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 この時代、ホームレスという言葉は、二十世紀とは違った意味合いで用いられていた。

 九十年代、日本は過剰なまでの税政策を敢行し、これにより住居に対する税金のみならず、あらゆる保険への支払い義務を完遂できない者たちが続出した。

 彼らは子が生まれたとしても申し出ない道を選んだ。子供の保育の名目で、さらなる税の支払いを強要されてしまうためである。

 消費税なども導入されたが、これは独身者を増やすだけに留まった。

 夫婦一方の収入では家庭を支えられず、かといって共働きでは共に過ごす時間が少なくなり、子の面倒を見る時間もない。

 婚姻の意味がそこにはないからであった。よほど独身で居た方が収入に対して余裕を持て、楽しめる。

 社会としてはいびつになる一方であった。

 そんな九十年代の歪みが祟りとなって、日本は米国を中心とした三国へと身売りする事になったのである。

 現在、孤児や私生児、あるいは人間としての最低限の権利でさえ求められずにいる少年少女が、海面上昇によって放棄された水難地区に溢れることとなっていた。

 子供達のほとんどは難民となって、米本国へ流れるか、あるいは大陸を目指し半島へ渡るか、あるいはここに独自のコミュニティを形成し、汚ならしいものを見るような目で敬遠されて過ごしていた。

 ホームレスとは、こういった者達のことをひとまとめにする別称となっていた。

(でも……)

 真美は盗み見るようにして、ジムの瞳を覗いていた。

(この人が守ってくれたんだよね……?)

 でも……と、首を傾げる。

 憂いと悲しみ、それに諦め。

 眠りに落ちる前に見た瞳とは違うことに、真美はどうしてと訝しむ。

「FBIの……、エージェント!?」

「そうだ」

 結局、五人はサムの自宅へと移動した。

 リビングのソファーにサムとムツキ、真美と美幸の形で向い合うように座っている。

 だがジムだけが一人、窓際に立って庭を眺めていた。

 中々に広い庭である。

(懐かしそう?)

 真美はジムが醸し出している雰囲気を、そんな風に感じ取った。

 ホームレスを敷地に立ち入らせるだけでも、なんと陰口を叩かれるのか分からないのが世情である。

 実際、美幸も、美幸の母も、彼に対しては良い顔をしなかった。ムツキが居なければ、間違いなく追い出されていたことだろう。

 初対面の人間が居るからこそ、自嘲したのだと想像できた。

(だからかな?)

 久しぶりに、上がらせてもらえたのかも知れない。

 そのために、懐かしさがこみ上げているのかも知れない。

 真美は、そんな風に納得をした。

「こいつが!?」

 そんな真美の詮索には関係無く、ムツキは刺すような目をジムへと向けていた。

「じゃあ、夕べのは?」

 露骨に責める目を作り、ムツキは隣のサムを睨んだ。

「……情報はあった、だからジムに、万が一に備えてもらった」

「うちに断わりもなくですか!?」

「いや、部長には通してある」

「どうしてこっちまで情報が来ないんです!」

「万が一と言っただろう? 確実でない情報に、警官を割くわけにも行くまい?」

「しかし」

 サムは溜め息を吐いて、ムツキの言及を遮った。

「ジム、お嬢さんを送ってくれ」

「室長!」

 ムツキはサムへと食い下がった。

「室長はやめてくれ……、FBIと言っても窓際なんだよ」

 サムは改めてジムに命じた。

「彼には俺から理解してもらう。お嬢さんの帰りが遅くなるとまずいからな。頼むぞ? 美幸、お前はお茶を淹れ直してくれ」

「はぁい」

「ジム」

 サムは出て行こうとするジムに一声かけた。

「スペンサーだったんだな?」

 瞬間、闇の中で対峙した相手の姿が思い浮かんだ。

 顔は見えなかった。だが、驚きから発せられた声は、間違いなく知っている男のものだった。

「ああ……」

 重苦しく返事をする。

 そうか、と、サムは、タバコを取り出し、火を付けた。



 バスにでも乗るのかと思った真美であったが、案内されたのは、さほど離れてはいない表通りであった。

「……助手席に乗ってくれ」

 ぶっきらぼうな物言いにムッとする。

(しょうがないっか……)

 だがその憤慨は溜め息と共に吐き捨てた。先に毛嫌いをして噛みついたのは自分なのだから、嫌われるのが当たり前と言うものだと納得をする。

 だが、ジムは、そんな真美に、気弱な口調で問いかけた。

「何か……、気に障ったか?」

「別にぃ」

 4WDのラリーカーであった、色は白だ。

 シートもそれ用でとても固く、真美はお尻が上手く座らないのか、もぞもぞと動かして、落ち着く位置を探し出した。

 反対側から運転席の扉を開き、入ったジムに、そういえばホームレスだっけと、真美は気になったことを尋ねた。

「……免許って持ってるの?」

「あると思うのか?」

 返って来たのはもっともなお言葉であった。

 そうよねっと呟きながら、シートベルトを閉める。

 だからと言って降りるつもりはないというアピールだった。

「行くぞ」

 ジムは真美の視線を感じながらも、車を穏やかにスタートさせた。



 美幸の家から官邸までは、それなりに距離があって離れている。

 真美は窓から入って来る風に、車も良いなと表情を和らげていた。

 普段はバスを利用している。首相と言っても選挙で選ばれているだけの人間だ。その娘だからと言って、たいそうな車で送迎してもらえるわけではない。

 彼女の顔は、流れる景色へと向けられている。

 だがその目は、ジムを見つめたまま揺るがない。

(やっぱり……、見た事、あるよね?)

 小首を傾げて、真美はジムの瞳に焦点を合わせた。

 ちらりと横向いた目と視線がぶつかる。

「何か用か?」

 ジムの瞳はまた前を向いた。

「……用が無いなら、そう見つめないでくれるか? 照れる」

 キョトンとした後、真美はいきなり吹き出した。

「……そんなにおかしいか?」

「だって……」

「悪かったな……」

 ひとしきり笑った後で、真美はふぅと力を抜いて口にした。

「ありがと、あの、あなたでしょ? ……頭撫でてくれたの」

「そうだ」

 探るような言葉であったが、ジムはごくあっさりと肯定した。

 真美の顔を見ようとはしなかった。

「ね? それで……、どうだった?」

 真美は俯きながら頬を染めた。

「なにが?」

「もう! あたしの寝顔に決まってるじゃない!」

 プッと頬を膨らませてジムを見る。

(え?)

 しかし真美は予想外のものをそこに見付けた。

「あーっ、照れてる!」

「知るか!」

 ジムは照れを護魔化すように口元を手で覆った。

 引きつる口元を揉みほぐしていた。

「なぁに照れてんの?」

 そんな年甲斐もない照れに真美はくすくすと笑った。

 映画に出て来るエージェントのような、感情を殺している面が見られない。

 こんなに素直に顔に出ていて、つとまるのだろうかとおかしくなったのだ。

「もしかして……、女の子抱き上げたの始めて? 付き合った事も無いの?」

「ない」

 ジムはやや憤然としながらもはっきりと答えた。

「どうしてぇ?」

 ジムは真美の邪気の無い瞳に、冷めた目をしてこう告げた。

「誰がホームレスのことを好きになってくれるんだ?」

 それきり、言葉は途切れてしまった。

「あ、えっと……」

 鋭く切り付けられた台詞の意味に、真美は謝ることすら封じられた。



 帰宅──自室。

 真美はベッドに倒れ伏すと、枕を手繰り寄せて頭に被った。

 朝の努力の成果なのだろう、部屋の床に泥靴の跡は無い。

「失敗したぁ……」

 ホームレスと言えば、薄汚いという印象があったのだが、ジムにはそれを感じなかった。

 だから油断したのかもしれない。調子に乗りすぎてしまったと思う。軽口にしても、失言だった。

 ジムに対しては、生理的な嫌悪感を感じない。

 だから、違う存在のように捉えてしまっていた。

 普通の人のように思えていた。

 だから、普通の人と同じ感性で、言葉の意味を受け取ってもらえると錯覚した。

 ジムが自分のことをどう思っているのか、それを考えれば、あれはなかったと思うのだ。

 ホームレスを口汚なく言葉にすれば、ジムは同じように傷つくだろう。

 FBIのエージェントと言っても、ホームレスとしての自覚の方が強いように見える。

 真美は父が首相だから……、と言うわけでもないのだが、噂だけは耳にしていた。

 特別な仕事を引き受けて、市民権と戸籍を得るために働いている者達がいるということは。

「ジムが……、そうなんだろうな」

 カッコいいと思う反面、やはり先行するイメージがあった。

 ──誰が好きになる?

 その通りなのだ、現実に真美とてホームレスを『同列の人間』としては数えらずにいた。

「でも……」

 昨夜の眼差し、あれに惹かれる自分も存在している。

「そっか、あれって……」

(憧れ?)

 真美は彼の瞳に浮かんでいたものを、そんな風に解釈した。

 慈しみではなかったと思う。憧れているものを見る目だと思った方が納得できた。

「……ジムって、いくつなんだろ?」

 とりあえず、真美は答えの出そうな疑問へと、思考を切り換えることにした。

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