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第13話 密談

 隣の部屋から、赤ん坊をあやすエリーゼの声がする。

 移動したここは乳母役の者が寝泊まりする小部屋のようだ。

 木製の三段チェスト、丸テーブルに椅子が一脚、そして小さめの質素な寝台。

 必要最低限のものが置かれただけの、そんな殺風景な室内だった。

 その手狭な空間で、アンドレアはエドガーとふたりきりで見つめ合った。


「随分と驚き顔だな」

「だって……こんな場所にいきなり現れるから……」

「連れてきた侍女がマリーだったら、俺もわざわざ隠れたりはしない」


 エドガーはそっけなく言った。

 それはまぁそうかもしれない。

 エドガーにしてみたら、ケラー家に来たのはアンドレアと同じく、生まれたばかりの姪の顔を見に来ただけなのだろうから。


「変に疑われるのもお互い困るんじゃないか?」


 確かに裏切られた者同士で結託したと、ポールに思われでもしたら厄介だ。

 アンドレアが見張られているという状況を察して、エドガーはわざわざ身を隠してくれたのだろう。


「エドガーはエリーゼからライラの話を聞いたのね?」

「ああ。この前会ったときにはもう、な」


 表情なく言ったエドガーは、一転、何かを思い出したようにぷっと吹きだした。


「あのときのアンドレアの呆けた顔といったら……」

「な、なによ! わたくしは取引先に行ったのよ? まさかエドガーが出てくるなんて思わないじゃない!」

「あの商会はシュミット領の老舗で、シュナイダー家との取引も長かったからな。アンドレアに会うのにちょうどいいと思って個人的に買い取ったんだ」

「私財を使ってわざわざ買い取ったと言うの? わたくしに会うためだけに!?」

「悪いか?」


 悪いというより、馬鹿げているという感想だ。

 あからさまに呆れた視線を向けるも、しかしアンドレアははっとして口調をトーンダウンさせた。


「ごめんなさい……」

「いきなり何を謝っているんだ?」

「わたくしはエドガーにひどい仕打ちをしたわ」


 式直前での一方的な婚約破棄。直後、アンドレアは別の男の元に嫁いだ。

 そのことを直接謝ったことはこれまで一度もなかった。


「あれはもう終わったことだ」

「だけど……」


 エドガーのプライドはずたずたに傷ついたはずだ。

 今、アンドレアの前で平然としているのが不思議なくらいだった。


「ケラー家は十分な賠償金を支払い、シュミット家はそれを受け取った。それが全てだ。納得がいってなかったら受け取ることはしなかったろうからな」

「それはそうかもしれないけれど……」

「アンドレアはケラー家の人間として、家の利益を優先させただけだろう? 貴族として当然の選択だ。違うか?」


 エドガーの正論に、アンドレアは何も言えなくなった。

 これ以上の謝罪の言葉は、却って彼のプライドを傷つけるように思えた。

 しかし自分の件は過去のことだとしても、ライラとの婚約は現在進行形のものだ。


「今回もケラー家からライラとの婚約破棄の話は行ったのでしょう?」


 凝りもせず、父は金で解決しようとしたのだろうか。

 またエドガーとシュミット家に迷惑をかけたのだと思うと、気が重くてアンドレアは深いため息をついた。


「いや、今のところケラー侯爵からはそういった話はされてないな」

「何も? ではまだライラとは婚約中ということ?」

「そういうことだな。まぁ、ケラー侯爵のことだ。シュナイダー家でライラが上手く立ち回れなかった場合を考えてのことなんじゃないか?」


 万が一ライラがポールに捨てられたりしたら、そのあとライラの引き取り手はまず現れないだろう。

 エドガーにはギリギリまで秘密にしておいて、いざ上手くいかなかったらライラを押しつける算段か。


(お父様ならいかにも考えそうなことね。とんだタヌキだわ……)


 そう思ったのと同時に、あのタヌキ親父が、とエドガーが呟いた。

 まったく同じことを考えていたことに、驚いてアンドレアは目を丸くした。


「あ、いや、悪かった」


 いきなりエドガーがすまなそうな顔になる。


「アンドレアにとっては立派な父親だったな。俺の暴言だった、すまない」


 珍しく困り顔のエドガーに、アンドレアはくすくすと笑いだした。


(そうよ、エドガーは昔からこうだったわ)


 捉えどころのない性格で、どこか気が利かなくて。

 それでも不器用なやさしさを、時折見せてくれる彼だった。


「なにを笑っているんだ」

「だって、今わたくしも同じことを考えていたから」


 ひとしきり笑ったあと、アンドレアはふと顔を曇らせた。


「ライラのことは、謝っても謝り切れないわ……」


 今回はアンドレアのときと事情が違い過ぎる。

 ポールとライラの痴情に、欲をかいたケラー侯爵が上手く乗っかった結果のことだ。


「別に気にしてない。その点ではライラを放っておいた俺にも責任があるわけだしな」

「それは極論ではなくて?」

「いや、本当に別段どうでもいいと思っている」

「そう……やっぱりライラとは年が離れすぎていたものね……」


 十歳近く離れていれば、興味が持てなくても仕方がないことかもしれない。

 だがエドガーは静かに首を振った。


「ライラでも別の誰かでも、もうどうでもいいんだ。結婚相手は跡取りさえ産んでくれればそれでいい」

「そんな他人事みたいに……」


 どこか遠い目で言うエドガーにアンドレアは戸惑った。

 彼らしくない表情は、これまで見たことのない寂しげなものだった。


「本当に欲しいものは手に入らなかった……だから、もう何でもいいんだ……」


 自身の手のひらを見つめ、エドガーはそっと瞳を伏せた。


(エドガーにそんな女性(ひと)がいただなんて……)


 だからアンドレアとのときも、さほどダメージを受けなかったのだろうか。

 元から結ばれない誰かに想いを寄せていたのなら、それも納得がいくように思った。


(身分違いの恋でもしていたのかしら……?)


 エドガーの想い人は、既婚者か、または使用人ということもあり得るだろう。


「そういうわけで、俺は特に被害は被っていないんだ」

「今のところは、でしょう?」

「そうだが、差し当たって対処が必要なのはアンドレアの方だろう?」


 そうは言っても取れる手立てがない。

 こうしてこそこそと、エリーゼやエドガーに愚痴を聞いてもらうのがせいぜいだ。

 そのときエリーゼが扉を叩いて来た。


「そろそろ戻ってきて。見張りの侍女がしびれを切らしてるみたい」


(時間切れね……)


 結局何も進展を見込めそうにない。落胆でため息をついた。

 これからライラのいるシュナイダー家に帰るのだと思うと気が重くなってくる。


「アンドレア」


 戻ろうとして、二の腕を掴まれる。

 耳元に唇を寄せ、エドガーは早口で囁いた。


「何かあったらひとまずエリーゼに言え。あとは俺が何とかする」

「どうしてわたくし相手にそこまで親身になるのよ?」


 ライラのことをどうでもいいと言うのなら、アンドレアの事情も放っておいてもいいだろうに。


「それは……」


 目を泳がせ、エドガーは一瞬口ごもる。


「幼馴染のよしみだ」


 ぶっきらぼうに言って、エドガーはアンドレアから手を離した。


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