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BULLET:1

 新世紀に入ると共に、その国の飢えは加速した。

 飽食に慣れきった人々に、我慢、許容などの言葉を耐える強さは無く、等しく貧困が覆い被さると、あっさりと人道主義は放棄された。

 東京という名の街が海に沈んで二十年ほどになる。

 大きく内陸へと広がった東京湾の一角。

 ドブのような裏路地に、一人の少年が生きていた。

「どうした?」

 話しかけて来た立派な男に一瞥をくれたものの、少年は、再び目前にある豪邸へと目を戻した。

 柵の向こう、緑の芝生の上で、女の子が大きな犬と戯れていた。

「ああいう子が好きなのか?」

 女の子の顔が上がった、少年と男に気が付き、少女は家の中へと逃げ込んでいった。

 少年の顔が苦渋に歪む、だがすぐに嘲りに変わった。自嘲であった。

 娼婦の子として生まれおちた身だった。

 保険も無ければ出生届けすら出されていない。

 彼は、市民としては数えられる事のない人間であった。

 もっともその事に憤りは感じていない。せいぜいが裕福な者を妬む程度で、彼は決して、誰かを憎んだりしてはいなかった。

 恨むよりも、盗みを働く方が先であったからだ。

 少年は、それでも希望と憧れを持っていた。

 この世には、綺麗なものがあるのだと。

 自分とは違う、真逆のものがあるのだと。

 それは決して、手には入らないし、交わらないし、染まることもできないものだけれど……。

 男を振り仰ぐ。

 少し腹の出たその男は、禿頭の黒人であった。

「仕事って、なに?」

 たどたどしい日本語で、少年は尋ねた。

 言葉に不自由なのは、余り人と話す機会が無かったためだろう。

「……いろいろだ」

 と男は口にした。

「訓練と教育、仕事はそれからになる……。そうだな、十年もすれば市民権をやろう」

「十年……」

「耐えられるか?」

 少年はもう一度豪邸に目をやった。

 ギュッと歯を食いしばり、そして何を心に誓ったのか、シャツの胸元を強く握り、引っ張った。

「……やる」

「そうか」

 男は目を細めた。

 不憫だとでも思ったのかも知れない。

 首都機能の麻痺した日本は、政府は、国を外国へと売りつけた。

 その際に、諸処の事情から市民としての登録を受けられず、あるいは受けることを拒否した人々は、行政府の庇護を受けられないまま、現在も悲惨な日常を送らされていた。

 報道では、元は犯罪者であったり、不法入国者が大半を占めていると誘導されていた。だが、単純に心身の都合や事情で期間内に登録をできなった者たちもいたのだ。

 少年の母親は、後者であった。そして身を売る以外に道を無くし、そして亡くなった。

 当たり前の死に方をした一人となったのである。


 そして十年。


 少年は青年になっていた。


 だが今だドブの中に浸かっていた。

「ジム」

 彼、ジムは、唯一の上司であるあの男から、シガレットケースを受け取った。

 やたらと大きな橋の上だった。欄干にもたれ、風は寒い。

 夜の深まりと共に冷え込みもまた増していた、二人は申し合わせたように襟を立てた。

 男は茶系、ジムは黒のコートであった。

「今夜だ。取り引きの内容は、薬が五百キロ。ま、そんなものは警察がどうにかする」

 黒い顔をジッポの炎が照らし出す。

 元は東京湾を横断する橋であったが、今では海面の上昇に伴って中央部分で水没していた。

 陸地側のこの部分は、桟橋のように海の上に浮いている。

 けたたましく行き交うバイクとギャラリー達は、この先で行われているチキンレースの観戦者である。

「……で、仕事は?」

 切り出すジム、細身で、頬もやたらと痩けていた。

 目つきが悪く見えるのはそのせいだろう。

 黒髪はべたつき、前髪は顔を隠していた。

「細かいことはケースの中だ」

 男はシガレットケースを目で差した。

「やつらは高木首相の長女、真美の誘拐を計画している」

 シガレットケースには中折りにされた紙がタバコの下に敷かれていた。

「……首相官邸は街を挟んだ反対側だよな? 随分と手の込んだ囮だな」

 紙は首相官邸の見取り図である。

「それだけ今回の誘拐には大きなものがかかってるんだろうさ。で、どうする?」

「どうするもなにも……」

 ジムは目を鋭く細めた。

「……俺に話を回すんだ。ただ警備をしろって言うんじゃないんだろ?」

 非合法な仕事だからこそ、戸籍のない彼の元へと話が回って来るのだから。

 彼の口元に奇妙な笑みが浮かび上がる。

「……主犯は赤き陽の昇る国だ」

「そうか」

 何か思う所でもあるのか、ジムは目を閉じて夜空を仰いだ。

「ジャパンが分割統治されるようになって、何年になると思ってるんだろうな……」

「九十年代に自らの犯した失策を認められん連中だからな。あがいてるのさ……っと、俺達が政治の話をしても仕方があるまい?」

「……それはそうなんだけど、な」

 ジムは下向くと、ケースからタバコを一本取り出し咥えた。

 男のジッポを借りて火を付ける。

 寒さに背中を丸めた二人は、それ以上の言葉は交わさなかった。



 テンミニッツ。


 住宅街から少し離れて、官邸は山の中腹に建てられていた。

 山一つが全て敷地となっており、山道は登り口で検問同然のチェックを受けなければ通れないようになっている。

 しかし今夜半、黒いRV車が無言のままに通り過ぎていった。

 内通でもしているのだろうか? 検問所に詰めている警備員との疎通は、目配せだけで済まされた。

 見とがめる者もいない中を、車は奥へ奥へと進んでいく。

 電動なのか天然ガスか、とにかくそのタービンのアイドリング音は低く抑えられていた。寝床に着いている住人の耳につくほどではないだろう。

 車はそのまま、邸宅の真正面に停車した。


 ファイブミニッツ。


 正面玄関が開き、中から手招きする影が見て取れた。

 ポチャッとした体形、透け気味の服はネグリジェだろうか?

 車から黒の工作服で統一した男達が静かに降りた。

 二人だ、顔は暗視ゴーグル付きのマスクで覆い隠している。

 車に残ったのは一人だけであった。

 人影と合わせて三人が屋敷に姿を消す、それを見計らうように、庭との垣根から誰かが車に近付いた。

 ウィンドウよりも低く腰を落として、気付かれないように回り込む。そして素早くマフラーに何かを取り付けた。

 それはスプレー缶であった、缶から吹き出したガスがマフラーを逆流し、車内を静かに満たして行く。

 ずりずりと、車中の男が尻を滑らせ、意識を失う。

 不審者を上回る不審人物は、車内をひと目確認してから、屋敷の中へと潜り込んでいった。



 今回の一斉検挙は、米国第五十一州、ジャパン始まって以来の大きなものになるはずであった。

 湾岸部はパトカーのランプによって、街中以上の賑わいを見せている。

 野次馬の半分は、この地区に巣食うホームレスで、残りは事件を嗅ぎつけたマスコミであった。

 一般人の姿はない。ここは放棄された無法地区なのだ。

「やっぱり変ですよ、部長もそう思いませんか?」

 若手の刑事が、上司に問いかけている姿があった。

「だがなぁ……、ヘロインは本物だ」

 地盤沈下によって傾いているビルたち。だが中には真っ直ぐなままのものもあり、そういったビルは、不審者たちの住み処や、倉庫として用いられていた。

「焦るなよムツキ」

 若い刑事は舌打ちを発する。

「……ヘロインが幾らあったって、捕まえたのが小物だけじゃあ、意味が無いですよ。そうでしょう?」

 海の側に逃げられたかなと、二人は視線を投げやる。

 そこには満潮のために、海面に没しているビル群があった。

 中には没しきらずに頭を晒しているものもあったが、まるで墓標であった。

 今日は月がないために、不気味な闇に沈んでいるようだった。

「部長!」

 大きな声の呼びかけに、二人はびくんと体を跳ねさせた。

「なんだ!?」

「本部からです! 首相官邸から警報が出ていると」

 理解に伴い、表情が切り替わる。

「シット! こっちは囮かっ、ムツキ!」

 ムツキはとっくに駆け出していた。



 屋敷が大きければ、それなりに人の気配は感じにくくなるし、立派な建物ほど足の音も消しやすくなる。

 絨毯が立派であるからだ。

 深い毛と靴の底の特殊ラバーによって足音を断ち、侵入者達は気配を消して進んでいく。

 指で合図をし、あらかじめ叩き込んであった間取りを思い出し、目標を探る。

 首相は現在本国の会議に出席中、この屋敷には首相夫人と娘、二人だけのはずであった。

 つまり、彼らを引き込んだのは、首相夫人である。

 夫人は二人を招き入れた後、自分の部屋へと引き上げていった。事件の発覚後、対応などについての内部情報を伝えるように、指示されているからだ。

 おおよそ完璧に見える計画だった。 しかし既に破綻は見え始めていた。

 切られているはずの警報装置は作動していた。ただし作動中を示すランプには黒いビニールテープが貼られ、状態を気付かせないように気が配られていた。

 そこかしこにある赤外線センサーは、逐一状況を警察本部へと転送していた。

 やがて彼ら二人は、二階にある一つの扉に辿り着いた。

 三、二、一、ゴーと指で合図をし、カチャリとノブを回して、一人が入り込む。

 その部屋は熊のぬいぐるみなどが飾られている、荒事には似つかわしくない世界であった。

 大きめのベッドには、十五・六歳の娘がすやすやと気持ちよさそうに熟睡している。

 長い黒髪を持っていた。少なくなった純血の日本人を感じさせる面立ちもしていた。少女趣味が抜け切っていないのか、大きめのピンクのパジャマに、胸にはこれまた大きな熊のぬいぐるみを抱いている。

 長女、真美である。

 侵入者は真美の鼻先にスプレーを吹き付けた。

「ん……」

 寝苦しげに呻きを漏らすが、目は覚まさない。

 男は真美の体を担ぎ上げると、ドアを出て、仲間の姿を探した。

 だがそこに共犯者の姿は無かった。

「きゃああああああああ!」

 悲鳴が聞こえた。

「あの、バカ!」

 舌打ちして、男は慌て、廊下を走った。



「きゃあ、きゃああ! きゃああああああ!」

 男は焦った、何故だか仲間が気絶して転がっていたからだ。

 それに錯乱している首相夫人の様子からは、彼女がやったとは思えなかった。

 では、誰が?

 廊下に月明かりが差し込んでくる。

 彼女は闇の向こうにいるものに怯えていた。

 月明かりに応じて闇が薄まり、そこに一つの人影が見えた。

 闇だと思っていたそれは、暗がりに紛れていた人であった。

 それは黒いコートの青年だった。黒いパンツに黒いブーツ。

 コートの前がはだけられている、その下のタンクトップのシャツも黒だった。

 スラリと抜き放たれるナイフは、ナックルにガードの付いた大物だった。

 暗闇の中で鈍く光る。

「ちっ……」

 男は真美を担いだままで腰に手を回した。

 コートの青年が駆けるように間合いを詰める。首相夫人の脇を抜け、大振りのナイフを横に薙ぐ。

 真美を担いでいたために、男は銃を抜くのが遅れてしまった。

 ギ、キィンと、硬質で耳障りな音が響く。同時にバンと大きな発砲音も鳴った。

 男は狙いを定めるのが間に合わないと悟ると、青年のナイフを銃身で受けて弾いたのだった。だがトリガーに指をかけてしまっていたために、間違えて引き金を弾き、発砲してしまっていた。

 跳ね上がった銃口から放たれた弾丸は、天井に小さな穴を穿って夫人のひきつるような悲鳴を誘う。

 閃くように返されたナイフが、真美を担ぐ腕を斬り付ける。

 落とされる真美、刃の軌跡に添って宙に糸を引く鮮血。

 流れるように動く青年。脂ぎった前髪が跳ね、彼の顔をはっきりと見せた。

「ジム!?」

 月明かりに見えた顔に、男は驚きの声を上げた。

 取り落とした真美を諦めて跳び下がる。

 目を細めてジムは身構える。知り合いなのか、知られているのか、思案しているようだった。

 ジムは口を開きかけて……、結局つぐんだ。

 問いただす必要性を見いだせなかったからだ。

 一方で男は、腕を真っ直ぐに伸ばし、銃口をジムにも、夫人にも、どちらにも狙いを定められるように、ふらふらとさせていた。

 男は撃つべきかどうか、惑っていた。だが急に点いた電灯の明かりに目が眩み、結局逃げ出す方を選んで身を翻した。

 すぐ側の窓を割って外へと転がる。

 ジムはまだ離すまいとする夫人の顔に、後ろポケットに入れていたスプレーを吹き掛けた。

「あ……」

 どさりと……、夫人は力を無くして倒れ伏した。

「う……」

 交代するように呻きが聞こえた、真美だ。

「……だ、れ?」

 落とされた拍子に肩を打ったのか、押さえている。

 それでも意識はまだ朦朧としているのだろう。目の焦点が合っていない。

 ジムは鼻から息を吐くと、張り詰めていた雰囲気を霧散させた。

 無造作な動作で真美の側に膝をつく。彼は彼女の体を抱き上げて、前髪を掻き上げるように撫でつけてやった。

「う、ん……」

 嬉しそうな身悶えをして、真美は体から力を抜いた。

 不思議と彼の瞳に安堵して。

(おやすみなさい……)

 真美はとても穏やかに瞼を閉じる。

「警察だ、動くな!」

 ジムは真美を抱いたまま、若い刑事……、銃を構えているムツキへと振り返った。

 その目は、元の鋭いものへと戻っていた。

大昔に書いたものをリメイクしてみてます。

この頃は、都市が沈むなんて、海面上昇しかないって思っていました…。

現実は俺の想像を超えてました…。

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