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BULLET:16

 安定性を失うということは、揺れが大きくなるということだ。

 波による縦揺れに加えて、本来ならあり得るはずのない横揺れまでも発生していた。

 船はもう、波間に漂い、惰性だけで前に進んでいる状態であった。

 転覆の可能性とて出てきている……というのに、スペンサーはそんな状況であっても、己の憎しみを優先させていた。

「俺達は雑な計画を立てて、コンビニを襲った。あの時、お前は怒ってたよな?」

(知らねぇっての……)

 ムツキは毒づく。

 相手を勘違いしたまま、スペンサーは独白する。

 それは至極簡単なコンビニ強盗であるはずだった。スペンサーが警報装置を鳴らそうとする動きに気がつき、店員を撃った。

 そこから、おかしくなったのだ。

『ははっ、見ろよ、食いもんだ、ジュースもある!』

 ──HOPE!

 スペンサーはあのレンガの壁の前で、戦利品をぶちまけた。

『どうだよ、ジム!』

 ジムは、そんなスペンサーの胸ぐらをつかんで、叫んだのだ。

『何で撃った!』

『なんだよ、怒ってるのか?』

『殺しはしないって言ったじゃないか!』

『しょうがないだろ、銃を取ろうとしやがったんだ』

『嘘だ! 警報装置を押そうとしただけだ。十分逃げられたのに、なんで!』

『バカ言うなよ!?』

 つかみかからんとする腕を跳ねのける。

『いいか! 非常線でも張られたら俺達に逃げる方法なんてないんだぞ!?』

『捕まったって、暫く檻の中に入れられるだけだ!』

『そんな事じゃ、いつまでたっても上には登れないんだよ!』

『上ってなんだよ!?』

『市民権さ!』

 スペンサーは嬉々として目を輝かせた。

 あるいは爛々と目を血走らせた。

『仕事を頼まれたんだ。上手くいけば組織に入れてもらえるんだ!』

『組織ってまさか!?』

『そうさ! もうこんな事も最後にできる、だからいま捕まるわけにはいかないんだよ!』

 ジムの中に葛藤が生まれる。

『な? だから手伝ってくれよ!』

 組織、それはサムの、FBIの追っているターゲットであった。

 そしてジムが長年潜ることで繋がりを探し求めて来た存在でもある。

 組織に認められるということは、『上の存在』、すなわち最も知りたかった情報、『正体』を明るみにできると言うことでもあった。だから。

(でも!)

 ジムの頭には、スペンサーの銃によって倒れた青年のことがこびりついていた。

『俺はいかないからな!』

『ジム!?』

『人殺しになるよりは、ドブねずみの方がマシだ!』

 現実のスペンサーが泣き叫んだ。

「俺は待ってたんだぞっ、お前のことを!」

 だがその仕事こそが悲劇のはじまりであったのだ。

 スペンサーは知らないままでいた。

 自分が任された仕事のことを。

 幼女誘拐と殺害、死体遺棄。

 それがジムに何を意味したのか? 彼は知らないままでいた。



(そうだ思い出せ)

 ジムは原油タンクのチェックルームを制圧していた。

 足元に転がっているのは船員なのか組織の構成員なのか?

 今の彼には、それは些細な問題であった。

(……思い出せ、あの時の)

 ジムは脳裏に、心が砕けた時の光景を、ひとつひとつ掘り起こすようにして思い浮かべていった。

 抱きしめれば、ぶじゅりと壊れた、腐った体。

 目や鼻、耳から、汚水が垂れ出して……。

 這い出るように、皮膚の下から虫が沸いていた。

 その体を抱きしめて、頬擦りしながら、涙を流した。

 鼻から口から、だらしなく鼻水と涎を流して号泣した。

 蝿が鼻の中に飛び込んで来ても気にならなかった。

 その少女は、体の中を食われているのだから。

 許せなかった。

 その命は、自分のような者をも、等しく愛してくれた希有な存在であったのだと。

 喜びを与えてくれる、温もりの源。

 それを守れなかったということが。

 止めることができたのに。

 ヒーローのように、そのときに、その場に居合わせるチャンスがありながら……。

 スペンサーという、まさに当事者となる者が目の前に居たというのに。

(そうだ、美幸のためなんかじゃない……)

 心を黒く塗り潰していく。

(俺はヒーローなんかじゃない……)

 正義の味方であったなら、あの時、スペンサーから話を聞いた時に、その被害者となるもののことを考えられたはずであった。

 守るために、あえて味方のふりをすることも考えられたはずであった。

 自分の感情は切り捨てて。

 だが現実としては、自分の感情だけを吐き捨てて、ジムは目を背けてしまった。

 これ以上、関わり合いにはなりたくないと、嫌な気持ちを抱えたくないと、自分可愛さに去ってしまった。

 逃げ出したのだ。

 振り返っていれば、きっと、美幸が狙われているとわかって、助けられたはずだったのにと、ジムは今でも、助けてくれてありがとうと、彼女を華麗に守りきり、助ける想像をして、自己嫌悪に陥っていた。

 だから、美幸のことは、きっと自業自得なのだと思う。

 そんな自分だから、助けることができなかったのだと。

 守ることができなかったのだと。

 それはこんな自分とは、無縁に生きるはずだった少女だった。

 あれはこんな自分が思うことなど、不遜と思える可憐な子だった。

 それを奪ったのが、自分の生まれ育った世界だというのなら、ぶち壊してやりたいと、破滅を願って、なにが悪いというのだろうか?

 こんな自分もろとも、自分を生んだ世界も、あの子が生きていくはずだった綺麗な世界だけを残して、消え去ってしまえば良いのだと。

 消し去って、なにが悪いのだと、それだけを望むのだ。

(それが俺だ!)

 ちらりと、こんな自分を悲しむ少女の顔が思い浮かんだが、それさえも心の闇に飲み込んでしまった。

(これは俺の憂さ晴らしで、だから!)

 この一連の思考作業は、少女の、美幸の顔が、記憶から薄れかける度にくり返して来た儀式であった。

 ジムは煮えたぎるような自己への批判と、それとは真逆にあたる無力感を同時に抱いて、顔を上げた。

 原油流出事故対策用のオイル硬化剤を、タンクに入れるよう操作する。

 量は足りないだろうが、可燃性は確実に減るし、海上保安部の消化作業も、何割かは手間が減るだろう。気休め以上の効果があるはずだった。

(これでいい……)

 最後にジムは、コントロールパネルを撃ち抜いて、さらにコンピューターとの接続配線の詰まったメンテナンス用のハッチを開けた。

(ここを潰せば……)

 時限式の爆薬を放り込む。

 これであちらの世界は守られる。

 あとはこちらの世界を清掃し……。

「ジム!」

 背後からの殺気立った声にハッとする。

「ケンヂ!」

 咄嗟に後頭部を袖口で庇うと、まさにそこへと衝撃が叩き込まれた。



 ゴォオオオン……。

 響くような震動は爆発である。

 進行方向に向かって右から左へ突き抜けるような、それが船自身の発したものか、外部からの攻撃によるものかはわからない。

(ちくしょう!)

 ムツキは焦燥感から駆け出した。

 現状の維持に飽きたからでもあった。

 我慢が足りない男だった。

「お前!」

 手短な通路へ駆け逃げる後ろ姿に、スペンサーの驚き混じりの声がかけられた。

「ジムじゃないのか!?」

「誰が返事したんだよ!」

「くそっ!」

「だっ!」

「恥ずかしい真似させやがって!」

「青春ありがとよ!」

 銃声に頭を抱えるムツキ、その後を追うように着弾が生まれる。

 反対側のハッチへ逃げ込んだムツキにスペンサーは毒づいた。

「飼犬が!」

 彼はムツキの消えたハッチに手を掛け、狙いも定めずに撃ち込んだ。

 しかし一瞬早く、ムツキは横道へと飛び込んでいる。

「せめて警察犬と言ってくれ!」

 壁にもたれるようにして、シリンダーから空薬莢を排泄する。

 ポケットをまさぐり、一発ずつ装弾していく、マガジンを交換すればよい銃に比べて、圧倒的に不利な瞬間だった。

 焦りで指先が震えてしまう。

 それをごまかすように、彼は角の向こうにいるスペンサーに話しかけた。

「市民権が手に入ったら、尻尾振ることになるのはそっちだろうが! ちょっとは遠慮したらどうなんだ!」

 返礼は丁寧な銃声だった。

「リードを付けられるもんならやってみろ!」

 スペンサーは、大股に、無造作に歩いて追い立てる。

 真っ直ぐに伸ばした腕の先に、横向きに握った銃を撃ちながら。

(野郎、ぶち切れてやがる……)

 ムツキは吹き出す冷や汗を肩で拭った。

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