BULLET:15
「緊急停止装置が働いたのか……」
不規則に襲いかかってきていた荷重が弱くなっていた。
「あの警官、どこ行ったんだ」
彼はスペンサーと話していた男であった。
短髪の下の顔はいかめしい、右眉の中心に縦に走る傷痕が特徴的だった。
銃を手に呼吸を整え、ひとつひとつの角を曲がる度に、律儀に構え直している。
彼が辿っているのは死体であった。転々と転がっている。
死体があるのなら、殺した人間が居るはずである。
つまりはこの先に、侵入者がいるはずであった。
スペンサーの出した指示によって、退船作業が始まっている。
生かしては置けないが、放って置いても、船と共に沈むか、船と共に火だるまになるかしてくれるだろう。そう考えると、この手で……というこだわりも、意味がないように思えてきていた。
彼は、ついさっきまで、旧東京湾岸部の壊滅に伴う混乱を前提にして行動していた。その混乱に乗じての上陸作戦があったからだ。
だが緊急停止装置が働いたとなると、ブリッジが押さえられてしまった可能性があった。クルーが無事なら、装置を止めているはずだからだ。
となれば、船が港まで辿り着けるかどうかは、微妙なところである。
タンカーには、最低でも水没している住宅街まで入り込んでもらわなければならない。
そうでなければ陸地にまで炎が届かないからである。
彼はベルトに下げていた通信機を取った。
「おい、誰か下に居るのか?」
ザッとノイズがあって、声が返って来た。
『……こちら階段前です』
「いいか、下に行ってバルブを開けろ」
『えっ、原油のですか?』
「そうだ、このままじゃ水没区までは届かないからな。湾内炎上に切り換える」
『……わかりました』
通信を切って放り捨てる。後はなるようになると言わんばかりの投げやりな態度だった。
「ま、運が良けりゃ、水上警備隊やらで死人が出るだろ」
それがテレビで報道されればもうけものだった。
行方不明者として名前が出れば、記録をたどり、家族を見つけ、処理して入れ替われば良いからである。
(さてと……)
男は自分が何処へ向かうべきかを思案した。
後ろポケットをまさぐる。ペンにしては太い棒が入っている。
それは携帯型の酸素ボンベだった。口に咥えて使用するタイプのものである。
海に潜っての上陸用に用意していたものだった。
だがこのままでは、どうやら本来の用途には程遠い用い方をする羽目になるようだと、彼はため息をこぼした。
炎上する海面下を移動し、脱出するためには、どれほど泳がねばならないのかと考えて、少しばかり鬱になったのである。
「ね?」
「なに?」
男達が命がけで戦っている頃、真美と美幸は警察署内の自動販売機が並ぶ禁煙スペースに陣取っていた。
湾岸部の慌ただしさが波及して、署内はどこも殺気立っていた。そのために居場所が見つからず、隅に追いやられた格好となっていた。
申しわけ程度にすえつけられているシートは、すっかりくたびれていてお尻が痛くなる代物だった。
真美は、ジュースを飲む? いらない。と言うそっけない答えに一瞬逃げかけたものの、思い直して、思い切って美幸に尋ねた。
「美幸は、ジムのこと、好きなの?」
美幸はうろたえるように泡を食った。
だが真美の真剣な瞳を見て、やがて観念したように頬を染めて頷いた。
「そっか……」
真美は満足した様に微笑んだ。
「やっぱりねぇ、そうだと思った」
だが美幸は、告白とは逆に沈痛な表情を作った。
「でも……」
「でも?」
「あたし……、ジムに酷い事ばっかり言ってるから……」
クスッと真美は失笑した。
「正体がばれないようにって?」
「うん……」
「それはジムだって分かってくれてるじゃない」
「そう……、かな?」
美幸の縋るような目に真美は頷いた。
「そうだよ、だって、美幸を見るジムの目って……、すごく優しいもん」
美幸はハッとした後で、何を思い出したのか、赤くなった。
「う……、ん」
その様子をにたにたと見やる真美である。
ますます美幸は赤くなり、小さくなった。
「……ジム、優しい目で見てくれるの」
「そうなんだよねぇ」
「真美?」
突然不機嫌になった真美に怪訝な目を向ける。真美はブスッくれた後に、はぁっと大きく俯いた。
「やっぱりかぁ」
「やっぱりって?」
やがて行き着いた答えに自分で驚く。
「まさか、真美も!?」
「違う違う」
真美はパタパタと手を振った。
「だ、だって真美、お礼にデートとか、あ~~~!?」
「だから違うってばぁ」
だがその目は泳いで、美幸を見ない。
「なんで目を逸らすの? こっち見て!」
(面白い……)
真美はしばし美幸で遊ぶ事に決めた。
「ジム、守ってくれた時に、すっごく優しい目で見つめてくれたのよねぇ?」
「じぃむぅ~~~」
うう~っと悔しげに唸りを上げる、そんな美幸に吹き出した。
「冗談よ、冗談」
「もう!」
美幸はそっぽを向いて、跳びかかりそうになっていた腰を落ち着けた。
それから顔を向けないままに話し出す。
「……ジムが」
「なに?」
しばしの間。
「……市民になったら、あたし、お嫁さんになるの」
「はぁ!?」
いきなり飛躍した会話に真美はぶっ飛んだ。
「な、なにそれ!?」
「だって、元ホームレスだなんて……、知られるわけにはいかないでしょ?」
どちらにとってもと……それは悲壮な言葉だが、何処か嬉しそうなのは気のせいだろうか?
「それって立場利用してない?」
そこには一種の駆け引きが存在していた。
平静を装い、ホームレスだと当たり前に口にしてみせた美幸と……。
それに気がつき、間を空けずに、いつものように振る舞ってみせた真美。
それは、いつもの、いままでの二人で居られるかどうかの確認だった。試験で、試練であった。が、それはそれとして……。
「だから真美、ジムとのデートは無しにしてね?」
「それはそれ、これはこれ」
「真美ぃ!」
「べーっだ」
友情と男の話は、別物であるらしかった。