪んだ。
「ボスは……、そりゃあ汚い事をしたさ。そうしなきゃ市民になれなかったからな。そうやって市民になった人だった。そうやりゃ人間になれるんだってやってみせてくれた人だった……俺たちの希望だったんだ。わかるか? わからねぇだろうな……、ボスのお嬢さんだってわからなかったろうな……」
声が落ちついて低く抑えられていく。その分、圧力が込められて高ぶりが増していた。
当時その女の子は五歳、小学一年生だった。
「あいつはな! お嬢さんの鞄に爆弾を仕込んだんだよ! なんにも知らねぇ、わかりもしねぇ、お嬢さんの鞄によぉ!」
ごく普通の住宅地にある、ごく普通の邸宅が、突如として昼日中に吹き飛んだのだ。
「それだけじゃねぇ! 組織に入ってからの三年間、あいつは、あいつはな!? 俺達の仲間を殺して回ってやがったんだよ!」
ある時は一仕事終えた逃亡中に、安心し切った所をナイフで喉を。
またある時は市民に紛れて、食事中の所を狙撃して。
「仕事だけじゃねぇっ、アジトの情報まで流して……、そうやって自分一人が市民になろうとしてやがったんだよ、同じホームレスのくせによぉっ!」
それが工作員であると言うことなのだろうと、真美はなんとなく想像ができた。
「は、はは……、ボスの事を漏らしたおかげで、俺も危なくなってな? ヤバい仕事ばかり引き受けて来たさ……、今度は首相を脅そうって計画だった。これで俺はもう一度やり直せるはずだった! なのにまたあいつだ!!」
(ひっ!)
ダンッとハンドルに叩きつけられた拳に身をすくませる。
「あいつを殺す」
スペンサーは呪詛を吐くように宣言した。
「それで何もかも清算してやる」
(狂ってる)
夕べ見た、ジムのものとはまるで正反対の瞳に真美は脅えた。
そこには優しさなどかけらも見えない、あまりにも何もかもがジムとは違っている男であった。
(ジム!)
真美は恐さから、ギュッと目を閉じた。
スペンサーに語られたジムの像よりも、彼女は自分の瞳に映ったものを信じていた。