妹の代わりに謝り続けた人生を、今日で終わらせます
「この度は、誠に申し訳ございませんでした」
ディアナ伯爵令嬢は、深々と頭を下げる。眼前には、目を吊り上げた司祭が威圧的に立っていた。
「次にこのようなことがあれば、我々は家門ごと出入り禁止にします」
「承知いたしました……」
彼女は何度も頭を下げて、丁寧に辞去する。
薄暗い教会を出ると、太陽の光が眩しくてくらくらと目眩がした。頭が嫌に重くて、このまま潰されそうな気がした。
いや、この心身の不調は天候のせいではない。
妹のせいだ。
ディアナは今回も妹の不始末の謝罪に来ていた。
神聖なる礼拝の日、妹のローゼは親しい令息と王都で遊んでいた。日々の窮屈な貴族生活から解放された彼女らは、平民向けの屋台で食べ歩きをしていた。
そして肉の串刺しを持ったまま教会に入って、それを食べながらミサを見学していたのである。
教会のシスターはすぐにそれに気付き、退出を促した。
しかし、アルコールも入っていたローゼはさんざん悪態をつき、最後は「寄付金を恵んでやればいいんでしょ? 乞食!」と言いながら貨幣を投げ付けたのだ。
当然、大問題になって、姉が多額の寄付金を持参して謝罪へ向かったのだった。
妹のローゼが騒ぎを起こして、姉のディアナが謝罪に行く。
いつものことだった。
クシュタル伯爵家の、美貌の妹は有名だった。
絹のようなホワイトブロンドに、宝石の如き碧い瞳。それは誰もが目で追ってしまうほどの美しさだった。
対して姉は、赤に近い栗色の髪の平凡な容姿。
二人には、姉妹だとは信じられないほどの明確な『差』があった。
黒髪に厳つい面構えの父親と赤みの強い巻き毛の母親から、どうしてこのような妖精が生まれたのかと、ディアナは疑問に思ったことがある。
母に尋ねると、妹は隣国の公爵令嬢だった高祖母にそっくりらしい。
高祖母は『白銀の薔薇』と呼ばれ、王家や高位貴族たちのあいだで凄まじい争奪戦が起こったとか。
一度、姿絵を見せて貰ったことがあるが、妹に瓜二つでとても驚いたのを覚えている。
そんな可愛い妹を、母は存分に甘やかした。
美しさを維持するための食事や運動だけは厳しかったが、それ以外は好きにさせていた。特に、「必要経費だ」と言ってドレスや宝石は湯水のように買い与えた。
逆に姉は厳しく育てられた。
クシュタル家は嫡子がおらず、婿養子を迎えることになる。なので、その妻になる姉も屋敷や領地のことを熟知していなければいけなかった。
妹は遊んで暮らして、姉は勉強三昧の日々だった。
騎士団長を務めている父は屋敷には不在がちで、ディアナは幼い頃から家令の手伝いをし、17歳の今では彼女が家のことを管理するようになっていた。
母と妹のせいで財産は減っていき、それを何とかして補おうとディアナは日々頭を搾っていたのだった。
唯一の救いは、父が姉妹平等に接してくれたことだった。
父は身勝手な妻と次女をよく叱っていたが、一年のほとんどを戦地で過ごす彼の力では二人を改心させることなど出来なかった。
それでも父だけは自分の努力を評価してくれて、たまに母たちに黙ってこっそりプレゼントを贈ってくれたりもして、ディアナはそれだけでも嬉しかった。
父が国家のために命がけで戦っているのだから、屋敷内の小さな揉め事で煩わせることはいけないと彼女は思っていた。
◆
「お姉様、どこへ行っていたの?」
ディアナが屋敷へ戻ると、ちょうど母と妹が優雅にティータイムをしているところだった。
ローゼは頬を膨らませながら、
「聞いてよ! あたし、お茶会で公爵令嬢にいじめられて大変だったのよ。本当にむかつくわ、あの女!」
「きっと美人なローゼに嫉妬しているのね。公爵令嬢って、ちょっとお顔が……ねぇ?」
「それもそうね。あんなブス、誰からも相手にされないわ。ぷぷぷ」
「あんな残念な容姿なのに、王太子殿下に色目を使っているらしいわよ」
「まぁ! 殿下が可哀想」
「そうよね。王太子殿下にはローゼのような美しい令嬢でないと」
母娘の品性のない会話に、ディアナは再び頭が痛くなる。
普段なら無視を決め込むところだが、今日は虫の居所が悪かった。
自分はさっきまで妹のために懸命に頭を下げていたのに、頭の悪い噂話に花を咲かせている二人がひどく憎々しく感じたのだ。
「あのねぇっ!」
珍しくディアナが声を荒げると、母と妹は少しビクリと肩を揺らせた。
「公爵令嬢は深い教養を持っていて、お気遣いも素晴らしい立派な方よ。それに、王太子殿下とは幼馴染で既に婚約も内定しているし、お二人が懇意にされていても何もおかしいことはないわ」
母と妹はきょとんとした表情で互いに目を合わせたあと、
「きゃはははは! 王太子殿下があんな不細工を選ぶわけないじゃーん」
「そうよ。あんなみすぼらしい女が国の代表になるなんて国辱ものだわ」
「……」
二人のあまりにも頭の悪さに、ディアナの怒りはするするとしぼんでいった。
こんなの、相手にするだけ時間の無駄だ。
「で、お姉様はどこへ行っていたの? もしかして、婚約者に隠れて別の殿方とデートしてたりして〜?」
しかし。
妹の無神経な一言に、彼女の怒りは再び膨れ上がる。
「教会にあんたの無礼を詫びに行ったのよっ!!」
ディアナの大音声の怒号が響いた。
「…………」
「…………」
部屋は少しのあいだ静まり返っていたが、
「え〜? あたし、知らな〜い!」
ローゼは悪びれずもせずに半笑いで言った。
「長女のあなたが謝罪するのは当然でしょう? ……まぁ、そんなに悪いこともしてないと思うけど、教会は大袈裟ねぇ〜」
そして母も次女に同意するのだった。
まるで他人事といった二人の態度に、ディアナはもう会話するのも嫌になって部屋に戻った。
「はぁ……」
ディアナは部屋に着くなり、ぐったりとソファーに倒れ込んだ。まだ頭痛が酷い。
いつの頃からか、母や妹とは話が全く噛み合わなくなった。言葉は通じるのに、まるで異国人と話しているみたいだ。
母が甘やかすせいで、ローゼの我儘は年々激しくなっていっていた。妹はいつも自分が世界の中心のように振る舞う。
さっきみたいな陰口だけではなく、身分が上の貴族令嬢に面と向かって喧嘩を売るのは日常茶飯事だ。
その度に取り巻きの令息たちが美しいローゼを守るので、妹はますます調子づいている。
他にも、ローゼが社交界で問題を起こすことは多い。
既に婚約者を持つ令息に過度にスキンシップをしたり、他人の物を欲しがり手に入らないと分かるとわざと壊して、自分より目立つドレスを着てパーティーに来た令嬢に赤ワインをかけたり……他にも枚挙にいとまがなかった。
妹は何かやらかす度に「あたし、悪くないもん」と逃げてしまう。
そこに母や令息たちが味方して耳当たりの良い言葉を並べるので、彼女が反省することは一度たりともなかった。
それでも、家門としての立場があるので謝罪せねばならない。
だが母は不在の当主の代理として動くつもりはなく、「長女なのだから責任を取りなさい」とディアナに厳しく言ってくる。
なので、いつも面倒事は長女だけに押し付けられるのだった。
――コン、コン。
そのとき、扉の向こうから遠慮がちにノックの音がした。それを聞くと、ディアナの顔はつい綻んだ。
彼女はさっきまでのぐったりした様子とは打って変わって、ソファーから飛び起きてまっすぐに扉へ向かう。
「アルベルト様!」
ディアナは満面の笑みで扉を開ける。そこには、婚約者のアルベルトが立っていた。
彼は侯爵家の次男で、クシュタル伯爵家の婿養子になる予定だ。二人の婚姻はまだ先だが、彼は当主見習いとしてクシュタル家の家令から実務を学んでいるところだった。
「ディアナ、久し振り」
「久し振りって……一昨日会ったばかりじゃない」
「はは、そうだっけ? 早く君に会いたくて、時間が長く感じるよ」
「まぁ」
ディアナはアルベルトを部屋に通して、自らの手でお茶を淹れた。彼が来ると、メイドも呼ばずにいつもこうしている。
誰にも邪魔されない二人の時間。それは彼女にとって大切な安らぎのひとときだった。
「さっき玄関ホールでローゼ嬢が泣いていたけど、何かあったの?」
「えっ? ローゼが泣いてた?」
「あぁ。『お姉様に怒られた』って僕に泣き付いてきた」
ディアナはたちまち渋い顔になる。妹は口答えはするが、注意されて泣くことなど一度たりともないのだが……。
彼女がしかめ面で黙り込んでいると、
「きっと姉に甘えたいんだよ」
彼はそっと婚約者の頭を撫でた。
「そんな可愛いものじゃないわ。今日も代わりに謝りに行ったし」
ディアナはムッと口を尖らせ、彼の胸に体重を預けた。ほんのりと体温が伝わって、たちまち安堵感を覚え嫌な気分も消えていく。
命を賭けて戦っている父に迷惑はかけられない。妹の味方の母なんかには頼れない。
婚約者だけは、そんな彼女の唯一の理解者だった。
◆
アルベルトがディアナの代わりにローゼに根気よく言い聞かせてくれたらしく、妹はしばらくのあいだは大人しかった。
しかし、それは嵐の前の静けさだったらしい。
ローゼは、ついに王族にまで無礼を働いてしまったのだ。
「この度は、誠に……誠に申し訳ございませんでした……!!」
応接間に入ってきたハインリヒ第二王子をみとめるなり、ディアナは床に頭が付きそうなほどに深く深く、もっとも深く頭を垂れる。滝のような汗がどっと湧き出て、震えが止まらなかった。
勉強嫌いのローゼは貴族名鑑を覚えようともせずに、この国の王族の顔も把握していなかった。
令息たちの集うサロンで、初めて見た王子のことを地方の下級貴族の嫡子だと思い込んだ。さんざん横柄な態度を取って、挙げ句顔の良い彼を誘惑したのだ。それはもう、超上から目線で。
ハインリヒ王子は「今日はお忍びで来たし仕方ないね」と笑っていたが、周囲はそうはいかない。
それに、たとえお忍びだったとしても、真面目な文学サロンの場ではあり得ない行為だった。
王子をサロンに誘った令息は真っ青になり、物凄い形相でローゼを怒鳴り付けてサロンから追い出した。
事件はすぐさまディアナの耳に入り、彼女は死を覚悟して王宮へ謝罪にやって来たのだ。
今回こそはローゼを引き連れるつもりだったが、妹が「先に王子様だって名乗らないのが悪いもん!」と開き直ってどこかへ逃げてしまった。
本人がいなくとも、王族に謝罪の意を示すために早く行動しなければと、ディアナは急き立てられるように王城へ向かったのだった。
「私の教育が至りませんでした……。心よりお詫び申し上げます……」
彼女は緊張で胃が破裂しそうになって、次第に頭も回らなくなった。呟くように、ひたすら謝罪の言葉を述べるしかなかった。
「なぜ、令嬢が謝るんだい?」
「へぇっ……!」
王子の予想外の言葉に、ディアナは仰天して思わず顔を上げて彼を見た。
ハインリヒの顔には怒気なんて少しも宿っていなくて、ただ不思議そうな視線を彼女に注いでいた。
「それは……その……」
ディアナは思ってもみない質問に面食らってしまい、数拍のあいだ言い淀む。
「令嬢は僕に対して何も非礼なことなどやっていないだろう?」
「私自身はそうかもしれませんが……。ですが、妹が殿下に大変な無礼を働いたのは事実ですわ」
「それは妹君の責任だ。君には関係ない」
「い、いえ! 私たち、家族の責任です! 私が、妹をきちんと躾けていなかったので……」
「ローゼ・クシュタル伯爵令嬢は、既に社交界デビューを終えている。社交界での失敗は、彼女の自己責任だよ。君は何も悪くない」
「っ……」
ディアナはパチリと大きく目を見開いた。
これまでそんなこと考えたこともなかった。
妹の責任は姉の責任で、妹の不始末は姉が対処すべきだとずっと思い込んでいたから。
だって、妹をちゃんと教育できなかった姉が悪いのだから。
「僕は君が謝る理由は何一つないと思うけどね」
「……」
沈黙が落ちる。ディアナはこれまでの妹と己の関係に思いを馳せていた。
たしかに、なぜ自分が謝っているのだろうか。
妹をどこに出しても恥ずかしくない令嬢に育てる義務を持つのは自分ではないし、己の言動を律するのも妹自身の問題だ。
ハインリヒはおどけるように肩を竦めて、
「ま、君の悪い点を敢えて一つ挙げるのなら、今みたいに後始末に奔走して妹君を甘やかし続けたことかな」
「……!」
ディアナの胸で、にわかに何かが弾ける音がした。
これまで彼女は、妹を甘やかす母の代わりに厳しく接してきたつもりだった。
だが、『妹の代わりに謝る』という行為自体が、一番妹を甘やかしていたのだ。
「殿下のおっしゃる通りです……!」
「令嬢が妹のために苦労する必要なんて、どこにもないんだよ」と、ハインリヒは微笑む。ディアナはその笑顔が、とても眩しく感じた。
「だから、今回はこうしないか? 僕はローゼ嬢が直接謝罪に来ない限り、絶対に許さない。――家門も、覚悟するように」
「っ……!」
一瞬だけ彼の眼差しが鋭く光って、彼女はひゅっと息を呑んだ。穏やかに見えても、やはり王族は恐ろしい。
王子はすぐに笑顔になって、
「ま、最後の一言は脅しだけどね。さすがに家門自体には手を出すつもりはないよ」
「あ……ありがとうございます……」
その言葉に安堵して、彼女は恐怖で喉に詰まっていた息をふっと吐き出した。
「でも、妹君にはきちんと反省して貰うけどね」
「勿論でございます」
「ディアナ嬢も、これを機に自分の人生に集中したほうがいいよ」
「はい……!」
こうして、ディアナはハインリヒ王子から妹への伝言を受け取って屋敷に戻った。
彼女の足取りは軽やかだった。
自分たちはきっと姉妹で依存していたのだと思う。
これからは、互いに自立して令嬢としての幸せな人生を歩もう。
ローゼも、正面から向き合って話せば分かっくれるはずだから……!
「ローゼ、いるの? 大事な話が――」
しかし、ディアナの希望は一瞬で粉々に砕けてしまった。
屋敷に戻って妹の部屋へ向かうと、裸のローゼが裸のアルベルトの上に跨って上下運動を繰り広げていたのだった。
「……」
「……」
「……」
二人の激しい動きがピタリと止まる。
顔面蒼白の婚約者。したり顔の妹。表情を無くす姉。
次の瞬間、ディアナの中で何かがプツリと切れる音がした。
「第二王子殿下が、ローゼの無礼を許さないっておっしゃっていたわ。だから、すぐに王城へ謝罪しに行きなさい」
抑揚のない声で要件だけ伝えると、ディアナは浮気者たちの顔も見ずに、さっさとその汚らわしい空間から立ち去った。
「私って、本当に馬鹿ね」
自室に戻るなり、ディアナはソファーに置いてある硬めのクッションを強く殴った。もう一発。もう一撃。さらに力を込めて。殴る。殴る。殴る。
あれを見て固まったままの表情を崩せず、顔の表層の温度は冷たいままだ。でも、肉体の内側からは、燃えるような熱いものが込み上げてくる。
そういった矛盾する肉体を抱えてどうしようもなくて、解消するように無表情でクッションを殴り続けた。
アルベルトが妙に妹のことを気にかけているのは知っていた。
ローゼは身内から見ても美しすぎるから仕方ないと思っていた。妹自身も彼に甘えることが多かったので、可愛がりたくなるのは仕方ないと思っていた。
でも。
婚約者だけは自分の味方だと思っていた。
たしかに容姿は妹に比べたら格段に落ちる。しかし彼はそんな表面だけではなく、内面を真摯に見てくれていると思っていた。
「ふっ……ふふっ……」
一通り身体を動かすと、不思議と笑いが込み上げてきた。
自分は世界で一番の愚か者だと思った。母の代わりに家や領地の政務をやって、妹の代わりに謝って。唯一信頼していた婚約者には呆気なく裏切られて。
あんなクズ共のために、これまで自分は何をやっていたのだろうか。
一人だけ意気込んで踊り回って、本当に馬鹿みたいだ。貴重な時間を彼らに吸い上げられて勿体ないな……と思った。
ディアナは吹っ切れたように晴れやかな笑顔になる。
「あーあ。ケーキでも食べましょう、っと」
◆
その日以来、ディアナは謝ることをやめた。
妹が社交界で粗相をしても、もう知らない。「妹に優しくしなさい」と母にきつく咎められても、完全無視を貫いた。
彼女は婚約者のアルベルトとも二度と取り合わなかった。
彼は最初は「誤解を解きたい」などと言って彼女に付き纏っていたのだが、彼女は鉄の意志で徹底的に退けた。家令に根回しをして、家門の関する事柄も決して触れさせないようにした。
しばらくして彼は「後悔することになる」と捨て台詞を吐いて、彼女のもとを去った。彼女は父が戻ったときに正式に婚約破棄が出来るように、水面下で着々と準備を進めていた。
妹たちにかまける暇がなくなったら、なんだか心に余裕ができた。
自由な時間も増えて、親しい令嬢と遊びに行ったり、趣味の音楽サロンに参加したり、何もせずにのんびり過ごしたりもした。
ローゼは姉という後ろ盾をなくして、社交界から孤立していった。ディアナは、その真面目さと誠実さと優秀な面が社交界で高く評価されていたのだ。
妹が何か事件を起こしても、もう姉は謝らないし、彼女自身からの謝罪の言葉が出ることは決してない。
これまでは姉の顔を立てて渋々許していた令嬢たちは、もう二度とローゼを許すことはなかった。
妹は結局、第二王子にも謝罪に行かなかった。
王族を怒らせたという噂が静かに広がり、取り巻きの令息たちもさすがに王家を敵に回したくないと徐々にローゼから離れていった。
ローゼも、母も、アルベルトも、じわじわと追い詰められていっていた。
「やぁ、ディアナ嬢」
「ハインリヒ様、ご機嫌よう」
ディアナが第二王子のもとへ謝罪に行って以来、二人のあいだで交流が生まれた。音楽が趣味の二人は話が合い、すぐに親しくなった。
「本日はお誘いいただきありがとうございます。歌劇はあまり拝見したことがないので楽しみですわ」
「きっと君も気に入るとはずさ。――そうそう、今日は面白いものも見れると思うよ」
「……?」
彼は意味深に微笑む。
彼女はその意味が分からなかったが、実際にそれをひと目見たとき、彼の意図がすぐに理解できた。
「あの方は……」
その歌手を目に留めるなり、ディアナはぶるりと全身が震えた。
壮年の男性歌手だった。
絹のようなホワイトブロンドに、宝石の如き碧い瞳を持つ人物だった。それは、つい目で追ってしまうほどの美しさを持っていた。
ハインリヒは静かに語る。
「彼はあの美しさと滑らかな歌声で、デビュー直後から絶大な人気だったらしい。でも、歌劇の本場の都市へ留学すると言って、表舞台から十年以上去っていてね。それで、今年に入って戻って来たんだ」
「そうですか……」
王子が話している間も、ディアナの目はその歌手に釘付けだった。王族に対して無礼な行為だとは頭では分かっているが、どうしても視線が離せない。
だって、あの顔はどう見ても……。
ハインリヒはそんな彼女を咎めることもなく、不敵に笑う。
「君の今後の身の振り方に役に立つと思ってね。良かったら、後で王家お抱えの魔術研究者を紹介するよ。事が進みやすくなると思うから」
◆
「皆様、ようこそお集まりくださいました〜っ!!」
数ヶ月振りに父が戦地から戻った日、ローゼが「大事な話がある」と家族と姉の婚約者を招集した。
何も知らない父はニコニコと穏やかに笑っていて、母と妹はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。
アルベルトは決してディアナを見ようともせず、ディアナは澄まし顔で会に参加していた。
ローゼはもったいぶるように大きく息を吸ってから、
「実はあたし、妊娠しました〜! アル様の子ですっ!!」
ぴょんと跳ねて、アルベルトの腕に絡みついた。
「なっ……!?」
父は目を白黒させ、しばらくのあいだ硬直する。
母は事前に知らされていたようで、満足げに頷いていた。
「だからぁ〜、アル様とはお姉様じゃなくてぇ〜〜、あたしが結婚しま〜っす!」
「もちろんクシュタル家は二人に継いでもらうわ。跡取りも出来たし、当然よね」
「お姉様は別の相手を見つけて出て行ってね! ま、見つかるといいけどぉ〜?」
「お前たちは何を言っているんだっ!!」
母娘のあまりにも身勝手な主張に、父は怒りで顔を真っ赤にさせながら怒鳴り付ける。
しかし、二人とも勝ち誇ったように当主の言葉を跳ねのけた。
「でも、格上の侯爵家相手に婚約破棄だなんて出来ないわ。姉妹で婚約者を入れ替えるだけだから、丸く収まるわよ」
「そうよ! アルベルト様はおブスなお姉様なんかより、あたしのほうがいいってぇ〜〜」
妹は姉に不貞が見つかって以来、ある陰謀を進めていた。
婚約者を姉から奪う計画だ。
家門には妹が居座り、うるさくて邪魔な姉を老貴族の後妻にでもやって追い出そうと考えていた。
アルベルトもローゼの顔のほうが好みだったし、いざ結婚するとなると、真面目で細かい姉よりも何も分からない妹のほうが好きにやれると考えたのだ。
こうして二人は、既成事実を作り上げるためにせっせと子作りに励んだ。長女を疎ましく思っていた母も賛成して、二人を応援した。
「こんな非常識なことが許されるわけがないだろうっ!?」
「なによ。いつも仕事で屋敷を留守にしているあなたに言われたくないわ」
「っ……」
「別にいいわよ」
そのとき、ディアナが明るい声で言い放った。
当事者なのに、この場にそぐわない穏やかな態度に全員が驚き彼女を見る。姉の泣き喚く姿を見たかった妹は、少し不服そうにしていた。
「あら、お姉様。婚約者に捨てられた負け惜しみかしら?」
「私は二人の婚姻を祝福するわ」
「あらぁ〜」母は勝ち誇ったように上機嫌で言う。「じゃあ、家門を継ぐのもローゼたちで構わないのね?」
「それも構わないけど……」
ディアナはわざとらしく一拍考える素振りを見せてから、
「平民の血が入ったら、爵位を返上しないといけなくなるかもね」
ニヤリと不敵に笑った。
沈黙が落ちる。
ただ目を白黒させる父と、顔を真っ青にさせる母。
それを見て、ディアナは確信して、懐から一通の封筒を出した。
「これは……王家の紋章印ではないか!」
「こちらは、ハインリヒ第二王子殿下からいただいたものです」
そう言って彼女はゆっくりと封筒の中身を開ける。たちまち底冷えするような緊張感が広がった。
「王家に伝わる、親子鑑定の魔法ですわ」
誰かがゴクリと大きく唾を飲み込む音がした。
「王家では過去に王妃の『托卵事件』が起こって以来、必ず親子鑑定を義務付けているのです」
ディアナが鑑定書を父に手渡ししようとすると、
「止めなさい!」
母が彼女の手を弾いた。
「いたっ……」
「そのようなことをやらなくとも、ローゼのお腹の子はアルベルト侯爵令息の子供です! いくら自分に魅力がなくて婚約者を寝取られたからって、惨めな真似はお止めなさい! みっともない!」
ディアナは母を一瞥して、おもむろに床に落ちた鑑定書を取り上げた。
「お母様、王家にいただいた書類をはたき落とすなんていけませんよ。――というか、お母様は別の心配をされているのでは?」
「なっ……」
母はもう一度娘から鑑定書を取り上げようとするが、ディアナはそれよりも早く父に手渡した。
「これは、お父様とローゼの『非』親子関係を証明するものです。そして、二枚目はローゼととある歌劇俳優の親子関係の証明ですわ」
「嘘よっ!!」
母の金切り声が響く。
「ど、どういうことですか、お姉様!? お母様!?」
さっきまで勝利を確信していた妹は、打って変わって動転した様子だ。
「どうもこうも、あなたはお父様の子供ではないの。お母様と平民が不貞をして出来た子なの」
「ディアナ! 出鱈目なことを言わないでちょうだい!」
「王家の紋章入りなのに、出鱈目なはずないでしょう? ローゼは平民の子供なの」
「そんなことないもんっ! あたしは伯爵令嬢だもん! お姉様の嘘つき!」
「これは陰謀よっ! ディアナが婚約者を奪われた腹いせに――」
「もう、いい。黙れ」
父の重々しい声が響く。
見ると、これまでに見たこともない恐ろしい顔をした伯爵家の当主が鎮座していた。
◆
「本当に済まなかったな、ディアナ……」
全ての後始末が無事に終わって、父とディアナは中庭で久し振りの親子水入らずのお茶を楽しんでいた。
父が戦地へ行っているあいだ、母は歌劇俳優と不貞をしローゼが生まれた。
妹は正真正銘、平民の子供だったのだ。
父は母とは離縁し、妹もろとも屋敷から叩き出した。
アルベルトの父も息子の不貞に激怒し、すぐに勘当した。子供ができていたので、二人は両家により強制的に結婚させられた。
今、あの三人がどうなっているのかは、ディアナには分からない。
だが逆恨みで危害を加えないように、侯爵家が常に見張りを付けているらしい。
それも、彼女にとってはどうでもいいことだ。
そよ風がディアナの頬をくすぐる。穏やかな空気が心地良かった。
「そんな。お気になさらないでください、お父様」
「いや……。私が仕事仕事で、家庭に目を向けていなかったのが悪い。お前には苦労をかけたな」
「そうですね……本音を申し上げますと、辛いことが多かったですけど……でも、それも全て自分の糧になりましたわ」
「お前は強いな」
「あの母娘のおかげで鍛えられましたから」
父は苦笑して、紅茶に口を付けた。娘が立派に育って嬉しかったが、ここまで来るのになんと辛い思いをさせたのだろうと思うと己を恥じるばかりだった。
「あっ、そうだわ。お父様」
「なんだ?」
「私に申し訳ないという気持ちがあるのなら、一つお願いを聞いていただきたいのですが」
ディアナはくすりといたずらっぽく笑う。
「どうした、どうした? お前の願い事なんて初めてじゃないか。よろしい、私が何でも聞いてやろう」
これは何か面白いことを企んでいるな、と父も楽しそうにニヤリと笑った。
「じゃあ、ここからは私が説明しようか」
「で、殿下……!?」
「ハインリヒ様!」
にわかに、二人の背後からハインリヒ第二王子が顔を出した。
ディアナの、将来を誓い合った愛しい恋人が。
お読みいただきありがとうございます!
少しでも楽しんでいただけましたら、
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