第3話 「落ちた先にあったもの」
昼休みの空気は、昨日よりもさらに重かった。
誰もはっきりとは言わない。
けれど、全員が分かっている。
昨日の会話は、冗談では終わらなかった。
奈央はいつも通り明るく振る舞っている。
雫はどこか上の空で、かんなは必要以上に静かだった。
菜乃葉は、その三人の間に流れる見えない糸を感じていた。
ぴんと張りつめた、触れたら切れてしまいそうな糸。
放課後。
菜乃葉が廊下を歩いていると、階段の踊り場でかんなと奈央が話しているのが見えた。
声は聞こえない。
でも、奈央が笑っていて、かんなは真剣な顔をしている。
少しして、かんながこちらに気づき、軽く手を振った。
その顔は、いつもの笑顔だった。
けれど、どこか無理をしているようにも見えた。
その日のうちに、かんなと奈央が付き合うことになったと聞いたのは、雫からだった。
「早いよね」
雫は笑っていたけれど、目は笑っていない。
「でも、よかったねって言わなきゃいけない気がして」
その言葉が、ひどく苦しかった。
夕方。
教室には、もうほとんど人が残っていなかった。
菜乃葉が荷物をまとめていると、後ろから腕を掴まれた。
強い力だった。
振り向くと、雫が立っていた。
目が赤い。
「ねえ、ちょっと来て」
有無を言わせない声。
そのまま引っ張られるように、階段を上っていく。
「雫、どうしたの?」
返事はない。
ただ、足音だけがコンクリートに響く。
三階の廊下。
夕日が差し込んで、オレンジ色に染まっている。
誰もいない。
窓の外では、風に揺れる木の枝が見えた。
そこで、雫はようやく足を止めた。
菜乃葉の腕を掴んだまま、俯いている。
「どうして」
ぽつりと、呟く。
「どうして、菜乃葉はそんなこと言えるの」
「え……?」
顔を上げた雫の目には、涙が溜まっていた。
「両思いの人がいるから、そんなこと言えるんだよ」
昨日、雫にかけた言葉を思い出す。
「きっと、ちゃんと気持ちは伝わるよ」
励ますつもりだった。
でもそれは、雫にとって残酷な言葉だったのかもしれない。
「私は、何も持ってないのに」
雫の手に力がこもる。
菜乃葉の心臓が早くなる。
嫌な予感が、はっきりと形になる。
「雫、落ち着いて」
「無理だよ」
その声は、笑っているのか泣いているのか分からなかった。
次の瞬間。
ぐい、と腕を引かれた。
視界が大きく揺れる。
窓。
空。
風。
何が起きたのか理解するより先に、体が外へ投げ出されていた。
一瞬、無音になる。
時間が止まったみたいに。
その中で、雫の顔だけがやけに鮮明に見えた。
驚いたような、泣いているような、何かを後悔しているような顔。
体が落ちていく。
けれど、次の瞬間、衝撃は来なかった。
代わりに、鈍い音が下から響いた。
枝が折れる音。
地面に何かがぶつかる音。
遅れて、痛みが全身に広がる。
視界の端で、地面に倒れている雫が見えた。
動かない。
制服が、不自然な方向に歪んでいる。
「……え」
声が出ない。
呼吸ができない。
頭が真っ白になる。
誰かの叫び声が聞こえた。
遠くから、足音が近づいてくる。
世界が急に騒がしくなる。
でも、菜乃葉の耳には何も入ってこなかった。
ただ、思う。
――どうして、こんなことに。
夕日が、やけに綺麗だった。




