BULLET:12
「行っちゃったね……」
「うん……」
警察署の屋上、ヘリポート。
吹き付ける風に飛ばされないよう、二人は足を踏ん張り髪とスカートを押さえていた。
見送ったヘリは、あっという間に小さくなってしまった。その中には父と兄が居る。両方とも、自分がそう思っているだけの赤の他人だ。
だからこそ、美幸の心中は複雑だった。
「止めなくて、よかったの?」
真美に尋ねられ、美幸はくっと顎を引いた。
「だって……」
こみあげてくる何かを堪えるような美幸の背に、真美はそっと手のひらを当てた。
その温もりのせいなのか? 美幸の目からは涙がこぼれた。
美幸……、加奈子が母、美佐子と共に連れて来られたのは立派な家だった。
立派というのもおかしいかもしれないが、この時世に庭付きの一戸建を持っていると言うのは異常であったのだ。
ただ資産家だというだけでは、そのような土地を持つ許可が下りることはない。
加奈子は美佐子に手を繋がれたまま、虚ろな瞳で建物を見上げていた。
まるで、自分には無関係な世界を見ている目であった。
扉に立つ黒人が、低い声を漏らす。
「入りなさい」
ビクリと……。
繋がっている手から、母の脅えを感じ取り、加奈子は母を見上げた。
自分がどんな経緯で生まれたものなのか知っている。
なぜ父親がいないのかも知っている。
けれども、母が自分を捨てないで居た理由も知っていた。
捨てる、見捨てる、それができなかっただけなのだと。
どうしたのだろう、どうなったのだろう、どんな風に思われたのだろう。
憎まれたのだろう。恨まれたのだろう……と。
いや、そうではなく、もし生きていて、憎まれているのだとしたら?。
恨んでいて、いつか目の前に現れ出もしたらと……。
そうやって、怯えなければならなくなる影が増えてしまうことが怖かっただけだろうと、わかっていた。
当の加奈子は、恨む、憎むという概念すら持てないほど、情動というものを知らなかった。
だから、泣きも笑いもしない子だった。
そんな加奈子は、ただ首をかしげるだけだった。
やがて男に促され、母に引かれて建物の扉をくぐることになった。
その扉をくぐることが、どの様な意味を持つのか、このときの加奈子に興味はなかった。
「その日から……、あたしは美幸に、パパの子になったの」
真美は美幸の話しから、一つだけ疑問点を見付けていた。
「ね……、美幸の……、お母さんはどうしたの?」
美幸は顔をわずかに背けた。
「……本国で、働いてる」
「そう……」
(生きてるんだ)
それだけの事実があれば十分だと真美はほっと胸を撫で下ろした。
「よかった……」
「何が?」
「何がって」
真美は戸惑った。
「だって……、電話とか、手紙とか、話ぐらいできるし、会おうと思えば」
「そんな事できるわけないじゃない」
美幸は吐き捨てた。
笑いながら。
「あたしがどうしてジムのこと嫌ってたと思う? ホームレスだって馬鹿にしてたと思うの? ニセモノの『美幸』だってわからないように、普通の女の子に見せ掛けようとしてたんだよ? あたしもホームレスなのにって思いながら。 ごめんなさいって思いながら!!」
「美幸……」
真美は泣きそうな表情を作った。
親友の慟哭の受け止め方が分からなかったから。
ぽたぽたと……、床の上に染みが生まれる。
ややあって……、ぐしっと美幸が腕で涙を拭い取った。
「ごめん……、あたし、先に帰るね?」
暖かい陽射しの中、凍えるような寒気を堪えて背を向ける。
拒絶が背中に張り付いている。
「待って、美幸!」
「やだ!」
美幸は伸ばされた手を払いのけた。
「美幸ぃ……」
どうして? とその手を包むように抱きしめる真美。
手を弾かれたことにではない、彼女のどうしては……。
(お願い……、こっち向いてよぉ)
美幸が顔を逸らせている事にかかっている。
「ごめん……」
美幸はそれだけをくり返した。
「恐いの」
「恐いって……」
ゆっくりと……、美幸の顔が上がって来る。
真美は変わってしまった親友の目に愕然とした。
「……あたし、ホームレスだもの」
美幸の目はただ脅えていた。
だが同時に真美は悟っていた。
明るさもはしゃぎようも、何もかもが裏返しで、この美幸こそが本当の『加奈子』なのだと。
ホームレスは陰気で、暗くて、卑屈だから。
だから美幸という、明るくて強気な子を演じていたのだと。
だが。
「美幸は美幸じゃない!」
顔を被って隠そうとする美幸の腕を強引に取り、真美はその両腕を広げさせた。
「やめて!」
「だめ! あたしを見て、美幸!」
「違うっ、あたし美幸じゃない!」
声が辛さの余り裏返る。
「美幸のふりをしてただけっ、加奈子なの!」
思いを吐き出す、隠していた感情を。
母はきっと辛かったのだ。
見捨てることができなくて、だが育て続けるのも苦しくて。
娘の成長に意味を見いだせず、負担に苦しみを覚えるだけで。
愛するどころか、憎むという感情すらわかず、邪魔だという認識だけが肥大化して。
そんな自分が、人間として辛くて、嫌になって行って……。
母は、加奈子のように、生まれついてのホームレスではなく、国家解体以前に生まれた、家を、家族を失ってなったホームレスだから。
あの日、サムの家の扉をくぐることに、加奈子はどんな意味があるのかわからなかった。
だが今は、美幸は、母に切り捨てられたのだと言うことを悟っていた。
重荷をなくした母親は、ジャパンという州が生まれる以前の、日本という国があった頃に近い、幸せな世界を生きているはずだった。
だけど……。
「あたしは……、美幸じゃないぃ……」
「美幸ぃ……」
泣き出した美幸と、泣きそうな真美。
真美はそれでも一回り小さくなった美幸を抱きしめた。
「美幸は……、嫌いじゃないよね? あたしのこと、嫌いじゃないよね?」
「真美ぃ……」
縋るように泣きつく。
お互い泣き出して、わけがわからなくなり始めていた。
それでも共通していたのは、お互いに嫌われたくないと言う想いだけだった。
それが今までの自分達の関係を、否定してしまう事だと直感的に悟っていたから。
真実よりも大事なものを、二人は抱き合う事で確認していた。




